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覇姫の決断

「それで、覇姫様を呼んだというわけ。どうする?」

 檄琅の問いに、春覇は私と黒零に視線を投げ、それから蒼凌と目を合わせた。


「駄目だ」


 しかし彼女が口を開くより早く、否定の言葉が響く。

 その場の誰もが、声の主――章軌に目を向けた。彼は春覇と目を合わせて、繰り返す。

「駄目だ、春覇」


 春覇の性格からして、恐らく了承するだろうことがわかっているのだろう。

 彼の気持ちもわかる。大切な存在を、行き先も目的もわからない相手に連れていかせるなど、認められないに違いない。


「危険だ。どうしてもと言うなら俺も行く」

「狐狼は駄目だ」

 今度は蕃旋が、きっぱりとした口調で言い放つ。


「黒零と、覇姫、二人だけで来てもらう。狐狼なんて物騒なもん連れていけるわけ……」

 そこまで言って、蕃旋は言葉を止めた。ひゅっと息を飲む音が、至近距離で私の耳に入る。

「嘘だろ……お前、枷はどうしたんだよ……」

「外れた」

 声の震えを抑えきれない蕃旋に対し、章軌の答えは簡潔だ。なおも問いを重ねようと息を吸った蕃旋の腕を、私は叩いた。

「見なかったことにしておけ、蕃旋」

 低く抑えた声で、忠告する。

「自由が欲しいなら、お前に指示を出した奴に全て忠実に報告するのは、決して良策ではないぞ」


 蕃旋は暫し逡巡していたが、結局口をつぐんだ。その間に、黒零が章軌と春覇の前に歩み出る。

「どうか、ともに来てもらいたい。覇姫に危害は加えさせぬと誓おう」

 黒零は胸に手を当てた。

「吾が覇姫を守る。この身に代えても」

 章軌が僅かに眉を動かした。春覇が怪訝そうな顔をする。

「そうまでしてお前に庇われる筋合いは無いが」

「ある」

 黒零はあっさりと言い切った。

「蕃旋は吾の相棒だ。蕃旋の為に無理を押して来てもらうのだから、吾には責任を負う義務がある」

 蕃旋の腕が微かに震えるのを、私は感じ取った。


「……章軌」

 春覇が章軌を顧みる。

「心配するな。璃黒零もこう言っているし、私もそう簡単に危害を加えられるつもりはない」

「春覇」

 章軌の声は、どこか苦しげだ。春覇はその胸を、軽く握った拳で叩いた。

「私を信じてくれ。必ず、無事に帰る。お前のもとに」

 それに、と続けて、一転、春覇は厳しい目付きをした。


「乗ってみなければ、企みもわからないからな」

 虎穴に入らずんば虎児を得ず。

 春覇は敢えて虎口に飛び込むことを選んだ。


「話はついたか」

 章軌が黙り込んだのを見て、蕃旋が声をかける。

「足の速い馬を用意しろ。俺の分はいい。黒零と覇姫の分、二頭だ」

「吾には残雪がおる。覇姫、そなたの馬は」

 蕃旋の要求に、黒零がすぐに反応した。春覇は、まだ完全には納得のいかない様子の章軌を見上げる。

「章軌、頼む」

 章軌は一瞬苦い顔をした。

 それから、私を見て、春覇を見て、くるりと背を向ける。馬を連れてくるべく、足早に去っていった。


「蕃旋」

 その背中を見送って、私は思わず呟いた。

「春覇に何かあったら、赤鴉は根絶やしになるかもな」

「言うな!俺もそう思ったところだ」


 声音から推し量るに、蕃旋の内心は半泣きに違いない。

 何しろ封印の解けた狐狼の恨みを買ってしまったのだ。春覇に万一のことがあったら、章軌は間違いなく蕃旋を赦さないし、そうなれば赤鴉では歯が立つどころか逃げ切ることすらできないだろう。


 馬が揃うと、蕃旋は黒零と春覇を騎乗させ、自分は私を連れたままそのすぐ側に寄った。

「……悪かった。じゃあな」

 二人に方向を指示して走り出させ、同時に私を突き放す。よろけて蒼凌に受け止められた私の背後で、蕃旋は烏に姿を変えた。刀はしっかりと足に掴んでいる。


 三人が遠ざかるのを見送って、私は章軌を見上げた。

「……ごめん。私が油断したばかりに」

「……お前の責ではない」

 言葉少なに言って章軌は私に背を向けた。

 私はそのまま蒼凌に連れられて幕舎を移り、首の包帯を巻き直して貰う。その時、私は上着の肩口の留め金の内側に、小さな紙片がねじ込まれていることに気づいた。私はそれを取り出して、こっそりと目を通す。


 そこには、こう書いてあった。

「朱雀。それに、二色混じりの毛色の方士」

 それは、責任と友情の板挟みになった蕃旋の、精一杯の好意だったのだろう。私達に、敵の正体を教えてくれようとしたのだ。


「どうした?」

 自分の掌に目を落として静止している私に気づいて、蒼凌が声をかける。

 私は顔を上げた。

「どうもしないよ」

 何事もなかったような顔をして、さりげなく紙片を握り潰す。後で人目のなくなった頃を見計らって、燃やしてしまおう。


「それにしても、五国方士か……」

 私は腕を組んだ。蒼凌も、難しい顔をする。


「春覇と黒零は連れていかれた。爾焔はたぶん、最初からあちら側だ」

 指折り数え始めた私に、蒼凌は頷いた。

 爾焔は彼らの前に姿を現したときに、敵対する立場になることを仄めかして行ったらしい。

「あとは沃縁と鴻耀か……。沃縁はうまく逃げるとは思うけど、あいつは今苫を連れている。あの子の安全が絡んでくれば、敢えて敵の懐に飛び込むことを選ぶかも」

 春覇と同じく、相手の思惑に乗ってみてその目的を探ろうとする可能性はある。いずれにせよ、苫次第だ。


「となると、一番確実に逃げてくれそうなのは鴻耀かな」

 何しろ鴻耀は逃げるのには慣れている。


「轟狼は戦姫と一騎討ちを始めたと聞くが」

 蒼凌の指摘に、私は頷いた。

 そうだ。政府からひたすら逃げ回っていたあの鴻耀が、私達の為に戦姫の足止めをしてくれている。

 そしてそれに乗った戦姫もまた、私や春覇との友誼を忘れてはいないということだ。

「鴻耀も戦姫も、時間稼ぎに徹してくれる筈だ。戦姫と一騎討ちを演じている間は、みすみす捕まることはない。外からの横槍は、戦姫が一騎討ちの名誉を盾にとって防ぐだろうし」

 橙人は形式を重んじる。それを殊更に前面に出して一騎討ちへの妨害を撥ね付けるくらいのことは、戦姫ならやってのけるだろう。

「あの二人が持ちこたえてくれている間は、事態は動かないかな」

 そう結論付けた私は、しかし数刻後にその予測を覆す報せを受け取ることになる。

 それは、鴻耀が倒れ、橙軍に収容されたという報せだった。


「……え?」

 私は耳を疑った。

「なん……倒れた?なんで?」

「それはわからないわ」

 狼の報告を聞いて私に知らせてくれた檄琅が肩をすくめる。

「時期としては、ちょうどあなたがここへ着いた日に当たるわね」

 報告が届くまでの日数を計算して、檄琅はそう言った。

 いったい、何があったのか。気になるし心配だが、私自身ここを動くわけにいかないのがもどかしい。

「それじゃ、鴻耀は……」

「どうやら、昏に送れって指令が出てるみたいね」


 昏。

 何故、ここへきて昏なのか。

「……捕虜に訊くことができたようだな」

 蒼凌の言葉に、私は頷いた。踵を返そうとした時、低い声が私の足を止める。


「……倒れた原因に、心当たりが無くもない」

 私は振り返って声の主を見た。

「章軌……?なんだ、心当たりって?」

 確信は無いが、と前置きして、章軌は私を見下ろした。

「狐狼の解放と同じ日に倒れた、と言ったな」

「え、ああ……」


 なんだか、緊張する。

 嫌な予感。

 不吉な感覚。


「あの男は……」

 真っ直ぐにこちらを見る金色の瞳が、私の心の何処かを抉る。


「半ば、俺達と同じ匂いがした」

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