第6話 天地を喰らう獣
しばらくの準備時間を置いたのち、セレアルとタウルは対峙していた。
噂を聞きつけやってきたギャラリーが集まり、その時を今か今かと待ちわびている。
「悔いのないようにしよう」
戦闘衣に着替えたセレアルは、これから戦うとは思えない穏やかな声で語りかけた。
「ああ」
対するタウルは愛用の弓だけ。言葉短く答えると、ギャラリーの好奇の目を受けながらドゥドゥの背に乗った。
(シィエルはきてないか……)
探し求めている者の姿がないことに、半分ほっとした気持ちになった。
ややあって、セレアルもプレジールに跨る。金属製の面覆いや鎧を身につけ、身長の二倍はあろうかという長槍を脇に抱えているが、その重さを感じさせないほど軽々と空に浮かぶ。
「悔いを残さぬよう、心が求めるままに戦うがいい」
互いに準備が整ったのを見て、ルトランが取り仕切るように声を発する。
そして、大仰に肩で大きく息を吸う。「では――」
「始めッ!」
それと同時に竜と獣が動いた。竜は出方を窺うように大きく旋回するのに対し、獣は人混みに向かって駆けた。仰天声と同時に道が開き、真っ直ぐに商店通りへと向かってゆく。
上空からのブレスや矢を避けるべく、遮蔽物の多い場所に向かったのかと誰もが思ったが――
「じゃあ始めるか。ドゥドゥ」
手近な店の前で下りると、タウルはドゥドゥの背中を叩いた。
「うぉおん」
ドゥドゥは目を細めながら嬉しそうに吼え、正面の店を覗き込む。
青果を扱っている店のようだ。ほうれん草やレタス、ひよこ豆などが並べられている。その奥には座敷があり、店主らしき男が訝しい顔でこちらを窺っている。
「申し訳ありませんが、しばらく休業してもらいます」
「は……?」
呆気とられている店主をよそ目に、タウルはドゥドゥに指示を出した。「よし、食え」
「うぉんっ」
「ちょ、ちょっと!? それはうちの――!」
身に美のないブサイク。ドゥドゥは何と、躾のなっていない犬のように商品の野菜を、ばりばりと食べ始めたのである。
息を荒くしてがっつく獣の前に、店主は手を宙に浮かべたまま喘ぐしかできない。
「ああ。ドゥドゥの前に立ったら一緒に食べられるかもしれませんよ」
「ヒィ……ッ!?」
店主は断末魔のような悲鳴をあげながら、這うように飛び出していった。
獣は無人となった店内の食べ物を、果ては店主の昼飯まで平らげると、次はその隣に店を構える乾物屋へと移動する。
前の様子を見て槍を構えているが、ドゥドゥの腕に軽く払われると、先の店主と同じく潰走してゆく。
『た、助けてくれェーッ!? う、うちの商品が……ば、バケモノに、食われ……ッ!』
次々と起こる悲鳴に、全員が呆然と立ち尽くしていた。
戦うそぶりを見せず、略奪するようにひたすら食らってゆく獣――これに、プレジールはただただ首を傾げるしかできない。
するとルトランは、「言い忘れていた」と、薄い笑みを浮かべながら空を見上げた。
「あのブサイクは、ベヒモスだ」
「へぇ、ならいきなり飯も分かる……って、なんやてェェェッ!?」
「草食と聞いていたが肉もいけるようだ」
「あんさんアホか!? なんでそんなエグいもん連れてくるんやッ!?」
「空は“地の王”を敵に回したのだ。仕方なかろう」
楽しげに笑うルトランに、プレジールは冷や汗を浮かべた。
ドゥドゥは次々と店をハシゴし、そのたびに店から悲痛な叫びが上がる。ギャラリーにも関係者がおり、あちこちから「店が」「売り物が」と声が起こってゆく。
片やタウルは飲み水の瓶を片手に、店の陰で腰を下ろしてのんびりとしていた。
「地産地消もいいけれど」立て板を破壊して店内に入ってゆくドゥドゥを見ながらタウルは呟いた。「外からの流通がないと非常時が大変だ」
タウルは頭を上に向け、瓶の水をぐっと飲み干す。
するとその時、上空に大きな影が差した。
「やめんかいッ! 飯食っとらんと、ちゃんとワテらと戦えッ!」
それはプレジールであった。
ドゥドゥに向かって叫ぶが、その返事は店内から飛び出した鳥の骨である。
骨はくるくると回転しながら、猛烈な勢いで竜の頬をかすめる。
「――危なッ!? 何さらすねんッ、ワテは犬ちゃうねんぞッ! 後、犬に鳥の骨はアカンで!」
「ぷ、プレジール……今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
セレアルは店の三分の一が食われたのを見て、顔を引きつらせている。
タウルはやれやれと立ち上がると、ゆっくりと彼ら前に姿を現した。
「我々はちゃんと戦っているだろう」
「どこがやッ、飯食っとるだけやろ! 戦いっちゅーのはやな――」
「僕は殴り合うような戦闘はあまり好まない。それにかつて兄はこう言っていた。『剣が支配する時代は終わる』と」
「何――?」
「だからこうして、武器を使わない戦いをしている」
大仰にドゥドゥに手を差し向けると、セレアルは愕然とした顔を浮かべた。
「まさか、この地の食料をすべて……たった一匹の獣で、兵糧攻めをするつもりですか!?」
「ここは地上と違い、大地は有限だ。ドゥドゥの食欲が勝るか、作物の成長が勝るか、それとも他の竜が地上から食べ物を運ぶか」
あなた方は他人のために何ができるのか、とタウルは訊ねた。
「人の繋がりが希薄なこの地。次第に内部から崩れてゆくだろう」
「き、汚いでっ! 正々堂々戦えやっ!」
「時間無制限、ルール無用でしょう。それにこれは我々・地上の者が、あなた方・天空の者たちに受けた仕打ちでもある」
「仕打ち? ワテらは何も――」
「地上からどれだけの多くのものを奪い、民を苦しめた?」
これにプレジールは眉を上げた。
「あなた方は“欲望”のため、大陸を滅ぼそうとした。だから我々もこの地を滅ぼさせてもらう。このドゥドゥ……いや、ベヒモスは草木を、山をも食らう」
「う、ぬぅ……」
「さあ、取るべき選択をしてもらおう」
タウルは言うと、手にしていた弓を引き絞った。「この距離ならば、狙いは外さない」
すると、プレジールは目と口を真一文字に引いた。
「……ここにやって来た、あんさんの目的は何なんや?」
「そうだな……」タウルは少し話す速度を落とした。「僕も男だった、ってことか」
「全取りは破滅するで」
「竜ほどじゃないさ」
まぁせやな、とプレジールは声を明るくし、何がと動揺するセレアルに顔を向けた。
「セレアル、お前の負けや」
「な、何を……!」
「どうやって来たかは知らんけど、こんな所まで単騎で乗り込んで来た。しかもこの地を滅ぼすとまで言い、喉元に刃を突きつけて来おった。この男にそこまでさせるのは何や? ワテらがシィエルはんを横から連れていったからやで」
矢で射られんのも嫌やし、と続ける。
「そ、それは……。しかし、彼女は天空の者だから……!」
「あんま言いたかないけど、ここは地に墜ちたら死人同然って考える、薄情な連中の集まる地やで。ルトランのじーさんらがいなくなって小躍りしたの、どれだけおったか知ってるやろ?」
「しかし、僕らは……」
「動いただけマシって程度や。もしシィエルはんがセレアルの女やったとして、同じ境遇になったらどうするんや。命を賭して敵地に乗り込むか? ワテはフクロにされんの嫌や」
セレアルはぐっと手綱を握り締め、プレジールの背に目を落とした。
「僕がシィエルはんを幸せにするするーってのは、正味セレアルの独りよがりやで。恋とちゃう。ただ口を広げて餌を与えられるのを待つ鯉や。ワテ上手いこと言うたつもりやで?」
そう言うと、ゆっくりと石床の上に下りる。
セレアルも降り立ったが、その手は長槍を握ったまま――やがて地面に落としたかと思うと、プレジールの背から一挺の弓を取りだした。
「……謀だけで負けたとは思いたくない」
ぐっと弓を引き、ギザギザの鋭いかえしがついた矢尻を向けた。
「私も弓には覚えがある」
その目は真剣そのもの。しかし手が震えている。
タウルはそれに応じるように、セレアルに向かって弓を引いた。「僕は血を見たくない」
「ならば諦めてもらう。明確な敗北を与えられねば、私自身に踏ん切りがつかない」
「そうか――」
タウルは言うなり、矢をぴゅんと放った。
それはセレアルの肩の上を通過してゆく。不意打ちではあるが、セレアルは矢をつがえる矢筈を握ったままの格好のまま、矢を射ずに立っている。……いや、射ることができなかった。
弓の弦が切られているのだ。
「こんなこと……あ、あなたはいったい……」
セレアルは揺れる弓を手にしたまま、茫然自失に立ち尽くす。
「兄は大陸一の弓手になっているだろう、と言った。僕は思い上がりたくなかったけれど、今ぐらいは名乗ってもいいだろう」
タウルは突然どよめき出したギャラリーに目を向けた。
人混みを掻き分ける、純白のドレス姿の少女がそこにあった。
『タウルーッ!』
大きな声をあげながら駆けてくる少女に、タウルは兜から覗く口を緩める。
「――僕は“闇夜の狩人”だ」




