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今できることを

十日ほど静養すると、頭が朦朧とするほどの熱は収まって、数時間は続けて起きていられるようになった。まだ身じろぎひとつ満足にできないありさまだが、思考力は少しずつ戻ってきている。

私は意識のはっきりしている時間を惜しむように恵玲を通して情報を集めた。

「ちょっと、無理しないでよ」

檄琅に苦言を呈されるが、体を動かしているわけではないのでいいだろう、と押し切る。


「今回のことについては、完全に後手に回ったせいでわからないことが多い。少しでも情報を集めて事態を把握しておかないと」


絽宙と涯仇を殺したのは誰か。

あの炎によって朱宿が話題に上るのを見計らったかのように然利が現れたのには、明らかに何者かの作為が働いている。その何者かが昏の絡嬰であるとすれば、然利を王に引き合わせた互贅には昏の息がかかっていると考えた方がいい。

しかし今回の件の全てが絡嬰の画策だとすると、どこか不自然だ。緻密に遺漏の無い策を立てて敵を追いつめる策士絡嬰にしては粗が多い。

そして狼達の優秀な情報網は、詠翠が何者かの襲撃を受けたこともいち早く掴んで私に知らせてくれた。

これは王の指示では絶対にないし、絡嬰の仕業とも考えにくい。

一体誰が、何の為に。


「どうも不自然だね」

情報を整理してくれる恵玲が、首を捻りながら言った。

「なんだかこう、目的が見えないというか、それぞれの出来事がばらばらな気がしないかい」

「その感想は正しいと思う」

私は頷いて、これまでに得た情報を思い返した。

「恐らく、複数の者がそれぞれの思惑で事を起こしたんだ。どれが誰の思惑なのかは、まだ見えてこないけれど」


これまでに起こった事柄を整理してみる。

涯氏邸の炎上。然利の王への謁見。

この二つは連動している筈だ。目的は私の追い落とし、絡嬰が首謀者なら間違いなく殺す気でいただろう。けれども状況から見て、昏の手の者以外の誰かも一枚かんでいると思われる。


詠翠の襲撃。

これは全く目的が不明だ。王と太子が対立したこの状況でこの行動は、王の血筋を絶やすつもりとしか思えないが、昏にはわざわざそこまでする理由はない。


これだけでは情報が足りない。考えても答えは出ないだろう。

では、今私にできることは何か。


「恵玲」

私は声を上げた。

「手は、どこまで貸してくれるんだ」

「あたしたちにできる限りのことは全てする。そういう指示だからね」

私の問いに、恵玲は即答する。

「動かせる人数は」

「人間と人型を取れるのが合わせて二百、言葉を話せる狼まで含めれば三百程度。言葉の分からないものまで含めれば五百近い」

これも即答だった。私は目を見開く。

「随分大きな砦なんだな、ここは」

「まあね。昏政府と戦い続けてきたんだ。そのくらいの力はあるってことさ」

私は一考した。それから、木簡を用意してもらって字を書きつける。


「人型を取れる者の内弁の立つのを十数人貸して欲しい。それから、それとは別に探索に長けた者を何人か選んでくれ。こちらは人間でも狼でも構わないが、最低一人は人の言葉を話せる者を入れて貰いたい」

「お安いご用さ」

恵玲はそう言うと、白紙の木簡を手に取ってついと目を伏せた。その目つきは、若くとも確かに指揮官の目だ。やがて何やら書き付け始めたところを見ると、人選を決めているらしい。


「どこへ送るんだい」

「最初の組は碧の都へ目立たないように入って待機。探索組が消息と指示を持って来るのを待ってくれ」

私が言うと、恵玲は頷いて一枚目の木簡を放り投げた。近くに居た子狼が口で器用に受け止めて走ってゆく。

「探索組は?」

「人探しだ。碧領中南部を中心に捜索してくれれば間違いない筈だ。後で私の書状を持たせる」


捜索の対象は、私の家臣達。

彼らは私が誅殺された直後に都を離脱し、逃走しているらしいという情報が入っている。現状を打破する為に、彼らの手を借りたい。

私は恵玲に、捜索の対象と予想される進路を伝えた。恵玲は頷いて、また木簡に書き付けると放り投げる。それを子狼達が次々に送って行くのを見ながら、私は表情を険しくした。

「追っ手がかかっているだろうから、慎重に。何とか追っ手よりも先に見つけてくれ」

「了解。大丈夫さ、人間の役人ごときに遅れをとりゃしないよ」

そう請け合った恵玲は、少し訝しげな眼を私に向けた。


「指示はそれだけかい」

「うん。今のところは」

私の答えに、恵玲は首を傾げる。

「他の連中には連絡を取らなくていいのかい?他の場所にいる連中もいるんだろう。しかもあんたの話を聞く限り、そっちには追っ手がかかってない筈だ。柔軟に動けるんじゃないのかい」

恵玲には、私の身辺の人物や状況について大まかに話をしてある。頭脳の回転の速い彼女は、蒼浪にいる函朔達や旅に出ている沃縁が家臣団とは別に追っ手の目を逃れて動けることに気付いたのだろう。


私は目を細めた。

この聡い少女に、余計なことを読まれないように。


「万一追手がかかっていると彼らがどう逃げるか私には読めないし、接触時に警戒されて戦闘になる危険もある。今は無理に連絡を取らなくてもいいよ」

「追っ手、ねえ」

恵玲は厳しい目で私を見た。

「ちょっと心配しすぎじゃないかい。あんたの話からすれば函朔や方士は政府に存在を認知されちゃいない筈だ。なんで追手がかかると思うんだい」

彼女の胡乱気な追及を受け流して、私は微笑んだ。

「念のため、万一を想定しただけだよ」

「そうかい?どうも私には、あんたが追手がかかっていることを前提としてるように見えたけどね」

私はほんの少し苦笑した。

「……あまり考えたくないけれど、可能性はあると思っているよ」

例えば、私が朱宿であったことを知る者はごく限られている。

「絡嬰辺りなら半分執念で調べ上げたとしてもおかしくはないけれど、最悪の事態を想定して動いた方がいいだろうしね」


「本当にそれだけかい」

恵玲は疑わしげに私を睨んだ。

「あんた、ひょっとして何か感づいてるんじゃないのかい」


私はただ、微笑を以てその問いに答えた。

鋭すぎるのも、考え物だ。



恵玲に頼みごとをしてから暫く後、私が休んでいると、すっかり私の寝台役となっている檄琅が身じろぎした。何だろうと目を上げて、子狼が一匹駆け込んできたことに気付く。


「わん!わうわう」

何か吠えている。


「……どうした?」

私が思わず尋ねると、子狼はなおひとしきり吠えたり唸ったりした後で私の膝に飛び乗ってきた。

「おう」

地味に傷口にぶつかったよ、今。


「ちょっと気をつけなさい。相手は怪我人なのよ」

檄琅に叱られて、子狼が耳をぺたりと伏せる。なんだか可哀想になってよしよしと頭を撫でてやると、満足げにその場に丸まった。

「えっと、で、どうしたんだ、この子」

「伝令役よ。都の情報が届いたの」

檄琅が答えてくれる。さっき吠えたり唸ったりしてたのって報告だったのか。


「まず、幽閉された東宮から逃走した太子と覇姫。彼らの行方は依然知れないわ……正確には、まだ朝廷に掴まれていない」

引っ掛かる物言いだ。

「つまり、こっちは掴んでいると」

「当然じゃない。私達は碧の近衛みたいに愚図じゃないわよ」

厳しい事を言う。

「彼らはあなたのよく知ってる場所に隠れてるわ」


私のよく知る場所。蒼凌や春覇が、有事の際に逃げ込める場所。


「そうか」

私は檄琅の横腹に深く背を預けながら呟いた。

「居住区にいるのか」

「そうよ。どうやら交戦の準備をしているようね」

どうやら、まだ諦めてはいないらしい。

けれど。


状況を考えて、私の胸はずきりと痛んだ。蒼凌はまた、幼い頃と同じ骨肉の争いに身を投じることになってしまった。その痛みは、どれほどだろう。


「それと、太子からも情報を預かって来ているわ……多分、あなたに伝わることを念頭に入れてこっちに情報を寄越したのね」

檄琅は言って、一度口を噤んだ。どこか困惑しているようだ。

「あなたなら犯人の意図がわかるかも知れないと期待したのかしら?」

「犯人?」

どうにも物騒な話になりそうだ。問い返した私に、檄琅は頷いてみせた。

「絽涯二氏の殺害……いえ、放火の方の実行犯と思われる相手ね。あの二人に毒酒を飲ませたのは太子の従者だそうだから」


今さらっととんでもない情報が出たんですが。


「雪鴛が?何で」

「その辺りは聞いてないわ。なんだか複雑な事情がありそうだけど」

私は宮中でたびたび顔を合わせた雪鴛の容貌を思い出した。詠翠よりは少し上だが、まだまだ少年と言っていい歳だ。けれども所作は大人顔負けに落ち着いているし、嘗ての錫雛のようなあどけなさも無い。淡々と職務をこなし、常に礼儀正しくありながら滅多に内心を見せない、そんな印象の少年だった。

彼に、凶行に踏み切るどんな事情があったというのだろう。


「……まあ、考えても仕方のないことは置いておこう。続けて」

私は答えの出ない思考を打ち切って、先を促した。

「その犯人、道で従者に声をかけてこう言ったそうよ」


『屋敷に火を放ったのは、緋色の目をした、小柄な男でした』


緋色の目をした、小柄な男。

「意図が読めないわね。内部から情報が漏れたとするとわざわざ内通者がいることを示唆するような行動は不自然だし、こちらに仲間を疑わせるのが目的かしら?」

「……さてね」

私は言葉を濁して、膝の上の子狼の顎を撫でてやった。




そうした出来事を経つつ十日ほど経った頃。

いつもよりも心なしか深刻な顔をした恵玲が、情報を持って来てくれた。


「朝廷に太子達の居場所が露見した。太子の手勢は狐狼達と一緒に脱出して北へ向かってる」

ついに、碧の情勢が動いたらしい。

「碧王は左右両軍に追討を命じたようだよ」

それを聞いた私は、一瞬呆気にとられた。

「左右両軍?まさか全部?」

「全部さ。近衛も合せて二万を超える」

恵玲が吐き捨てるように言う。

「対する太子の手勢は三百がいいとこだ。碧王ってのは馬鹿なのかい」

容赦ない彼女の言葉に私の傍に控えていた漣瑛が何か言いたげな顔をしたが、結局苦い顔をして黙り込んだ。


「愚者ではなかった筈なんだけどな……」

寧ろ今の碧王は若い頃英明の誉れが高かったと聞く。近年だって、臣下の意見をよく聞いて問題なく国を運営していた筈だ。

「恐怖は賢人の目をも曇らせるわ」

檄琅が口を挟んだ。

「碧王は愚者ではないけれど、猜疑心が強すぎた。そして誰よりも、実の息子である太子蒼凌を恐れていたのよ」


私は黙り込む。檄琅の言った事は、恐らく真実なのだろう。碧王の中にあった恐れを、太子を追い落としたい連中は巧みに煽ったのだ。

ずきり、と胸が痛む。父に内心恐れられ続け、ついに殺意を抱かれるに至った蒼凌の心情はどうだろう。言いようのない哀しみに眉を寄せながらも、私は感傷を振り切るようにして状況を俯瞰した。


「この内乱は長引く」

檄琅の背に身を預けながら、私は半ば呻くように言った。

「複雑なもんだね」

恵玲が少しだけ同情するように言った。

「内乱が長引けば長引くほど、国は荒れる。だけどそれは同時に、太子が長く生き残ることでもある」

私はちらりと彼女に目を遣った。この少女は、直情的で猪突猛進ではあるが、本質的に愚者ではない。情勢を見るくらいの目は持っている。


そしてだからこそ、私の、蒼凌の、完全な味方ではなかった。


「安心しな。太子と対峙する先陣にいるのは右軍だ。手心くらい加えるだろうさ」

恵玲の言葉に、私は敢えて何も言わなかった。

根が素直なのだろう彼女が、その言葉を口にするときに私と目を合わせられなかったことに気づいていても。


「……そうだな」

それでも、内乱が長引くことは間違いない。蒼凌があっさり潰されることはない。そして蒼凌をあっさり潰させないように動く者もいる。それは皮肉なことに、檄渓でも、棟将軍でも、況してや叙寧でもない。


絡嬰が、内乱の迅速な終結を許さない。

故に私達に残された時間は、昏軍が碧に侵攻し、その傷が致命的になるまでの間だ。


「橙が動くだろうな」

碧が潰れそうになっている今、日和見主義のあの国が昏に尻尾を振らない筈がない。昏と橙と、二方向からの侵攻に、内乱に過剰な兵力を割いてしまっている碧の朝廷はどう対処するつもりなのか。


「そろそろ休みなさい。治るものも治らなくなるわよ」

檄琅に強めに言われて、私は素直に目を閉じた。

今も戦っているのだろう、蒼凌や春覇のことを思いながら。


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