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会談

気を引き締めて会合に臨んだ二人の将軍はしかし、いきなり意表を突かれて絶句することとなる。


「お待ちしておりました。棟将軍、敍将軍」

指定された幕舎を訪れ、番兵に取り次ぎを命じた二人の前に現れた案内人は、事もあろうに鴻宵その人だったのである。


「な……」

言葉を失う敍寧を横に、棟凱は一足早く落ち着きを取り戻した。

厳しい目で鴻宵を見据える。

「鴻将軍。太子の御為を考えるならば、そなたは出てくるべきではなかったのでは?」

鴻宵を側に置くというのは、王への反抗の証にもなりかねない。


「確かに、そうかも知れません……歩み寄る余地が、残されていたなら」

目を伏せた鴻宵は、ちらりと敍寧を見た。

「棟将軍はご存じですか。王は太子に朱雀玉を差し向けられた」

「何じゃと」

はっと傍らの敍寧の顔を窺えば、そこには苦々しい表情が浮かんでいた。

棟凱は悟る。鴻宵が口にしたのは事実であり、恐らくは自分が知れば口出しかねないと思われて情報を伏せられていたのだろう。


王が太子に朱雀玉を差し向けた。それは明確な殺意を意味する。

歩み寄る余地が最早無いならば、王に反抗する態度を見せようと見せまいと同じではないか、と鴻宵は言っているのだ。


「章軌殿が身を呈して庇わなければ、覇姫様のお命は無かったでしょう」

鴻宵が静かに言う。棟凱は低く呻いた。

「ならば、太子は王を……」

「太子のご意志は、どうかご本人にお確かめを」

棟凱の問いを遮り、鴻宵はそう言うと幕舎の入口を開けた。

「どうぞ。太子も間もなくお見えになります」


棟凱と敍寧は一瞬互いの目を見交わしてから、相前後して幕舎に入った。中心に卓と椅子を置き、突き当たりに大きな地図を掲げただけの簡素な幕舎である。

鴻宵は二人に席を勧めると、入口の傍に控えた。


やがて、再び入口が開き、太子蒼凌が姿を現す。

その背後に覇姫と章軌が付き従っているのを見て、棟凱も敍寧も首を傾げた。


鴻宵は、章軌が身を呈して朱雀玉から覇姫を庇ったと言わなかったか。

朱雀玉の炎の前に身をさらせば、いかに人よりは多少丈夫な狐狼といえど無事では済まない筈である。

怪訝な表情で章軌を凝視した二人は、微かな違和感を覚える。

敍寧はその正体に思い当たらなかったが、棟凱は気付いた。そしてその意味するところに慄然とする。


枷だ。

枷が無い。


よくよく見れば、章軌の瞳は常の琥珀色ではなく、金色に輝いていた。

つまり、彼は狐狼を五百年縛り続けてきた呪縛から解き放たれているのだ。


これが章軌一人ならば、まだいい。

もしも、全ての狐狼が解放されていたとしたら?


棟凱の掌に、汗が滲む。


狐狼本来の力がどれ程のものか、棟凱は当然直接には知らない。しかし文献上の記録が正しければ、その能力は今で言う五国方士に勝るとも劣らない筈である。


そんな存在が、太子のもとに何人いる?


「棟将軍、敍将軍。来てくれて感謝する。呼びつけるようなことをして申し訳ない」

太子が常と変わらぬ微笑で二人に挨拶し、席に着く。

その余裕めいた様子を見て、棟凱は確信した。ぞくりと背筋が寒くなる。


この会談は、追い詰められた太子が二人の将軍に兵を引くよう懇願するものではない。

充分な牙を揃えた彼らが、棟凱達に選択を迫る場なのだ。


「……太子には、我らを脅迫なさるおつもりか」

突然そう言い出した棟凱を、敍寧がぎょっとしたように見る。

太子は一瞬目を瞬かせてから、苦笑に似た笑みを浮かべた。

「そのようなつもりは無い。そもそも私の手勢は将軍方の兵よりずっと少ないのだが」

「二百の万全な狐狼が幾万の兵士に匹敵するのか、わしは存じませんがな」

棟凱は畳み掛けた。蒼凌は表情を変えない。

「脅迫などするつもりはない。その必要も無い筈だ」

飽くまで穏やかに、彼は言った。

「貴殿方は真に国の為を思える方々だと信じているからね」


聞きようによっては、それこそ脅迫と聞こえなくもない言い分である。

この若者は、なかなかどうして一筋縄でいく相手ではない。

そう見て取った棟凱は、敢えて単刀直入に切り込むことにした。


「太子のご意志をお訊きしたい。王とどのように決着をつけるおつもりか」

決定的にこじれてしまった関係を、どうするのか。

もしも蒼凌に弑逆の意志があるならば……少なくとも、表だって賛同するわけにはいかない。


「一つ、誤解しないで頂きたいのだが」

蒼凌は表情を引き締めた。それだけで、印象ががらりと変わる。

「私は王位に執着する気は毛頭ない。詠翠がもう少し成長してその任に堪える能力を身に付けたなら、喜んで譲っても良いくらいだ」

ただ、現時点で詠翠はあまりにも世間知らずであり、幼い。

昏と緊張関係にあるこの状況下で、体が弱く満足に政務の執れない王と未熟な詠翠に国を任せることはできないと判断したからこそ、自ら身を引くようなことはできなかったのだと、蒼凌は言っているのである。


棟凱も敍寧も、何とも言えない居心地の悪さを覚えた。

彼が今後の成長を待って王位を渡しても良いと言う詠翠が生存を絶望視されていることを、この兄は知らないのだろうか。いや、まさかそんな、と、様々な思念が脳裏を駆けめぐる。


「但し」

灰色の瞳が険を帯びた。

「この度の王のなさりようには私も憤りを禁じ得ないし、国の主のすべきことではないと思うが」

今や、棟凱のみならず敍寧も理解していた。

この若者は、普段思われているような柔和な青年ではない。己の進む道を塞ぐものには容赦なく牙を剥く男だ。

だからこそ、不安を覚える。理不尽な仕打ちに怒り、王を排除するのではないかと。

今、彼にはその力があるのだ。


「太子……貴方は、王を……」

敍寧の言葉に、蒼凌は意図的にであろう、目元の鋭さを和らげた。

「そのようなつもりは無い。国の状況も、差し迫ってはいないからね」

今は、まだ。

そんな言外の意味を、二人は汲み取った。


「それよりも今は、目の前に迫る脅威である昏軍に目を向けなければならない。外患が迫っているのに国内で争っている場合ではないという点には、同意頂けると思うが」

正論を述べる蒼凌に、二人は頷く。

王との決着について明確な答えが得られたわけではないが、太子の理念は明かされた形である。

地位には拘らない。

感情に振り回される恐れも、恐らくはない。

彼が王に弓引くことがあるとすればそれは、国の未来を守るために差し迫った必要が生じた時。


彼ら二人とて、国を思う気持ちは人一倍強い。

王の個人的な感情から出た命令を愚直に守るよりは、国の防衛に当たるべきだと考えた。

それがもとから彼らの抱いていた思いなのか、それとも太子に触発されたものなのか、彼ら自身にもわからない。


「昏はこちらの混乱につけこむつもりで来ている。長期戦はしたくあるまい」

太子が昏軍の立場を整理し始めた時、幕舎の外から小さな声がした。

近くに控えていた鴻宵が入口から顔を出す。外にいる者から何らかの伝達があったらしく、一言二言小声で会話すると中に戻り、蒼凌の傍に寄って何やら耳打ちした。

蒼凌が頷くと、幕舎の外に向かって「入れ」と声をかける。


「左軍より、敍将軍に至急の使者だそうです」

足早に入ってきた使者が、中にいた人々に一通り礼をしてから敍寧の耳元で何事か囁いた。

敍寧はむっと顔をしかめ、使者を下がらせる。

「生憎ですが、私はこれで失礼しなければなりません」

蒼凌は驚いた様子も無く、一つ頷くと鴻宵に目配せした。それを受けた鴻宵が幕舎を出ていく。


「橙が動きましたかな」

「そのようで」

棟凱にも事情が読めたらしく、零れた問いかけに敍寧は頷いた。蒼凌が口を開く。

「一度都へ戻られるのだろう。一つ頼み事をしても良いだろうか」

「頼み事、ですか?」

首を傾げる敍寧の後ろで、幕舎の入口が開いた。

「左軍に護衛を頼みたい」


護衛、と聞いて益々訝しく思いながら振り向いた敍寧は、驚きのあまり言葉を失った。

隣の棟凱も、流石に驚愕を隠しきれずにいる。


「え、詠公子!?」

そこには、王が血眼になって探している筈の詠翠がいた。

愕然としている二人の将軍を前に、詠翠は居心地悪げに目を伏せる。


「ご無事で何よりです、公子。しかし、一体何故こちらに……」

「鴻将軍に命を救われたのだ」

我に返って問いかける棟凱に、詠翠は事情を話す。

鴻宵の依頼を受けた炎狂が詠翠を救ったこと。

鴻宵が既に行方不明だった為、蒼凌達に預けられたこと。

身の安全と自身の希望を考え合わせてここまでついてきたこと。


「詠公子がお戻りになれば王も少し落ち着かれるでしょうが、安全にお返しする術がなかなか思い付かず……敍将軍にお預けすれば間違い無いでしょう」

鴻宵が頼み事の内容を補足する。

敍寧はずしりと重荷を背負い込んだ気分になった。そして、太子がまだ差し迫った必要はないと言った意味に気付く。

詠翠が戻り、蒼凌に保護されていたことを明かせば、蒼凌が王位を奪うのではと疑心暗鬼になっている王に少なからぬ衝撃を与えることになる。何しろ、王位が欲しいならば詠翠を殺してしまうのが一番の近道なのだ。


「……承知した」

敍寧は青ざめた顔で頷いた。

国が安定するか否かは、今や左軍が詠翠を守り通せるかどうかにかかっている。


「藤備」

蒼凌が誰かの名を呼んだ。詠翠の後ろに従者とともに控えていた狐狼の少年が反応する。

「ついて行け。都に着いた後は詠翠の指示に従うように」

「畏まりました」

少年が拝礼するのを見て、敍寧もまた辞去を申し出る。

詠翠を連れた敍寧の後から、索興と藤備も幕舎を出ていった。


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