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水鏡五国志[第三部 朧月の巻]  作者: 子志
章之壱 闘争
25/71

万一の話

 碧の都では、都を僅かな兵とともに脱した太子らを左右両軍が追い、迫る昏軍に対しては中軍が派遣されるという一種の異常事態が起こっている。太子を除き唯一王位継承権を持つはずの公子詠翠の行方は、未だわからない。


 そんな状況下で緊張にひりつく空気を肌で感じながら、至鶯は平時と同じく参内し、朝会の場で定められた席に着いた。ちらりと左右に視線を走らせれば、現在の朝廷が如何に不自然な状態にあるかわかる。彼と同列にある五つの座席は、実にその四つが主を欠いていた。


 病と称して参内しなくなった後、現在は中軍を率いて防衛戦に向かっている大司徒、棟凱。

 太子とともに幽閉され、今も太子と共にいるとされる大宗伯、紀春覇。

 何者かに襲撃され、未だ行方の分からない大司馬、紀詠翠。

 そして、現在太子の率いる兵への攻撃を指揮している大司空、叙寧。


 その後ろ、武官達の首位に当たる席もまた、ぽっかりと空いている。

 絽宙、涯仇殺害の疑いをかけられ、誅殺された右軍の将、鴻宵。


 至鶯は小さく首を振った。

 鴻宵の件について司寇府が知らせを受けたのは、既に王が行動を起こし、鴻宵が誅殺されてしまってからであった。本来ならば重臣への刑罰は、司寇が真っ先に調査し、犯行についての確証を得たうえで行うべきことである。感情的になった碧王は、その手順を無視した。出遅れた至鶯にできたのは、鴻家の関係者に対する無法を防ぐことだけであった。


「至氏」

 声をかけられて顔を上げると、至鶯と同列の卿の内現状唯一残っている荏規が青い顔色を隠しもせずに立っていた。

「荏宰相」

「公子の行方については、まだ掴めませぬか」

 常に似合わず性急に問いかけてくる荏規に、至鶯はただ黙って首を振って見せる。詠翠の行方は、未だわかっていない。

「襲撃者についての手掛かりは」

「調査中です」

 言葉少なに、至鶯は答えた。

 そこに含まれた微妙な言葉のさじ加減に、普段なら気付くであろう荏規は気づかずに肩を落とす。焦燥が、彼の目を塞いでいるのであった。

「なんということだ。このうえ詠公子に何かあれば我が国は……」

「滅多なことは口になさらぬがよろしい」

 頭を抱える荏規を、至鶯はそっと窘めた。人臣の最高位にある宰相が取り乱していては、まとまるものもまとまらない。


「万一の話じゃ、至氏」

 青ざめたまま、荏規は声を潜めて至鶯に言った。

「万一の為に、人を探さねばならん」

「誰ですか」

 震える声で口にするのを憚るかのように曖昧に話す荏規に対し、至鶯の問いは真っ直ぐに切り込んでいく。荏規が口を開きかけた時。


「王のおなりである」

 折悪しく、王が到着したようであった。荏規は一瞬躊躇うように瞳を揺らしてから、口を噤み席に着く。

 その様子を横目に見ながら、至鶯は考えを巡らせた。

 ――万一の為に。

 荏規が探そうとしているのは、何者なのだろうか。

 内心で考察を続けながらも、登朝した王に対し拝礼をする。顔を上げよ、といつものように告げた王の声は、細く掠れていた。

「大司寇よ」

 群臣が姿勢を整えるなり、王は至鶯を呼んだ。

「まだ見つからぬか」

 至鶯は黙って頭を下げる。王は苛立ちを隠しもせずひじ掛けを叩いた。

「何をしておる。一刻も早く見つけ出せ。さもなくば」

 激情のままに声を荒げた王は、ふ、とそこで言葉を切った。我に返ったように一度ひじ掛けを軽く叩き、前のめりになっていた姿勢を元に戻す。

「手がかりすら、無いか」

「調査中にございます」

 至鶯の応答は、飽くまで慎重だ。


 実のところ、司寇府は詠翠襲撃の実行犯について何の手がかりも得ていないわけではない。兵を派遣した張本人として、ある貴族の名も挙がっていた。しかし、至鶯はまだその逮捕に踏み切らない。この大それた事件の首謀者としては、その貴族はあまりにも小粒である。確実に、背後に糸を引いた人間が隠れている。それを炙り出すまで、犯人は泳がせておくつもりであった。

 だがそれを、至鶯は王に説明しない。感情的になっている王に下手に動かれては調査に差し支える。どの道公子詠翠の行方が掴めていない現状では、王に報告するには足りないであろう。待っていれば必ず、どこかで黒幕が尻尾を出すはずだ。その考えのもとに、至鶯は配下を各要所に配置し、目を光らせている。

 今は動く時ではない。それよりも気になるのは、先程の荏規の言葉である。

 ――万一、とはこの場合、公子に何かがあった時であろう。とすれば……。

 調べてみる価値は、ありそうだ。




 そんな堂上の会話を、前庭の木に止まった烏が聞いていた。その鋭敏な聴覚は、声を潜めて発された宰相の言葉も正確に捉える。

 群臣の退朝を機に、烏は徐に羽ばたいて蒼穹へと影を没した。




 現在、碧の三軍は全て北方へと出払っている。そんな状況下で、ほとんどがら空き状態の碧の横腹に喰らいつくべく兵を進める者が居る。言うまでも無く、橙の戦姫率いる軍勢である。


 ここで橙が留守を狙って出てくることは十分に考えられることのはずなのに、橙の「救援」という建前を真に受けた碧が西側に碌に防衛線を張っていないらしいことを先発した斥候から聞いた戦姫、牧黎翡は重い溜息を吐いた。

「本当に、碧はここで滅びるかも知れませんわね」


 長く東方に覇を称えてきた碧が、こうも呆気なく滅びの兆候を見せていることに、黎翡も一片の儚さのようなものを感じざるを得ない。しかし、今彼女の国は他国に同情している場合ではなかった。

 碧が滅べば昏はこの大陸のほぼ全域を支配する大国となる。五国の中でも最も弱小であった橙を生かすも殺すも昏王の胸次第という時代がやってくる。その状況下で少しでも有利に立ち回る為に、黎翡はここで実力を見せておかなければならない。

「前進を続けますわ。五里ごとに偵騎を出して情報を集めなさい」

「御意」

 旗が振られ、兵士達が歩き出す。その中心で、黎翡の兵車もまた動き始めた。


 そんな様子を、高所から眺めている者達がいる。

「碧の都は殆ど空だ。どてっ腹に戦姫の襲撃を受けて、どこまで無事でいられるかね」

 溜息交じりに言うのは、褐色の肌をした武人。庵覚だ。今日は私兵達を連れてはおらず、腰の剣のほかは棒を一本携えただけの軽装である。

「北へ行った連中は、どうなってる」

 そんな庵覚の傍らに立つ男は、橙軍から目を離さないまま、呟くように問うた。

「交戦を始めたらしいよ。昏軍と、碧軍と、太子の手勢。三つ巴だね」

 腕を組む庵覚の頭上で、白い鳥が旋回する。


「はっきり言って太子は絶体絶命に近いと思うんだけど、なんであの人は北へ奔ったのかね?」

「逃げる為だろ。追っ手を昏軍にぶつけといてずらかる気だったんだろうな」

 あっさり答えられて、庵覚は目を瞬かせた。

「まさかとは思ってたけど、そうかい?外面に騙されちゃいけねえってのは本当だったんだねえ」

「だがそこで失敗した。どうも読みが甘いな。あの男ならもっと周到な手を考えてきそうなもんだが」

 どかりと草地に座り込んで考え込む旧友と共に思考を巡らせながら、庵覚は目を細めた。

「読み違えたってことかね?右軍の佐将が案外えげつない包囲網を敷いてるらしいからねえ」

 庵覚の言葉に、胡坐をかいた男――鴻耀は眉を寄せた。

「らしくねえな。そこを読み違えたなら、とっとと昏軍に降っちまえばいい。生き残るには最短だ」

「降りたくはないんじゃないのかい」

「だがあの場で戦いを続けても状況が好転することは――」

 考え考え言葉を紡いでいた鴻耀が、ふと口を噤む。


「まさか、『待って』んのか」

「うん?」

 庵覚が首を傾げるが、それには構わずに鴻耀は沈思した。


 昏に降れば、太子も覇姫も生き延びることはできる。だが巻き返しは難しくなる。一生昏の客分で終わることを覚悟しなければならない。しかし戦い続けても、状況が何も変わらないのなら、ただ緩やかに破滅に向かうだけだ。


 だが、もし、「待っている」のなら。

「その時」の為に、巻き返しを図れる状況を少しでも保存しておいてやりたいと考えているのなら。


「……だったら俺も、守らねえとな」

 そう呟いて立ち上がった鴻耀を、庵覚は訝しげに見遣る。

「ちょっとお前さん、今のでどんな結論に至ったのか説明しちゃくれないかい。俺にはさっぱりわからないよ。一体何を守るってんだい」

 庵覚の問いに、鴻耀は東の地を睨みながら答えた。

「あいつの、帰ってくる場所をだ」




 止む無く苫を連れて北上していた沃縁は、途中宿泊した街の宿屋で宿改めに遭遇していた。

「心配いりませんよ」

 怯えて青ざめる苫に笑いかけて、沃縁は荷の中から通行証を取り出した。この通行証は鴻宵が用意してくれたものではあるが、通常の旅人が持っているものと差異は無い。よほどのことが無ければ疑われることなくやり過ごせる筈だった。


 それにしても宿改めとは、一体何を捜索しているのだろう。

 一抹の疑念を胸に抱えたまま静かに待つ沃縁の前で、扉が開いた。

「宿改めだ。通行証を見せて貰おう」

「どうぞ」

 沃縁は騒ぐことなく通行証を兵士に渡した。通行証を確認した兵士が、二人の姿をじろじろと眺める。

「お前、髪が白いな」

 唐突に言われて、流石の沃縁も少々面食らった。己の髪を一房摘まみ、肩を竦める。

「珍しいことではないと思いますが?」

「うむ。だが、手配書があってな」

 そう正直に言った兵士は、恐らく根が善良なのだろう。どこか自分自身も納得していないような表情で、訥々と説明した。

「都で誅殺された鴻将軍が方士を飼っていたという話があってな……」

「なるほど。これはその為の調査というわけですか」

 沃縁は相変わらずにこやかで、しかも自然な態度を崩さない。しかしその傍にいる苫は身を固くして、ぎゅっと沃縁の袖を握った。

「まあな。実のところ、俺はどうもお上が掌を返したように鴻将軍の罪を並べ立てるのがどうも……あ、いや、今のは聞かなかったことにしてくれよ、後生だからさ」

「ええ、ご心配なく」

 沃縁はにっこりと笑った。兵士もつられて笑う。

「ま、あんたみたいな人の良さそうなのが方士だってことはないだろうし、こんな曖昧な情報でそうそう見つかるわけもないよな」

 兵士はどうやら彼らの調査によって件の方士が見つかるとは思っていないらしい。気楽に笑う彼に、沃縁も笑みを返した。

「じゃあな。お嬢ちゃんも、旅の平安を」

「ありがとうございます」


 兵士が立ち去ってから、沃縁は暫しの間表情を崩さずに戸口を見据えていた。同じく微動だにしなかった苫の肩から、やがて徐々に力が抜けてゆく。彼女にはなんとなくわかっていた。先程の兵士が、命拾いしたことが。

「やれやれ。今後街を避けるべきか、いっそ怪しまれないように堂々と行動すべきか、悩ましいところですね」

 沃縁はそう言って、待機させていた精霊を解放した。


「それにしても、妙だと思いませんか」

 宿改めの喧騒が去り静かになった宿で、沃縁はどこか昏い目をして苫に語りかける。

「僕の存在を知る人は決して多くない筈です。はっきり言って、身内以外にはほとんど知る者が居ないと言ってもいい」

 常になく低い声で発された言葉に、苫ははっとした。同時に、ぞわりと総毛立つのを感じる。

「あまり考えたくはありませんが」

 飽くまで淡々と、沃縁は言葉を紡いだ。

「どうやら、鴻宵さんにごく近しい者が寝返ったようですね」

 薄茶の瞳が、冴え冴えとした光を帯びて虚空を睨む。


「誰かは知りませんが」

 低い呟きが落とされた。

「ただではおきません」

 苫はただ沃縁の傍らできゅっと身を縮めていた。


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