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ドラゴン・フォール〈竜騎妃と弩砲の射手〉  作者: Biz
3章 闇のトンネルの向こうには
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第8話 確固たる決意

 屋敷を出た時、薄ぼんやりとした月明かりが空を照らしていた。

 来た時のようにシィエルと手を繋いでいたが、行きとは違って強く握られ、手汗でじっとりと濡れている。

 自分たちはこの地上を滅ぼすため、そのための“器”として作られていたと知ったシィエルの心境は、タウルには計り知れないものだ。

 彼女のために、自分ができることは何か。――考えると同時に答えは出ていた。


「ど、どうしたの?」


 突然足を止めたタウルに、シィエルは心配そうに声をかけた。まだ歩いてほどない。


「あのさ」タウルはゆっくりと振り返る。「僕は龍騎妃がどんな目的で生まれてきたか、なんて些細なことだと思ってる」

「え……?」

「シィエルは龍騎妃だけど、闇の力を受けるための器としてなんて見ていない。僕の〈灰色の世界〉に映るのは、ただ純粋に地上で生きようとしている女の子・シィエルだけだ」

「で、でも私は……いえ、私たちは天に巣くう邪悪な竜を生かすだけの存在、そのために地上を襲ってきたのよ……」


 ちっぽけな石ころのために、と心痛な声で続ける。

 しかしタウルは首を左右に振った。


「確かに、天空の者が地上を襲ったことは許されないだろう。……けれど、それをシィエル個人がその責任を感じる必要はないはずだ」


 口元に笑みを浮かべながら言うと、タウルは空いている手を、繋いでいるシィエルの甲に重ねた。


「シィエルは光、僕は闇。――だけど、僕の〈灰色の世界〉は光がなきゃ見えない」

「タウル、それ以上は……」

「必要とするのは竜ではない。僕にシィエルが必要なんだ」

「私、馬鹿だから本気にしちゃうよ……? そうなったらきっと、タウルを完全に私のものにしたくなっちゃうよ……?」

「シィエルは、もう僕の首を噛んでいるじゃないか。これまで国のことを言い訳にして、考えないようにしていたけれど、この真相を知って決心がついた。男としてシィエルを、君が笑顔でいられるように守ってやらなきゃならないって――」


 言い終わるよりも早く、シィエルはタウルと唇を合わせていた。

 首に両腕を回し、強く引き寄せながらの口づけ――逃さないと言うかのようなそれに、タウルはシィエルの首の後ろに手を添えて応えた。

 唇を()み合い、宵闇の中に水音と熱っぽい吐息の音を響かせている。しばらくそうしていると、シィエルはちろりと小さな舌を突き出した。


「ひた、ふぁんで……」

 タウルは盲従するように、前歯でそれを甘く噛む。

 すると腕の中に収まるシィエルの身体が、小さくぶるりと震えた。弾力を愉しむようにするたび、耽美に身をよじる。

 ほどなくして、シィエルの方から顔を離した。


「……舌を噛むのは、その……竜騎妃の誓いの証だから……」

「そ、そうなのか……」


 互いの顔は暗闇でも分かるくらいに、赤く染まっている。

 男の首を噛んで身体を支配するのなら、その反対が舌なのだろう。口から言葉を発する――心を捧げるために。


 甘めく空気に、二人はしばらく乾いた土の地面を見つめていた。

 しばらくそれに耽っていると、シィエルはおもむろに顔を上げ「か、帰ろっか!」と右手を差し出した。

 タウルは頷いてその手を取ろうとした時、ふっと屋敷の方から何かの気配を感じた。


「どうしたの?」

「いや……」そこに顔を向けたまま呟く。「気のせいだろう」


 顔を戻そうとした、まさにその時だった。


(あれは……)


 視界に映る〈灰色の世界〉のある一点、大きな木の枝の上に、まるでインクを落としたような黒い影が映っていることに気付いた。僅かに確認できる灰色の線は、うずくまる人の背を描いている。

 しかし人ではない。いくら目を凝らしても、そこだけ真っ黒に塗りつぶされている。


「あれが闇人……いや――」


 タウルはそっと荷物を落とし、据え付けてあった弓を握り締めた。

 並々ならぬ様子に、シィエルも固い動きで背中の槍に手を回す。そしてそれと同時に、口笛を吹くように唇を尖らせる。音を出さず空気だけを漏らす。

 それは一見、口笛の出来損ないである。しかし強弱をつけて鳴らされる空気の音は、何かを伝えようとしていると分かる。

 入り口にいるルトランにメッセージを送っているのだろう、と思ったその瞬間――


「な゛……ッ!」


 タウルは驚愕した。影がハッと顔を振り向かせたのである。

 だがそれだけではない。剥き出しになった鋭い牙、棘のような長い髪、ぼうっと光る目――〈灰色の世界〉に映っているのは、どう見ても人と竜が交じり合った姿形だったのだ。


「ど、どうしたの……」

「シィエル、口笛を止めるんだ! や、奴は……まさか……」


 手遅れだった。影は完全にこちらに気付き、枝の上で身体を沈み込ませている。


「ま、〈魔竜人〉かッ!」


 言葉と同時に影が跳び、タウルは反射的に弓を引いた。

 あまり狙えていないが、矢は一直線に、真っ直ぐ魔竜人の頭へと向かう。宙に浮いていると、着地まで身体の自由が利かない。射落とせるだろう、とタウルは直感した。

 しかし、魔竜人はその“希望”を嘲笑うかのように、()()()()()、きわどいところで矢を躱した。


「な、何だってッ!?」

「た、タウル、どうしたの……ッ」

「空気を蹴って躱された――ッ」

「け、蹴ってって、“クイック・リバース”したの!?」


 それはルトランもやった、空気を蹴って身をかわす竜の技である。

 タウルは次の矢を放とうとしたが間に合わない。魔竜人の足は更に空気を蹴って加速すると、飛びかかる獣のように、両手の爪を突き出しながら突っ込んできた。


「く……ッ!?」


 タウルは咄嗟にシィエルを抱きかかえ、横へ転がった。

 間一髪、爪は右肩の衣服を掻いただけ。

 一方、一瞬にして背後に回り込んだ魔竜人は、大仰に振り返った。


「こ、これ……」


 シィエルは言葉を失っていた。屈強な筋肉を浮かばせる黒い身体、太い手脚に長い尾――まさに、竜を人間の身体を落とし込んだ姿をしているのだ。

 鋭い眼光はシィエルを睨み、白い息を吐きながら、ぐるる……と喉を鳴らす。

 タウルは迷わず次の矢を放ったが、魔竜人は上背を反らしてそれを躱す。そして矢が胸前を通り過ぎると同時に、乾いた土を蹴り上げた。

 黒い塊がシィエルに向かってゆく。


「グルオォォォォ――ッ!」

「甘いわ――ッ!」


 鋭い弧を描く爪をギリギリで躱し、返す刀にさっと槍を突き入れる。

 それで仕留めようとは思っておらず、槍を振り上げながら引き戻し、再び突き、振り上げる――リーチを活かした攻撃に、魔竜人は後ろに下がるしかできていない。

 彼女の戦いぶりに感心したのもつかの間、タウルは急いで矢を引き絞った。

 ぴゅんと音を立てたそれは、魔竜人の右肩を掠める。ぐらりとバランスを崩したと同時に、シィエルの槍がその真っ黒な腹部を捉えた。

 しかし――


「な……何これ!? て、手応えが……ッ!?」


 穂先が深くまで埋没しても、魔竜人は平然としていた。

 黒い腕が槍を掴むや、魔竜人の背後から黒いムチのようなものが()()()をあげた。

 竜の尾だと気付いた時には遅く、


「うぐ……ッ」その脇腹に叩きつけられ、シィエルは勢いのまま道脇の草むらへ転がった。

「シィエルッ!」

「う、……か、かはッ……」


 まともに受けたのか、革鎧の上から抑えたまま草の上で咳き込んでいる。

 魔竜人はゆっくりとした動作で、腹に突き刺さった槍を引き抜くと、天高くそれを掲げ、鋭い穂先を眼下のシィエルに向けた。タウルが槍を持つ手首を射るも、微動だにしない。

 だが、槍がピクりと動いた次の瞬間――魔竜人は何かに気付いたように、突然後ろに大きく飛び退った。

 それに一瞬遅れて鋭い風が吹き、衝撃と共に魔竜人がいた場所の土を高くまで巻き上がった。


「我が騎手をやらせはせんッ!」


 風の吹いてきた場所――そこにいたルトランが叫ぶ。


「ANNYNG!」


 魔竜人は忌々しく叫び、星のない夜空を背に飛び上がった。

 しかし、その直後――


「う゛ォんッ!」


 高い木から飛び()でた白い巨獣が、黒い影に強烈なパンチを叩き込む。

 思い切り振り下ろされた拳をまともに受け、魔竜人は脇道の木の幹に叩きつけられた。


「よくやった! ドゥドゥ!」


 タウルは間髪入れず矢を一発、二発を放ってゆく。

 相手は何とか跳ね起きるも、先ほどまでの余裕と機敏さはなく、緩慢になっている。

 矢は、どっ、どっ……と、その胸部に深く突き刺さり、初めて苦悶に呻く声をあげた。前のめりに倒れそうになったが、何とか踏み留まり、今度はタウルに向かって太い脚を膨らませる。


「――さっきは、よくもやってくれたわねッ」


 しかしそれと同時に、白銀に輝かせる槍を持った少女が立ち阻む。

 槍に渾身の力を込めてスィングした槍は、漆黒に染まる胸部に深くめり込み、魔竜人は短い呻きと共に再び雑木林の中に叩き込まれた。


 受けたダメージが大きいのだろうか。

 魔竜人は起き上がらず、胸を押さえ膝をついた格好のまま睨み合いを続ける。


「……」


 だが突然……何かに反発するように背後の暗闇に目向けたかと思うと、さっと身体を翻し、闇の奥に消えていった――。



「あれは、いったい何なのだ……竜、のように見えたが」


 つかの間の静寂の後、ルトランは驚きを隠せぬ様子で訊ねた。


「恐らくは魔竜人……闇竜と人間のハイブリッドのようだ」

「闇……竜だと?」

「ハイブリッドと言うのも語弊があるかもしれないが、まぁ詳しくは後で話す」


 タウルはそう言うと、魔竜人が消えたその場所に足を向けていた。


「た、タウル! まださっきのが急襲してくるかもしれないわっ!」

「いや、大丈夫だ。奴は退き下がった」


 シィエルの槍を受けた時、タウルは〈灰色の世界〉の中で魔竜人の筋肉が大きく()()たように見受けられた。そしてその時、白い何かが転がり落ちたのである。


「これって、まさか〈竜の牙〉……」


 木の根元に、革紐を通した牙の首飾りが一つ。

 半分に折れたそれは、タウルに見覚えのあるものであった。

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