第2話 花嫁の積み込み
それから三週間後――タウルたちは花嫁を“積み込む”ため、東に進んだ先の村・カヤを訪れていた。
そこは、山々に囲まれた総人口百人にも満たない小さな村である。人の繋がりが深いのか、中央の広場には沢山の人間が、二人の女性を囲うように集まっていた。
一人は純白のローブに身を包み、もう一人は薄紫のローブに身を包むロザリーだ。
迎えがやって来たことに気付いたのか、ロザリーがすっと頭を下げたのを見、囲っていた村人たちは一斉に振り返った。……するとたちまち、初めて見る竜と大きな獣に慄き、騒然となったが――
「おはようございます、タウル大公殿下――」
ロザリーの言葉で大公というのを思い出したのだろう。みな一斉に拝跪し、頭を垂れた。
これにタウルは皆の前で手のひらを振り、見渡しながら柔和な声で呼びかけた。
「いや、今日の主役は花嫁さんだ。私に傅かなくて構わない」
村の者は表情を緩め、互いに確かめ合うように腰を上げてゆく。
それを確かめたロザリーは、純白のローブを着た女性をタウルの前へ導いてきた。
「殿下。こちらが今回運んで頂く、マリアでごさいます」
白いワンピースにカーディガンを羽織ったマリアと呼ばれた女性は、緊張の面持ちで膝をつく。
「お、お初にお目にかかります。この度は、きょ、きょえつ至極に、に――」
「はははっ、大丈夫大丈夫。先ほども申した通り、今日は……いえ、ミルエの村まであなたが主役です。それまでは私が王弟と言うことを忘れ、女王の気分でいてください」
「あ、ありがたきお言葉……っ!」
忙しく頭を下げるマリアに合わせ、他の村人たちも膝をついて感謝の言葉を述べた。
「準備ができれば、あの竜の後ろの荷台へお願いします。竜の顔は少々いかついですが、みなが恐れるようなことはしませんので」
ルトランは表情を変えず、目だけを向けた。険しさが感じられないためか、村人たちに驚き以上の感情は抱いていないようだ。
花嫁とその両親は長い抱擁を交わし合う。タウルはそれを傍目に、シィエルたちが待つ車に戻ってゆく。
「そう言えば、タウルって大公だったわね……」
「ま、まぁ、形だけだからね」
シィエルは驚き顔を浮かべ、「見違えたわ」と口にする。
普段からドゥドゥと野山を駆けているタウルであるが、然るべき場所では“王族”として振る舞うようにしていた。
民と王族の線引きをしっかり引いておかねば、曖昧な境界線が国のゆるみに繋がると考えているからである。
両親からの言葉に涙しながら何度も頷く花嫁を、シィエルは見守り続ける。
ほどなくして花嫁はルトランに繋がれた荷台に乗り込み、タウルは出発していいかと訊ねた。
「……」マリアは言葉が出ないのか、赤くなった目元を拭いながら頷く。
これにシィエルは上半身だけを返し、声をかけた。「言葉を発せなくても、顔ぐらいはちゃんと見ておきなさい」
「言葉を交わし合って別れられるとは限らないんだから。今この瞬間を後悔しないようにしなさいよ」
シィエルの言葉には重みがあった。
マリアにもそれが伝わったのか、涙で真っ赤になった目を無理やり大きく開き、真っ直ぐ両親を直視する。――それを確認したタウルは、ロザリーに「鐘を」と命じた。
すると……村の鐘楼が鳴り響き、これを合図にゆっくりと車輪が回り始める。
「どうか、ご無事で……」
感極まった様子で、ロザリーは深く頭を下げた。
カヤ村を出てから約二時間が過ぎ――座りっぱなしだったマリアの休憩も兼ね、“シカズの森”の森に入るための準備を行っていた。
正面には雑木林を割るように、土を踏み固めただけ山道が伸びる。暗い影に覆われ、少しでも陽の光を浴びようと草は高くなっている。
シィエルは鞍に据える槍や剣を確かめ、くちばしのような兜を被り直す。それと同様に、タウルも脇に置いてある弓を確かめ、兜を僅かに持ち上げて首を回した。
「タウル、肩が凝ったらまた揉んであげるわよ?」
「うっ……か、噛まないのなら頼みたいが……」
「あはは! 多分、大丈夫っ」
悪戯な顔でシィエルは答える。
あの後、何度か肩を揉むのだが、隙あらば息を吹きかけ驚かす。しかしその中で、衝動によるものなのか、それとも彼女自身の悪戯なのか――時おり、本当に噛むのがタウルの悩みの種なのである。
「お二人はその、深い仲なのでしょうか?」
二人の様子を見ていたマリアは興味深い様子で訊ねた。
「え……!?」
タウルの胸が、ドキリと大きく跳ねた。
躊躇した僅かな間に、シィエルが「そうよ」と明るい声を上げ、胸を反らせた。
「タウルは私のものなんだから」
「まあっ」
女同士、やはり色恋の話題が大好物なのだろう。
地と空の垣根はたちまち消え去り、深い森に侵入してもその話題は続けられた。
「――へー、地上だと結婚したら実家には殆ど帰らないのね」
「ええ。近場だと違うけれど、遠方だと嫁が帰るのは新年と離婚時だけって言われているわね。浮遊大陸だと違うの?」
「女が家に入るのは同じだけど、竜の所持者はまた違ってくるわね。竜は絶対権力の証でもあるから、婿養子が多いかしら」
家ではなく竜に従う。シィエルはそう言って、ルトランの背を叩く。
最初は恐れを隠せなかったマリアも、今はその表現を柔らかくして竜の背を眺めている。
そして、やや遠慮がちにタウルに目を配り、
「では、殿下も天空へゆかれるのですか?」
そう訊ねた。
「い、いやっ、それはまだ……!」
たじろぐタウルに、ルトランは口角を上げながらマリアに目を向けた。
「羽を失った今、我々は天空には戻れん。それにシィエルもまた、タウルの“獲物”でもある。懐に飛び込んだ鳥を生かすかどうか、それは狩人の判断に委ねるしかない」
「う……」
マリアはそれに目を輝かせ、「殿下なら大事にしてくれるわね」と、シィエルに投げかけた。
「私の方が上なんだからね」
シィエルは頬を朱に染めながら、強がる素振りを見せた。
ここまで穏やかな旅路であったが、日が傾きを見せ始めた頃になるとそれが一転した。
まず、ドゥドゥが突然足を止めたかと思うと、鼻を宙にすんすんと鳴らし始める。ややあって、ルトランも何か異変に気づいたらしく、周囲は張りつめた空気に包まれた。
そろそろ予定していた野営のポイントであるが、タウルは心配そうに相棒に訊ねる。
「どうした、ドゥドゥ」
「ぐゥ」様子が変だ、と言いたげに目を向けた。
ルトランも小さく頭を縦に振った。「風が淀んでいる」
「そうね……なんか腐った感じがしているわ」
濃い影が落ちる山道の中、マリアは不安に顔を強張らせた。
末端であるが、既に賊の領域に足を踏み入れている。夜明けから一気に走り抜けようと考えていたが、その予定を少し変える必要が出てきたようである。
タウルが地図を取り出そうとしたその時、「さて」とルトランが主導権をとった。
「まず決める道は二つ。このまま得体の知れぬ空気を割いてゆくか、夜明けを待って周辺調査をしてから進むかだ」
オーミの街に運んだ時と違い、脇目も振らずに進まなくてもいい。タウルはすぐに「安全を確かめよう」と告げた。
深い闇が落ちるのを待ち、タウルとドゥドゥは森の中を調査していた。
獣の鼻を利かせながら慎重に歩を進めてゆく。その上に乗るタウルも、小動物一匹も見逃さないよう、〈フクロウの目〉を凝らす。
「妙にハエが多いな」
「うぉん」
まずそれが気になっていた。
時おり甲虫などが木々を渡るも、それ以外に動くものはない。
がさがさと枯れた落ち葉を踏みながら、森の深みに足を進めると――太い枝にぶら下がる、水滴状の奇妙な物体を発見した。
自然のものではない、太いロープで編まれた網である。
「ハエの原因はこれか――」
中には動物ではなく、賊らしき男が一人丸まっていた。
山師にはそぐわぬ剣を携えており、思わず顔をしかめてしまうほど、猛烈な腐臭を放っている。
「懲罰として彼を吊るしたのか……?」
黒い地面の上に、複数の足跡が残っている。まだ新しい。
また不自然な落ち葉の山が出来ており、足を引きずるように歩いて来たようだ、とタウルは推察していた。




