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助太刀

床机に腰を下ろしたまま、棟凱は戦況を静観していた。

佐将の棟敏のほうは気が気でないといった様子で、次々にやって来る報告の兵士に状況を確認してはちらちらと兄に視線を送っている。


「兄上!」

ついに耐えかねたように、棟敏が声をあげた。

「どういうおつもりですか。鴻将軍は身を呈して束憐を抑えておられるのですぞ」


鴻宵が時を稼いでいる間に、昏軍の本陣を落とす、そういう作戦だった筈である。

ならば中軍は、可及的速やかに昏軍に攻撃を仕掛け、これを破らなければならない。でなければいつ鴻宵が限界を迎えるかわからないのである。


「焦れたか、敏よ」

「当たり前です!」

棟敏には、何故棟凱が手を拱いているのかわからない。

まさか鴻宵を見殺しにするつもりではあるまいな、という、ありそうもない疑いすらわいてくる始末である。

「ふむ。我々の策を理解しておればおるほど、中軍は速やかに行動すべし、と思うじゃろうの」

「そういう策ではありませんか」


棟凱は一刻で昏の本陣を落とすと宣言した。一刻という短時間で本陣を落とすなどただでさえ難事である。それなのに棟凱ときたら、半刻近く経過した今になっても動く気配すら見せないのだ。

「そういう策じゃ。故にそなたは焦れておるのであろう」

「そうです。兄上、一体……」


「同様に、絡嬰も焦れておろう」


棟敏ははっと口をつぐんだ。棟凱は昏軍の方を向いたまま、目を細めて髭を撫でる。

「絡嬰は知恵の働く男じゃ。わしらの策も見抜いておろう」

碧軍にはこうすることしか出来ない。それは絡嬰にも見通されている筈であり、中軍の担う役割はわかっているであろうと、棟凱は言うのである。

「なかなか才知に長けた、良い将じゃ」


昏の本陣には、ぴりぴりとした緊張感が漂っている。それは時を追うごとに張り詰めてゆくようであり、その様子を肌で感じている棟凱は目を細めた。


「じゃが……不幸にして、まだ若い」

その瞬間、ほんの刹那の間棟凱の目元に浮かんだ表情を目撃した棟敏は戦慄した。

一見好好爺然としたこの兄は、見た目に反して、若い頃の血気を失ってなどいないのだ。


「さて、ゆくかの」

まるで散歩にでも出るかのような軽さで言って、棟凱は戟を手にした。それを肩に担いで歩き出しながら、棟敏に語りかける。

「絡嬰の苛立ちが昏軍に染みておろう。相手の出方がわからぬ不審が漏れ出てしまう。これが若いというのじゃ」

そしてもう一つ、と呟いて足を止めた棟凱の前には、雄威な体格の馬がいる。


「若い故に、わしを知らぬ」

棟凱はひらりと馬に跨がった。齢七十を過ぎた老人とは到底思えない身のこなしである。


「残り半刻といったところかのう」

空を見上げて、棟凱は笑う。

「時間は十分にある。久々に一暴れしようではないか」


戟が唸りを伴って空を切る。


あまりにも遅く、それも緩慢とも見える様子で漸く動き出した中軍を、昏の兵士達は不審げに見ていた。

寸時の後、急激に勢いを増したその馬蹄に蹂躙されるなどとは、夢にも思わずに。




あと、半刻といったところだろうか。半分しか持ちこたえられなかった。

間近に迫る死の気配に抵抗しようにも、襟を掴む手はびくともしない。あまつさえ首が締まって息苦しくなってきた。


緊迫した状況はしかし、一瞬にして様相を変える。

風を切る音が聞こえたかと思うと、私の襟を掴む束憐の腕に矢が突き立った。

「ああ?」

続けて二の矢、三の矢が飛来する。束憐は舌打ちして、鉄製の手甲で矢を受けた。矢は突き立ってはいるが、防具を貫いて肉体を傷つける程ではないらしい。


私は咄嗟に手甲に弾かれて落ちる矢を掴み取り、束憐の鎧の隙間を狙って刺そうとした。しかしその手は寸前で武器を手放した手に掴まれる。

束憐の目がぎらりと剣呑に光ったと見えた瞬間、私は腹を蹴られて吹き飛ばされた。

「ぐ……っ!」

呻きとともに、喉から血の味を感じた。痛みに意識が揺さぶられて、受け身が取れない。地面に激突する寸前、辛くも滑り込んだ狼が私を受け止めてくれた。


「鴻氏!」

漣瑛が駆け寄って来るのがわかる。私はひとしきり咳き込んでから、なんとか顔を上げた。

束憐の追撃が無い。状況はどうなっているのか。


まず私の目に飛び込んできたのは、火花だった。

束憐の持つ巨大な刃と、誰かの矛が撃ち合っている。

「だ、れが」


激しい金属音が立て続けに響く。

私に背を向けて馬を立てている誰かは、束憐と互角に撃ち合っているのだ。

身につけている鎧は質は良さそうだが飾り気のないもので、羽織も着てはいない。だから一見、その辺りの部隊長と変わりない出で立ちなのだけれど。


なんというか、嫌な予感がした。


「へぇ」

刃を舞わせながら、束憐が犬歯を見せた。笑っている。

「案外やるじゃねぇか。ただの坊っちゃんじゃねぇとは思ってたが」

甲高い音を立てて、巨大な刃と矛の柄が擦れ合う。その間に火花が散っているということは、ひょっとするとあの矛は柄まで金属製なのだろうか。


矛を振るう人物の兜の下に翻るのは、青みがかった黒髪だ。

ますます嫌な予感が。


「しかしこんなとこまで出張ってきていいのか?太子さんよ」


やっぱりか!


「馬鹿を言うな」

束憐の打ち込みを受け流した拍子に見えた横顔は、やっぱり蒼凌のもので。

しかし本人は涼しい顔で宣った。

「太子がこんな前線に出てくるわけがないだろう?」


束憐が怪訝そうな顔をする。

私は、なんだか、気が抜けた。

気を抜いている場合ではないし、いくら蒼凌が来てくれても束憐が脅威であることには変わりない筈なのだけれど、蒼凌があまりにもいつも通りだから。

助けにきた、なんて顔ひとつせず、まるで偶然そこに居合わせたかのように自然に、それでもやっぱり不自然に、助けに来てくれたから。


漣瑛の手を借りて立ち上がり、狼の背に乗せてもらう。

「鴻氏、後退してお休みください」

「……いや」

私は周囲を見渡した。この部隊は束憐の足止めが目的だから、兵士達も全力で戦うことはせずに束憐に従ってきた兵をこの場に釘付けにしているだけだ。


あと半刻。棟将軍は宣言通りに昏の本陣を落とすだろう。

絡嬰を捕らえる。

その時、束憐はどう動くだろう。できれば、ここで昏軍に痛手を与えておきたい。これから起こる、碧内部の争いに介入する余力を無くすくらいに。


「方針を変更する」

蒼凌が代わってくれたのだ。

私は、今私にできることをしなければ。

「覇姫様に伝令、本陣を前進させて貰ってくれ。この場の兵士を制圧する。……束憐を、捕るぞ」


絡嬰と束憐を捕らえられれば、昏の四将軍は残すところ昏王叡循貴ただ一人となる。そのくらい追い込まなければ、昏は碧への手出しをやめないだろう。

はからずも、今、この戦場が、碧の命運を分けるのだ。


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