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アマリリスのおしゃべり

 数日前まで春の穏やかさを残していた日差しは今日になって急激に夏の鋭さを見せた。

「朝から暑くなりそうだってぇローザは言っていたけどぉ、予想が当ったわねぇ」

「あたしもここまで暑くなるとは思わなかったわよ」

 窓辺に並べた花のバケツに水を追加し、ローザは窓から外を眺める。

 今日は花屋に来客の予定があり、ローザと同じくマンマレジーナの庭師であるレスティカーナが一緒に店番をしている。少し舌っ足らずに聞こえるおっとりとした口調そのままに、性格も行動ものんびりとしているレスティカーナだが、根性のある頑張り屋さんだ。

 肩まであるクリームベージュのロールヘアは後頭部で一つに纏めているが、巻いた髪を崩さないよう、ふんわりとしか留めていない。折角の綺麗なストレートヘアをわざわざ巻くなんて勿体ないとローザは思うが、レスティカーナはローザのふんわりとした巻き毛が羨ましくて髪を巻いたという。世の中上手くいかないものだ。

 明るめの頭髪にあわせた彼女の制服はワインレッドのロングバッスルコルセットワンピースだ。きゅっと締め上げられた腰元から広がるフリルがたっぷりのスカートは前が少し短い丈になっていて、足が見えないようシャツと同じオフホワイトのフリルがついている。最初はティアードスカートを重ねているのかと思ったが、切り替えにあわせて布地を変えた、れっきとしたワンピースだ。

 シャツはローザと同じジゴスリーブデザインだが、襟は台付きのフリルが付いた丸襟で可愛らしい。前立てにも細かなフリルがあり、袖口はボタンが6つ並ぶ長いカフスと、全体的に柔らかい印象を与える。

 花屋の店員としては少々派手だとローザは思うのだが、マンマレジーナの娘としてはこれでも控えめな方だ。なによりもレスティカーナに似合っている。

「あ、あの馬車パヴォーネの方のだわ」

 窓の外、メインストリートを通る馬車の中に見覚えのある馬車を見つけたローザがそう言うと、レスティカーナは手鏡で髪型や顔を確認しだす。急ぎ足で裏手に行きジョウロを置くとローザは直ぐに店へと戻り、来客を迎える為に店の扉を開ける。手鏡で身だしなみを整えていたレスティカーナはぱたぱたと動き回るローザの後に続き表へ出た。二人は両手を前に揃えて背筋を伸ばし、メインストリートに向かって横並ぶ。御者が馬車扉を開ければ馬車を大きく揺らし二人の男が降りてくる。一人は恰幅の良い壮年、もう一人は口髭を蓄えた男性だ。

「お待ちしておりましたぁ、ヘンリク様、シーギスムンド様」

 レスティカーナが頭を下げるのに合わせローザも静かに頭を下げる。恰幅の良い壮年、ヘンリクはハンカチで額の汗を拭いながら言う。

「やぁ、レスティカーナ、ローザ。急に暑くなったのう」

「ねぇ、びっくりしちゃいました。さぁどうぞぉ。丁度、冷たいお茶があるのですがぁ、いかがですぅ?」

「ローザのハーブティじゃな。喜んで頂こう、のぅ、シーギスムンド」

「紅茶は温かい物に限ると思いますが、他ならぬローザのハーブティなら期待ができそうです。いただきましょう」

 ローザが扉を開ければレスティカーナが先導し客人は店内へと入っていく。

 店を任される事があるとは言え、ローザはまだ入ったばかりの新人であり、レスティカーナは上司にあたる。客人の対応はレスティカーナが行い、ローザは側に控え雑務をこなし、時に花を買いに来た客人の相手をしていた。とはいえ、店のカウンターに男性が2人座っている姿は外から見えるので、火急な事情でも無い限り、花屋に足を踏み入れる人はいないのだが。

 カウンターの丸椅子に客人が腰掛けるとローザはガラスのティーカップを置いた。薄いレモン色のお茶が入ったカップを持ちあげ、ヘンリクはひくひくと鼻を動かす。

「ほう、色と同じレモンの香りがするが、なにやら違う香りもするのう。はて、この香りは……」

 余程喉が渇いて居たのか、ヘンリクはカップをぐいと傾け、中身を一気に飲み干してしまう。カップを置きながら視線を送られ、ローザは直ぐにカップへと茶を注ぐ。その隣で何度も香りを嗅いでいたシーギスムンドもやっと、カップに口を付ける。

「ふむ、香りと同じく味もスッキリとしているが、ほのかに甘い味もするな。ローザ」

「はい。レモングラス、ローズヒップ、ローズマリー、それとアップルピールが入っております。ヘンリク様の仰る香りはレモングラスとローズマリー、シーギスムンド様の仰る甘い味はアップルピールでございます。もう少し甘みをお求めでしたら、蜂蜜をご用意いたしますが」

 ローザの言葉にヘンリクは首を横に振る。

「いや、今はこのままでいい。レモングラスはたしか、東方の料理にも使われていたの。食べ過ぎた時にはすっきりして良いのではないじゃろうか」

「ヘンリクは食べ過ぎる傾向があるからな。ローザ、このお茶はお湯で出しても味が変らないか」

「はい。気持ち、味と香りは強くなりますでしょうが、大きな変化はございません。故郷では夏の暑さに負け食欲が無いときや、仕事中の息抜きによく飲まれておりました」

「なるほど、ヘンリクの言う、食べ過ぎに効きそうだというのも、あながち間違ってはおらんようだ」

 微笑ましく会話を交わしていると、レスティカーナが書類束の中から数枚、用紙を並べる。

「ではぁ、まずはインセットからパヴォーネへのお品物の確認をさせていただきますぅ。えぇと、最初は花束からぁ」

「おっと、シーギスムンド。こちらの書類も頼む」

 パヴォーネ。〝孔雀〟の名を持つ彼らもまた、マフィアであり、ヘンリクとシーギスムンドもマフィアの一員だ。しかし、パヴォーネは比較的新しく親切された医療関係のマフィアチームであり、2人はお医者様でもある。

 花束は入院患者の家族から代行を頼まれた見舞い品、往診時の手土産、そして、闘病の末無くなってしまった方への贈り物だ。妻や娘、そして愛する人への贈り物として、祝いの品という印象が強い花束だが、死者への手向けとしても贈られる。どちらも、相手を思い、花に想いを託して贈るという意味では同じだ。

「うむ、問題ない様だ」

「はぁい。では続きましてぇ、チンキ類の確認ですぅ。数が多いので、ゆっくり確認させてくださぁい」

「ははっ。構わんよ。ローザのおかげで質の良いチンキがいつでも手に入るようになったからな。いざという時を考えても、どうしても数を多く確保して置きたくなる」

「インセットとしてもぉ、大変嬉しく思いますぅ」

 ふいに褒められ、ローザは照れくさそうに薄笑いを浮かべる。

 チンキとは、生薬やハーブをエタノールやアルコール類につけ込んだ液状の製剤だ。インセットではドライハーブも作っており、それをアルコール類に1月ほど漬け込めばハーブチンキが出来上がる。

 製剤であるハーブチンキの使用方法は多岐に渡る。そのまま飲み物に1,2滴落として飲む事もできるが、アルコールなのでお酒が苦手な人や妊婦、子供は控えたが良い。外用薬として水で薄めて傷口の消毒に、つけ込むハーブを変えれば打ち身や捻挫、打撲等の炎症への湿布剤としても使う事ができる。他にも化粧水やクリーム、虫除けスプレーと一つあるだけで様々な用途に使えるのだ。

 ローザが育てる花は質が良く、その花を使用して作られたチンキも色が澄み切って出来も良い。アルコールの入った瓶にハーブを入れる。たったそれだけ、誰がやっても同じだろうに、何故か、ローザの手がけたチンキは効果が高いとパヴォーネのお医者様方に好評だ。

 チンキだけでなく、アロマオイルやそれらから作った化粧品類も、ローザ手製の物が喜ばれる。元々、インセットでは花しか栽培しておらずチンキやオイル、化粧品を作りだしたのは数年前、正式に扱う様になったのはローザをインセットの一員として迎え入れたからだ。

 ローザの家は農家だが、代々アロマクラフトも受け継いでおり、故郷でも一番の腕前だと言われていた。ローザとしては物心ついた時から曾祖母に習い家事の一つとして作っていたので〝アロマクラフト〟等と言われてもぴんとこなかったし、作った物が遠い都会で大人気なのだと言われても、首を傾げるばかりだったのだが。

 しかし、〝インセットのローザ〟となり手がけた物が買われていく喜びも、購入した人がこうして何度も繰り返し求めてくれる嬉しさを感じる度に〝インセットのローザ〟となる決意をして良かったと思う。

「それからぁ、虫除けのスプレーとアロマキャンドルですねぇ。品物は以上ですぅ。最後にお花の確認ですがぁ……今までより随分とぉ、多くてですねぇ」

「あぁ、間違いではないから安心してくれたまえ。やっと〝エーテル〟の確保ができてね。今回だけでなく、暫くはその量でお願いしたい」

「ええぇとぉ、お花の時期がありますのでぇ、秋までは保証できますがぁ、冬はぁ、どうかしらぁ」

 頬に指先を付け、首を傾げたレスティカーナがローザを見ると、ローザも頷き返す。

「えぇ、大変申し訳ないのですがこの量ですと、冬は少し苦しいです」

「そこをなんとかならないか。この花がないと薬が作れない。薬の生成に〝エーテル〟機械を使うのは知っているだろう。〝エーテル〟の確保に合わせ、十分な量の花がいる。わかってくれ。どうしてもその量の花が、大量のポピーが必要なんだ」

 ヘンリクに言われ、レスティカーナとローザは顔を見合わせ考え込む。

 ポピーの花から取れるアヘンは、精製すればモルヒネになり、適切に使えば鎮痛鎮静剤となる。扱いを間違えばただの麻薬、依存症に陥り身を滅ぼす物なのでインセットも売り渡す相手は厳選していた。パヴォーネは医者だ。ポピーからアヘンを取り出し、そのアヘンを薬へと精製する〝エーテル〟機械もマンマレジーナがその目で確かめた上で厳重な契約を結んでいる。

「そうですねぇ、インセットとしてもぉ、1人でも多くの命が救われてぇ痛みが和らぐ人が減るのはぁ、望ましい事なのですがぁ。植物が相手ですのでぇ」

 紙面に目を落とした後、レスティカーナは改めてヘンリクに顔を向けて言う。

「お伺いしたとマンマレジーナに、お伝えはさせていただきますぅ。来月いらっしゃった時に、正式なご返答をさせていただく、でも宜しいでしょうかぁ」

 レスティカーナなりに気を張ったのだろう、声が少しだけ引き締められている。

「まぁ、インセットならなんとかしてくれると信じておるよ。こればかりは遠くから運び込むわけにもいかんのでな」

 ヘンリクの言葉にシーギスムンドも小さく、だが力強く頷く。

 アヘンはポピーの未熟果実から採れる。未熟果に傷を付けると出てくる乳液が必要な為、果実が小さすぎたり成熟してしまえば採れる量が減ってしまうのだ。採れる時期が短く、また、未成熟な果実は柔らかく簡単に傷が付いてしまう為に遠方から取り寄せるのには向いていない。

 ポピーの花そのものは麻薬にならないのでインセットでも栽培していたが、今ではインセットのポピーはパヴォーネの為だけに栽培しているような状態だ。花園にはポピー専用の花畑も作られたほど、大量に用意している。しかし、それでもパヴォーネは足りないと言う。必要なのは理解するが、流石に庭師の独断で了承できる内容ではない。レスティカーナの返答にローザはさすがだなと一人、心の中で関心していた。

「インセットからパヴォーネへのお品物は以上ですぅ」

「問題なさそうじゃの」

「それではこちらにサインをお願いいたしますねぇ」

 ヘンリクは慣れた手つきでペンを走らせ、数枚の書類にサインを記す。レスティカーナが改めて確認をし、ローザが書類を受取った。

「確かに。ではパヴォーネからインセットへの輸送願いを。シーギスムンド」

「はい。急ぎの品物がある。特に急いでいる物と今月中に頼みたい物は赤い丸が付いているやつだ。急ぎの品は全て隣街の駅へと列車で届く様になっている」

 医療器具は繊細な作りの品や瓶類などの壊れ物が多い。一つ一つはとても小さいのだが、壊れない様に藁や籾殻を緩衝材として利用し、一個のサイズが必要以上に大きく取られてしまう。しかし、数はあっても個々の大きさはそれほどないため、医療器具だけで荷物を運んでくれないのだ。

 大都市を繋ぐ列車の荷箱も、そこから街へと運ぶ荷馬車の荷台も大きさが決まっている。一度に運ぶ量が限られている以上、運送する者達もめいっぱい詰め込んで運びたいものだ。しかし、パヴォーネの荷物は人が運べる大きさの物が多く、パヴォーネの荷物だけで荷台が埋まることはまずない。パヴォーネの者が取りに行ければ一番良いのだが、それができないから運送を頼んでいる。だというのに、他の荷物が集まり荷台が満杯になるまで、長く待たなくてはならないのだ。

「えぇと、箱詰めされている物ばかりですねぇ、サイズも小さいので問題ないと思いますぅ」

「他の地方からの物はこれらだ。いつもどおり二月後までに」

「承りましたぁ」

 インセットは遠い他国からも花を輸入している。気候の関係も有りどうしても育たない花や、余り多く花を咲かせない花は他の国や地方から手に入れざるをえない。花の大きさにもよるが基本的にプランターで運ばれ、種や苗木の状態の物も届く。他には肥料に使う籾殻や藁、庭師の道具を始め、洋服やアクセサリー、布、綿など、様々な物が定期的に運ばれている。

 そこに目を付けたのか、パヴォーネは輸送料を一部負担するので、自分たちの荷物を一緒に運んで欲しいと頼んできた。荷物の隙間に小さな箱一つ入れる事はできるし、瓶一つなら布地の隙間や籾殻の袋に突っ込めば壊れる心配もない。

 インセットは今まで通り運ぶ荷物の中に頼まれた物を詰むだけであり、パヴォーネはいつ届くのかとイライラする事も無くなる。インセットとパヴォーネは商売を通じ、とても友好的な関係を築けているマフィアチームだ。

「パヴォーネからは以上だ。問題なければサインを頼む」

「はぁい」

 レスティカーナがサインを記す。これでパヴォーネとインセットの商談は滞りなく成立した。

「ではこれで終了ですねぇ。お疲れ様でしたぁ。すぐにお戻りになられますぅ?」

「あぁ、そう急ぎではないが、この後も予定がはいっておってな、直ぐに戻らねばならぬ」

「では花束の荷馬車を表に回しますねぇ、少しお待ちくださいませぇ。ローザぁ、お店をお願いねぇ」

「え、レスティカーナ、あたしが」

「いいのいいのぉ、お外に出たくなっちゃったから、私に行かせてぇ」

 レスティカーナは客人に顔向け、小さく頭を下げて裏手へ行ってしまう。

「ほほ、レスティカーナが荷馬車の運転なら、まだのんびりできそうじゃの。ローザ、この茶の茶葉を頼めるかの。気に入ったわい」

「ありがとうございます、ヘンリク様。いまご用意いたしますね。いつもの量でよろしいですか?」

「うむうむ」

 カップを傾けたまま頷きかえすヘンリクに、ローザはお茶のおかわりを注いでから暖炉の方へと向かう。暖炉前のカウンターには小さなラックが置かれており、そこにはハーブティーの茶葉が入った木箱やハーブ石鹸、アロマキャンドルなどの小物が並んでいる。興味を持った客人が手に取り、香りを確認できるようになっているのだ。

 棚に並ぶ木箱を幾つか手に取り中身の確認をしていると、ふっと影がかかる。不思議そうにローザが顔を上げると、いつの間にか席を立ったシーギスムンドがカウンター向こうに立っていた。

「っ、んん。ローザ」

「はい、シーギスムンド様。シーギスムンド様も茶葉をご入り用でしたか?」

「む、いや、あぁ、そうだな。俺も小さいのを一つ頼む、が」

 咳払いをし、言葉を詰まらせるシーギスムンドが珍しく、ローザは少し首を傾げる。

 シーギスムンドはいつも理路整然とした口調で話す、お医者様というよりも政治家の様な印象を強く受ける男性だ。必要以上に話さず、いつもむっすりと口を閉ざしている事が多いのだが、別段、怒っているわけはないらしい。とはいえ患者には怯えられる事が多く、穏やかなヘンリクと一緒に行動するのだという。確かに、はじめて出会った時は何か不満でもあるのだろうかと、ローザも思った。

「あ、もしかしてイザベルお嬢様のお品物でしょうか。ご注文の品でしたら出来上がっておりますが」

「い、いや、そちらも、俺は聞いていない」

 イザベルはパヴォーネのボスの一人娘だ。この花屋にもよく花束や化粧品の注文に訪れている。シーギスムンドがローザに話しかける時はいつも誰かから買い物を頼まれた時くらいなのだが、今回は違うらしい。他に思い当たる節がなく、ローザは真摯な顔でこちらを見るシーギスムンドの口が開くのをじっと待った。少しの間、見つめ合っていたシーギスムンドははっとすると、上着の内ポケットから一冊の冊子を取り出し、そのままローザへと差し出す。

「っうん、そのだな。前に、薬物誌を読んでみたいと言っていただろう。もう使わない本が出てきたので、よければどうかと思ってな」

 かなり使い込んだのだろう、縦に細長い手帳と似た冊子は角がくるんと丸まり、日に焼けて色が褪せている。表紙には、色褪せた植物の絵が描かれていた。

 ローザはシーギスムンドの言っている意味が理解できず、差し出された冊子をじっと見下ろしていた。そうして、シーギスムンドの顔と冊子を何度か交互に見比べる。

「え、あの、この本を? あたしに?」

「そう言っている」

 シーギスムンドの硬い表情に僅かな焦りが見えた瞬間、ローザはぱぁっと花を咲かせたような満面の笑みを見せる。

「い、いいんですか!? あ、じゃなくて、宜しいんですか? あの、あたし薬草誌は手が届かなくてですね、その」

「使わない本だからな、蔵書も増えすぎて処分しようかと思っていたところだ。どう使っても構わないし、使い終わった後も好きにしていい。貰ってくれ」

「あ、あ、ありがとうございます!」

 木箱を置き、ローザは冊子を受取るとそっと表紙を撫でる。ローザは多くの植物や花を育てているが、薬草としての知識はそう多くない。幼い頃から慣れ親しんだ草花はともかく、世界には沢山の花や樹木がある。この街に来てから、そういった物を纏めた薬草誌という書籍があると知った時からいつか読んでみたいとは思っていたが、なにせお高い。今シーギスムンドから譲られた手帳サイズの冊子ですらローザの手に届く物ではなく、いつか読めたらと夢に見ていたところだ。

 ローザは薄皮の表紙に染料で描かれた葉をそっと指先で撫でる。ゆったりとした弧を描き細く伸びる枝とぎざぎざとした葉から蔦だろうか。中にはどんな植物が描かれ、何が書いてあるのだろう。仕事中だから今すぐ読めないのは残念だ。しかし、読む事ができる。その喜びにどっぷりと浸っていたローザはうっとりとした顔で冊子を見つめていた。

「それでだな、ローザ。よかったら今度、ディナーにでも……」

 硬い口調を更に硬くしたシーギスムンドがローザに話しかけていると、ゴドン、という音が暖炉の奥から聞こえローザは身体を跳ね上げる。

「きゃっ、え、何なに、レスティカーナ?」

 ローザは冊子をカウンターに置くと裏手を覗き込むが、誰もいない。音の響いた辺りをあちこち見渡してみるが、、何の変化も見受けられなかった。

「やだわ、鼠かしら」

「なんじゃと?」

 ヘンリクが切迫した声で言い、ローザはまた驚いた顔を見せる。穏やかなヘンリクの怒った様な声と顔に目を見張っていると、ローザは大きく開いた両手をぶんぶんと左右に振る。

「あ、あ、すみません、違います、〝鼠〟じゃなくて、あの、生き物の、ちゅーちゅー鳴く方のかなって。あ! やだあたしったら言葉使い、えぇと、こういう時は」

「お待たせいたしましたぁ~。あらぁ?」

 ドアベルの音を鳴らし店内へと戻ってきたレスティカーナは焦りまくるローザに不思議そうな声を上げた。

「あ、お帰りなさいませ。ヘンリク様、シーギスムンド様、お品物を直ぐに袋にお入れしますね!」

 言いながら、ローザは急ぎ紙袋に木箱を詰める。事情が飲み込めないレスティカーナは扉を開けたまま、ヘンリクとシーギスムンドを外へと誘う。

 カウンターの上に茶葉の料金が置かれているのを見たローザは急ぎ足で表に出、ヘンリクへと袋を差し出す。

「大変失礼をいたしました。お支払いもありがとうございます」

「ほほっ、まぁ、構わんよ。ではまた」

「シーギスムンド様も、申し訳ありませんでした」

「構わない。茶葉の代金だが」

「いえ、ささやかですが、あたしからの贈り物とさせてください。植物誌、本当にありがとうございました」

 にっこりと、本当に嬉しそうに言うローザに、シーギスムンドはうむ、と短く返す。

 ローザは直ぐに少し離れ、見送る為に姿勢を正す。馬車に乗り込むヘンリクは楽しそうに笑いながら小さく囁いた。

「残念だったのう、次はもう少し、はっきりとお誘いするとええ」

 その言葉が聞こえたシーギスムンドは腑に落ちない顔のまま、ヘンリクの後を追い馬車へと乗り込む。

 パヴォーネの馬車が発車し、その直ぐ後ろをレスティカーナが操る花束を乗せた荷馬車が追いかける。ローザは静かに頭を下げ、客人を見送った。

 馬車の音が遠ざかる中、ローザは普段よりも少し早く頭を上げた。いつもは見えない馬車の姿も、角を曲がり行く後ろ姿が残っている。

「そんなに嬉しい事が」

「きゃぁぁぁ!」

 ふいに耳元で囁かれ、ローザは大きな悲鳴と共に身体を大きく飛び跳ねさせた。振り返ればローザの絶叫に耳を塞ぎ、顔を顰めているベルナルドがいる。

「べ、ベルナルド!? あなた、いつのまに」

 昼のメインストリートで大声をあげたローザには往来する人々の視線が集中していた。多くの視線に気がついたローザは顔を真っ赤に染め、周囲に頭を下げるとベルナルドの腕を引き店内へと駆け込む。

「やだもう、恥ずかしい。脅かさないで頂戴よベルナルド。あなたどうしていつもそう、音も無く近寄っていたり気がついたら側にいるのよっ」

 まだばくばくとする心臓を手で押さえたローザが切羽詰まった声で言う。

「……っ僕は普通に、ローザに近寄ってるよ。ローザが鈍感なだけじゃないか」

「そん、そんな事ないと、思うけど」

 否定の言葉を言った物の、周囲を良く見る様になさいとはマンマレジーナや姉妹達にも何度か言われた覚えのあるローザは言葉を詰まらせ、考え込んでしまう。

「んんんん。まぁ、いいわ。あたしも周りを見るようにするけれども、ベルナルドも急に声かけないようにしてくれる? 表であんな大声出すなんて恥ずかしくてしょうがないわ」

「この前は僕の名前を大声で叫んでくれたじゃないか」

「あれは緊急事態だし夜だったでしょ。はー。びっくりした。あ、ベルナルド、もう少しいるの?」

 ローザにそう問われ、ベルナルドは意外そう顔を見せるが、すぐに片眉を潜める。

「そんなに今すぐ見たい物を貰ったの?」

「うっ、な、なんでわかったの」

「そりゃ解るさ。ローザが僕に居て欲しがるなんて、何か個人的な目的がある時だけだ。今の馬車はパヴォーネのだけど、仕事関係なら別に僕が居る必要はない」

「あなたって、本当は頭良いわよねぇ」

「本当はってなんだよ。酷いな」

 頬を少し膨らませ、不機嫌そうな顔を見せるベルナルドにローザは慌てて謝る。

「ごめんなさいね、だってあなた、いつも楽しい話題ばかりだから、こう、ね?」

「まぁ、いいけどさ。で、何がしたいのさ。お茶がでるならちょっとだけ居てあげても良いけど」

「ほんとう!? ありがとうベルナルド! 今ね、パヴォーネのシーギスムンド様に薬草誌の本を戴いてね!」

 弾む声で言うローザは目に見えてはしゃぎながらカウンターの中へと入っていく。仕方ないなと言いたげに小さな溜息を漏らすベルナルドがカウンターの椅子に座ると、レモン色のお茶が置かれる。カウンターに肘をつき手に顔を乗せ、ローザの言葉に耳を傾ける。

 きらきらと目を輝かせ、頬を微かに赤らめて語るローザをベルナルドは眼を細めて見つめていた。



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