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彼の正体

 長い、長い夢を見た。

 その夢の終わりはひどくぼやけていて、どこか遠い場所で、とても懐かしい声を聞いていた気がする。


 そうして目を覚ました時、最初に目にしたのは見覚えのない天井と、視界の隅に映りこむ、何やら柔らかそうな白銀だった。ぼうっとそれらを見詰めていると、私が体を横たえている柔らかくて暖かい何かが少しだけ動き、僅かに動かした目に、何か小さな塊が戸口から飛び出していくのが映った。


 体の下の何かがまたもぞりと動いたので、私は顔を横に向けてみた。


 目の前に、大きな狼の顔がある。

 美しい白銀の毛並をした狼の顔。

 なるほど、先程から目の隅に映っていた白銀はこの狼の毛皮で、私はこの狼の体を寝台代わりに横たわっているということらしい。


 納得してまとわりつく微睡に身を預けかけた私は、しかし自力で己の思考を叩き起こした。


 待て待て。暢気に納得している場合じゃない。

 なんで狼?白銀の狼と知り合った覚えなんて無いぞ。そのうえその体を寝台代わりにして寝こけているとはどういうことだ。というか、この狼随分大きいな。


 私は混乱しかける思考を辛うじて押さえつけ、気を失うまでのことを一つずつ思い出していった。


 私は碧の王城にいた筈。

 そうだ。私は碧王に信じて貰えなかった。

 私を反逆者と断じる冷たい声が脳裏によみがえる。その声に奈落の底へ突き落される感覚を、私は知っている。

 そう、知っていたのだ。


 ゆっくりと目を閉じ、記憶をたどる。冷静に、自分の今の状況を正しく思い出せるように。

 間違わないように、千々に乱れた心を一つずつ拾い集める。


 今、私が生きているということは、一応、この狼は私を助けてくれたのだろうか?


「一体何がどうなってそうなった」

「混乱してるわね」

 呟きに返事を返されて、私はびくりと肩を跳ねさせる。恐る恐る確認するが、今の言葉を発したのは、まぎれも無く目の前の狼だった。どう見ても狼にしか見えないが、他に人の姿も無い。

 そうか、最近の狼は喋れるのか。

 そんなわけあるか。


 困惑を深める私に、狼は微かに笑ったようだった。狼の表情なんてわからないが、僅かに細まった紫色の目は確かに笑っていた。

「まあ、まずは落ち着きなさい。とりあえず危険が無いことは保証するわ」

「……お前は何者だ?ここは……」

 力の入らない身体を叱咤して起き上がろうとすると、狼の顎が咎めるように私の肩を押さえた。

「起きちゃだめよ。大怪我なのよ?助かったのが奇跡に近いくらいなのに」

 安静にしてなさい、と白銀の毛並の中に押し戻される。柔らかくて暖かく、寝心地は非常に良いのだが、彼らの正体がわからない現状ではゆっくり寝ている気にはなれない。

「私は王城に居た筈だが、どうして……」

「焦らないで」

 ぽふん、と尻尾に腕を叩かれて、うっかり懐柔されそうになる。何しろ本当に最高の肌触りなのだ。


「心配しなくても、ちょうどこっちに来ているところだったから、すぐに説明しに来るわ。さっき子狼を使いに出したの、見たでしょう」

 飛び出して行った塊は子狼だったらしい。私は諦めて白銀の毛並のぬくもりを享受しながら、彼女――声と喋り方からして、この狼は恐らく女性に違いない――に尋ねた。

「説明に来る?誰が?」

「うちの頭領。私の弟よ。と言っても、私の前足がほんの少し先に母の胎内から出たというだけで、双子の弟なのだけど」

 狼がそう説明してくれた時、部屋の戸口を仕切る筵が持ち上げられた。


「違うよ、俺が兄だろう?」

 部屋に入ってきた人物は、開口一番そう反論する。

 そう、人物。

 私の寝台になっている狼の兄弟だという彼は、人の形をしていた。


「俺の耳が先に出たんじゃないか」

 お前達一体どんな生まれ方をしたんだ。

 じゃなくて。


「お前……」

 思いがけない人物との遭遇に、私は目を見開いていた。

「檄、渓?」

「はい」

 にこりと笑って、その人物、檄渓は私と視線を合わせるように片膝をついた。

「救助が遅れ、お怪我をさせてしまって申し訳ありません。言い訳をするようですが、何しろ今回の碧王の出方は突然だったもので」

 すい、と手を伸ばして私の額に触れる彼の瞳は、言われてみればこの狼と同じ深紫だ。そして髪は、いわずもがな白銀。

「一命を取り留められたのは幸いでした。ただ傷が深いので、当分は療養が必要です」

 そう言った彼は、ぽんと狼の頭に手を置いた。


「こっちは檄琅(げきろう)といって、私の……姉か妹かは先程のように議論が分かれますが、まあ、双子の姉妹です。あなたのお世話は彼女に任せますので、何でもお申し付けください」

 檄渓は柔らかい目で私を見ている。

 紛れもなく、彼らは私を助けてくれたのだろう。

 その好意に甘える前に、私は問わずにいられなかった。


「……何故、私を助けた」

 私には王から誅殺の命が出ている。檄渓が私の副官だからといって助ける義理は無いし、むしろ私を助ければ檄渓は王命に背くことになり、同じく犯罪者となるのだ。


 正直、そこまでして私を助けるほどの理由が、檄渓にあるとは思えない。

 この男は軽そうに見えて存外怜悧なところがある。間違っても情だけで動いたということは無い筈だ。

 けれども考えてみれば、彼は普段から随分と私に甘いというか、ただの部下にしては積極的に助けてくれているような気がする。一体その本意がどこにあるのか、私にはよくわからない。


 私の問いを受けて軽く首を傾げた檄渓は、次の瞬間笑みを深くした。どこか悪戯っぽい笑みである。

「ことここに及んでも思考は鈍ってない、か。流石、あの人がわざわざ護衛を命じるだけのことはあるなあ」

「護衛?」

 何だそれは。初耳だ。

 私が眉を寄せていると、檄渓は私の前に胡坐をかいて座り、説明を始めた。

「話すと長くなりますが、この際話してしまいましょう。そもそも俺は、さる人から鴻将軍の護衛を命じられたうえで、右軍に配属されたんですよ」


 私の護衛?

 右軍への配属にまで口出しできる人物となると、かなり限られてくるはずだ。

 まず考えられるのは棟将軍だろうか。いや、でもあの人は私に個人的に肩入れをするようなことはしそうにない。わざわざ檄渓を使わなくても、棟家の息のかかった人間は私の身辺にいくらでもいるはずだし。


 真剣に首をひねる私を見て、檄渓は肩を竦めた。


「わかりませんか?薄情なもんだなあ、あなたの想い人でしょう」

「は!?」

 思いもかけない言葉に思わず反射的に身を起こしかけた私は、傷に激痛が走るよりも早く檄琅の顎で肩を押さえられていた。

「駄目じゃない、動いちゃ。渓も怪我人をあまり刺激しちゃだめよ」

「あは、ついね」

「つい」じゃない。

 私は息も絶え絶えになりながら、檄渓を睨んだ。


「そう睨まないでください。まあ要するに、俺にこの件を依頼したのは太子です」

 檄渓は相変わらず緩い調子で笑いながら、さらりとのたまう。うっかり頷きかけた私は、慌てて首を振った。

 おかしいだろう。

 一体この男、私と蒼凌についてどこまで知っているんだ。

 そもそも蒼凌がそんな用件を言いつけるほど近しかったのか。

 そしてわざわざなんて個人的なことを命令しているんだ、蒼凌。


 疑問が多すぎて咄嗟に口を開けない私を前に、檄渓は飄々と説明を加えていく。


「もともと俺は一族の為の情報収集と出稼ぎその他諸事情の為に碧に仕官してたんですけど、あれは三年ちょっと前になるかなあ、どうやらこの近くの山道を太子が通りかかったらしいですね」

 この近く、というのがどの辺りの事なのか、現在位置のわからない私には何とも言えないが、心当たりならある。

 三年ちょっと前、というと、多分、蒼凌が白との交渉を終えて帰国した時だ。

 己凌という名で私と出会い、一時旅路を共にしてから別れた時期でもある。逆に言うと、その時以外に、そうそう蒼凌が都を離れてどこぞをふらふらしていた時があったとは思えない……と言い切るのに躊躇いが残るのがあの不良王子の困ったところだが、時期的にこの推測は正しいだろう。

 そう考えれば、今私がいるのはたぶん、北側の山脈のどこかなのだろう。


「その時に、うちのお転婆がうっかり襲撃してしまったようで」

「襲撃?」

 随分物騒な言葉が聞こえた気がする。一体何をやらかしたんだ。

「文字通りの襲撃よ。一応私達、野盗だから」

 檄琅が補足してくれる。

 うん、さらっと言ってくれたけれど、随分恐ろしいことを聞いた気がするのは気のせいですか。

 助けてくれたと思っていたけれど、実はこれから身ぐるみはがされるとか。


「野盗と言っても、標的は昏政府と繋がりのある豪商の荷か、後ろ暗い連中に限っています。堅気には手を出さない主義でね」

 私がぎょっとしたのを見て取ったらしい檄渓がそう言って安心させるように笑う。

「だから太子に手出ししたのはお転婆の過失だったんです。揚句に返り討ちに遭うし。すぐに琅が駆けつけたんでお互い無事でしたけど、いやああのお転婆には本当に手を焼くね」

「笑い事じゃないわ。本当に胆が冷えたわよ」

 返り討ちですか。

 うん、あの蒼凌が相手となれば、まず並の野盗くらいでは歯が立たないに違いない。

 相手が悪かったとしか言いようがない。


「それで後日、俺がお詫びと説明に行ったんです。それが琅との交渉の中で出された条件だったもので。ついでにこっそりお近づきになっとけば、お互い何かと都合がいいんじゃないかなとも思いましたし」

 胡坐をかいた膝の上に肘をついて、檄渓はにこにこと笑う。

「それで、お近づきになったわけか」

「そういうこと。太子も難しい立場は自覚しておられただろうし、ちょうど手駒を増やしたかったところだったんじゃないですかね」

 そうして密かに蒼凌の手駒として行動するようになった檄渓は、一年ちょっと色々な方面の仕事を片付けた後、私の護衛を言いつかって右軍に配属されたということらしい。


 今更だが、檄渓の口調は普段と比べてかなり崩れている。多分、今はお互い官職を離れて話をしているし、もはや上司と部下という関係でもないからなのだろう。こうして砕けた態度をとっていると、檄渓のあの卒のなさが見えにくくなり、言っては悪いが胡散臭さが増している、気がする。

 以前から薄々感じてはいたけれど、こいつは確実に慎誠と似た型の性格だ。

 軽くてゆるくて、非常に掴みにくい。


「しかしあの太子がよくあっさりと信用したものだ」

「信用されているのかどうかは……まあ、あなたの護衛を任された時点で信用は得ていたんでしょうかね」

 首を傾げかけた檄渓は、ちょっと意味ありげに笑った。

「まあそれに、俺の方も手の内をさらしたわけですから、裏切る心配も薄いでしょう」


 確かに、ここの野盗との繋がり、そして人間でないということまで蒼凌に明かしてしまったなら、檄渓は半ば弱味を握られたともいえるような形になる。その上で一年間仕事をさせて見極めたなら、十分なのかもしれない。

 ただそうなると逆に、檄渓のほうの旨味が少ないように思えるのだけれど。


「俺の方にも色々と益はありますよ」

 私の疑問を汲み取った檄渓が、ひょいと指を立てる。

「たとえば、ここの野盗について少なくとも碧側からは討伐の動きが出ないようにしてもらったり、一族の者が碧で働けるよう融通してもらったり」

「野盗の討伐……」


 そういえば、蒼浪の周辺で小物の野盗が増えているのは北の方に勢力を伸ばしている野盗があるからだ、という話をどこかで聞いたような。

 困ったときには角邑の兵を借りるよう頼奉に指示しておいたけれど、その後、角邑は防衛の兵は貸してくれるものの討伐の意欲はなさそうだという報告も受け取ったような。

 もしかしなくても、こいつらの仕業か。

 実害はほとんどなかったから放置していたけれど、まさかこんなところで裏側が繋がっているとは思わなかった。


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