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玄鳥の邂逅

 草を食む残雪の傍らで、()黒零(こくれい)は大の字になって寝転んでいた。寛いでいるわけではない。動けないのである。

 理由は単純。空腹の為であった。


「前に食事にありついたのはいつだったか……」

 呟いて腹を摩る黒零の顔を、残雪が気遣わしげに覗き込む。その鼻面を撫でて、黒零は身を起こした。

「いつまでも蕃旋(ばんせん)に頼っているわけにもいかぬのだがな」


 彼の食事は、目下蕃旋とその一族の供給に頼っていた。しかし彼らとて、自分達の食い扶持ならばともかく、人間の食べ物を揃える為には金を稼がなければならない。そして赤鴉の一族の中で、人の姿で金を稼ぎ、食べ物を買うことができるのは蕃旋ただ一人である。

 黒零自身が街に出て働くには、今居る場所はまだ昏都に近すぎた。それに蕃旋とて一応はお尋ね者である。そう簡単に仕事を見つけられるわけでもない。

 結果として、黒零は困窮していた。


 座ったままぼうっとしている黒零の傍らに寄り添っていた残雪が、不意に顔を上げた。黒零がその視線を追うと、木々の茂っている方から一人の人間が姿を現したところだった。

「あ?こんなとこで人に会うとは思わなかったな」

 若い男である。彼は意外そうに黒零を見詰め、そんなことを呟いた。黒零の方は、男の持っている袋にくぎ付けになっている。


「のう、そなた」

「ん?」

 この際、手段は選んでいられない。黒零は一つ深呼吸すると、意を決して男に向き直った。

「食料を持っておるか?吾に分けては貰えんだろうか。もう三日も食べておらんのだ」

「は?」

 唐突に過ぎたのか、男の視線は不審げである。黒零は懐を探り、嘗て身に着けていた玉を取り出した。

「これをやる。価値はあるはずだ」

 男は黒零の差し出した玉を眺め、黒零の顔を見、更に視線を残雪に流した。

「食料に対してそれじゃ釣り合わねえよ。そんなものちらつかせてたらすぐに盗賊に狙われるぞ。しかも随分良い馬連れて……」

 男の言葉が半ばで止まる。気だるげだった表情が、急に真剣なものに変わった。

「おい、お前この馬どうした」

 尋ねられて、黒零は残雪を見上げる。残雪はおとなしく首を垂れていた。

「友人から貰い受けたのだ。友人の愛馬だったので心苦しくはあったが、吾も足が必要だったのでな」

「……友人、ねえ」

 男は何やら溜息を吐くと、がしがしと頭を掻いた。

「ああ、なるほどな。で、お前腹が減ってんだな?」

「うむ?うむ、そうだが」

 男が何に納得したのかわからないまま、急に質問されて頷いた黒零は、次の瞬間男に腕を掴まれ立たされていた。

「うわ、何だ?」

「ついてこい。金無いんだろ。飯食わせてやるから」

 そう言った男は、残雪の轡を牽いてすたすたと歩いてゆく。黒零は慌てて後を追いかけながら、男を止めようと口を開く。

「いや、吾はその、手持ちの物を分けてもらえればよい。実は街に出るのは少々都合が……」

「知ってる」

 無造作に返されて、黒零は言葉に詰まった。


 知っているとは、何をだ。


「ここは都にさほど近くもねえ田舎町だ。万一ばれたら逃げりゃあいい。こんな駿馬連れてんだ、簡単に逃げ切れるだろうが」


 黒零は足を止めた。半ば本能的に水精霊を集める。

 この男は気づいている。黒零が昏都から逃走した大陸王家の末裔、璃黒零であることに。


「よせよ」

 男は黒零を振り返り、片手でぴんと手近な水精霊を弾いた。

「敵意は無え。通報する気も無え。ばれたら逃がしてやる。飯を食わせてやるのは礼だ」

「礼?」

 予想だにしない一言に、黒零は首を傾げた。男がぽんと残雪の首筋を叩く。

「お前こいつの前の飼い主に手え貸してくれたんだろ」

 前の飼い主。それはつまり、鴻宵のことだろう。確かに黒零は、鴻宵の脱出に手を貸した。

「あいつは俺の従弟だ」

「なに?」

 黒零は目を瞬かせた。つまりこの男は、鴻宵の従兄だということになる。

「そなた、名は」

鴻耀(こうよう)

 簡潔な答えが返ってくる。そのまま、鴻耀は黒零に背を向けて歩き出した。黒零もその後をついてゆく。


 やがて山を下りきった二人は、麓にあった手近な店に入った。鴻耀が適当に注文をし、黒零の前に質素ながら栄養のある料理が並ぶ。現金なもので、空腹のあまり活動を止めていた腹の虫が復活し、盛大に鳴き声を上げた。

「……好きなだけ食え」

 鴻耀の眼差しに少々憐憫に似たものが混ざっているのを薄々感じながら、黒零は食事に手を付けた。がっつきこそしないものの、やはり空きっ腹に染み渡る久々の食事に夢中で箸を進めてしまう。食事に集中していた黒零は周囲の様子に全く注意を払っておらず、こめかみを手痛くつつかれて初めて蕃旋が肩に止まっていることに気付いた。

「む……蕃旋ではないか」

 そう声をかけると、無言でもう一度つつかれた。人目がある為、蕃旋は言葉を発しないのである。

 黒零は対面に座っている鴻耀に目を向けた。何やら非常に呆れたような目で見られている。

「す……すまぬ。空腹だったものでがっついてしまった」

「俺は別に何の迷惑も蒙ってねえ。だがそっちの烏は哀れだったぞ。なかなかお前に存在を気づかれずに四苦八苦していたからな」

 肩にとまった蕃旋が何度も頷く。黒零が詫びを述べると、やれやれとでもいうように首を振ってから、窓からどこかへ飛び去って行った。

「あの烏、お前に用があったんじゃねえのか?」

「うむ。だが今の状況であのままでは喋れんからな。出直すつもりだろう」

 そう言って、黒零は再び箸を手にした。今度は落ち着いて食事を進めていく。


 ほどなくして、店に入ってきた人物が黒零の隣に座った。余裕のできていた黒零はすぐに気づき、声をかける。

「蕃旋。さっきは済まなかった」

「まったくだ!」

 人の姿で席に着いて腕を組んだ蕃旋は、じろりと黒零を睨んだ。

「腹減って夢中で食ってたのはわかるけどな!気づけよ!なんで肩の上で羽ばたいても気づかねえんだよ!」

「済まん」

「しかも!」

 蕃旋はそこで、鴻耀に視線を向けた。

「なに見知らぬ人間に飯食わせて貰ってんだ?警戒が足りねえだろ!」

「む……こやつは信用できると思うぞ」

 黒零は蕃旋の耳元に顔を寄せ、小声で鴻耀の身元を明かした。しかし蕃旋はそれでも不満げである。

「それが本当だって保証はどこにあるんだよ。騙されてたらどうすんだ」

「そうだな」

 同意を表明したのは、疑われている当の本人であった。

「お前は俺のとこに来た当初の鴻宵並に世間知らずだ。俺が盗賊の類だったらお前は今頃身ぐるみはがれてるか、悪くすりゃ死んでるな」

「それは恐ろしい」

 黒零は目を瞬かせ、平坦な口調でそう言った。蕃旋と鴻耀が揃って溜息を吐く。

「おい烏。もうちょいしっかり教育しとけ。危なっかしくて見てられねえ」

「うるせえよ。根っからの箱入りならぬ籠の鳥なんだ、仕方ねえだろ。あと烏って呼ぶな。蕃旋だ、蕃旋」

 三人ともあまり人付き合いのいい方ではないのだが、不思議と自然体の会話が成り立っている。


 そんな平穏な時間はしかし、やがてもたらされた報せによってすぐに終わりを迎えた。


「おうい、鴻耀」

 店を訪れた男が、鴻耀の名を呼ぶ。振り向いた鴻耀は、怪訝そうな顔をした。

庵覚(あんかく)。なんでここがわかった」

「この辺に来てるのは知ってたからね。お前さんの通りそうな場所くらい予測できるさ。そんなことより」

 基本的ににやにやと読めない笑顔をしていることの多い庵覚が、今日はにこりともしない。そこに異常を感じて、鴻耀は背筋を伸ばした。

「何かあったのか」

「大事さ」

 庵覚の視線が、ちらりと黒零達に流れる。しかし機密にする必要もない用件なのか、すぐに鴻耀の隣に座を占めて口を開いた。

「碧都からの報せだ。碧王が……鴻宵を、誅殺した」

 押し込めたような低い声で、庵覚はそれを告げた。


 重い、重い沈黙が生まれる。

「……え?」

 外界から遮断されたような静寂の中で、黒零の発した小さな声だけが、やけに大きく響いた。


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