繋がった希望
青年や狼が追って来ないのを確かめ確かめ道を急いだ範蔵は、程なくして馬車に追いついた。
どうやら範蔵の身を案じて身を隠せる場所で停止していたらしい。無事を喜ぶのもそこそこに、範蔵は尉匡に手短に事情を話し、判断を仰いだ。
「狼、ですか?」
尉匡が怪訝そうに眉を寄せる。
「そういえば狼を飼っている集団があると聞いたことはありますが……あれは北辺の野盗だった筈。この場に何の関係が?」
困惑顔の尉匡は、ひとまず見てみないことには、と範蔵から件の袋を受け取った。口の封を開けると、中から紐で綴られた木簡が出てくる。その表面に目を落とした尉匡の顔色が、一瞬で変わった。
「おい、どうした?」
内容に目を通したにしては早すぎる異変に、範蔵が訝しげに尋ねる。尉匡はそれに応える余裕も無いのか、食い入るように文面に目を走らせた。
尉匡のこんな態度は珍しい。傍に控えている衙の兄弟と顔を見合わせた範蔵は、更に驚愕することになる。
「ああ――」
文面に一通り目を通したのか、前のめりになっていた姿勢をやや戻した尉匡が、急にそんな声を上げて目元を覆ったのである。言葉にならない呻き声には、彼が普段露わにしない赤裸々な感情が宿っていた。
そんな様子に愕然とした範蔵は、尉匡に理由を問い質そうとその肩に手をかける。
「……き、てた」
「は?」
尉匡が何事か呟く。聞き取れずに問い返す範蔵の前で、落ち着きを取り戻したらしい尉匡が姿勢を正す。
「すみません、お見苦しいところを」
「いや……」
範蔵はそう言ったが、動揺は隠せない。
顔を上げた尉匡の目元は赤い。彼のそんな表情を、範蔵は、そしておそらくはこの場の誰もが、初めて目にした。
尉匡は取り繕うこともせずに手にしていた木簡に視線を落とす。指先でその表面をそっとなぞった。まるで、愛おしむかのように。
「……何が、書いてあったんだ」
余程の事に違いないと警戒する範蔵に、尉匡はにこりと微笑んだ。ここ暫く見ることの無かった、柔らかな笑みである。
「これを」
手渡された書簡に目を落とす。内容に目を通す前に、奇妙な既視感が彼を襲った。
この文字を、筆跡を、自分はよく知っている気がする。
「間違いありません――将軍の字です」
声が出なかった。範蔵は弾かれるように尉匡を見た。それから、震える手で書簡を支え、文字を追う。
一行目は、詫びの言葉。
その後に続く「生きているよ」という一言が、奇妙に浮き上がって見えた。こみあげるものをぐっと堪えて、先へと読み進める。
知っている文字だった。
知っている言葉だった。
知っている温もりだった。
範蔵の後ろから覗き込んでいた残りの者達の内、嶺琥が真っ先に涙混じりの歓声を上げた。続いて衙の兄弟が感極まったように呻く。馬車の中でも省烈の息子達が手を取り合って喜びの声を上げた。
「希望が、繋がりました」
「……ああ」
書簡を読み終えた範蔵は、ぐっと目を閉じて眉間に力を入れた。
喜びの涙なんて、再会してから流せばいいのだ。今は、まだ、戦わねばならない。
「だが、あいつ……」
「ええ」
範蔵の言いかけたことを、尉匡が引き継ぐ。
「このように指示を出してこられるということは、ご本人は未だ動けない状態にあるということ。恐らく、予断を許さない傷を負われているのでしょう」
動けるなら、あの主君は自分で動く筈である。それが顔も見せずに書簡で指示を出してきたという事実は、彼らの楽観を戒めた。
「問題はあの狼どもを信じていいのかどうか、だ」
範蔵は険しい表情で手の中の書簡に目を落とす。
ここに書いてあることを信じるなら、鴻宵はあの狼達の本拠地に保護されており、狼達は彼らの手助けをしてくれる。しかし、鴻宵が彼らに何らかの理由で囚われ、無理にこのような文を書かされたという可能性も否定はできなかった。
「将軍を捕らえたのならば、わざわざこんな迂遠な手段で我らに接触してくる理由が思い当りませんが」
そう言いながら、尉匡も決断を下しかねている。
「その、将軍様は、脅されてそんな手紙を書くような方ではない、と思います」
控えめな声が彼らの迷いに疑義を呈する。振り向いた尉匡と範蔵は、同時に苦笑した。
「嶺琥の言う通りですね」
「確かに。諾々と誰かに従うようなたまじゃないな、あいつは」
お互いに視線を交わす。
「ひとまず、会ってみますか」
尉匡が言う。範蔵は頷いて、先導に立った。嶺琥が馬車を回頭させ、衙の兄弟がそれに続く。
先程の場所まで戻ってみると、範蔵と言葉を交わした青年は狼の首に腕を回して寝技をしかけていた。狼がきゅぅんと鳴いて腹を見せ、降参する。
「……何やってんだお前」
「お、来たね」
鴻家の家臣達を目にした青年は歯を見せて笑うと、その場に伏せた狼の背に座った。
「結論は出たかい。ここへ来たってことは、色よい返事が貰えるのかなーと期待してもいいかな?」
「その前に、二、三お訊きしたいことがあります」
家臣達を代表して尉匡が進み出る。青年は興味深そうに笑った。
「おうよ、何だい」
「貴方方は何者ですか?何故、鴻将軍の保護を?」
質問を受けてふむ、と唸った青年は腕を組んだ。
「俺達は北の山地に住んでる野盗さ。話くらい聞いたことない?」
やはりか、と、尉匡は内心頷いた。
「北に、狼を飼いならす野盗がいるという噂は耳にしたことが」
「それそれ。でもその言い方は半分外れだ」
青年が肩を竦め、狼の背から飛び降りた。その足先が地面に触れるより早く、青年の姿が掻き消える。代わりに着地したのは、周囲の狼達と同じ灰色の毛並の狼だった。
「人間が狼を飼いならしてんじゃねえの。俺達が人間の真似っこしてるだけ」
これには、さすがの尉匡も絶句した。狼と共存する野盗ではなく、狼の群れだったと、そう言うのか。
「……灰狼」
小さな呟きが、後方から響いた。一斉に集まった視線に晒されて狼狽えるのは嶺琥である。
「へえ、そこの子は知ってんの、俺達のこと」
「ち、父から、聞いたことがあります。結束力の高い妖怪で、高位の者は人間に化けられる、って」
代々馬を養うことを生業としてきた嶺琥の家系は、獣について詳しい。家の中にはあらゆる獣に関する資料のみでなく、妖怪に関する情報もいくらか伝えられていたのである。
「そういうこと。まあ、うちの砦には本物の人間もいるけどね」
そう言った狼が、ふと足元に目を落として固まる。
「いけね。準備なしに変化したから服破いちった」
何となく、白けた空気が漂う。
仕切り直すように咳払いをして、狼はその場に座った。
「ええと、何だっけ、そうそう、あれだ、なんで俺達が将軍さんを保護したのかって質問だったな」
答えを待つ尉匡達を眺めまわして、狼はふんと息を吐いた。
「知らね」
「は?」
思わず声を上げたのは範蔵である。
「てめえ、知らねえって……」
「仕方ねえだろ、知らねえんだからさ。俺は銀の兄妹とお転婆の命令聞いて来ただけだもんよ」
どうやら、自分は下っ端なので詳しいことは知らないと言いたいらしい。それ以上の追及が無意味であることを感じ取りながらも、尉匡は疑問点を口にした。
「銀の兄妹?お転婆?」
「うちの群の頭領格さ。因みにお転婆ってのは人間だけどな」
どうやら、狼の群にも明確な指揮系統があるらしい。群全体の思惑を知りたければ、頭領格に話を聞かなければならないということだろう。
「……その頭領格と将軍との関係については、何かご存じですか」
「さてなあ」
そろそろ問答に飽きてきたのか、くあ、と欠伸をして、狼は首を捻った。
「銀の兄妹の片割れはいつもいねえからわかんねえし、お転婆は人間の癖に人間嫌いだもんなあ。俺にはわかんね」
「……そうですか」
「どうする尉匡、信じるか」
範蔵が耳打ちしてくる。
情報が少なすぎる。彼らを信じていいものかどうか、判断材料が足りないのである。
「俺からも一つ訊きたいんだが」
尉匡が考え込むのを見て、範蔵が場を繋ぐために言を挙げる。
「何だい。そろそろ移動しないと追っ手が来ても知らないぜ」
「それだ」
範蔵は険しい表情で狼を睨んだ。
「俺達が追われてた時、お前らやけに都合よく現れたな?」
狼達の乱入は、まさに範蔵が数の差に負け始め死を覚悟した時に起こった。偶然にしては随分間が良い。
「そらそうだ」
狼は微かに笑ったように見えた。
「乱入する機会を計って出てきたもん、俺ら」
「あ?」
範蔵の眉間に皺が寄る。
すると何か、この狼達は出番を調節する為に範蔵が死闘を繰り広げているのを傍観していたというのか。
「怒るなよ。こっちだってやむを得ずやったんだからさ」
狼は前足で宥めるように地面を叩いた。
「考えてもみなよ。俺達が普通にあんたらに会いに行ったとして、あんたら話を聞く気になるかい?警戒されて逃げられる、下手すりゃ戦闘になるのがオチさ」
否定はできなかった。何しろ鴻家の家臣達は仕えていた国に裏切られて逃げてきたようなものである。突然声をかけてくる相手を信用する道理が無かった。
「どうしようかと頭を抱えてたところに碧兵の襲撃だ。こいつはいい機会だと思ったね。とりあえず危機を救ってやれば、少なくとも話くらい聞いてもらえる場が作れるだろ?」
その作戦は図に当たったと言える。範蔵は乱入してきた狼達の話を聞き、書簡を受け取ったのだから。
「……頭悪そうなのに一応考えてたんだな」
「おいちょっと今何つった」
思わず零れた範蔵の呟きに、狼が牙を剥く。それを宥めるように、尉匡が一歩前に出た。
「それで、将軍の書簡にあった指示を実行するのに、貴方方の手を貸していただけるんですね?」
狼が威嚇をやめ、尉匡を見下ろす。
「おう。働き手は都に待機してる。あんたらが同意するなら、都の近くの隠れ家まで連れてってやる」
「……いいでしょう」
尉匡は賭けてみることにした。
どのみち、これが罠であるならば鴻宵が無事であるという希望もまやかしに過ぎなくなる。だったら自分達のすべきことは、主君の生存を信じその意志に沿って行動することであろう。
「行きましょう。都へ」
尉匡の言葉に、その決意を感じ取った範蔵も頷いた。嶺琥が手綱を執る。
「おっし、決まりだな」
狼は目を細めて、笑った。




