表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドラゴン・フォール〈竜騎妃と弩砲の射手〉  作者: Biz
2章 水底にあるもの
17/39

第10話 初陣を終えた後の儀式

 空が白み始めた頃、タウルたちはオーミの街に戻った。

 街の者たちはワルナスの村の奪還、そして水と魚が戻ったことを喜び、生き残った兵たちを歓迎する。……が、タウルたちや〈タスラム〉の者たちは、“戻らぬ魚”に表情を重くし、地面を見て歩き続けていた。


 ――世界が終末を迎える時。ベヒモスとリヴァイアサンは戦い、敗れたものは食らわれ、勝者は終末の日に生き残った者の糧となる


 宿っていたのは金色に輝くチョウザメだった。〈タスラム〉の者たちから〈龍魚〉と呼ばれる魚は、腹に最高級の魚卵を抱えている。ドゥドゥはそれを贅沢に貪ったのである。


「ま、まだ、〈空のジズ〉がいるし、食べられたのはリヴァイアサン本体ではなく依代(よろしろ)・化身の方だから……! 大丈夫よ、きっと!」


 宿屋に戻ると、シィエルは何の根拠もない言葉を述べ、胸の前で握りこぶしを作った。


「まぁ神獣は三位一体。全部揃わなきゃ、ね……」

「そうそう! ……でも、ドゥドゥが吐き出した〈石〉って、本当にお宝なのかしら?」


 残ったのは皮と骨、そして内臓にあった木片にも見紛う〈石〉のみ。

 ドゥドゥが吐き出したそれを見るなり、マレーは『もう世界は滅べ』と投げやりにうな垂れた。

 何のことかと訊ねると、『天空の者が血眼になって探しているもの』と、彼女は言葉短く答える。それに気付いたのはルトランであった。


〈賢者の石〉


「まさかこれが――浮遊大陸の中枢にあるものって、信じられないわ」

「命を与える石……ルトランですら推測に留めているけれど、それなら空に浮かぶ大陸の上で、作物や植物が育つ理由も頷けるよ」


 海底にあったのを龍魚が飲み込んでおり、ドランドルは〈タスラム〉を結成し、空と陸の二つの脅威から守っていた、とマレーは話した。


「定期的に移動し、地上を襲って財宝を探してきたこともね。きっと定期的に交換するなどしないと、あの隔絶された世界が維持できないのだわ」


 タウルは「事の真相が見えてきたかもしれない」と頷く。

 話はつかの間の沈黙を挟んだことで終わり、シィエルはベッドから足を伸ばし、すっくと立ち上がった。


「汗かいたし、お風呂に行こうよ!」

「い、今からか?」窓は桟板で塞がれているが、隙間から閃光のような眩い光が漏れ込んできている。

「お風呂の中は真っ暗だから平気、平気っ! タウルだって、最後の一日を汗臭いまま寝たくないでしょ!」

「ま、まぁそうだけど」


 柔らかな手に引っ張り出されるように、タウルは部屋を出た。

 彼女は大食であり、また風呂好きであった。天空では風が吹きさらしなので、身体が冷えやすいのも理由の一つであるらしい。――しかし、今回タウルを連れ回すのは、それ以外の理由があった。


「いつかルトランに怒られなきゃいけないんだし……」

「の、喉元を過ぎ去ればいいの! それに現場でも一度叱咤されたんだから、あれでお終い!」


 戦場で気を抜いたことのお説教から逃れるため、何かと理由をつけて逃げ回っているのである。

 確かにシィエルのミスではあるものの、善意につけ込んだ行いだ。それを咎められるのは少し可愛そうにも思え、タウルは仕方なく彼女に従うことにしていた。もし説教が始まれば、『ほどほどに』と宥めるつもりでもいる。


(多分、兄さんに言わせれば『甘い奴だ』って怒られそうだけど)


 やはり自分には王は向いていない。なんてことを暗い目隠しの下で考えながら、タウルは石畳の上を歩き続けた。

 風呂屋はオーミの街の北東側にある。滞在して一週間かそれぐらいであるのに、何とシィエルはもう二桁近くやって来ているらしく、番頭の女将さんとも顔なじみになろうかとしていた。


「へぇ、今日はヨモギなんだ。じゃ――出たら外で待っててね」


 連れてくるだけ連れてきておいて、シィエルはスタスタと中に入ってゆく。

 この風呂屋は一般的な“蒸し風呂”であるが、他では珍しく男女に分かれた造りとなっているようだ。女性でも安心して入れ、中で炊く薬草や香が毎日違うため、シィエルが足繁く通いたくなるのも分かる店だと感じられた。

 タウルは衣類の汗臭さを覚えながら、さっと湯巻きに着替えて浴室へと向かう。

 古めかしい木板の扉を押し開くとそこは、ムッとした蒸気と青々としたヨモギの香に満ちていた。


(脱衣所も薄暗くて助かったな。浴室はほぼ暗室に近いし)


 手頃な場所に座ると、自然と肺に溜まった空気を吐き出された。

 数時間前まで“戦争”をしていたとは思えないほど穏やかな時間を過ごしてゆく。

 流れ落ちてゆく汗が心地よく、確かに寝る前に風呂に来てよかったと思えていた。


 するとその時……正面に据えていた木扉が、長い軋みをあげた。

 タウルは特に気にした様子もなく、分厚い湯煙が渦巻き踊るのを見ながら、『他の客が来たのか』と、ただその程度にしか思っていなかったが――


『はぁい、タウル』


 聞き覚えのある声に、タウルは「え」と間の抜けた顔を向けた。

 もうもうとした湯煙の中、〈灰色の世界〉に、滑らかな曲線が浮かんでいる。


「し、ししし、シィエル!?」

「何そんなに驚いているのよ」平然とした言葉であるが、そこには“してやったり”な音が含まれているように思えた。「戦闘の疲れを労ってもらおうと思ってね」

「し、しかし……って、“もらおう”?」

「そうよ。竜騎妃は戦闘が終わると、男に接待してもらうの」

「何だと!?」


 シィエルは「じゃ、頼むわよー」と言うと、タウルの横に腰掛けた。


「頼むって言われても、い、いったい何をすれば?」


 腰を僅かに浮かせてにじり寄る彼女に、思わず身を硬くしてしまう。


「そうね……じゃあまず、肩でも揉んでもらおうかしら」


 長い髪をまとめて右肩に回すと、シィエルは背中を向けた。

 細く白い()()()にタウルは唾を飲み込み、おそるおそる手を伸ばす。彼女の背中は意外と小さく、肩にかけた手は大きく余った。


「ん――」


 女性の肌とはかくも柔軟なのか。タウルは内心驚いていた。

 初めて感じる柔肌の感触を前に、まるで壊れ物を扱うかのように揉んでゆく。

 力を入れるたびシィエルの口から艶めかしい吐息が漏れ、得も言えぬ感情が掻き立てられてしまう。

 湯着は汗と蒸気でしっとりと貼り付き、薄っすらと透けているのだ。

 タウルが必死で胸の(わだかま)りを押し留めていると――シィエルはやがて小さく身じろぎをし、顔を横に向けながら「もういいわ」と言った。


「今度は私がしたげる!」

「え、いや……僕は!?」

「ほらほらっ、遠慮しないの!」


 ニコニコと笑みを浮かべて振り返った彼女に、タウルは慌てて背を向けた。

 湯着から、膨らみの先端が透けていたのだ――。


「そうそう。素直が一番っ!」


 丸くなった男の背中に、細くしなやかな手を伸ばす。

 そして肩を掴み揚々と力を込めたものの、すぐに戸惑いの声をあげた。「な、なにこれ!?」


「ど、どうしたんだ?」

「どうしたんだ、じゃないわよっ、肩ガッチガチじゃないの!?」


 タウルの肩を揺さぶりながら言う。


「ああ、これはもう慢性的なんだ。ここ最近は兜も重くなったから、特に凝ってるかも」

「頭痛くなったりしないの、これ」

「まぁたまに……かな?」


 もう、とシィエルは呆れた声を上げた。「お父さんみたいになっちゃうわよ」


「いつも肩いからせてるから、いつもガッチガチ。寝不足や怠さからイライラしてる。眉間の皺がもう凄く深くなって人相も悪いし」

「そうなのか。僕は部屋の中では、弓の手入れか本を読んだりするぐら――あ゛、痛だだだっ!?」

「逃げないの! 岩盤みたいなのを崩さなきゃならないんだから!」


 凝りを握りつぶすかのような力で揉まれ、タウルは思わず肩を縮ませてしまう。


「くぉぉ……だ、だけど、天空って女の方が立場が上なの……?」

「んー、これに関してはちょっとややこしいんだけど、竜がトップで、次に竜騎妃がきて竜の力が濃い男とその妻――更に下が、力の薄い男とただの人間ね」

「竜ありきなヒエラルキーなのか」

「妻もまた細かいけどね。子を産めるのは夫より上だし、産まず女は下になるし」

「何でまた?」

「竜を失った時、竜を産める身体かどうかが大事なのよ」


 なるほど……とタウルは納得した。


「それと、さ」シィエルは言いにくそうに、口をモゴモゴさせた。「実はこれもその……一応、儀式でもあるのよね」

「ぎ、儀式っていったい……?」

「初陣はもう済んだけれど、あんなことになったじゃない? 本当はあのまま帰ってから、男に接待してもらわないといけないんだけど――」


 シィエルはタウルの首の裏を親指で揉み始めた。

 それはこれまでの力任せなのとは違い、固まった筋肉を解きほぐすような手つきである。押し黙ったシィエルに不安を覚えながらも、その手の心地よさに身を任せ続けた。

 しばらくて、また再び両肩に手をやったが、今回は揉むことはしない。ただ手を添える、身体を支えるそれである。


「タウル――」


 シィエルは突然、甘い声を発しながらしだれかかり、そして、うなじに生暖かい吐息を吐きかけた。タウルの身体はこれにぞくりと震え、胸を大きく高鳴らせる。


「し、シィエル……?」


 荒い息を吐く彼女のその指先は、肩にがっちりと食い込んでいる。

 獲物を捕らえた猛禽類のようでもあり、また竜の爪を連想させた。


「……ごめんね」


 シィエルはそう言うなり――タウルの首の裏に、がぶりと噛みついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ