第5話 鐘の音を射る
タウルはドゥドゥを繰り、夜空への階段を一気に駆け上がる。
そして、後ろを床子弩を担ぐルトランが追う。
浮遊大陸はノスキー国をぐるりと迂回するように動いているらしく、南東に向かって三日間ひたすら走り続けた。
……が、薄い空気に低気温、そして風は絶えず吹き続ける中である。酷な環境に慣れぬタウルは、みるみる疲弊してゆく。
ようやく浮遊大陸の全容が見えた頃になると、タウルは今際の際で幻を見ているのかと錯覚してしまうほど朦朧としていた。
「我らはここまで」
ついに大陸に足をかけた時、闇人はそう告げた。
「か、感謝する……」
絶え絶えに礼を述べると、「また新月に」と三日月を浮かべながら、流れる雲の中に消える。
それを見届けてすぐ、タウルは崩れるように膝をついた。
「大丈夫か?」
ルトランが覗き込むと、ドゥドゥは自身の毛皮で暖めるようにタウルを包む。
「ああ……。しかし本当に、天に浮く島だったんだな……」
「空は無愛想かつ無慈悲な場所。我らにとっての“外海”は雲の海だ」
タウルは眼下一面に広がる羊雲を望んだ。
雲海の上にはコマ状の――タマネギや球根をひっくり返したような、巨大な島が浮かんでいる。更にその周囲を、綿を薄くのばしたような雲が周囲を包む。
タウルは兜を目深に被っているが、近くなった太陽に目の痛みを覚えてしまう。
「この大陸で唯一の街・サヌワへと案内してやろう。そこで身体を休めるといい」
ルトランは床子弩を引きながら大陸の北側へ歩みを進める。
タウルは再びドゥドゥの背に乗り、竜の背を追った。
南は雲の海ならば、北は雪をまぶした灰色の岩山がそびえ立つ。
またそれを背景に四角の建物が並んでいる。そこが〈サヌワの街〉ようだが、“唯一の街”と称した通り、他は凸凹とした台地が広がっているのみ……表面を覆う短い草が、大地の陰影を際立たせているだけであった。
「森もあるけど、シィエルが打ち震えたのも分かるな……」
「大陸に比べたら、ここは井戸の中のようなものよ」
「すぐに適応したけど、僕はとても長居できそうにないと思う」
ドゥドゥも同意するように頷く。
「シィエルはすぐに適応できたけど、僕はとても長居できそうにないと思う」
苦笑して言うと、ドゥドゥも同意するように頷く。
「死ぬ前に一度、天空に戻りたいと思っていたが……いざ戻ってみると、思い出の中で輝かせておくべきだったかと感じている。シィエルも恐らく同じことを感じただろう」
「……なおのこと、連れ戻さないとな」
「その意気だ。この地は地上ほど人間がお人好しではない。妨げる者がいれば遠慮なくぶち殺してやれ」
「ぶ、物騒だな」
弱肉強食の世界だ、とルトランは薄く笑みを浮かべた。
やがて視界の建物が大きく広がりを見せる。草木の高さも整えられたものになっており、モザイク柄の石床が見えるようになっていた。
そこで初めて人の姿が見られた。ファーのついた厚手のコートを着た女の子だ。
「……!?」
女の子は竜に気を許したのもつかの間……背後からやってきた白いブサイクを見るや、手にしていた木のバケツを落とした。
そして竜への異様さにも気づいたようだ。
無言でふるふると震えているのを脇目に、ルトランは慇懃に大地を踏み鳴らしながら歩いてゆく――。
この女の子の反応は天空の者のそれを表しており、商店街のような区画は、たちまち騒然とした空気に包まれた。
「ここは街の店通りだ。サヌワの台所とも言える食い物らを扱う区画となっている」
タウルは建物内に並べられたレタスやキャベツ、鶏肉らに目を向けた。魚もあるようだが、数が少なく干物ばかりのようだ。
ドゥドゥも同様に目を向け、腹の音のような唸りを上げる。
「ドゥドゥ、メシはまだだぞ」
「うぉぅん……」
残念そうな声を上げたその時、街の向こうから大きな鐘の音が鳴り始めた。
頭を上げた先にある、天高い教会の鐘楼のようだ。かーん、かこーん……と、澄んだ音が重なり合い、長い尾を引いている。
「時刻を告げる鐘……か? かなり響くな」
「いや」ルトランは正面を見上げた。「これは婚礼を告げる鐘だ」
「ああ、なるほど――」
「この音はシィエルのだろうな」
「な、なんだと!?」
一足遅かったのか、とタウルの胸がざわめく。
「安心しろ。どこの誰と式を挙げるのかを告げるものだ」
定期的に鳴らすものだと聞き、ほっと安堵の息を吐いた。
「なら、そこにシィエルは――?」
「いない。何日かおきに互いの家の者が、相手の家の音を鳴らす。そして日が迫るのに合わせて間隔を短くしてゆく。……この間隔だと、あと二週間といったところか」
「そうか……間に合ってよかった」
「それだけではないだろう。ちょうどいいし、あの鬱陶しい鐘を止めてやれ」
「い、いいのか?」
「構わん。こんな腐った地は滅べばいい」
心底嫌そうに、ため息を細く吐きながら言う。
タウルは兜の下で「やってやるか」と顔を引き締めると、床子弩に乗り込んだ。
鐘はまだ鳴り続けている。奏でている者が楽しんでいるのか、その音は楽しそうな印象を与える。――しかし、タウルには不快な音だ。
たん、と矢が放たれるや、見守っていた天空の住民たちは青ざめた声を漏らした。
ほどなくして鈍い激音が起こり、青銅色の鐘は、たちまち不協和音を奏で始める。
「これから起こることに相応しい、報せの音よ」
ルトランは聞き入るように目を細め、尾でモザイク柄の石床を叩く。
時を移さずして、教会の方面からゾロゾロと人が駆けつけ――周囲にいるのが“平民”とすれば、やって来たのは“貴族”である。煌びやかな身なりの者に付き従う従兵の格好は、かつて戦場で見たシィエルを思い出させた。
彼らは一斉にタウルを取り囲もうとするが、その横に座る竜に気付くなり絶句し、その場で足を止めてしまう。
「ま、まさか……」厳格そうな顔の者が一歩前に、絞り出すような声を上げた。「る、ルトラン、様……?」
「左様」厳とした態度でルトランは返事をする。「久しいな、アロースよ」
「は、ははっ……!」
その場で目礼すると、床子弩から下りたタウルと、ドヤ顔で腕を組むドゥドゥを見やった。
「あの、この者と珍妙な獣は……?」
「地上の者だ。この真下に広がる国を治める王でもある」
「な、なな、何とっ!? い、いったい何を……!」
「何を考えているか、か? それは我が、お前たちに問いたい」
ずいと一歩前に出ると、その者たちは身体を大きく仰け反らせた。
ルトランから、強い怒りが滲み出ている。
しかし――彼が言葉を発するよりも先に、タウルが一歩前に歩み出た。
「ルトラン、ここは僕が――天空に棲まう方よ。私の名はタウル・マルジュと申します。先の紹介の通りここ・浮遊大陸の真下の国・ノスキーを治める者。この兜は事情があって外せないため、先に非礼をお詫びしておきたい」
「う、むぅ……我が名は、アロース・ラ・エストール。このサヌワの地を束ねる〈二十四席〉・六の席に座っている」
二十四席とは何か、と思ったがタウルは話を続けた。
「エストール……これは話が早い。その家の者を捜していた」
「ほう」アロースは敵対心を隠さず片眉を上げた。
「単刀直入に言いましょう。そちらが横取りした、“シィエル”と言う女性を返してもらいたい」
「……何?」
「あれは私の“獲物”――地上を知らぬとは言え、挨拶もなく勝手に連れ去ってゆくことは、些か無礼が過ぎませんか」
瞬く間にアロースの顔が真っ赤に染まり、それに呼応するように従兵たちが剣を抜き身に構えた。
「勝手なことを――!」
同時にドゥドゥが猛り声を上げた矢先、ルトランは割っているように口を開いた。
「これは当事者同士で話し合った方がよかろう」
親が絡むと戦争となる。そう言って視線をアロースの後ろの上空に目を向けた。
そこには、一頭の竜と礼装に身を包んだ男がやってくるところであった。招きを受けるかのように、大きな翼をはためかせながら、アロースの横に降り立つ。
そして、ルトランを見るなり戯けるような仕草を見せた。
「――はえー、おっどろきましたわあ」
「プレジールか。まぁあのような、賑やかな音を鳴らすのはお前しかいないが」
「うわっはっは! そうでっしゃろ! ……せやけど、何でまた空に戻ってきはったんで?」
「気が変わった。シィエルを返してもらう」
「殺生な。いくら竜の古株や言うても、そんな無茶苦茶を通すジジイになったらあきまへんで。しかも地上のモンに従って……あんさんに誇りはありまへんのか?」
「そんなものは地上に埋めてきた」
「はぁ、いよいよボケはったんか……?」
剣呑な空気を漂わせ始めたのを見て、礼装に身を包んだ男・セレアルが宥める。
「ま、まぁまぁ。しかしあなたが地上の……」タウルの足先から顔まで眺める。「お初にお目にかかります。私がシィエル・ル・ミエール様と婚約した、セレアル・ラ・エストールと申します」
「そうか。私の名はタウル・マルジュ――」
「シィエル様より伺っております。何でも竜を、トビュス様を射殺した方だとか」
アロースや周囲の従者たちが仰天の声をあげた。
「そ、それは真か……!」
「ええ。私も昨日それを聞いて、信じられなかったのですが……ルトラン様の様子を見れば、それが事実であると思わざるを得ません」
よもや、と言った様子であった。
アロースはパクパクと口を動かし、宙に浮かべた指先の行き場を失わせる。
「では、役者が揃ったところで我から一つ提案がある」
「提案……ですか?」
セレアルが言うと、タウルを含めて全員がルトランを見上げた。
「かつてより、この地では女を賭けた戦いをしてきただろう」
「まさか……〈ジョスト〉のことでっか?」
プレジールが言う。
「そうだ。あれをもう一度見たいと思って戻ってきたのだ」
「えぇー……」
プレジールは呆れ顔で、何のことか分かっていないタウル、そしてワケの分からない不細工顔のドゥドゥに目を向ける。どうして獣がキメ顔をするのか判らない。
「確かにワテもやりたいけど、あれは竜による空中決戦――このモンは竜持っておまへんで。まさかルトランはんが乗せまんのか?」
「地上の者は竜を持たないが獣を持つ。空と地の決闘をさせる」
「何やて!?」
目を大きく見開いたプレジールの横で、タウルはルトランに何のことかと訊ねた。
「この大陸内全体で行う決闘だ」
「な、何だって!?」
「互いに竜に乗り、相手を倒すから降参させれば勝ち――お前は竜を持たないので、代わりにドゥドゥに乗れ」
時間無制限。ひたすら戦い続け、相手が力尽きるか降参すれば勝利となる……とルトランは説明した。
何をやってもいい。武器は何でも可であると続けた。
「竜を仕留めたのが相手だ。不足はないだろう」
「ワテもやられんのは嫌やけど……無限の空と有限の地では、勝負は目に見えてまっせ?」
それはタウルも感じていた。勝手知ったる空から、しかも床子弩で狙うのはまず不可能だ。だからアロースが『余裕だ』『手土産にしろ』『シィエルにも諦めがつく』と、セレアルをその気にさせている。
「何をやっても、何があってもいいんだな?」
タウルはドゥドゥに目を向けながら、確かめるように訊ねる。
「無論だ」
「そうか。ならさっさと終わらせよう」
その言葉に、プレジールは「言うてくれますなぁ」と声を低くし、鎌首をもたげた。




