第2話 空の雫
シィエルはその後、怪我の治療という体のいい理由をつけ塔に軟禁されてしまう。
唯一の楽しみは食事と、僅かな散歩の時間であった。見張りはメイドたちが行っているが、ロザリーの時だけはこっそりと手紙を差し入れてくれる。
差出人は無論、会いたくてたまらないタウルである。シィエルはこれを心待ちにしていた――が、受け取るばかりで、返事を書く気にはなれなかった。
【シィエルのことは何とか説得する】
そう書かれているが、自分自身で『途方もないこと』だと分かっていたのだ。
問題が根深すぎる。
考えるだけで鬱々とし、シィエルは背中からベッドに倒れ込んだ。
“天空の者”というだけで偏見の目で見られることは仕方がない。……むしろ、ここまでそれを感じさせない、黙認されていたことが異常だったのだ。軟禁されてから一週間、それを痛感していた。
それはすべてタウルの人徳の下にあったおかげ。先日の言い争いを目の当たりにすると、これ以上、タウルに負担をかけたくない。
シィエルは唇を尖らせ、ひゅうと息を吐いた。“風笛”と呼ばれる竜との会話法の一つである。
『――今回ばかりは、時が解決するのを待つしかない』
それに応じたのはルトランだった。
軟禁こそされていないが、ドゥドゥの遊び相手と言う監視がついている。
『待ちたくない。既に結果が見えている――タウルは私を選べないし、周りの家臣を慮って会うことすらできないのよ。今この国において、天空の女がどれだけ危険視されているかぐらい分かるわ』
見えない鎖でタウルを縛ってしまった……と、指で目元を拭った。
『そのようなことあるものか。恋路に敵がいるだけだ』
『敵が多すぎるわ。タウルは私を守ろうとしているから尚更よ』
『ピステが生きていると知っていれば、多少は違っていただろうが……』
『知っていても、遅かれこうなっていたわ。むしろ闇に魅入られたのが二人にならなかっただけマシよ』
ルトランはただ唸る。
『だが……これで、カラクリが分かった』
何のこと、とシィエルは訊ねる。
『初陣の際、どうして地上の男と会ってはならないのか、だ。ただでさえ竜騎妃は惚れっぽい。今回のピステの件のように、地上で竜が産まれる可能性がある――』
『パイの取り合いと言うことね。天空にいる竜が減るかもしれない』
『そうなると、地上の者が天空に攻め込むことも可能だ。そこに眠る闇竜からすればたまったものではないだろう。竜を産む母胎を保ちつつ、魔竜人と呼ばれる依代・兵士を造ろうとすれば尚更な』
『産まれてから言っても遅いわ……。タウルのお兄さんは〈賢者の石〉を持っていたから闇の力に耐えられた、これを知られたと思うだけでお先真っ暗よ』
最初は“闇”の言いなりだったが、最後に反抗する姿を見せ、立ち去った。
これはシィエルの槍がザラムを叩きつけた時、首から提げていた〈竜の牙〉が折れ、胸に突き刺さったことで“支配”から解放されたのだろうと話す。
『しかし対策はとれる。繭も在処が分かるのならば処分も可能だろう。が……天空の者にどうにかして伝えねば話にならん』
『堂々巡りね』
するとその時、ルトランのとはまた違った風笛の音が混じった。
『……ああようやく見つけられました』
記憶にない、柔和な音であった。
『誰だ』ルトランが訊ねる。
『私は、“セレアル・エストール”と申します。初めまして……ではありません』
エストールって、とシィエルはベッドから飛び起きた。
それは天空の上流貴族でも高位に位置する、名家の一つなのである。
『タイ家の者を締め上げ、事情を聞き出しました。急いでこれを父に相談したところ、私の責任の下であればと申してくれました。――タイ家の真似をするのは些か抵抗がありますが、この方法しかないと思いお迎えに……』
ハッキリとしない口調であったが、つまりは『シィエルを娶りたい』と言うことだ。
動揺が治らないところに『このまま地上にいてもいいことはない』とだめ押しされたシィエルは、しばらく口を噤んでしまう。
地上に闇を落としたをは紛れもなく自分たちだ。その不始末は自分たちがせねばならない。
すると、セレアルは沈黙を恐れたかのように風笛を吹いた。
『ルトラン様には申し訳ないのですが……』
羽を失った竜は戻ることができない。――つまり、地上に残すしかないのだ。
『よい』ルトランは淡々と応えた。『羽がなくとも術はあろう』
この言葉に、シィエルはゆっくりと窓を見上げた。
(ここからでも、空は遠い……)
天空に戻る術は一つしかない。
小さく息を吐き、今一度、自身の身分と立場を考え直した。
『セレアル様――』
それはほんの短い時間であったが、やがてぷっくりと膨らんだ唇を小さく突き出す。
光を見つめるその表情には、決意が表れていた。
『今日の夕方であれば、塔の外に出られます』
西側の森で待っていてください、と続ける。
そして、空が茜色に染まり始めた頃――
「ロザリー……ごめん……」
石床に突っ伏すロザリーに、シィエルは切な声で謝った。
「貴女に、譲ってあげるから……」
唯一の味方なのに。自身の行いから目を背けるように部屋を飛び出した。
目指す場所は、らせん状の階段を少し昇った先にある窓――縁に手をかけ、小さな息を吐きながらよじ登る。
眼下に塔の外壁を、その先には苔むしたような蒼茫の森が納められる。
(まさか、ここを使う時が来るなんてね……)
常人なら足がすくむ高さである。
しかし、シィエルは躊躇せず窓の縁を強く蹴った。
鳥になったかのように両腕を伸ばす。浮遊感を全身に感じながら、弧を描きながら落下してゆく。
壁を越え、緑色の木々がぐんぐんと大きく広がる。間も無く衝突するだろう。
しかし突然、シィエルの落下速度が緩んだ。
下からつむじ風が吹き上がり、柔らかいソファーに身体を預けるような格好で、ふわりと枝の間を抜けてゆく。――やがて、とんと地の上に足をついた。
「ありがとうございます。セレアル様――」
その正面には痩身の男が立っていた。
シィエルは顔を確かめるとすぐ、胸の前で腕を交差し、真っ直ぐに膝を落とす。
「とんでもございません。ささ、頭を上げてください」
「は、はい……」
セレアルは輪郭がハッキリとした、端正な顔つきをしていた。
性格も穏やかな口調のままで、家の名声も天空の女なら誰もが憧れる男である。かつてはシィエルもその一人だった。
「時間がないので急ぎましょう。このすぐ向こうに竜を待たせてあります」
森の奥をしばらく進むと、そこに竜が座していた。
竜はセレアルの後を追う少女を見るなり、目を細めてうんうんと何度も頷いた。
「ぷ、プレジール様っ!?」
「まいどまいど」
予想もしておらず、シィエルは口を開いたまま立ち尽くしてしまった。
プレジールと呼ばれた竜は、どこの言葉なのか珍奇な口調で饒舌に話す。竜にあるまじき楽天家で、エストール家のとは思えないほど、非常にうるさいことで有名である。
「身内以外の者を抵抗なく乗せられるのは、彼しかいませんので」
すると、プレジールは目を据わらせた。
「よー言いますわ。地上との別れが辛うなるさかい、少しでもそれを和らげられるよう、竜の中でも随一の明るさを持つワテがエエって言うたの、アンタやろ」
「ぷ、プレジール!」
「わっはっは! まぁ念願叶ってよろし」
セレアルが慌てる横で、シィエルは聞き間違いかとプレジールを見上げた。
「あれ? お嬢ちゃん知らんの?」
「し、知らないとは?」
「セレアルは、あんたがちょっと気になってたん。ただまぁ、このアホは前に出られへん性格やろ? 早よせえ早よせえ、と言ってる間に学校を卒業し、そんで初陣……その挙げ句にタイ家に先越されたんや。正味のアホやで」
「え……え、えぇぇぇぇ!?」
シィエルは仰天顔をセレアルに向けた。
セレアルは気恥ずかしそうに目を伏せている。
「まっ、タイ家のボンクラがやらかした。地上のモンにコテンパンにされてから発覚――そこでワテが一肌脱いで出張ったってワケや。もうここしかチャンスないしの」
居心地悪そうに頬を掻く姿に、シィエルは少し憂いの表情を浮かべる。
「ま、まぁそれらは天空に戻ってから……」
「せやな。早よ戻って式の打ち合わせから準備せなアカンし」
プレジールはそう言うと、天を向いて風笛を吹いた。
『ほな、連れてゆきますさかいに』
すると、城の方からも風の音が返ってくる。
『分かった。できる限りよくしてやってくれ』
それはルトランへの挨拶であった――これまで考えないようにしていたことが、どっと湧き上がり始め、シィエルは内頬を強く噛んだ。
『シィエルよ』
ルトランは静かに言う。
『お前の選択が正しいのか、間違っているのかは分からん。しかし流れる風に乗るのではなく、自身で風を起こしたことを尊重しよう』
『ルトラン……』
『案ずるな。地上も言うほど悪くない――もしかしたら会えるかもしれんしな。その時は何か必要か?』
シィエルは奥歯を噛み、やがてハッキリとした音で応えた。
『何も、いらないわ……。地上のものを見たらきっと、私、大暴れすると思うから……』
ルトランは何も言わなかったが、城の中で薄く笑っている気がした。
愛想のない別れはここで終わり、シィエルはプレジールを見上げた。
「天空は、何も変わりありませんか?」
「なーんも。これまで通り変化のない一日を、長く続く歴史書の一行を書いているだけ。まぁ強いて挙げれば、ここから近うなったってぐらいやね。東の方に流れてるさかい」
「そう……」
地上は何行にもおよぶ出来事があった。
(その大部分は天空の者がしでかしたと言うのに、我々からすれば何気ない日常の一ページにすぎない……)
ただ流れる時間に身を委ね、破滅を待っているだけ――。シィエルはそう思いながら、プレジールの背後へと回った。
飛び立つ準備が出来たのを確認すると、セレアルは「天空へ」と指示を出す。
プレジールが大きな翼をはばたかせると、シィエルは懐かしい感覚に包み込まれた。
(もう地上には戻れない……)
竜は空気を蹴り、一気に飛翔する。
茜色の空に迎えられながら、シィエルは同色に染められた城に目を向けた。
(タウル……ごめんっ……)
空に向かう竜の後ろから、一滴の雫が落ちていった。




