アネモネと教会で
しとしとと雨の降る中を一台の荷馬車が行く。朝から降り続ける雨粒は細く小さいものだが、荷馬車の幌もレインコートも濡らすには十分な雨量だ。舗装路にも小さな水溜まりがあちこちにあり、薄暗いせいか〝エーテル〟燈も灯りが灯っている。
「雨も好きだけど、お出かけの時には遠慮してもらいたいわね。髪が収まらなくてやになっちゃう」
手綱を片手に持ちレインコートのフードを少し持ち上げたローザは、分厚い濃灰雲に覆われた空を見上げ溜息を漏らす。持ち上げられたフードからくるんとまるまった前髪が飛び出し、毛先から水滴がぽたりと落ちた。
「お山もすっかりかくれちゃって。帰り大丈夫かしら。雨が酷くなってないといいんだけれども」
雨の日はローザの赤毛がくるくるとうねりを上げる。普段でも髪量が多くもっふりとしているのに、雨の日は更に大きく膨れあがるため、雨の日に布やスカーフで押さえ込むのだけはマンマレジーナも認めている。それだけ、もっふもふになるのだ。頭髪の分があるため、ローザのレインコートは男性用の大きなサイズだ。そうでなければフードの中に頭が収まりきらない。ローザの体躯は小さめなので全身が隠れ、濡れることはないのだが、夏特有のじめっとした感触が内側に籠もる。かといってレインコートを動かし空気を入れ換えれば水に濡れてしまう。
「何事もうまくいかないものよねぇ」
溜息交じりに愚痴を零し、ローザは手綱を持ち直す。
雨の日は外出する人が少ないせいもあってか、ローザはここまで誰にも会っていない。いつもなら見晴らしのよい一本道も、今日は見通しが悪く、向こうから誰かが来るような影もない。
しとしと ぱちゃばちゃ ことこと
雨音と荷馬車の車輪音と、水の跳ねる音だけが耳に届く。とても静かな時間にローザは改めて、あの街の豊かさと重要性を改めて思い知る。
「はー。やっぱり、すごいのよねぇ。この街もマフィアも。つくづく場違いだと思うわ。あたし」
郊外でも綺麗な舗装路が続くのは、ここもあの街の領地だという証拠だ。
ローザの故郷は西方の小さな国、生まれ育った村はそのさらに奥地にあった。国も故郷の村も田舎だと自覚はしていたが、この街に比べたらド田舎だ。なにせ国で一番大きな街にも電気は通ってなく、綺麗に舗装された道もない。国を治める王様の所にたった一つあった〝エーテル〟燈も、〝エーテル〟が手に入らなくて飾ってあるだけの物でという貧乏っぷり。本当に貧しく小さな国であった。
比べ、この街はどこの国にも属していないのに街全体に電気が通っている。敷地内の道路は全て綺麗に舗装され、街中はガス燈と〝エーテル〟燈が並び、馬車と車が行き交う。正式な街の名前もなく、しかし、どの国の地図にも載っているこの不思議な街の事は遠い異国の地で育ったローザも知っていた。だが、正直にいえば大人達の嘘か夢物語か、ただのおとぎ話だと思っていたくらいだ。
「マフィアが作り、マフィアが統治する、魔女に護られた〝魔女の街〟。本当でも嘘でも、ここで生きる以上は受け入れているつもりだけど、生活基準が違い過ぎたのは衝撃的だったというか、ショックよね」
ローザの故郷は小国だが資源が豊富だった為、時々、小競り合いの様な戦争が起きる国であった。幸い大きな争いに発展する事はなく、ローザの村まで被害が及ぶことは無かったが、それでも、いつ何が起きて戦争になるか解らない。故郷からこの街へと来る途中に幾つもの国を越えてきたのだが、戦争中の国もあったし、停戦協定を結んでいる途中の国もあった。もちろん、平和な国も通過したのだが、この街ほど豊かな国は無かったように思う。
「道というよりもただの獣道だったし、轍くっきりで曲がれなくなるとか、荷馬車がぐらんぐらん揺れて乗ってられない時だってしょっちゅうあったのに。この舗装路の静かな事ったら。あたし寝れられるわよ」
始めて乗る列車や鉄道の長旅も新しい事ばかりで身体より目や頭が疲れたくらいだ。ふと、ローザはマンマレジーナがこの街をガラス細工の街だと言っていた事を思い出す。
『この街はとても綺麗で美しいでしょう? だから誰も手を出さないの。だってそこにあるだけで美しい物は心を満足させるものよ。周辺諸国が本気で壊そうとすれば一瞬で壊れてしまうでしょうね。けれども、手を出した相手もタダではすまないわ。ガラス細工の様に脆いとわかっていても、自分も痛手を負うからそう簡単には手を出さない。だからこの街は魔女に護られているとも言われているわ』
「ここに3年間住んで、やっと本当の意味がわかったかも。ガラスを壊せば手も切れてしまう。〝魔女の街〟もマフィアもやり返すって意味なんだと思ってたけれど、違うのよね。この街は完全に周辺諸国の心臓部を支えている。ううん、周辺だけじゃ無い、色んな国の心臓部を担っていた」
今では完全な中立地帯を保っている〝魔女の街〟も、古くは戦渦に巻き込まれていたという。山頂に万年雪を冠むる山々の麓にあり、幾つかの国に囲まれた〝魔女の街〟は国々の争いに何度も巻き込まれ続けた。朝日が昇ると同時に属する国が変わったと思えば、昼過ぎにはまた他国の物になる。国が変わる度に街の名前も変えられ続け、忙しない時を過ごし続けるこの街に住む人々が国への思いも街の名前にも興味がなくなっていくのに、そう年月はかからなかったのだろうと想像に難くない。
街の名も変るが街を囲む国々の増減も激しく、戦争は頻繁に起きる。それでも、この〝魔女の街〟が街として機能し続けていたのはやはり、魔女の加護があるからだと言われていた。
完全に破壊されない町には当然、人がいる。人がいれば生活せねばならない。故に資材や資源が集まり、僅かでも復興が進められるのだが、〝魔女の街〟では復興らしい復興はあまりされなかった。
国が変わるということは、街の基準も変ってしまう。いつ国が変わるか解らない〝魔女の街〟では、建物一つ安易に作るのは躊躇われ、ただ、資材が山と積まれる。国からの指示を待てと言われたまま、指示が来る前に国が変わった事もある。そうなれば〝魔女の街〟にある資材は、新たな国の物だ。
それも狙っていたのか、国々はこぞって〝魔女の街〟を奪い合う。国と国の戦争が繰り返され〝魔女の街〟を奪うことで他国の資材を手に入れていた国々は、次第に〝魔女の街〟を経由し、こっそりと品々を交換するようになった。
秘密の貿易、即ち密輸である。
「壊してちょっと奪うより買った方が楽だしいっぱい手に入る。理に適ってるといえばそうなのだけど、敵国から手に入れた物で敵国を襲っているのよね? それで戦争するのって、どうなのかしら……。でも、それがあったからこそ、今の〝魔女の街〟とマフィアがいる」
物流を取り持っていたマフィア達を中心に〝魔女の街〟は繁栄を続け、今の街がある。インセットは〝魔女の街〟ができた後に創設されたマフィアチームだが、それでも、かなり古い。女という花を売り、街の内外に花を添える。インセットも〝魔女の街〟でかなりの影響力を持つ。
そんなチームにローザは招かれたのだ。
「あー。ダメ。一人でいるとどうしても変なことばっかり考えちゃう。それも雨の森の中なのがもっと悪い。ホームシックになってんのかしら」
頭を横に振り水しぶきを辺りに飛び散らせる。ローザはフードを持ち上げ遠くを見るが、辺りは雨雲が広がるばかりだ。魔女が住んでいたという山も、分厚い雲に隠されている。
他の誰でもない、インセットのボスマンマレジーナが西の果ての田舎村まで何度も来てローザを誘った。その事実はローザの自信でも有り、不安でもある。
「やめやめ。あたしはあたしにできることしかできないんだってば。後悔はしてない。マンマレジーナは約束を護ってくれたんだもの。あたしは、一人で大丈夫」
瞬きを一つ、ローザはフードを被り直し手綱をしっかりと握りしめると、真っ直ぐに前を見据えた。
色んな国の人が集う〝魔女の街〟には大小様々な宗教施設がある。マフィアになる様なヤツらでも国は捨てられても信仰を捨てる事はできない者が多いらしい。〝魔女の街〟では信仰も自由であり、魔女を信じていない者も多くいるが、ソレによって大きな争いが起きたことはないという。皆が譲り合っているのか、それとも大きくなる前に消されているのか、ローザはあまり深く考えないようにしている。
高級娼婦館を商うインセットにも様々な国の娘が集まっており、宗教施設とも親しくしている。マンマレジーナの娘達はその仕事上、施設を訪れれば門前払いされるか、最悪の場合、命を奪われかねないところもある。だが〝魔女の街〟ではそのような危険はない。この〝魔女の街〟に流れてくるような人間が他人の事をどうこう言える立場ではないのだ。
その恩恵を受けてか、インセットは多くの寄付金を贈っている。最近では寄付金とは別に、孤児院施設のある場所で花を育てて貰い、それを買い取る様にもしていた。
心に傷を負っている者も花を育てていれば、自然と心が落ち着いていく。ゆっくりと時間をかけ、逞しく育つ草花に生きる喜びを見出し、仕事をさせ食事を与える事で人らしくなっていくという。腕の良い子は庭師としての口利きもできるし、真面目であれば他の仕事も与えてやれる。
マンマレジーナの娘の多くは孤児か、親に売られてしまった娘達が多い。一人でも生きていける様にというマンマレジーナの考えはローザも深く共感している。
この雨の中ローザが荷馬車で出掛けているのも、施設を廻り花を買い取る為だったのだが、この天気だ。折角の花もダメになってしまう。今日は予定通り全ての施設を訪れ、後日受け取りに来るという言伝をして廻っているだけになっている。
ローザが最後にやってきたのは国境の少し手前にある教会だった。この教会は〝魔女の街〟一番古く、神と魔女を崇めている。街の人はあまり訪れない様だが、国境を越えてやってくる行き場の無い人は多く訪れるという。
ローザの馬車に気がついたのだろう、教会に勤める見習いのシスターが2人、馬車小屋の扉を開けローザの荷馬車を迎え入れてくれた。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえいえ、こんな天気にご苦労様で……」
馬車小屋の戸を閉める途中、外が大きく光り雷鳴が轟いた。ローザ達の悲鳴すらかき消す轟音に三人は耳を塞ぎ身体を縮こまらせる。ごろごろという音に続き豪雨の音が強まり、ローザは呆けた顔で外を見る。目に見える大きな滴が地面に打ち付けられ白く跳ねる。バケツをひっくり返したようなという表現も生易しい、びしゃびしゃと跳ねる雨の音は建物を覆い尽くす。
「間一髪だわ。ああ、良かった。小屋に入っていて」
「ほんとうに、急にすごい雨ですわね。タオルをどうぞ。馬の水は拭っておきますから、どうぞ中へ。シスターがお待ちです」
「いつもありがとうございます。助かります」
濡れたレインコートを預け、代わりに差し出されたタオルを受取ったローザは簡単に水気を拭うと建物の中へと進む。
ぼだぼだという雨音は凄まじく、窓ガラスには止めどなく水が流れ続ける為、外を見る事はできない。雨水に濡れた窓は僅かに輝き、薄暗い廊下を照らす。滝下の洞窟にでも入ったような音を聞きながら、ローザは一人廊下を歩き、いつもの部屋をノックした。少しして、扉が開かれる。小柄な老婆のシスターがほっとするような微笑みを浮かべていた。
「あぁ、やっぱりノックされていたのね。こんにちはローザ。どうぞ、中にお入りになって」
「こんにちはシスター。もしかしてノックの音聞こえませんでしたか?」
「えぇえぇ。雨の音にかき消されてしまったようですね。どうぞ、お座りになって。丁度お茶を入れてきたところだったの。すれ違わなくってよかったわ」
席を勧められ、ローザは小さなソファーに腰掛ける。白い湯気の立ち上る紅茶がテーブルに置かれると、ローザは両手でカップを持ち上げた。
「ありがとうございます。あぁ、暖かい。はぁ~」
紅茶に口を付けたローザは満面の笑顔を見せほうっと息を吐く。その姿を見てシスターも優しく頬笑む。
「夏の雨とはいえ、寒かったでしょう」
「はい、自分が思っていたより冷えきっていたようです。ほっとしました」
「電話でもしてくださればよかったのに」
「こんなに土砂降りになると思わなかったもので。小雨だったらお花の様子も見てみたかったものですから」
「ローザは本当にお花が好きね」
「はい」
この教会を取り仕切っているシスターは〝魔女の街〟でも有数の古株らしい。国境付近にあるこの教会に逃げ込んだ人はシスターの世話になってから〝魔女の街〟の一員になるし、〝魔女の街〟で生まれ育った人は、子供の頃から知っている穏やかで優しいシスターだ。大人になり、名のあるマフィアになっても、シスターには頭が上がらない人達も多いという。
そちら方面には名の知れた御人らしく、この教会には多くの人が出入りしていた。馬車小屋の戸を開けてくれた見習いを始め、わざわざシスターの元で学びたいという司祭や牧師や、この教会に逃げ込み、シスターに憧れて神に仕える事を志した少女。多くの人が訪れては巣立ち、また新たに人が訪れ続けているこの教会が救った人は数知れぬ。
マフィアには属していないが、マフィアに顔が利く。一部では裏のボスだのマフィアを統括しているだの、シスターこそが魔女だという軽口も囁かれている。当然、シスターは普通の女性で、魔女ではない。
激しい雨音が室内に満ち、話もままならない。水が流れ続けている窓を眺め、ローザは少し声を張り上げてシスターに言う。
「シスター、雨が落ち着くまで礼拝堂にいてもいいですか?」
「勿論ですよ。ゆっくりしていってちょうだいね」
「ありがとうございます」
二人はただ、雨音の中で静かに紅茶を楽しんだ。
ローザが礼拝堂の扉を開けると、足下から独特な香料の臭いが広がった。扉を閉めながら、ローザは辺りを見渡し、すん、と鼻を鳴らす。ムスクにも似たスモーキーで甘い残り香が控えめにする。
「雨のせいかしら、ミルラの香りが薄いような気がするけれど、あ、今日はお香を焚いていないのね」
いつもなら聖杯を模した大きな土台の上でお香が焚かれ白煙が立ち上っているのだが、今はそれも無いようだ。よくよく見れば壁に並ぶ燭台の蝋燭も火が付いていない。時折強く吹く風に窓や戸が音を立てて震え、ローザの足下を冷たい空気が通り抜ける。きっとすきま風で蝋燭の灯も消えてしまったのだろう。ローザは納得したように一つ頷き、石畳の上を歩きだす。
ざあざあと降りしきる雨の音しかしない礼拝堂はしんと静まりかえっている。灯りの無い礼拝堂は薄暗く、雨の降る外の方が明るいらしい。きらきらと輝くステンドグラスを眺め、ローザはゆっくりと進む。
「魔女と騎士の物語……。どこの教会にもこのお話のステンドグラスはあるけれど、ここは特別大きなステンドグラスね。やっぱり、ここが〝魔女の街〟だからかしら」
「そうだよ」
突然、礼拝堂の奥から人の声が聞こえる。誰も居ないと思っていたローザは驚きに声も上げられないまま大きく飛び跳ね、声のした方を見る。
薄暗い闇の中に人影を見た瞬間、カッと雷が光った。色鮮やかなステンドグラスの色影が大きく広がる。その中央に、その人はいた。短く切りそろえた黒髪と、同じ色の瞳は真っ直ぐにローザへと向けられている。ぼうっとローザが視線を送っているとまた、雷が光り、もう一度その人を鮮明に浮き上がらせた。
偶然だ、とローザは心の中で呟く。偶然、そこに人がいて、その人にステンドグラスの影が重なっただけの、見間違い。そうだと思っていても、ローザの唇からその言葉はこぼれ落ちた。
「魔女……」
ローザの言葉は思いの外大きく響き、彼は不思議そうに首を傾げた。その仕草にはっとし、ローザは我に返る。
「ご、ごめんなさいメル。誰もいないと思ってびっくりしちゃって、その」
名を呼ばれたメルはキャスケット帽子を頭に乗せながら、ローザの元へゆっくりと歩み寄ってくる。メルはあのラチェレのボスと一緒に花屋へ来てくれる東洋の少年だ。一人で買い物に来た時はよくローザと話し込んでしまい、迎えが来た事もある。
「ううん。ボクも驚かせた。ごめん。てっきり、ローザもボクに、気がついてると思ってた」
「いいのいいの。あたしも気がつかなくってごめんなさい。帽子がなかったからかしら? でも、メルが帽子を取っているなんて珍しいわね。なにかしていたの?」
キャスケット帽子を被りなおすメルの姿に、ローザが問いかける。
「うん。奥の〝エーテル〟機械の点検。ローザは?」
「あたしは、今は雨宿り。お花の回収だったんだけど、この雨でしょ。言伝だけして帰るつもりが足止めになっちゃって」
「そう」
メルが短く応えると、礼拝堂は雨音に包まれた。この物静かな少年と話している時、ローザは水中にいる様な、ゆったりとした気持ちになる。シスターとはまた違う、一緒にいるだけで時間を忘れる心地よさを与えてくれる不思議な少年。時々、思い出したように他愛も無い事を話す花屋での時間をローザはとても楽しみにしている。花屋に長居をしてくれるメルも、きっとその時間を楽しんでくれていると思うが、こうして外でゆっくりと会うのは始めてではないだろうか。
「ローザは、知ってる?」
静かな声で問われローザが顔を上げると、メルは窓を見上げていた。つられ、ローザもそちらを見れば、水に濡れたステンドグラスがきらきらと光っている。互いの顔を見つめ合い両手を取り合う、魔女と騎士のステンドグラスだ。これについて聞いているんだろうと思い当たり、ローザは口を開く。
「何を? あぁ、この魔女と騎士のお話?」
「うん」
「もちろん、知っているわ。囚われの魔女を騎士が助けて、そして二人は結ばれた。でしょう?」
「そう。そして、その出来事の場所が、ここ」
「え?」
ローザが驚きの声をあげメルを振り向くと、メルはゆっくりと顔をローザへと向けながらこう続ける。
「正しくは、山の奥深く、なんだけど。世界中に〝エーテル〟を残していった、最後の魔女のいたお城がね、山の奥に今もあるんだ。このステンドグラスの魔女は、その、最後の魔女。すぐ側だから、ここの教会は魔女の姿を大きくしてるんだよ」
余り抑揚のない穏やかな声で言う。少しの間を開け、ローザはやっとメルがローザの疑問に答えてくれたのだと理解する。
「そっか。すぐそこなのね。それじゃぁ、こんなに大きく綺麗なステンドグラスにするのも解るわ。教えてくれてありがとう、メル」
ローザがにっこりと笑い礼を言うと、メルも嬉しそうな微笑みを見せた。
さぁさぁと、小さな雨粒が大量に落ちている音を聞きながら、ローザとメルはまたステンドグラスの魔女を見上げる。
「ローザは、信じる?」
「何を?」
今度は何について聞いているのか解らず、ローザはメルへと顔を向け素直に問い返す。メルはステンドグラスを見上げたまま言う。
「神様と魔女」
「んーーーー。そうねぇ、いるんじゃないかな、とは思うけれど、メルほど信じてはいないと思うわ」
ローザの返答が不思議だったのか、メルはローザに顔を向け続けて問う。「何故?」
「会ったことがないからね」
「不思議だね」
「そう?」
ぴかぴかと窓の外が光り、ステンドグラスの色がメルとローザに降り注ぐ。 遠くで雷の音がした。
「うん。ボクが聞いた人達は、居ないと思うから信じない、って答えの人ばかりだった。ローザはどうして、信じていないのにいると思うの?」
「あぁ、えぇと、ごめんねメル。あたし、勘違いしてたわ。メルは今、居るかどうかを信じるか、って意味で聞いていたのね。それだったら、あたしは居るって信じている、になるとおもうわ。さっきの、あたしの信じる、は相手を信じられるかどうか、って意味なの」
「相手を?」
ローザは指先に自分の髪を巻き付け、言葉を探す。うんうんと唸りながら考え込むのに合わせ、くるくると巻かれた赤毛が暗闇の中で踊る。
「うん。えぇとね、なんて言えばいいのかな。神様も魔女も、どんな形かはわからないけれども、多分どっかにいるんじゃないかな? とは思うのよ。でもね、あたしはメルみたいに、ううんと、なんていうのかしら。神様と魔女を居るって信じて信頼して何かを託したり願ったり、はできないかなって」
「それが、会ったことがないから?」
「そう。メルとは何回も会って、こうしてお話できるから信じられるのよ」
「ありがとう。嬉しい」
感謝の言葉を言われ、ローザの口元が自然とほころぶ。
「ふふ。でもね、出会っても信頼できない人は沢山いるわ。あたしはまだあの街に来たばかりで、花屋のお客様くらいしか知らない。その少ない中でも、仲良くなれそうもないかなって人はいるもの。だから、会ったこともない神様と魔女を信じる事はできないかなって」
「そっか」
「会ってみたいなーとも、ちょっと思わないからねぇ」
「会いたくない?」
メルの声が少し哀しそうに聞こえ、ローザはまた指先に髪を巻き付けながら考え込む。
「んんんん、会いたくない、というより、自分から捜して会いたい! じゃないってところかな。偶然の出会いは嬉しいと思うけど。神様も魔女もすごい人でしょ? あたしきっと頼って、頼りすぎてダメになっちゃいそうなんだもの」
「ローザは、そんな事無いと思うけど。がんばり屋さんだし」
「そう? そうだったら嬉しいなー。でもね~。こう、弱ってる時とか、誰かに優しくされたかったり、甘えたい時に側にいてくれそうじゃない、神様とか魔女って。きっとあたしはこてんって寄りかかっちゃうわ。うん、やっぱり、自分から会いに行こうとは思わないかな」
「会っていたら?」
「え、もう? 〝魔女の街〟のどこかで?」
「うん」
こっくりと頷かれ、ローザはまた考え込む。くるくる、くるくると指先に赤毛を巻き付け続けるその仕草を、メルは興味深そうに見つめていた。
「そう、ねぇ。お客様なら『いつもご利用ありがとうございます。今後ともご贔屓に』ってところでしょうし、メルみたいにお友達なら、今のままでいい、かな? うん。神様や魔女って知らない今と同じままなら、きっと、大丈夫だと思う」
言い終えたローザはぱっと手を開き、指先から赤毛を離す。
「ローザは、強いね」
「負けず嫌いで頑固な可愛げの無い女だって田舎でも良く言われたわ。自分の事は自分でなんとかしたいだけなんだけどね」
「ローザは可愛いよ」
首を傾げ、心底不思議そうに言うメルにローザは小さく吹き出す。
「ありがとう、メルも可愛い……は、男の子にはダメかな?」
「ううん。ボスにもよく可愛いって言われるから、平気」
「ふふふ、そういえば、花屋でもよく可愛いって言われてたわね。メルはとっても可愛いわ」
「うん。ローザも可愛い」
お互いを褒め合い、2人はくすくすと楽しそうに笑う。
「あ、あのね。ローザ。気になったんだけど、聞いてもいい?」
「え、なに?」
メルは人差し指をぴんと立てくるくると円を描く。
「髪の毛くるくる、考えてる時いつもするの?」
「ああ、うん。小さい頃から考えてる時はくるくる巻いてたらしくってね。気がついたら癖になっちゃったみたい」
「そうなんだ。ボクは短いからできないな」
「メルは何かある? ついやっちゃう事」
「ん。怒られた時にこう、ぎゅってしちゃうかな」
言いながら、メルはキャスケット帽子を両手で掴むと引っ張り、顔を隠す。その仕草が可愛らしく、ローザはまた笑い声を漏らす。
「あはは、以外。メルでも怒られる時があるのね」
「あるよ。怒ったらラファエレが一番怖い」
「ミケーレじゃなくって?」
「ミケーレは怒っても、いつもと変らないから。ラファエレは怒ると無口になるから、怖い」
「あぁ……」
メルの言葉を聞きながら、ローザは花屋に来た時のミケーレとラファエレの事を思い出す。確かに、いつも冷たい視線で口数の少ないミケーレよりも、賑やかでぺらぺらと喋っているラファエレが何も言わない方が、威圧感がありそうだ。
ローザの顔を覗き込み、メルが同意を求めるように笑い、ローザもまた、笑顔のまま頷いた。
ぴかぴかと雷が光り、雷鳴が聞こえる。豪雨の止む気配が全くしない中、ローザとメルは身体をくっつけて木椅子に座った。雨や風の音に耳を傾け、時折、顔を寄せて言葉を交わす。
ぴかりと光った雷鳴に照らされ、ローザは床に伸びた影に目を奪われる。窓枠の中に伸びた影の上にステンドグラスの色が重なり、ローザはメルを魔女と呼んでしまった事を思い出す。
暗闇の中にいたメルに、丁度、魔女の洋服が重なっていたのだ。
ただの偶然。それ以外の何物でも無い。
それでも、あの瞬間、ローザは確かに神秘で恐ろしい物を感じた。だからつい、魔女だと、口から出てしまった。
こんなに愛らしい少年を見間違ったのは、きっと、この地に本物の魔女がいるからだろう。
ローザはそう思い直し、雨が落ち着くまでメルと2人の時間を過ごした。