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水鏡五国志[第三部 朧月の巻]  作者: 子志
章之壱 闘争
27/71

遭遇

山中をひたすらに歩いている黒零は、懐から保存食を取り出して齧りながら溜息を吐いた。

蕃旋が最後に持って来てくれた食料も、だいぶ目減りしている。大まかな方角は間違っていない筈なので、もう昏の都からはだいぶ離れた頃合だ。黒零の観測が間違っていなければ、もう碧の領地に入っている筈である。乱世の倣いとして明確な国境線が無いためよくはわからないが、山地の傾斜が南向きになっているから間違いなかろう。この山地自体が国境のようなものなのである。南に下れば碧だ。


「しかし街が見えんな……」

残雪の轡を取って歩きながら呟く。街に出なければ食料を購うこともできない。なんとか街道を見つけられないだろうか、と斜面の下を覗き込んだ黒零の眼下を、一騎の騎馬が駆け抜けて行った。

「ん?」

人だ。そう判断すると同時に、道を訊けるかもしれないという期待が湧く。しかしよくよく見れば、馬上の人はまだ年端もゆかぬ少年であった。目を瞬かせる黒零の前に、更に複数の騎馬が現れる。しかもそれらは、明白に戦闘中であった。先頭の一騎が、追い縋る多数の騎兵を薙ぎ払うように棒を振るう。追っ手の方は何人かの脱落者を出しながらも、執拗に彼を追っていた。いや、ひょっとすると、先に駆け抜けて行った一騎を追っているのかも知れない。

「追っ手の方は碧軍か?追われているのは何者やら……」

黒零が呟いた時、先に駆け抜けて行った騎馬が戻ってきた。どうしたのかと見れば、彼の向かっていた方角にも碧兵の姿が見える。どうやら回り込まれたらしい。碧兵の放った矢が馬の尻に当たり、驚いて棹立ちになった馬から少年が振り落とされた。追っ手を相手に激闘を繰り広げていた男が、慌てて駆け寄る。馬から飛び降りて少年を抱え上げ、追っ手に向き直った。その姿は既に満身創痍で、もはや絶体絶命というふうに見える。


不意に、残雪が鼻を鳴らした。黒零が目を向けると、何か言いたげに鼻面を押し付けてくる。

「どうした?」

目を丸くする黒零を急かすように首を押し付け、前足で地面を蹴る。ほんの少し考えた黒零は、はっとして眼下の光景を指差した。

「ひょっとして、知り合いか?」

残雪が再び鼻を鳴らす。それを肯定と受け取って、黒零は鐙に足をかけた。残雪は恐らく、追われている彼らをあのまま死なせたくないのだろう。ならばその想いに応えてやるのが旅の道連れたる己の役目だと、黒零は思った。

「少々急だが、駆け降りるか?」

馬上の人となった黒零が問いかけると、残雪は愚問とばかりに嘶いて地を蹴った。



さすがに、駄目かもしれない。そんな思いが、函朔の脳裏をよぎる。

落馬した秋伊の傷は、幸い深くなかった。手足を少し捻った程度であろう。しかし今や自分達は完全に碧兵に囲まれてしまい、逃げ道は無い。秋伊を背後に庇いながら、函朔は息を整えた。酷使して感覚の無くなりかけている腕を無理やりに持ち上げ、棒を構える。

「もはや逃げ場は無いぞ。無駄な足掻きはよせ」

碧兵の冷たい声が、嘲笑と共に投げかけられる。

「黙れ」

掠れた声で言って、函朔は最後の覚悟を固めた。


そんな場面を、猛然と斜面を駆け下りてきた闖入者が理不尽にねじ切った。


「な、な、なんだ!?」

碧兵の隊列は、中心部近くにその突進を受けて暫時混乱に陥った。慌てふためいて落馬した者が、馬蹄に蹴りつけられて地に沈む。戦場で雑兵を蹴散らすのは半ばは軍馬の役目とはよく言ったものである。

「あ、暴れ馬か!?」

漸く兵士達がその正体を見極めて我に返った時には、その馬は隊列を一通り蹂躙し終わり、追われていた二人の前に立っていた。その背に乗った黒衣の青年が、やや不満げに眉を寄せる。

「確かに暴れてはおったが吾が制御を失っていたわけではない。暴れ馬という表現は少々妥当さを欠く」

「そういう問題ではない!」

誰かがその場の全員の心情を代表して叫んだ。しかし青年はそんな言葉は聞こえなかったかのように、馬の鬣を撫でる。

「しかし残雪よ。吾は乗馬の達者というわけではないのだ。もう少し加減してくれ。危うく振り落とされるところだ」

馬がぶるると鼻を鳴らす。そんな光景を呆然と見ていた函朔は、馬上の青年がこちらを向いたことではっと我に返り、秋伊を背に庇う。

「誰かは知らぬが、そう警戒せずともよい。吾は残雪がそなたらを助けたいと言うので乱入してみたのだ」

「残雪?」

その名を思い出すべく記憶を探った函朔は、目の前の馬に見覚えがあることに気付いた。

「お前……」


「ええい、ふざけた奴め!構わん、何者かは知らんが、諸共にやってしまえ!」

青年と函朔の対話が終わる前に、碧兵の将がしびれを切らした。兵士達が命令を受けて駆け出す。ほとんどが先程の騒ぎで落馬するか馬を降りるかしていたが、歩兵でも数が揃えば十分な脅威である。函朔が再び身構えた時。


「すまぬが、今取り込み中だ。静かにしておれ」

青年の一言と同時に、兵士達の足が止まった。文字通り、地面に縫い付けられたかのごとく一斉にぴたりと止まったのである。つんのめってこけそうになった彼らは、己の足が凍りついて地面に張り付いているのに気付いた。

「な……方士!?」

今度こそ、完全に碧兵が混乱し、戦意を喪失する。その様を見ていた函朔は、漸く少しだけ肩の力を抜いた。

「璃、黒零……」

「うむ」

頷いた黒零が、函朔の背後の秋伊に目を向ける。

「ところで、そなたらは?残雪は知っているようだが」

函朔は一瞬ちらりと秋伊と目を合わせてから、構えを解いて口を開いた。

「こちらは秋公子……白の滅亡後、鴻宵に匿われていた。俺は函朔。秋公子に仕えている。鴻宵とは友人だ」

「ふむ。そうか」

黒零は淡々と頷いたが、その瞳に一瞬感傷の色が流れる。

「鴻宵の友人とあらば、みすみす死なせるわけにはいくまい」

その言葉と同時に、函朔は水精霊達の歓声を聞いた。黒零が口中で何事か唱えると、大気中の水分が凝固して鋭い氷柱を形づくる。


「命が惜しければ退くがよい、碧の兵士達よ」

黒零は静かに勧告した。

「どうしてもこの者達に危害を加えると言うのであれば、吾が相手になろう」

「ぐ……」

碧兵の主将は悔しげに呻いた。相手はたった一人とはいえ、五国方士の一人である。戦場では何千もの兵を相手取って戦えると言われる存在だ。数十の手勢では黒零の言葉通り命を捨てるに等しい。

「退け!」

止む無く、主将は号令をかけた。隊列が後退を始めると、凍りついていた前線の兵士達の足元の氷も跡形もなく消えた。


碧兵が完全に退却したのを確認して、黒零は二人に向き直った。

「ひとまず、危機は去った。まずはそなたの傷を手当てすべきであろう」

「……恩に着る」

函朔は漸く緊張を解いた。同時に、足元がふらつく。

「函朔!」

「ご心配なく。少し疲れただけです」

慌てる秋伊をそう言って宥め、函朔は馬上の黒零を見上げた。

「助かった。礼を言う。じきに国境だ。逃げおおせるだろう。俺達のことはもう気にせず進んでくれ」

璃黒零が鴻宵を昏から助け出した人物であることを知っている函朔は彼が危害を加えて来る可能性はまずないだろうと判断してはいたが、完全に警戒を解いたわけではなかった。故に、そう言って別れを切り出す。しかし、黒零は僅かに眉を寄せた。


「それは困る」

「は?」

困惑する函朔に、黒零は言った。

「吾は目下道に迷っておるのだ。そなたらに道案内を頼みたい」

函朔は暫し沈黙した。誰もが黙り込む中、残雪が鼻を鳴らす音がやけに大きく響く。

「……お前、どっか抜けてるって言われたことないか」

「どこぞの烏にいつも言われておった」

あっさりと肯定する黒零に、函朔は思わず脱力した。警戒心が砂のように崩れてゆく。こういうのを毒気を抜かれるというのかな、などと考えてしまいながら、函朔はその場に座り込んだ。



一通り函朔の傷の手当てを終えた後、三人はひとまず国境を越えて山を登って昏側領に入った。碧軍がまた懲りずに追っ手を寄越さないとも限らないからである。夜になり、林の中で火を焚きながら、三人は今後の方針について話し合った。


「情報が足りねえな」

そう言ったのは函朔である。鴻宵誅殺の報を受けて取る物もとりあえず蒼浪を発ち、碧軍に追われていた函朔と秋伊は言うに及ばず、黒零の持っている情報も庵覚がもたらしたそれと、僅かに蕃旋の言葉から推測できたことのみであり、今後の情勢を判断するにはあまりにも貧弱だ。

「うむ。吾は約束があるのでできれば鴻宵の身辺……守れる場所へ行きたいが」

一度言葉を切って、黒零は緩く首を振った。

「居場所がわからぬ以上どうしようもない。敵方も恐らく鴻宵の所在は掴めておるまい。ならば今打てる手を考えねば」

「そうだな」

黒零の冷静な意見に、函朔も賛同する。一考した黒零は、函朔達に目を向けた。

「吾らだけでは何か行動を起こす力も無い。鴻宵の身辺に居た者達と合流できぬだろうか」

黒零の言葉に、函朔は難しい顔をした。

「そうしたいのは山々だがな……」

「確かに、政府から逃げている者達を探すのは骨が折れそうだが」

「そうじゃない」

黒零が口にした問題も、無いではない。だが、最大の障害はそこではなかった。

「危険すぎる。誰が裏切ったのかわからない現状じゃな」

「え?」


目を丸くする黒零に、函朔は己の立場を説明した。

「秋公子と俺を鴻宵が匿ってるなんてこと、ほんの一握りの人間しか知らない筈だ。なのに、追っ手がかかった」

黒零の顔色が、はっきりと変わる。函朔はその目を真っ直ぐに見ながら、言い切った。

「内通者がいる。それも、鴻宵にごく近しかった連中の中に」

「それは……」

絶句する黒零の対面で、秋伊もまた苦い顔をして俯いていた。一体誰が、何の為に、鴻宵を裏切り、自分達の命をも狙っているというのだろう。


「誰か、おらぬのか。信用できる者は」

半ば呟くような黒零の問いに、函朔は沈思した。暫くして、徐に口を開く。

「一人だけ、いる。裏切り者がいる以上あいつも手配されてるかも知れないが、あいつは手配されるのに慣れてる。うまく逃げてる筈だ」

「手配されているのに慣れているという辺りに不安を感じるのだが……」

手配されるのに慣れているということは、何かしら後ろ暗い事情を背負っているということである。そんな者が信用できるのかという黒零の疑念は、至極当然のものであった。

「その者が信用できるという、理由があるのか」

黒零が問うと、函朔は何故か苦い顔をした。

「まあ、ある。あの野郎は惚れた女に対してほとんど盲目的なまでに一途だ。今のところ他に執着してるものも無いし、他の誰が裏切ってもあいつだけは鴻宵を裏切らねえと言ってもいい」

なるほど、と黒零が頷く。傍らで聞いていた秋伊も頷きかけて、ふと首を傾げた。

「その男は一体誰に惚れておるのだ?惚れた女に一途で鴻宵を裏切らぬというのは……」


ああ、と函朔は小さく声を上げた。失念していた。

「そういえば、公子はご存じありませんでしたね」

「む?」

首を傾げる秋伊に、黒零が教えた。

「鴻宵は女だ。つまるところ、その男は鴻宵に惚れておるのだろう」

秋伊の動きが止まる。その首がぎこちなく動いて、函朔を見た。函朔は頷いて見せる。

「そういうことです」

「えっ、な、は?」

呆然とする秋伊を、二人は何となく温かい目で見つめた。この事実を知った時には、自分達も驚いたものである。特に函朔は、己が散々悩んでいたことを根底から覆されたのだから尚更だった。


「よし、わかった。うむ、わかった」

漸く何らかの整理をつけたらしい秋伊が、大きく頷く。

「つまり私達が探さなければならぬその男は、函朔の恋敵ということだな!」

「そこじゃありません!」

函朔は思わず大声で突っ込んだ。その拍子に腹の矢傷が痛んで呻く。


「何だ、そなたも鴻宵に惚れておるのか」

目を瞬く黒零に、秋伊が頷く。

「何しろ態度で丸わかりなので有名な話だ。聞くところによるともう何年も片思いだとか」

「それは不憫な」

黒零がどこか憐れむような目で函朔を見る。函朔はがっくりと項垂れた。何故初対面の人間にまで己の片思いを暴露されなければならないのか。

「それはどうでもいい!とにかく、あいつは南に向かった筈だ。鴻宵の件を聞いたなら多分都に向かって動いてる。あいつなら俺より情報集めは上手い筈だし、方士だ。戦力にもなる」

逸れた話題を強引に引き戻して、函朔は木の枝を拾い、地面に簡単な地図を描いた。


「今の俺達にとって碧領内を移動するのは危険すぎる。南下するなら橙の方を回るべきだ」

「うむ」

二人が頷くのを見て、函朔は続ける。

「問題は奴を見つけられるかだが、奴の方から接触してくる可能性も有る。そうでなければ、俺の伝手を使って探しながら移動することになる。俺は碧ではお尋ね者だが……この伝手はまだ生きてるはずだ」

庵氏はもともと橙の商人である。碧政府に尻尾を振る必要はない。しかも庵氏兵団の私兵どもは大概が体制に溶け込めないはみ出し者だ。政府の法よりも友誼を重んじてくれる可能性は高い。

「だが用心に越したことは無い。まずは山沿いに西へ向かって、橙回りで南下しよう」

「うむ」

二人は頷いて、今後の進路を函朔に委ねた。


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