第3話 咆哮・荒天の兆し
タウルはその頃、女王・イリーナに呼ばれ城の奥にある執務室に赴いていた。
室内には旗手や重臣たちが顔が並べ、またその錚々たる顔ぶれの中にはマレーやマクスウェルの姿もあった。
「――陛下をお支えになる者をお決めになってください」
主な用向きは、タウルの臣下と役勤めの選出である。
隠居した父に戻れないかと打診してみたものの、ザラムを失ったことが相当ショックであったらしく、とても指揮を執れる状態ではないようだ。
城内の混乱は落ち着きつつあるが、対立による澱んだ空気は未だ停滞したままである。
これらを払拭・平定するには、自身が進むべき方向へ旗を振るしかない。タウルは胸の中の空気を長く吐き出し、腹をくくった。
「改革よりも、混乱を鎮める方が先決です。当面は兄が選んだまま、現状維持でいいでしょう」
「分かりました」イリーナは頷き、手元の書類に何かを綴ってゆく。
「――しかし、〈セカンズ〉の方が入っていた部分は変え、そこに父に仕えていた方を戻します」
「それは構いませんが、お年をめされた方が多いですよ……?」
「老いたる馬は道を忘れません。官尊民卑はせず、若く有望な者を補佐に付けたいと思います。またそのための学舎設立も考えております」
「なるほど。後継者を育成させるのですね」
実際は補佐が主となる。これにはイリーナだけでなく、周囲の者たちも顔を見合わせ、感心したように頷きあった。
「そして――ここに同席しているマスクウェル殿に爵位を与え、リマ国の立て直しを。シスター・マレーを女官長に指名します」
突然の大抜擢に、二人は思わず目を見開いた。
「マレー殿には他に、ドランドルとのパイプ役を担って頂きたい」
「ああそう言う。……ですが、追放した者を易々と許してくれますかね? 私が言うのも何ですが、宗長は相当に偏屈ですよ」
「国の内情を知る者、そして神獣が敵に回る。天秤の片皿に乗せるのは何であるべきか、聡ければこれを見誤らないでしょう」
タウルが微笑むと、マレーは「梟雄であるようですね」と表情を和らげる。
これに、イリーナが確かめるような口調で訊ねる。
「つまりはドランドルとの国交を、リマ国を属国化……との意図ですか」
「そう受け取ってもらって構いません」
毅然と答えるタウルに、周囲の者も「よもや……」と口々に漏らす。
しかし異論は挙げず、そのまま頭を垂らした。
話し合いはここで終わり、家臣たちは顔を引き締めながら執務室を出てゆく。
部屋にはタウルとイリーナだけが残り、どちらからともなく長い息を吐き出した。
「――私は、タウル殿に謝らねばなりません」
しばらく沈黙を保ってから、イリーナは気落ちした声でそう呟いた。
何がと訊かずとも、タウルには分かっている。
「義姉さんはよき女王、よき妻であると思いますよ。現にここまで気張ってこられた」
「女王なんて……少し前までは、世間を知らぬ貴族の女だったのですよ……」
感情のままシィエルを糾弾したことを、イリーナはずっと悔いていたのである。
もう疲れた、そんな弱音を吐く彼女に声をかけようとしたその時――
『タウル様ーッ!?』
一人のメイドがノックもせず、執務室に飛び込んできたのである。
「ろ、ロザリー! ど、どうしたんだ、そんな血相を変えて……」
「し、し、シィエルが……!」
ロザリーは喉から出てくる言葉と口の動きが合わず、ただあうあうと喘ぐような声を発するだけである。しかし悪い予感がし、タウルはすぐに部屋から飛び出した。
脇目も振らず、城から飛び出る。
夜の中に兜をかなぐり捨てた時、向こうから巨大な影がやって来るのが分かった。
「ルトラン――ッ!」
世話役である竜を置いてはゆかない。
タウルは淡い期待を胸に中庭を見渡したが、シィエルの姿はおろか〈灰色の世界〉には人の影すら見えなかった。
「ルトラン、し、シィエルはッ!」
「帰った」ルトランは淡々と答え、空を仰いだ。「空から迎えが来たのだ」
「……前の、男か?」
「それとは比べものにならんイイトコのお坊ちゃんだ。珠の枝は持ってきていないが、帰るための条件としては申し分ないほどにな」
タウルは芝生の上に膝をつき、「皆、勝手すぎるよ……」とうなだれた。
それから一週間が無為に過ぎていった。タウルは城内で寝食するようになっていた。
引き継ぎや政務、新たな家臣たちとの連携確認などに追われ続け、あっという間に時間が過ぎ去っていた。
「陛下の即位について、民からも“いい噂”を聞かないですね」
女官長となったマレーは憚らず、抑揚のない声で話した。
「それはそうだろう。これまで表に出てこなったし、兄は好き勝手やっていても存在感を示していた」
「ですが、奇妙なことにノスキー国の外では好意的なんですよ。頼りないからと、他人の不幸の蜜を味わうのではなく、讃えるようなニュアンスで。恐らく多くを知らないからでしょうが。ええ」
彼女は言いたいことを言うと、すぐに修道服の裾を揺らしながら戻ってゆく。
タウルは座りの悪い玉座の上で、目頭を押さえながら長い青色吐息をついた。
「――あの廃村、住民たちから期待されているらしいですよ」
傍で控えていたロザリーが、香りのいい紅茶を煎れ、黒い布を差し出しながら言う。
竜に滅ぼされた東の村のことだ。ザラムよりマレー率いる〈タスラム〉に与えられていた。
「彼らは海に長けている。漁獲量が減っていが、これから期待できるだろう」
タウルは嬉しそうに言い、兜の下に黒い布を挟んだ。ほのかにヨモギのいい香りがした。
同時にシィエルに噛まれた日のことを思い出してしまう。仕事に明け暮れたものの、片時も彼女のことを忘れることはできなかった。
するとそんな姿を見たロザリーは、明かり取りの窓を忌々しげに見上げた。
「私から、陛下に一つ提案したいことがあります」
「な、なんだい改まって……」
「昼間の業務が多く、陛下の目の健康に悪いので――いっそ、この城の窓を全部塞ぎ、〈常夜城〉に名を改めてみてはどうでしょうか!」
冗談めかして言うロザリーに、タウルは表情を柔らかくして微笑んだ。兜の下には黒い布をあてているため、目の前にいる彼女が頬を染めていることには気付いていない――。
天空では満月の日に挙げ、初夜を迎えると言う。
約二週間後に満月であるが、名家となれば準備にも時間がかかる。シィエルの挙式は急いでも約一ヶ月後になるだろう、とルトランは見立てた。
仕事終えたタウルは中庭に向かい、退屈そうに寝そべるドゥドゥとルトランの前で腰を下ろす。そしてすぐに弱々しいため息を吐いた。
「刻一刻と時間が過ぎてゆくが、どうするつもりだ」
ルトランが開口一番に訊ね、タウルは「どうするもない」と首を振った。
「ネズミの天敵は鳥だよ」
「おや」これにルトランは片眉を上げる。「ネズミを捕らえられぬのによく言う」
「はは、ネズミはシィエルだったな」
おどけた様子のそれにタウルは苦笑を浮かべ、藍色に染まり始めた空を見上げた。
「地上のフクロウは、闇の竜の目を潰したのだろう?」
「フクロウは、光るものに反応するからね」
それは、日記の著者が綴った闇の竜についての記述である。
【風の竜王が闇の力を得た直後、突如として飛来してきた鳥に目を突かれてしまった。自己治癒の能力が減退していたのが原因か、それとも闇の力は生命力を糧としているのか。傷口から腐り始め、やがて彼は光を失う。そしてみるみると弱っていった――】
ここで分かったのが、闇の力は生命を喰らうこと。――ザラムがこれに耐えられたのは、オーミの街で入手した〈賢者の石〉の力によるものだと考えられた。
「モノにしなければよかったか?」ルトランは空を仰ぐ。「我はそうは思わん」
「幸せとは何か。多くが知らぬまま一生を終える中、あの子はそれを知ったと思っている」
タウルは何も言わない。
「天空は自由に見えて厳しいものだ。――ああ、シィエルが帰り際、地上から何も持ってくるなと言っていたぞ。何でも、見たら大暴れしてしまうかもしれんそうだ」
「はは、シィエルらしい」タウルは笑みを浮かべる。「持っていけたらな……」
「普段は無駄に考えるくせに、考えるべき時に考えないとは」
情けない、と首を振るルトランに、タウルは「方法がない」と抑揚なく答えた。
「我が思うに、その本の著者はいったいどうやって帰るつもりであった。行きは竜に乗ってきたのならば、帰りも竜に乗ればよかろう。病を患い、恋人に会いたいと嘆くのならなおのこと」
そう言えば、とタウルは日記をパラパラとめくる。
そらで言えそうなほど読み返したが、今回は新しく見るような新鮮さがあった。
「大衆に迎合した本は好かん。しかし日記には、その者の人生が詰まっている」
読み進めていると、彼が病を患う前後の記述に目が留まった。
「彼はどうして新月を――」するとタウルはハッと立ち上がった。「闇人かっ!」
「獣道は獣が知る。闇への道は闇の住民が知る」
ルトランは近くで寝そべっているドゥドゥに目を向けると、
「このブサイクもお前と走れず、シィエルと遊べずでストレスが溜まっているようだ」
「うぉんっ!」
ドゥドゥは意気揚々と低く吼える。
「地上のものを見たら大暴れするかも、か。ドゥドゥとセットになればどれくらいの被害が出るか分からないぞ」
タウルが言うと、ルトランはおもむろに巨躯を持ち上げ、
「構わぬ。いっそ空の大陸を叩き潰してしまえ」
自身のストレスも発散するように、天に向かって大きく咆哮した――。




