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乙女心は紫陽花が如く

 台風のような豪雨から数日、ぱらぱらと降り続けていた雨がやっと止み、真っ白な雲と突き抜けるような青空が広がった。肌をじりじりと焦がす日差しをうけ、森の草花や木々も晴天を喜ぶかのように生き生きとしている。

 インセットの花園に咲き乱れる花々や樹木も同じく、待ち焦がれた太陽を歓迎するかのように一斉に咲き乱れていた。背の高いアカンサスやカンパニュラメディウム、サルビアスプレンデンスが風に揺られる。ふいに、一部分だけ大きく揺れるとぱちん、という音がし、揺れていた花が姿を消す。

 花壇の側には日よけの帽子を被り、作業用のエプロンをつけたレスティカーナがしゃがみ込んでいた。レスティカーナは花の根元を手で掴むと剪定ばさみで切り取る。地面に置かれた大きな篭には摘み取った花が盛られていた。

 しゃきん、ぱちん、ぱちぱちん

 花が揺れ、切り落とされる度に草の青臭さと花の甘い香りが辺りに広がる。がらがらと車輪の音が聞こえ顔を上げた。帽子をかぶり一輪台車を押し行く後ろ姿は顔がみえない。普通なら誰かわからない状態だが、この花園で土を山盛りにした一輪台車をあんなに軽々と扱うのは一人しかいなかった。

「ローザはぁ元気よねぇ」

「わたし、体力には自信あったけどローザには負けるわ、クラウディアはどう? ローザと一緒に行動できる?」

「私もよ、ヘルモーサ。無理。あの子の早さには追いつけない」

 インセットの庭師であるクラウディアとヘルモーサはどこか、呆れたような口調で言う。2人はレスティカーナと同じ日よけの帽子と作業エプロン姿だ。これがインセットの庭師の作業着なのだろう。

「任せっぱなしもぉわるいなぁってぇ思うけれどぉ、あんなにはりきってるローザにはぁ、ついていけないのよねぇ」

「レスティカーナは特にのんびりだもんね。まぁ、全部任せてるわけじゃないんだし、いいんじゃないかしら。ローザは好きなんだし」

「わたしらも庭仕事や土いじりは好きだけどねぇ」

「ローザには負けるわ」

 呆れ、しかしどこか楽しそうな羨ましそうな声色を織り交ぜながら話を交わす。レスティカーナ達は顔を見合わせて小さく笑うと、花摘みを再開した。

 ぱちん     ぱちん

 剪定ばさみの音に時折、虫の羽音が混ざる。

 豪雨の後の花園はぐちゃぐちゃだ。土は水に流され、芽を出したばかりの苗木や新芽は雨の勢いに負けてしまう。ローザは朝から一輪台車に土を山積みにして駆け回り、花畑を直していた。

 畑の土は水はけがよく、花を綺麗に咲かせるためのうねもあるため、豪雨ともなると簡単に流れてしまう。ローザは花畑をまわり、苗や新芽を回収し、畑を耕しなおし畝を作るのを朝からずっと繰り返していた。

 インセットの花園は森の奥に隠されている。廃墟となっていた古い館を中心に、花々の咲き乱れる庭と小さな湖と川の流れる森が全て、花園だ。館の中には太陽の強い光や暑さに弱い花の為に部屋の中に畑や花壇が作られた。他にも道具部屋や作業部屋、集めた花や作った物を置く倉庫部屋と〝エーテル〟機械を設置している。

 花畑は森の中に小さく作られているので、一つ一つの補修作業はそう多くない。しかし、数が多い。広大な森の中に点在する花畑を廻り、補修作業に必要な新しい土、新芽や苗を一時避難させる木箱とスコップを一輪台車に乗せて行く、何よりも体力が必要な仕事だ。

 レスティカーナとクラウディア、ヘルモーサもローザと同じ庭師だ。作業はできる。体力もある。だが今、彼女たちが不満を漏らしたように庭仕事をしているローザは一層テンションが高く、ローザの動きについていけないのだ。これはレスティカーナ達だけではなく、他の庭師達も同じだ。咲いてしまった花も摘み取らねばならないのだから役割分担としては正しいのだが、作業が早いローザは皆の何倍も仕事をしている。

 しゃきん

 膝の土を払いながら立ち上がったクラウディアは、軽く身体を伸ばし腰をさする。ふぅ、と一息吐き花で一杯になったかごを小脇に抱え、遠くを眺めて言う。

「ねぇ、レスティカーナ。この後ってアロマクラフト作業、ある?」

「もちろんあるわよぉ。虫除けスプレーとぉサシェとぉ、ローザに〝エーテル〟機械を動かして貰ってぇ、精油とフローラルウォーターも瓶詰めするしぃ」

「あ、アンリとフラウが化粧水を欲しいって言ってたから、他の皆も欲しがるはず」

 レスティカーナの言葉を遮りヘルモーサが言うと、クラウディアは疲れた顔を見せる。

「ってことはそろそろハンドクリームも必要じゃないの。今日は無理かな」

「急にどうしたのクラウディア」

「ローザにばっかり仕事させちゃってるから、どっかで休ませたかったのよ」

「あぁ、そういうことぉ。ならぁ丁度いいのがあるわぁ」

 ぽん、と小さく手を叩き合わせたレスティカーナがちょいちょいと手招きをする。クラウディアとヘルモーサは不思議そうに顔を見合わせ、そっと耳を寄せた。




 花から精油を取り出す方法はいくつか存在する。その一つが油脂の上に花を置き香料を抽出する、古くから行われている方法だ。室温で行うアンフルラージュと熱を加えるマセレーションの2種類あり、摘み取った後も香りの続くジャスミンなどはアンフルラージュで、摘み取ると香りが失われてしまうバラやネロリはマセレーションと別けられている。

 温度の差はあれど同じ工程をするこの抽出方法は、非常に時間と人手がかかる。まず、油脂に十分な量の香料を抽出させるには大量の花が必要だ。香料を吸着させる脂肪1キログラムにつき花が2―3キロは用意せねばならない。そして花一つからとれる香料も少ないため、脂肪の上に並べている花は定期的に置き換える。花の種類にもよるが、だいたい数時間ごとに花を並べ替え、この作業を一ヶ月ほど続けて油脂が完成する。この油脂をエタノールと混ぜ、香気成分と脂肪を分離させたてできた物が、求め続けた精油だ。

 手間暇かけた製法で作られた精油の質は良いが、お値段も相応だ。しかしこの方法で作った精油でなければ嫌だ、というお客様もいる。インセットでは特別注文を受けた時のみ、この方法で精油の抽出作業を行う。

 最近では〝エーテル〟機械を使った水蒸気蒸留法での精油抽出が殆どだ。大きな釜に花弁を入れて水蒸気で蒸すと精油の成分が気化し、水蒸気と共に上昇する。その精油成分が混ざった水蒸気を冷却すれば、精油成分の混ざった液体となる。精油は水に溶けず水よりも軽いので、ほぼ自動的に分離されているのだ。

 この時一緒に採れる分離された水には水溶性の芳香成分と微量の精油が残っており、芳香蒸留水と呼ばれていた。精油を作る時に一緒に採れる副産物だがアロマクラフトの基材にも、そのまま化粧水としても使える。

 水蒸気蒸留法で精油を作っている場所ではどこにでもある芳香蒸留水だが、インセットでは庭師だけで使っていた。しかし、ローザが来てからというもの機械での精油製造が増え、芳香蒸留水も沢山採れるようになる。庭師だけで使い切るのも限度があり、今ではフローラルウォーターという名前を付け、一商品として花屋に並べている。

「ローザぁ、〝エーテル〟おねがぁい。こっちはクラフトの準備しておくからぁ」

「はーい」

 大きな声で返事を返したローザは館の奥へと向かう。建物内の廊下はどこも土が落ちて蔦が茂り、廃墟そのものに見える。その廊下をローザは一人で歩いて行く。

 精油の副産物であるフローラルウォーターを商品として扱えるようになったのも、実はローザがインセットの庭師になった事が関係している。

 精油を抽出する〝エーテル〟機械は〝エーテル〟を燃料に動く機械だ。〝エーテル〟は電気と違い、いろいろな自然物質や自然現象から滲み出る物質である。空中に浮いている物や水の中にある物、植物からぽんっと弾き出る物など多岐に渡り、滲み出た物の色と性質を引き継ぐ。たとえば、火から出た〝エーテル〟は赤く触れると暖かい、黄色い花から出た〝エーテル〟は黄色く、花の香りをさせるなどだ。

 不思議な事に〝エーテル〟は誰の目にも見えるが、視覚状態は人によって差がでる。ぼんやりと見える人とはっきりと見える人に始まり、次に触れる事のできる人、そして〝エーテル〟機械を扱える人、と〝エーテル〟を扱える様になるにしたがって、人数は減っていく。さらには、触れるのも機械を扱うのもできたりできなかったりのムラがあるという。昨日はできた。さっきは動いたのに。今触れたのに、と、規則性も法則性もなく〝エーテル〟に関して個体差がある原因は未だに不明だ。

 ローザは調理場だった部屋を通り抜け地下へ降りると、食料庫だった地下倉庫へと辿り着く。通気性が良く冷暗所で大きな温度変化の無い食料庫は精油や〝エーテル〟の保管に向いていた。ローザは棚に並ぶ木箱を手に取ると中をあらためる。両手より少し大きめな宝石箱ほどの大きさの箱は中が木枠で区切られ、40のマスがあった。中には精油瓶に似たガラスの筒が10数本、マスに収まっている。

「前の残りがあるのね。うーん、全部は使わないし、半分の20追加してこの箱を持って行けばいいかな」

 ローザはもう一つの箱を開け中身を半分移動させると、急ぎ足で来た道を戻っていく。

 誰でもスイッチ一つで使用可能な電気機器と違い〝エーテル〟機械は〝エーテル〟を燃料にしている。そのため〝エーテル〟を扱える人にしか稼働する事ができない。基本的に〝エーテル〟も〝エーテル〟機械も錬金術師しか扱う事はできないと思っていいだろう。

 しかし、錬金術師になれる素質を持っている人が全員、錬金術師になるわけでもない。ローザもその一人だ。ラチェレのボスがローザを引き抜こうとしたのも、錬金術師になれる程に〝エーテル〟を扱える人が滅多に居ないせいでもある。とはいえ、素質はあっても〝エーテル〟について学んでいるわけではないローザはそこら辺にある〝エーテル〟を集める事も、それを使って〝エーテル〟機械を稼働する事も不可能だ。

 ローザの様に素質のある人、ムラがあっても多少なりとも扱える人は皆〝エーテル〟筒という〝エーテル〟を閉じ込めた筒を使う。電気を閉じ込めた乾電池と同じく〝エーテル〟を閉じ込めた筒だ。多くの〝エーテル〟機械はこの〝エーテル〟筒を使い、稼働する。

 錬金術師以外でも〝エーテル〟を比較的簡単に使えるよう作られた〝エーテル〟筒は、透明な筒の上下に金属製の蓋が固定され、その姿も乾電池と酷似している。乾電池と違うのは、筒の中で眠っている〝エーテル〟を起こさなければ使えない事だ。

「あ~。ラベンダーの良い香り。やっぱり夏はラベンダーよね~。ミントもユーカリも好きだけど」

 部屋に入るなり大きく深呼吸をしたローザはうっとりとした顔で言う。

 ローザがやってきたのは一階の中央付近、かつては大食堂、サロンといった多くの人が集まる部屋が並んでいた場所だった。精油を取り出す水蒸気蒸留装置はそれなりに大きく場所を取るし、熱も放出する。そのため、大きな部屋の集まっていた所の壁をぶち抜き、広間に変えた。住むわけではないからこそできた荒技だ。

 燃料蓋を開けたローザは足下に箱を置き〝エーテル〟筒を一つ取り出す。一見すると何も入っていないガラスの筒だが、この中に〝エーテル〟は閉じ込められているのだ。自然物質から滲み出て人の目に見える状態になった〝エーテル〟は色を持ち、発光している。錬金術師がこの筒に閉じ込めると〝エーテル〟は元の場所に戻ったと思うのか、色や発光が次第に弱まり、眠りにつくという。

「さ、起きてちょうだい。ラベンダーの精油をいっぱいつくりましょう」

 筒に語りかけながら、ローザはガラスの部分を爪先でこつこつと叩く。すると透明だったガラス筒の中にぼんやりとした赤い色がちらちらと浮かび出す。ぷくぷくと泡立つように赤い色は増え、〝エーテル〟筒はあっというまに赤に満たされ、僅かに発光する。

「よし。おはよう。じゃぁお願いね」

 無事に〝エーテル〟を起こしたローザは〝エーテル〟筒を機械の中に入れると蓋を閉め、次の機会へと向かった。








 小さな鈴を幾つもならしているような音に導かれるように、ローザが作業部屋に入る。部屋の中央には大食堂に置かれていた細長いテーブルが置かれ、白いテーブルクロスの上には沢山のガラス容器や箱が並ぶ。レスティカーナ達は向かい合って席に着き、ちょっとした会話を交えながらアロマクラフトの作業を行っている。ガラスの触れ合う音が絶えないその部屋は花の香りで満たされていた。

「レスティカーナ、全部稼働してきたわよ」

「はぁい、ありがとぉねぇ。じゃぁハンドクリーム作るからぁミツロウを計っておいてくれるぅ?」

「いいわよ。シベール、コーデリア、こっち側の机半分、使わせて貰うわね」

「いいよー。あ、ローザ、ついでに化粧水の瓶お願い」

「コーデリアのもー」

「はいはーい」

 気持ち良い返事を返したローザは手をひらひらとさせながら壁際に並ぶ棚へと向かう。

 アロマクラフトにはいろいろな器材が必要である。精油や精製水、オイル等の材料とそれらを計る計量器、混ぜ合わせる硝子棒にビーカー、できあがった物を入れる容器類。

 以前は書庫だったというこの作業部屋は壁一面に本棚が置かれており、今は書籍の代わりに多くの器材が並んでいる。

 ローザは立てかけてあるトレイを空いている場所に置くと、その上に天秤ばかりと分銅箱を乗せ、棚に並ぶ器材に視線を廻らせながら5つ隣の棚前まで移動する。小さな木箱がずらりと並ぶ中から、ローザは迷いもせず2種類の箱を重ねて持ち上げた。1つは化粧水瓶、もう1つは小さいビーカーが入った箱である。トレイの置いてある棚に戻る途中、ローザは小さめの袋が並ぶ棚の前で足を止め、ミツロウ袋を1つ取ると箱の上に乗せ、また歩き出す。

 最初の棚へと戻ってきたローザは持ってきた物を棚の空いているところに置くと、箱の上に乗せたミツロウ袋をトレイの上へと移した。落とさないよう置いた物の位置を調節し、トレイを両手で持ち上げると箱の上に乗せなおす。これで無駄に往復せず、必要な物を一度で運び終わらせる事ができると、ローザは満足そうに頷いた。

 ふと、ローザは何かを思い出したように振り返る。

「ラベルはあるー?」

「「なーい」」

「シベールもコーデリアも自信満々に答えないでよ~」

 苦笑するローザにつられ皆の笑い声があがる。ラベルの入った箱をトレイに置きローザが作業台へと戻ると、

「「ローザありがとー」」

 2人が綺麗に声を揃えて礼を言う。作業部屋にはまた笑いが溢れる。庭師の中で最年少のシベールとコーデリアはいつも2人一緒に行動している。髪留めのリボンもハンカチもお揃いで、今も同じ化粧水作りをやっていた。ローザはビーカーの箱をテーブルの中程に、手前に天秤ばかりを置きながら2人に話しかける。

「化粧水も随分作っているのね、それは何の精油いれたの?」

「えっとね、あたしのはグレープフルーツとレモンとジュニパーで」

「コーデリアのはグレープフルーツとレモンと、ペパーミント」

 化粧水を硝子棒でかちゃかちゃと混ぜながら2人が応える間に、ローザはミツロウの袋を開け分量を量ってビーカーに入れる。

「夏向きのさっぱりした香りね」

「「おなかすく~」」

「そうねぇ、どっちも果実の美味しそうな香りですものねぇ~」

「じゃぁ間違えないようにラベルを書いてから入れた方が良いかもしれないわね」

「「そうする~」」

 そう応えると、2人は化粧水の入ったビーカーを倒さないよう、机の真ん中へと避け、ラベルの記入にとりかかった。

「シベールもコーデリアもゆっくりでいいから綺麗に書きなさいよ。ローザ、虫除けスプレーの配合なんだけど、ヴァクトマイステル夫人のは決まってた?」

「ヴァクトマイステル夫人?」

 クラウディアの問いかけにローザは手を止めて考える。

「ほら、パヴォーネの若奥様よ。南の方から来たっていう」

「あぁあぁ、ライラ様ね。あの方はシトロネラとジュニパーとティートゥリーのはず。スパイシーな香りがお好きだから」

「スパイシーな方だったのね、ありがとう。危ないところだった」

「なに、どんな配合しようとしたの?」

「シトロネラとユーカリとレモン」

 精油のブレンドを聞き、ローザの顔がじわじわと顰められていく。

「……なんというか、真夏の日差しで焼けてるレンガやコンクリートの臭いが想像できたんだけど」

「普通と違う刺激的な香りが好きだったのは覚えてたのよ」

 酷く顔を顰めて言うローザだが、クラウディアには至極真面目な顔で返されてしまう。あながち間違ってはいない認識にローザはつい納得してしまう。

「でねローザ。悪いんだけどこの虫除けスプレー、後でお届けしてくれる? お屋敷の方まで」

「いいわよ」

「ありがと。あの奥様、どうも苦手で」

 クラウディアが肩を竦め笑うと、ヘルモーサが立ち上がり声をかけてくる。

「あ、クラウディアー、そこのドライハーブお願い」

「1箱?」

「あ、文字間違えた」

「うん、サシェに入れる分」

「う~ん。リボンどっちがいいかしらぁ」

「レモンのパウンドケーキかショートブレッドたべたい」

「やめてコーデリアおなかなっちゃう」

 思い思いの言葉を口にしながらも、作業の音は止まらない。サシェは小さな巾着袋にドライハーブを入れ、口をリボンで結ぶだけ。化粧水も好きな香りの精油とエタノールを混ぜ合わせ、精製水で薄めるだけの簡単な工程だ。天秤ばかりの軽量は少々気を使うが、ローザは幼い頃からやっていて手慣れており、他愛もない話を交わしながら作業ができる。昔から1人で黙々とやっていたため、誰かとこうして話ながら作業をする時間が、ローザはとても新鮮で嬉しい。

「レスティカーナ、ミツロウ一箱分作ったけど」

「あらぁ、そうねぇ、もう少しかかりそうだしぃ、もう一箱お願いできるかしらぁ?」

「もちろん、いいわよ」

 ローザはミツロウを入れ終わったビーカーの並ぶ箱を邪魔にならない場所へ避け、もう一つ箱を取ってくる。

 ミツロウとは蜜蜂の巣を固めている物だ。黄色く、そのままでは蝋と同じで硬いが熱を加えればとろりと溶け、冷めるとまた固まる。

 化粧水などの混ぜるだけの物と違い、ミツロウは火を使う。火から下ろすと直ぐに固まってしまうため、固まる前に精油と混ぜ合わせねばならず、作業は手早く行わなければならない。他にも火を使って固形オイルを溶かす事もあるが、危険を考えて火を扱うアロマクラフトは必ず、机の上を広くとり、他の作業と同時に行わずそれだけで行うようにしている。

 ローザがもう一箱ビーカーを持ってくると、次の化粧水を混ぜ始めたシベールとコーデリアが目を輝かせて話しかけてくる。

「ねぇねぇ、ローザ」

「なぁに?」

「ベルナルドとはどうなったの? どうなったの?」

「なったのー?」

「なにもないわよ」

「「えええええーーーーーーー」」

「えーって何よぉ。ちょっとクラウディアとヘルモーサなにその顔は」

 物凄く残念そうな顔のシベールとコーデリアに比べ、クラウディアとヘルモーサの表情は明らかに「嘘でしょう」「ありえない」と言っている。

「何も起きるわけないし、今後も何も変らないわよ」

「ローザったらぁ、それはちょっとぉ哀しくなぁいぃ?」

「レスティカーナまで」

「だぁってぇ~」

「はぁ、みんなほんっと、好きね。恋愛話」

 ローザが溜息交じりに言うとヘルモーサは苦笑する。

「あのベルナルドが何年も通ってるのに傾かないの? 全く? 全然?」

「傾くもなにも、ベルナルドはダメだ止めておけって言ったのヘルモーサじゃない」

「それは昔の事じゃないのよ。だってあのベルナルドだもの。最初は警戒するでしょう?」

「そうそう」

 かさかさと、サシェに詰め込まれるドライフラワーの音がする。その音すら、ローザをはやし立てる笑い声のようだ。

「そのベルナルドが本当に何も企んでないなんてわからないじゃない? それに、あたしはここでお花を育てられたらそれでいいのよ」

「「えぇぇぇ。もったいない」」

 幼い少女2人にまで言われ、ローザは困り切った顔になる。

「えぇと、あ、クラウディアもう虫除けスプレーできたのね、レスティカーナ、あたしこれ届けてくるわ!」

 言うや否や、ローザはミツロウの袋をしっかりと閉じて棚に戻し、カゴを手にして足早に歩き出す。通りがかりにクラウディアの前にあったボトルをカゴにいれ、気がつけばもう扉の側で帽子を手に取っていた。

「ちょ、ちょっとローザまだ詳しい話を聞いてない」

「何もないから語れないわよ、いってきまーす」

「あぁ、えぇ、いってらっしゃぁい」

 伸ばされた手がひらひらと振られ、レスティカーナたちは呆然とローザを見送った。

「あれは、意外と脈有り?」

「じゃないのぉ? だって2年よぉ? 2年」

「あの美貌だしねぇ」

「「くっつく? くっつく? けっこんする?」」

「ローザが幸せになるならぁ、それもいいと思うのよねぇ」

 レスティカーナの言葉に、4人はしっかりと頷いた。



 用事が無い限り訪れる事のない高級住宅街はしんと静まりかえっている。メインストリートの様な交通量もなく、人の賑やかさとは縁遠いこの場所はいつも穏やかな雰囲気なのだが……。

「なにかしら? この、なんともいえない違和感」

 静かなだけだ。数える程しか訪れていない住宅街だが、それなのに、何かが違う。何か、はわからない。だが、どこかおかしい。

「人がいないから? ううん、この辺りの人はそんなに出歩かない。車も馬車も見当たらないけれど、通るとしても夜だわ。ここの人達なら尚更」

 妙な胸騒ぎに襲われ、ローザは足早に道を行く。

 その時、ふと、車道の向こうに人影を見つけローザはぱっと顔を動かした。人がいる、その事を確認して安心感を得たかったのだろう。

「……ベルナルド?」

 大きなお屋敷とお屋敷の間。槍のような柵の並ぶレンガ塀に寄りかかる男は、間違いなくベルナルドだった。帽子をかぶり、だらしない姿勢で塀にもたれ、片膝を曲げて塀を蹴るように足裏を付けている。

「なに、かしら」

 ただでさえそわそわと落ち着かない時に、らしくないベルナルドの姿はローザの心を大きく乱した。遠くから見ても解るほどに荒み、刺々しく感じる人など、初めて見た。無論、そのようなベルナルドを見るのも、初めてだ。

 ふっと、ベルナルドの頭があがる。

「口元が動いている、誰か、あの影にでもいるのかし…………ら」

 横を向いたベルナルドの表情と暗闇が少し垣間見え、ローザはぞくりとした寒気を感じた。視線はベルナルドから話せないまま、ローザはそうっと後ずさり、その場から離れる。

「何、あれ。なにあれ。なにあれ」

 階段を降りている時に段差を勘違いした時のような、包丁を落としてしまった時に感じたような、突き抜けるような寒気に、ローザの頭の中は混乱していた。

「いや、見間違いよ。遠かったし、暗がりだったからよ」

 暗闇に、入りきる筈の無い複数の男女の顔が見えたのも。

 ベルナルドの視線が、戦場の兵士の様に見えたのも。

「気のせい、気のせい」

 カゴをぎゅっと抱きしめ、ローザは自分に言い聞かせるように何度も呟きながら走って行った。


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