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ドラゴン・フォール〈竜騎妃と弩砲の射手〉  作者: Biz
2章 水底にあるもの
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第11話 繁殖か飼い殺しか

「――どういうことか、説明してもらおう」


 オーミの街を発つ直前――タウルは首の裏に塗った傷薬の臭いを振りまきながら、ルトラン詰め寄っていた。

 その横には、鼻息を荒げながら噛みついた当人・シィエルが、ばつが悪そうに立っている。

 どうやら“甘噛みすること”とだけ教わっていたらしいのだが、途中から自分自身に制御が利かなくなり、まるで獣のように歯を立て続けたのである。満足すれば正気に戻り、タウルの()()()に残る歯形を見るや、青ざめ『ご、ごめんなさいっ』と、半ばパニックになって頭を下げ続けた。


「初陣の儀式だ」ルトランは憚ることなくそう答えた。「別称、マウンティング」

「……つまり、儀式とは自身の優位性を示すためのものか?」

「それもあるが、実際は竜騎妃の“心”を守るためだ」


 思わぬ言葉に、シィエルは目を見開いた。


「戦場の空気によって竜の血がたぎり、支配欲が増大する――若い竜騎妃は特に興奮状態にあるため、それを抑えるのに男を与えるのだ。なので、抵抗すればするほど噛み続ける」


 それだけを言うと、ルトランは身を翻し「街を出るぞ」と続けた。


 急ぐ理由が特にないため、帰路はシィエルの行楽も兼ね、のんびりとしたものとなった。

 その道中、彼女が特に関心を持ったのはやはり、“自然の恵み”である。

 木イチゴやヤマモモなど、食べられるものだと分かればまず口に放り込み、苦みが走れば、顔をしかめながら可愛らしい舌を出す――。

 見えるものすべてが新しく、この日も眼下に沢を見つけると、槍を片手にドゥドゥと共に山を下っていった。


「山中はドゥドゥの領域とはいえ、完全にシィエルに懐いちゃってるな」

「ベヒモスは温厚で、すべての獣に慕われると聞くが、人には懐かんのか?」


 留守番をしているタウルとルトランは、元気よく川魚を獲る少女と獣を眺めている。


「んー……慕われるけど、自分から頭をすりつけたりしにいかないかな。やっても子供や餌をくれるロザリーくらいか」

「なら、飼い主が信頼を寄せているのを感じ取っているのだろう」


 しかしルトランは、「いや」と自身の言葉を否定し、小さく息を吐いた。


「……やはり、言い伝えは本当だったかもしれんな」

「言い伝え?」

「天空でのジンクスみたいなものだ。初陣の儀式を終えるまで、竜騎妃は男と会ってはならない。会えば地に縛られ、二度と空に戻ることができぬ――とな。どこかの誰かのせいで、真実だと判明しててしまった」

「う……そ、それは……」

「まあよい」


 ルトランは珍しく小さく笑みを浮かべる。「結果的にこれでよかった」


「……シィエルに言えない何かがあるのか?」

「別に言えないことではない。初陣の竜騎妃を出迎える男は、相応の理由があって選ばれるのでな」


 タウルは目を瞠った。「まさかそれは……」


「多くは親同士が決めた相手だ」

「し、シィエルにもいたのか……!」

「いけ好かん奴がな」忌々しく口元を歪める。「結納金を弾ませてきた」

「ああ、なるほど……」


 地上でもよくあることであるが、と思ったが、タウルの胸は少しざわついてしまっていた。


「――ところで、地上の男の目で見て、シィエルはどう映る?」

「う、うーん……美人だし、手を挙げる者は多いんじゃないか?」

「そうか」ルトランは小さく頷き、タウルの顔を正面から見た。「なら、手を挙げてみるつもりはないか?」

「な、なんだってっ!?」

「最終決定権は竜にある。我は帰還すれば、許婚を無視して帰ろうと思っていたが、他にこれと思える者もおらぬ。――まぁ、このまま繁殖させず、飼い殺すつもりならそれでも構わぬが」

「い、いいや、そんなつもりはないけれど……」


 ルトランは冗談めかした顔をしているが、その言葉には真剣味を帯びていた。

 その場しのぎな安易な返事はできない。タウルは慎重に言葉を選んでいたその時、


「お待たせー! ――あれ、どうしたの?」


 そこにシィエルが戻ってきた。

 奇妙な空気に気付いたのか、魚を刺した笹を手にしたまま、タウルとルトランを交互に見ている。


「いや、男同士の話をしていた」

「ふぅん。あなたが珍しいわね……って、それはそうとこれ見て!」

「おお、ニジマスか。随分と沢山とったな」

「でしょー!」


 こちらの魚は鈍い、とタウルに得意げな笑みを浮かべる。


「今日は私が料理してあげるわ」

「え? シィエルが……?」

「そうよ。いつもタウルに作ってもらってるし、魚料理ならできるからさ」


 意外そうな顔をしていると、ルトランが声をあげた。「レパートリーは一品だ」


「も、もうちょっとあるわよっ! まぁ見てなさい!」


 そう言うと、決して良いとは言えない手つきで魚を調理し始める。

 わたを取り、オーミの街で購入したスパイスで下味をつけ、小麦粉をまぶし、少し多めの油で揚げるようにして焼いてゆく――


「え、ぇっと、これに山で採った山菜と香草を乗せて……よ、よしっ、多分完成!」


 どうだ、と差し出した皿の上には、からりと揚がった薄衣を纏うニジマスが乗せられていた。

 柔らかでいて芳ばしい魚の匂いが、空っぽの胃を刺激する。


「これは……揚げ魚か?」

「そ! 何かの魚のムニエル――バターでやるんだけど、今回は油にしたわ」


 タウルの〈灰色の世界〉には、それがどんな色をしているか分からない。

 端々に見える黒い淵は()()だとすぐに分かるが、その香りは視覚による情報を補ってくれていた。


「ほー、これは美味そうだ」

「出来たてが美味しいのよ。食べてみて」

「よし――」


 熱々の両端を掴み、タウルはがぶりと齧りつく。さくり、と音がした。

 すると途端に、タウルの目が大きく開かれる。


「ど、どう……?」シィエルは心配そうにタウルの顔を覗き込む。

「これは美味いっ、表面はさくっとして、身はふわっとして――んん、香草やスパイスと合わさるとまた風味が違っていいな」


 タウルは、はふはふと口の中で転がしながら次々に放り込み続ける。

 揚げ焼きにするコートレットなどに似ているが、こちらは口当たりが柔らかだ。


「確かにバターでやると美味そうだ」


 その様子をシィエルは嬉しそうに眺め、「えへへ」っと笑みを浮かべた。


「十分の一を引いたか」ルトランはポツリと呟いた。

「何の話だ?」

「シィエルのムニエルが成功する率だ。十回中九回は失敗する」


 まさか、とシィエルに目を向けた。

 シィエルは手を揉み、目を泳がせながら、「えぇっと」と言葉を探している。


「だ、だって、その……ルトランには失敗作しか持って行ってないし……!」

「嘘をつけ!」ルトランの叱咤に肩を縮こまらせ、

「つ、続き作ってきまーすっ!」


 と、逃げるように火の方へと飛んで行った。


「そんな失敗しているのか?」


 深く息を吐くルトランを、タウルは意外そうに見上げた。胃袋はおかわりを要求しているのである。


「竜が胃もたれするぐらいにな。まぁ普段は真剣にやってないので、そのせいだろう」

「今日は真剣だったのか」

「それはそうだろう。お前に餌付けするためなのだから」


 え、とタウルはルトランを見た。


「――まぁ失敗したら、もっと美味い料理を教えてやろうかと思っていたがな」

「これよりも美味いものがあるのか?」


 ルトランは「ある」と言った。


「釣りたての魚は、塩振って焚き火で焼け」

「身も蓋もないことを言うんじゃない……」


 それに勝る食い方はないんだから……と、タウルはムニエルにかぶりついた。


◇ ◇ ◇


 天空の大陸・サヌワ――びゅうびゅうと絶えず吹き流れる風と、その空を飛び交う竜がいなければ、地上と見まごう街並みが広がっている。

 住宅が立ち並ぶ通りから離れたところに、立派な構えをした屋敷が並ぶ区画がある。その中の端の方、他と比べて一回り小さな屋敷の中は今、剣呑な空気に覆われていた。


「――シィエルはまだ見つからんのか!」


 新緑のローブに身を包んだ壮年の男は、窓の外を睨み付けながら声を荒げた。

 入り口の方で控える小間使いらしき風体の男は、申し訳なさそうに何度も頭を下げ続ける。


「も、申し訳ありません……! なにぶん、他家の竜が地上を、それも人里から離れた地を見る程度ですので……シィエル様や、ルトラン様を探すまでは至っておらず……」

「ぬぅぅ……!」


 ここは、シィエルの実家であった。そしてこの壮年の男こそが、彼女の父・アヴェルスなのである。

 従姉妹・ピステの家と合わせ、所持している竜は二体だけ――先の戦いでどちらも失った今、地表に降りて探す手立てがなく、金を払い、他の家に頭を下げるしか残されていないのだ。


(真面目に探す気なぞ、連中はこれっぽっちもないのだ……! ルトランめ、どうして死ぬまで戦わなかった……どうして、シィエルを自決させなかった……!)


 竜の数で家の等級が決まる。そして竜は、失われた数を補填するように生まれてくる。

 二頭を同時に失ったことを知った者たちは今、こぞって“()づくり”に励んでおり、またそれは一般区に住む者たちにまで広まっているのだ。

 ピステの家の方も同様で、ほぼ毎晩のように営みを行っている。……が、


「――他の家や、庶民どもに竜ができたとの報告は?」

「い、いえ、まだ何も……」


 シィエルの父・アヴェルスは唸った。

 娘と竜が『拘束された』と聞いても、『死んだ』と断言する者はいない。

 しかし、娘を生かしておく理由があっても、羽の折れた竜を生かす理由はない――牙は武勲の証として高く売れていると聞くので、死んだとみてほぼ間違いないと考えている。

 だが……誰一人として、『竜を孕んだ』との報告をあげていない。これを訝しんだアヴェルスは、他の家に金を渡して地表を見てきてもらったのだ。


「……ですが妙な噂を一つ、耳にしました」


 小間使いの男が両目だけを上に向ける。


「何だ?」

「タイ家のエルブ様が、ルカミヨン様に乗って何度か地上に向かっているとか……」

「あいつか。やたらとシィエルに執着しているようだからな……」


 アヴェルスは顎に手をやり、複雑な顔を浮かべた。

 それはシィエルの婿として選んだ男である。財政が逼迫しており、人物ではなく裕福な家柄・輸納金に目を眩ませたことを内心悔いていた。

 タイ家については快く思わない者も多く、その次男・エルブは特に評判が悪い。しかもそのせいで、愛する妻からも執拗に小言を言われてしまう始末である。


「――他の連中は、矢を恐れているか?」

「ええ。地表に向かうのを嫌がる者までいると」


 小間使いの男はやや唇を曲げて言った。

 一本の矢で竜が射貫かれたことは眉唾ものであるが、事実それで二頭の竜が墜ちた。

 目の当たりにした者を筆頭に、地上を怯え、出撃したがらない者が多くいると言う。


「しかし、我々も最後の手段を考えねばならないかもしれんな……」

「最後の……? あ、アヴェルス様、まさかそれはっ!?」

「妻にはまだ話していないが、あれも頭の片隅にはあるだろう……」


 それは、竜の血を引く人間同士ではなく、かつてのように竜と女が交わる方法――他の家に頼み、愛する妻の股ぐらを貫いてもらうことは、これ以上とない屈辱である。

 また成功したとしても、もはや人と交わることは難く、汚名を被ることは避けられない苦肉の策なのだ――。

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