第3話 迎えと奸計
その後すぐのこと――ドゥドゥが闇の向こうを睨み、小さな唸りをあげた。
ぼんやりとした人影。タウルの〈灰色の世界〉にもそれを捉えた。
(賊の哨戒だろうか? それにしちゃ一人だし、妙だな……)
単独で哨戒線を守ることは稀だ。しかも哨戒と言うよりそれは、酒に酔ったような徘徊に近い動きをしているのだ。
他に仲間がいないかと目を配るものの、その姿は見受けられない。
訝しむように目を細めたその時、背後からひゅうと風が吹いた。
「な、何だ……!」
何の変哲も無いそよ風にも関わらず、ハッと何かに気づいたように、タウルたちのいる方向に顔を向けたのである。
しかし、驚いたのはそれだけではない。〈灰色の世界〉に映るその者の顔が、“異形”そのものだったのだ。
(獣に襲われたのか……?)
上唇や頬の肉が削げ、覆われている歯が剥き出しになっている。左耳はなく、右側の眼球もないのか真っ黒だ。身体もまた、肩など上半身のあちこちの肉が噛みちぎられたような痕がある。
傷口には蛆が湧き、じっと見ていると吐き気をもよおすグロテスクさをたたえている。
こちらに顔を向けたまま、骨が剥き出しになった鼻を鳴らす仕草を続ける。
「まさかあれは……!」
タウルはすぐに弓を引き絞った。
そんなことはあり得ないと思いつつも、しっかりと狙いを定め、ひゅんと矢を放つ。
矢は風切り音を立て、その者の剥き出しになった左胸を射抜いた。
心臓の真上。本来は即死のはずだが――
「や、やはり、ゾンビなのか……!?」
その者は仰け反っただけで、呻きに近い威嚇するような哮りをあげた。
こちらの方向に向かって走ってくる――タウルは背筋に冷たいものを覚え、すぐに次の矢を放つ。矢は額に命中し、今度こそ後ろにひっくり返るように背中から倒れた。
それでもしばらく蠢いていたものの、くたりと身体から力が抜けたのを確認し、タウルはほうと安堵の息を吐く。
だがそれもつかの間――あちこちから獣のような掠れた唸り声が起こり、タウルは飛び上がった。
「こ、これは……! ドゥドゥ、退くぞっ!」
「う、ぅおんっ!」
ドゥドゥの背に飛び乗り、脱兎の如くその場を離れた。
立ち木の合間、陰から、先の者と同じ姿のゾンビが現れ、一斉に向かってきたのだ。
木々の合間を縫って駆ける獣の上で、タウルはゾンビを弓を射続ける。快足のおかげで、あっという間に林を抜けた――が、ゾンビはまだしつこく追ってくる。
視線の先にぼんやりと焚き火が見えた時、タウルは叫ぶように危機を告げた。
「シィエルッ、ルトランッ! マリアさんを連れて今すぐここを離れるんだッ!」
理由を知らないシィエルは、「どうしたの!?」と、仰天声をあげた。
しかしすぐ、闇の向こうから迫る“存在”にルトランが気づいたようだ。
「な、何だあれはッ!?」
「ゾンビだッ!」
「な、何だとッ!?」「な、何ですって!?」
「淀んだ空気の原因は、この山にゾンビが蔓延っていたのが原因だ!」
「よもや死者が……いや、今は逃げるが先決か」
ドゥドゥが差し掛かったのに合わせ、ルトランも大地を強く蹴った。
そしてすぐ、信じられない速度で走り始めた荷車に、上に乗るマリアは堪らず悲鳴を上げた。
ゾンビたちは諦めることを知らず、暗闇の中をずっと追い続けてくる。……が、それも山に入る準備をしたところまでで、森を完全に抜けるとそれ以上は追ってこなかった。
「――い、いったいどう言うことなの!? ほ、本当に死者が蘇っていたの!?」
「身なりからして、この“シカズの森”に巣食ってた賊だ……。けど確かに、あれはゾンビだ。心臓を射抜いても生きていた……」
「あの腐臭はヒトのものではない」ルトランも荒い息を吐きながら肯定した。「瘴気を漂わせていたところからして、タウルの言葉に間違いはないだろう」
「そんなことって、ありえるの……」
ドゥドゥやルトランだけでなく、人間たちも肩で大きく息をしていた。
荷台の上にいるマリアは、焦点の合わぬ目で宙を見つめている。
「どうするか計画を練ろう。このままノープランのままでいるのは危険だ」
タウルの提案に、異論なく全員が頷いた。
気を一度落ち着かせ、翌朝に話し合うつもりであったが、焚き火を囲んでいると話題は自然とそちらに向いてゆく。
まずその口火を切ったのはシィエルであった。
「死者が蘇るって、何かの兆候だってお婆さまが言ってたけれど……」
「終末の日だな。まず死者が蘇り、闇が空を覆い、大地は振り出しに戻る」
ルトランが補足すると、タウルはドゥドゥに目を向けた。
「ベヒモス、リヴァイアサン、ジズ――三位一体となった時、最後に生き残った者の糧となる……か」
「うぉん!」ドゥドゥは腕を組み、ドヤ顔を決めた。
緊張感のないその様子に、シィエルはため息を吐いた。「そんな状況じゃないでしょうに……」
「だが、ベヒモスがリヴァイアサンを喰らったことが始まりなら、大いにあり得る話だ。神話や伝承などの話であれば、あの連中がよく知るかもしれん」
「あの連中……〈タスラム〉か」
ルトランの言葉に、タウルは呻る。
確かに神話などについて調べるならば、専門家に訊いた方が早いだろう。
「迂回しては、北回りのルートを選ぶことと変わらない。それにシカズの森から出られないと言っても、近くのカヤまで進攻しないとも限らない。ここはオーミの街で囚われている〈タスラム〉に対抗策を訊いておいた方がいいな」
タウルはよしと声を上げると、カバンから紙とインクを取りだし、羽ペンでさらさらと何かをしたため始めた。
あっという間に紙の下までペンを走らせると、そのインクを乾かしながらドゥドゥを見やる。
「ドゥドゥ。オーミまで遠いけど、頼めるか?」
「うぉんッ」
ここからゆくなら山越えとなる。山の覇者とも言えるベヒモスであれば、さっと向かうことができるだろう。
丸めた書簡をドゥドゥのハーネスの中に忍ばせると、タウルはその背を叩いた。
「頼むぞ」
ドゥドゥはひと吼えして応えると、北に向けてだっと駆け始めた。
闇の向こうに消えたのを見届けたのち、不安そうにしているマリアに微笑みかける。
「心配ないですよ。ゾンビの様子からして、ここのシカズの森しか動けない……三十キロ以上離れているミルエの村は大丈夫です。今さきほど専門の組織に対応する方法を訊ねにゆかせました。兄にも伝えておきますので、カヤ村の方の心配もないと思います」
シカズの森は賊の巣窟。誰も近寄らなくなったことが、かえって被害の拡大を抑えていたとタウルは考えていた。
「そ、そうですか……」
これにマリアは胸に手をやり、ほうと安心しように一つ息を吐く。
しかしその傍らで、
「むぅー……」
シィエルは手に槍を握り、不服そうに唇を尖らせていた――。
その翌日、進むことができないタウルたちは、ぼうっと森林浴する他なかった。
カヤ村に戻ることも検討したが、対策に時間を要する時以外はこの方法を取らないように決めている。マリアが親と二度目の別れをせねばならないためだ。
タウルの気遣いにマリアは恐縮し、せめてもと茶を煎れたりなどの世話を申し出てくれた。……が、どうしてかシィエルはそれを見るたび不満を募らせてしまう。
くさくさする気持ちを解消しようと森の中に向かおうとしたその時――突然、上空に大きな雲のような影が落ちた。
「――りゅ、竜っ!?」
トカゲのような頭に尖った口、羽を広げた巨大な体躯。傍にいるルトランとまったく同じそれが上空から下りようとしていたのである。
恐れおののくマリアを近くの草むらに隠し、タウルは兜の下で眩しそうに目を細めた。
「金の弓のマーク……?」
「金の弓……ルカミヨンか!」
ルトランが声をあげる。
「ルカ――げ、まさかタイ家!?」
シィエルが苦々しく口にしたそれは、タウルの記憶にも新しい、シィエルの許婚の家名であった。
ずん、と土埃を巻き上げながら大地に降り立った竜。その背には、尖った庇の兜をかぶった痩身の男が乗っていた。
銀色の鱗鎧と籠手、すね当てがギラギラと日の光を反射させる。
「探しましたよ、シィエル殿」
「うげ……よりにもよってエルブ……」
卑しい笑みを浮かべるながら地面に降りると、腕を胸の前にやりわざとらしく目礼する。
「ルトラン様までご無事とは」
「ふん……今頃何しにきた」ルトランがふてぶてしく息を吐くと、翼を持った竜・ルカミヨンはギロリと睨み付けた。
「我が妻を、お迎えにあがった次第でございます」
「妻、だと?」
片眉を上げたルトランに、ルカミヨンは鬱陶しげに口を開いた。「話は聞かされているはずだ」
「そう言えばそんな話もあったな。随分と遅い救援に忘れてしまっていた」
「老竜が。ついに頭まで呆けたか」
「物事の見えぬ、短絡な若造より冴えているつもりだが」
「何を――ッ!」
鎌首をもたげるルカミヨンに、エルブは「まぁまぁ」と宥めた。
「お前はミエール家に入るのだから、ここでいがみ合うのは止めたまえ」
「何?」ルトランは怪訝な目をすると、エルブは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「言葉の通りですよ、ルトラン様。シィエル殿が我が家に入り、その代わりにルカミヨンをミエール家に贈ることになったのです」
「何だとッ!?」
「単純な話です。シィエル殿を連れ帰るには、私のルカミヨンに乗せるしかない――」
あ、と口を開いたシィエルの横で、ルトランは歯を食いしばった。
竜はその家の者しか乗せない。シィエルを竜に乗せるには、エルブの妻とならねばならない――原則であればエルブがシィエルの家に入り、竜はエルブの家に残るだろう。
しかし今回はその逆、シィエルがエルブの嫁としてタイ家に入り、代わりにルカミヨンを交換すると言うものなのだ。
(家の者でも絶対に乗れるわけではない、と言っていたが……まさか)
現在、シィエルの家には竜がない。つまりこのままでは断絶する未来しかないため、誰も乗せない竜でも所持せねばならないのだ。
そして、乗せるとすればエルブとシィエルの間にもうけた子――破格の交渉に思え、これは体のいい乗っ取りにほかならない。
小汚い企みに腹立たしさを覚え、タウルは侮蔑するようにエルブを睨む。
(しかし、この男といい竜といい、何でこうも落ち着き払っているんだ? シィエルはチョウチョやバッタですら最初は驚き、跳び上がったと言うのに)
羽虫が飛び交ってもまるで気にする様子もなく、鬱陶しげに手を振って払うだけ。
その時、タウルはふとエルブのスロップに目がいった。
「――やはりクズはクズね」
シィエルが怒りを隠さずに言い放つ。
「まぁまぁ。家を存続させるならこうするしかないでしょう。あなた一人がこの地上で遊び呆けていると知れば、捜索に苦心されているご両親は何と思われます?」
「……ッ!」
エルブはシィエルの前に向かい、ぐっとその手首を掴んだ。
「さあ、帰りますよ」
「いやよっ! 離して!」
足を踏ん張るシィエルに、エルブが卑しい笑みを浮かべる。
見かねた行いにルトランが動き、それに応じるようにルカミヨンが鎌首を持ち上げたその時、
「我が儘を言っても――」
チュン……ッ、と何かがエルブの前髪を掠めた。
何が通りすぎたのか、はらりと金色の前髪が大地に舞い落ち、やがて大きく見開いた目をそこに向ける。
「た、タウルっ!」
「シィエルから手を離せ」
弓を構えたタウルがそこに立っていたのである。
人間だけでなく、竜も唖然としている中、唯一地上の者であるタウルは次の矢を構えた。
「もっと合間を狙ったんだけど、やはりこの兜じゃ次は危うい」
エルブの側の幹に、一本目の矢が突き刺さっている。
ふつふつと怒りが湧き上がってきたのか、エルブは顔を醜悪に歪めた。
「き、貴様ッ! 邪魔立てするなら――」
「邪魔をする理由ならあるよ」タウルはエルブの言葉を遮り、こう続けた。「昨日の晩、僕を殺そうとしただろう」
「んな゛ッ!?」
その言葉に、みな愕然とした。
エルブは「ど、どこにそんな証拠が……!」と、動揺しながら食ってかかる。
「ゾンビに気付かれたあの時、後ろから風が吹いた――あれは、匂いを届けさせたんだろう?」
「で、でたらめを……! 風なんていつどこでも吹くものだ……!」
「まぁそれでなくても、あんたのスロップについているそれ」
顎をしゃくる。そこには細長い枝のようなものが大量にくっついていた。
「ひっつき虫。草むらに身を潜めていた証拠だよ。あんた――シィエルの居場所を知っていたな?」
「う、く……ッ!」
「ゾンビがこの先に徘徊していることも知っていたはずだ。嫁にもらう女性に教えず、向かわせるとは……ピンチの時、格好良く現れるつもりだったか?」
「エルブ、あなたまさか……ッ!」
シィエルはエルブの手を振り払い、ギッと強く睨み付けた。
「とんだ、見下げた男ねッ!」
「な、何を言うか……! こ、こんな男に何の権限があって――」
タウルの矢が、再びエルブの顔を掠める。
一本目の矢の真横に突き刺さった。
「権限はあるさ」三本目の矢を弓につがえる。「シィエルは僕の“獲物”だ」
「な、何を世迷い言を……!」
「事実だ」
三本目の矢が放たれ、二本目の矢の隣に突き刺さる。
「僕はこの国の大公だ。これ以上好き放題されると、貴殿の竜まで射なければならなくなる」
「下等がッ、ほざいたなッ!」
ルカミヨンが口を大きく広げた。しかしブレスを吐こうとした直前――凄まじい衝撃波が、彼の頭を襲った。
ぎゃっと小さな悲鳴をあげ、転げるように背中から倒れた竜の正面には、大きく口を広げた竜・ルトランの姿があった。
「遅いわ、若造」
悠然と頭を持ち上げるルトランに、歯を食いしばるルカミヨン。
それを見たエルブは、何かを言おうとしたが、
「エルブ、あんたに一つ教えておいてあげるけど」
シィエルはふふんと得意げに鼻を鳴らし、タウルに目を向けた。
「私、あの人の首噛んでるからー」
「な、ななな、何だとぉッ!?」
「と言うわけで諦めて。ああうちの家に文句言いに行った時でいいからさ、用があるなら家財道具売ってそっちが来い、って伝えておいてよ」
じゃーねー、と手をヒラヒラと振るシィエルに、エルブはあうあうと喘ぐしかできないでいる――。




