王子様
棟将軍を見送った私は、檄渓に連れられて右軍の陣に顔を出した。
部下達に無事を知らせるのも一つの目的だが、主には馬を分けてもらう為だ。
ここまで来る間は走るだけだったので檄琅の背に鞍もどきの革を敷いただけで何とかしたが、戦闘となると鐙の無い状態でこなせるほど私の技量は高くない。
それに檄渓の口ぶりからすると、檄琅と対峙した束憐は逃げる可能性がある。
あの狼と言うよりは猪じみた男が逃げ出すというのはなかなか想像しにくい話だが、明らかな格上に向かってくるほど馬鹿ではない。
因みにここでいう格というのは、種族的なそれらしい。妖怪にも色々あるようだ。
狐狼は妖怪達よりは無論格上だし、檄渓達銀狼もかなり格が高いそうだ。従って、束憐に出会い頭に逃げられては困る私は、馬を調達しなければならないのだった。
「将軍!」
右軍の兵士が、私の姿を目にするや否や走り寄ってくる。
「苦労をかけて済まなかった。しかし私はもう将軍では……」
「官位がどうだろうが我々にとって将軍は将軍です!」
訂正しようとしたら、言葉を遮って言い切られた。
「我々は将軍の下で鍛えられ、将軍の戦の仕方に慣れているんです」
「そうです!将軍の色に染めておいて棄てる気ですか!?」
なんか誤解を生みそうな言い方はやめてくれるかな!
兵士達の勢いに圧されて檄渓に助けを求めようとしたら、あろうことか腹を抱えて爆笑していた。
後で覚えてろよ。
「将軍が誅殺されたと聞いた時、我々は抗議しようとしたんです」
ぽつり、と一人が言い出す。
「そしたら檄将軍が仰ったんです」
――俺には、あの人がそのくらいで死ぬなんて思えないなぁ。
「もし将軍が生きておられるなら、右軍は将軍がお戻りになる時の為に存続していなければならない。今反抗的な態度を見せれば解散させられるかも知れない、と」
どうやら檄渓はそうして右軍の将兵をまとめあげ、私が戻るのを待っていたらしい。私が生きていることを知っていた檄渓本人はともかく、右軍がよく乱れもせずにまとまっていると思ったらそういうことだったのか。
「将軍がお戻りになった今、我々のすべきことは一つ!」
「昏軍を我が国から叩き出すことです!」
私は目を細め、頷いた。
右軍の兵士の中には、本当に私に無条件に従っている者もいるかも知れない。しかし、大部分は違う。
彼らが私に従うのは、私がこれまで私欲のために力を振るったことが無かったからだ。彼らが守りたい国を、私もまた力を尽くして守ってきたからだ。
だから、今は昏軍の撃退という目標に向かって、真っ直ぐに進むことができる。
国内の争いになれば、どう転ぶかはわからないが。
「いいだろう。今回は私が先頭に立つ。援護を頼むぞ」
「はい!」
私は軍馬を一頭受け取ると、片手を挙げて兵士達に挨拶し、右軍を離れた。
今回の戦闘で右軍の指揮を執るのは檄渓だ。私は束憐の足止めに専念することになる。
一刻。
もとの世界の時間にして僅か十五分。
たかが十五分、されど十五分。
手負いの私には、厳しい闘いになりそうだ。
手綱を引いて歩きながら状況の厳しさを再確認していた私は、ふと前方に人影を認めて顔を上げた。
「蒼凌……」
「右軍は変わりなかったか?」
護衛も連れずに一人で歩み寄ってきた蒼凌の問いに、私は頷いた。
「相変わらずだよ。援護は期待できるだろう」
「そうか。ならいい」
蒼凌は私に並ぶと、手綱を奪って歩き始めた。私も慌ててその後を追う。
荷物を持ってくれたくらいの意識なのだろうけれど、やはり曲がりなりにも一国の王子にそんなことをさせるのは気が引けるものだ。今更感はあるけども。
「蒼凌、そっちの準備は」
「滞り無い。いつでもいける」
その言葉を証明するように、少し向こうから活気のある声が聞こえてきた。
人間達も狐狼達も、そして灰狼達も同じ陣営に属する者として互いに認め合い、協力し合っているようだ。
「……俺が案じているのは、お前だけだ」
蒼凌が足を止めた。木々の向こうでは皆が戦いの準備を進めているのに、こちら側には奇妙な沈黙が落ちる。大人しい馬をその場に待たせて、私達は向かい合った。
「約束しろ」
蒼凌の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「無事に戻れ……必ず」
伸ばされた手がそっと私の髪に触れた。
「少しでも危ないと思ったら退け。皆で押さえにかかれば大丈夫だ。狐狼達もいる」
「……約束するよ」
私も蒼凌を見上げ、しっかりと目を合わせた。
「必ず生き残る。そして……」
頭を撫でていた手を取り、両手でそっと包み込む。
伝わってくる体温に、何故か胸が締め付けられた。
「生き延びよう……一緒に」
握った手を引かれ、抱き寄せられる。私は蒼凌の胸元に頬を寄せた。
少し苦しいくらい、でも痛みは無い程度の力で抱き締められる。私も、少し戸惑いながら蒼凌の背中に腕を回した。
温かい。
思わず腕に力を込めると、蒼凌はそっと私の頭を撫でた。
「……約束だ」
誰かが蒼凌を探す声が聞こえた。私達はどちらからともなく体を離す。
「そちらも気を付けて」
私は蒼凌を見上げたまま言った。蒼凌は頷いて、私の肩に手を置く。
視線を交わしていた灰色の瞳が、ふと伏せられた。
なに、と問いかける間もなく、ふわりと額に触れる、微かな吐息と温もり。
「蒼凌様ー」
「……今行く」
木立の向こうから聞こえる呼び声によく通る声で返事をして、蒼凌は私から体を離した。
最後にするりと頭を撫でて、歩き去る。
蒼凌の姿が木立の向こうに完全に消えてしまうまで、私は微動だにせず立ち尽くしていた。
傍らにおとなしく佇んでいた馬が控えめに鼻を鳴らす。その音に我に返った瞬間、一気に顔に血が上った。
「ぅ……あ」
鏡など見なくてもわかる。私の顔は今、絶対、真っ赤だ。馬を連れていなかったら座り込んでいただろう。
暫く無言で悶えてから、私は大きく息を吐いた。
「なんでさらっとああいうことするかな……」
どこの王子様だ、って、王子様か。正真正銘の。
溜息まじりに、そっと掌で額を覆う。
軽く触れただけの感触が、妙に鮮明に記憶に焼き付いていた。
「……行くか」
何とか気持ちを切り替えて、手綱を握り直す。
一緒に生き残ると約束したからには、役目を全力で果たして無事に帰ることが先決だ。
私は頬を軽く叩いて気合いを入れると、皆の集まっている方へ歩を進めた。
戦闘準備に加わった私は、まず漣瑛に予備の矛の用意を命じた。
「相手はあの馬鹿力だからな。いくら受け流していても矛の柄を折られる可能性は高い。二、三本揃えておいてくれ」
何しろ、矛の柄は木製なのだ。だったら剣を使った方がいっそ得物を折られる心配は減るかもしれないと思わなくはないが、それだと間合上こちらが不利になる。かといって総鉄製の長物を使うというわけにもいかない。そんな重いものを馬上で振り回せると思うほど、私は自分の腕力を過信してはいない。
一度幕舎に戻って腹の傷を縛る包帯をもう一度締め直してから、手足を伸ばして体をほぐし、恵玲が用意してくれた痛み止めの薬草を噛み締めた。
「一刻か……長い一刻になりそうだ」
右軍から借り受けた馬の首筋を撫でて意思の疎通を図りながら、私はひっそりと呟く。
皆の手前大きな口を叩いたが、実際のところ勝算は決して高くはない。
でも、やらなければならない。
だから、やる。
「きっと大丈夫さ。これまでもそうしてやってきたんだから」
出陣の時間は、もう間近に迫っていた。




