表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/71

鹵獲

不穏な喧噪を感じて振り向いた拍子に、視界に赤茶色の毛並みと牙が飛び込んできた。

咄嗟に矛を体の前に立てたが、それごと弾き飛ばされて背中から地面に倒れ込む。起き上がろうと手をついた私の肩にずしりと重みがかかり、再び地面へと押し戻された。


「鴻氏!」

漣瑛の声とともに銀色の刃が閃いて私の上にのしかかったそれを排除しようとするが、振り向いた獣の牙にへし折られた。他にも誰かが刃を振るい獣に斬りつけるが、深手ではないのか獣は構わず私の喉元に牙を立てようとする。

「う、この……」

私も必死でもがくが、自分より遥かに大きな獣の体を押し返す術は無い。

精霊を呼ぶよりも早く、私の首に牙が食い込んだ。

ぷつり、と皮膚が破れる音。痛み。


だがその牙が肉に食い込むより一瞬早く、唐突に私は解放された。

見ると、地面から生えた木の芽が獣の体を押し上げ、伸び上がった草が獣の口を縛って拘束している。


「う……わ、一瞬駄目かと思った」

「間に合ってよかった」

思わず呟く私に、平静な声が掛けられる。振り向くと、章軌を連れた春覇が地面に当てていた手を離して立ち上がるところだった。

「春覇。ありがとう、助かったよ」

本陣の前進を頼んでいて幸いだった。喉に手をやると、ぬるりと濡れた感触がある。表層が切れただけで、大事な血管は傷ついていないようだ。

即座に漣瑛が傍に来て、傷口に布を当ててくれた。

同時に、近づいてくる馬蹄の音が耳に入る。


「鴻宵!」

馬を駆って駆けつけてきたのは蒼凌だった。馬から下りて私の喉に手を当てる。

「済まない。押さえ損ねた」

「いや、私もまさか、軍中で正体を現すとは思わなかったよ」

何となく同時に、拘束された獣に目を向ける。

赤茶の毛並みをした狼に見覚えは無いが、これが束憐の正体ということなのだろう。蔓のように伸びた草葉に体を拘束された束憐はなんとか逃れようともがいている。ただの草ならばとうに引きちぎられていただろうが、木精霊が寄ってたかって補強しているのでびくともしていない。


「さて、あれをどうする」

春覇が腕を組んで私に問いかける。

私は軽く唸った。へたに拘束を解くのは危険だし、かと言ってこのままというわけにもいかない。

そうこうしているうちに、中軍の使者の印を持った兵士が走ってきた。


「申し上げます!昏の本陣を打破、帥将の絡嬰を捕らえました!」

その報告を聞いた途端、束憐が獰猛に唸る。

私は兵の指揮を蒼凌に任せて束憐の前に立った。


「聞いただろう、束憐。棟将軍が絡嬰を捕らえた。どうやらお前と絡嬰は単なる同僚というわけではなさそうだから、ここで選択肢を提示しよう」

私は指を二本立てる。

「一つ、このままここで暴れて、我々に手荒な形で捕獲される。二つ、ここで投降し、絡嬰とともに捕虜となる。お前達の身柄が我々の手中にある間は決して危害を加えないし、都へ護送した後も礼を以て遇することを約束しよう。もし望むなら碧での仕官も世話する。どうだ」

私の推測する限り、絡嬰はともかく束憐には昏への忠誠心や愛国心といったものは認められない。

この男が昏の為に戦う理由は、飽くまで絡嬰にある。ならば、頑なに投降を拒むことはせずに絡嬰の身の安全を保証される選択肢を選ぶ可能性は高い。


私は春覇に目配せして、束憐の口許を拘束していた蔦を外してもらった。

ふんと鼻を鳴らした束憐は私を睨みつけたまま口を開く。

「力ずくで従わされるか投降するかが違うだけで、実質同じじゃねえか。二つ目を選ぶしかねえんだろ」

「まあ、そうだな」

私はあっさりと頷いて、続く言葉を待つ。

「……とりあえず、乗ってやる。だが、最終的に決めるのは絡嬰だ。俺はそれに従う」

「……いいだろう」


合意に至ったのを見て取った春覇が、束憐の拘束を解く。

ここで襲いかかられる心配はあまりしていない。牽制の為に大量の精霊を待機させているからだ。精霊が見えている束憐になら、ここで暴れることの不利がわかる筈だ。


「絡嬰のところへ連れていけ」

草に縛られていた感触が不快だったのか、ぶるぶると一頻り体を震わせた束憐が要求する。私は頷いて、しかしその前に、と束憐の体を指差した。

「まずは人の姿に戻れ。衣服はうちの兵士の予備を貸してやる」


狼を捕虜として連れ帰るなんて、幾らなんでもちょっと絵面がシュールだ。





棟将軍達が意識を失った絡嬰を担いで戻ってくると、私達はとりあえず二人を幕舎に入れて狐狼を見張りにつけた。

その際、初めて解放された狐狼を目にした束憐が、隻眼を見開いて唖然としていたのが印象に残った。


「さて、これで目前の危機は去ったわけだが」

言葉の割に、私達の表情は明るくはない。

古来、外患が排除された時にこそ内憂が顕著になってくる。昏の脅威がひとまず排除された今、問題は都にある。


「ともかく、中軍は撤退すべきでしょうな。太子方はどうなさる」

棟将軍が切り出す。蒼凌が口を開こうとした時。


「申し上げます!」


緊迫した兵士の声が、幕舎に響いた。

「昏軍が都を発したとの報せあり、その数五万!昏王叡循貴、自ら率いて来ます!」


誰もが、言葉を無くす。

暫くしてから、棟将軍が低い声で言った。

「兵糧が足りん。それにこの兵力では野戦は厳しかろう」


今ここにいる碧兵は約二万。それも連戦で疲れている。

五万の軍を相手に野戦で短期決戦を挑めるような状態ではない。

私は地図を広げた。


「絃将軍の砦へ移動しますか」

「うむ」

ここから一番近い碧の拠点は、心泉付近で北の国境を護っている砦だ。昏との小競り合いで私も何度か滞陣したことがある。後処理が終わったら速やかに砦へ向かうことを決めた私達は、すぐに砦に使者を出すよう手配した。


「それにしても、妙ですね」

顎に手を当てて考え込んでいた檄溪が、呟くように言う。

「今回の敗戦の報せは、昏の都にはまだ到底届いていない……そもそも今ここへ連絡が届いたということは、昏軍が都を出たのは少なくとも十日は前のことでしょう。昏が自ら膠着状態に持ち込んでいた戦場に何故増援を、それも王自ら?」


そうなのだ。この出兵は根本的におかしい。理由が見当たらない。

叡循貴が冷静な武将であることを知っている分、その意図が読めないことが不気味だ。


「都に使者を立てます。じゃが、左軍を呼び戻すことはできぬ。今都の兵力を空にするわけにはいきませぬからな」

橙への備えが必要だ。棟将軍の言葉に、一同が頷く。

「砦の兵を合わせても、せいぜい二万五千……敵の半分の兵力にしかならぬ。近隣から族人を集めるが、わしの一族は北方の邑には多くない。集まっても役に立つのは五百に満たんでしょうな」


兵力の不足は、正規兵以外から補わなければならない。

一族の協力を仰ぐと言った棟将軍に続いて、蒼凌も角邑から兵を出させることを約束した。私も蒼浪に声をかけるつもりでいるが、あそこは元来小規模の邑で、兵力らしき兵力は無い。

函朔達がいれば頼りになっただろうが、秋伊の身を守るために行方をくらませている筈だ。


「叡循貴は、一息に碧を制圧するつもりか?」

春覇が呟く。

王自ら出てくるということは、それくらいの意気込みがあってもおかしくはない。

しかし。


「それにしては、五万では兵力として半端です。絡嬰達と連携しようとした形跡もない」

私がそう言うと、沈黙が降りた。

皆、昏王の意図を図りかねている。

「昏は広いとはいえ、人口が飛び抜けて多いわけではない。出兵の頻度の高さから考えて、出せる数は五万が精々だったのでは」

春覇がそう口にするが、あまり確証のある声音ではない。果たして、棟将軍が首を振った。

「ここで雌雄を決するつもりならば、本気でかき集めるでしょう。それならば、二十万とはいかずとも、十万は軽く越える数がいておかしくはないでしょうな」

「我らの数からすれば、五万で十分と考えたのでは」

「じゃが、我らを打ち破るだけでは昏王に益は無い。ましてや絡嬰達が敗れる前に都を発しておる。捕虜の奪還というわけでもありますまい」


絡嬰達が敗れて捕らえられることを予見するのも難しい筈だ。碧軍と蒼凌の手勢の合流は、私という異分子が介入したからこそ実現したのだから。


どうにも、胸騒ぎがする。


「とにもかくにも、大急ぎで備えるしかない。ここへ来るまで、もう日がない筈だ」

蒼凌が結論づけて、私達は慌ただしく移動と迎撃の準備に入った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ