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その目的は

烏が飛んでいるのを、少年は邸の回廊から見るともなしに眺めていた。


少年の「父」は、ここのところ上機嫌だ。群臣の心が王から離れていくのを見て、このまま太子が斃れれば王位を簒奪するのが容易になるとほくそ笑んでいるらしい。


愚かなことだ、と少年は内心で思っていた。

急速に王から離れていく重臣達の動き。太子を庇う諫言の増加。不自然なまでの短期間で群臣の迷いを整頓して見せたこの現象の陰に、何者かの意思が働いている可能性を何故考えない。


「やあ、こんにちは」

不意にかけられた声に、少年は思わず肩を震わせた。知らぬ間に回廊の下に立っている男を目にして、更に驚愕する。

「あなたは……」

「どうも、久しぶりだね、従者くん」

人を食ったような挨拶。しかし少年は怒りを覚えなかった。それ以上に、この男への関心が強かった。

「さほど久しくもないでしょう。絽氏の屋敷の前で会って以来ですから」

「あ、気づいてたんだ」

男は笑って、身軽に回廊の欄干へと登ってくる。そこに無作法に腰かけて、にこにこと笑った。


「この邸の警備は緩くはないはずなのですが」

言うだけ無駄と思いながらも、少年――雪鴛は男がここに居ることの不自然さを指摘した。そうして会話を繋げながら、じっと相手の動きを探る。

「今更でしょ。俺王城にも入ったことあるし」

「そうでしたね」

太子が白蛇に襲撃された事件の際。確かにこの男は、混乱しているとはいえ曲がりなりにも王族の住居に、兵士に見咎められることもなく現れた。


「俺がここへ来たのは、このまま君をここに置いておくのはもったいないと思ったからだよ」

「もったいない?」

この言いようには、流石の雪鴛も面食らった。この男は何を企んでいるのか。

「そう。だって君という大きな駒を持っていながら、君の『父親』はそれを全く活かせてない。今動かないと機会は潰れてしまうのにだよ。陰謀向きじゃないんだねえ」


雪鴛はふ、と笑った。

この男は、雪氏がひた隠しにしてきた事実を知っている。その一事が既に、雪氏の敗北を意味していた。


「いえ、父は陰謀が好きですし、向いてもいると思いますよ」

雪鴛は男の見方とは異なる見解を口にした。事実、絽宙や涯仇と違って雪氏は待つことができる。その上、なにしろ陰湿な質だ。

ただ。

「ただ、愚かなだけで」


雪鴛の言葉に、今度は男が面食らったように言葉を止めた。それから、腹を抱えて笑い出す。

「あはは、言うねえ」

一頻り笑った男は、すっと雪鴛の前に手を差し出した。

「俺と一緒においでよ」

人懐こそうな目を猫のように細めて、男は言う。

「司冦が嗅ぎつけた。ここに居たら君も身の破滅だよ」

雪鴛は驚かなかった。この国の大司冦は、白昼堂々王城のすぐ傍で公子が襲われたなどという大事件を迷宮入りにさせてしまうほど無能ではない。これまでは恐らく泳がされていたのだろうと、雪鴛は薄々感づいていた。

「破滅すると思いますか?」

試しに、雪鴛は問いかけてみる。この男は、雪鴛を「大きな駒」だと言った。すなわち、彼が何者であるか、承知しているということである。ならば、大司冦に彼を破滅させる権限も野心も無いことも承知の上なのだろうか。問いを受けた男は、ゆっくりと口角を上げた。

「しないと思う?」

逆に問い返される。雪鴛は肩を竦めた。

「いいえ。大司冦は罪人に容赦をなさいませんし、王は詠公子を溺愛しておいでですから」

「やっぱり君は馬鹿じゃないね」

雪鴛の答えに、男は満足したように目を細めた。


この場合、問題は雪氏が詠翠に手を出してしまったことにある。その共犯とみなされれば、雪鴛の抱える事情は何の免罪符にもなるまい。

故に、一刻も早く雪氏と関係を断つことが、雪鴛にとっての「正解」であった。


「ただ、その手を取る前に、一つ」

雪鴛は真っ直ぐに男を見上げた。

「あなたの目的は、何ですか」


この男は、主君を裏切り陥れた。その後の混迷に、この男がどれほど関わっているのかは知らない。

しかし雪鴛を迎えに来たということは、その目的は小さなものではあるまい。問われた男は、にっこりと笑った。


「混沌さ」

それは、誰かへの忠誠でも自身の野望でもない。


「要するに、現状の破壊だよ。碧が滅ぶならそれもまた一興。天下は速やかに昏のものになる。それはそれで面倒が無くていいよね」

さらりと言い切る男に、雪鴛は目を瞠る。

一体この男は、何を求めているのだろう?


「碧が持ちこたえるならそれもいい。今の碧王の次には君を据えてあげよう」

その口ぶりは、国の攻防にも権力にも何の関心も無いようだった。だからこそ、解せない。

「それで、あなたに何の益が……」

「俺はね」

雪鴛と視線を合わせて、男は飽くまで明るく言った。

「『あの二人』が築き上げてきたものを崩したいんだ。その後は知らないよ、人間の国がどうなるかなんてさ。だから、欲しいなら君にあげる」


己も人間の筈なのに、その口調は酷く酷薄だった。

まるで、人間には愛想が尽きたとでも言うように。


「俺の大切なひとを裏切った奴らの努力なんて、無に帰してやりたい。それからだ。それからやっと、俺は大切なひとを迎えに行ける」


彼は一体、誰を恨み、誰を愛しているのだろう。


「行こう。時間が無い」

男は雪鴛の手を取り、回廊から飛び降りた。


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