第一幕の七 政
今宵は雲が厚く垂れ込めて月の光を覆い隠してした、家から漏れる明かりも少なく真の暗闇が町を覆っていた。
昼間となれば人で大通りはごった返し、商売に勢を出す声が響き渡る活気溢れる城下町であるのだが、日が落ちた後では雰囲気が一変する。
今も宵の口であろう時間なのに晩酌に通りを歩く人影すらなく、野良犬の遠吠えが響くばかりである。
旅の人間すら出歩かずに旅籠に篭り、本来なら夜こそ稼ぎ時の飲み屋に飯屋、遊郭すらも軒を閉めており、まるで廃村のような雰囲気をかもし出していた。
それというのも今この城下町では辻斬りが横行していたのだ、犠牲者は十人を越えてなおも増え町の警備に見回っていた腕自慢の侍が一刀の下に斬り捨てられるに至って住人は恐怖で眠れぬ夜を過ごす事になった。
下手人の探索は遅々として進まず夜半に出歩く人間等居ない、そんな中である路地裏に身なりの良い着物を着て腰には太刀を挿して顔を頭巾で隠した五人の人間が集っていた。
「近頃は獲物もトンと居らぬ、ここいら辺が潮時かの」
「しかし腕試しで始めたものがこうも楽しいとはな、もう少し何とか成らぬものか」
「おおよ、近頃は大きな戦も無くてこのままでは腕が鈍る」
「そうは言っても、肝心の木偶が居なくては話になるまい」
「それなら、町外れにある貧乏長屋を襲うのはどうだ、あそこの連中なら例え何人死んでも構うまい」
物騒な物言いで分かるように今此処に集る連中こそ件の辻斬り集団である、いずれもその身のこなしには隙が無く、其れなりに腕は立つと見るものには分かるだろう。
五人が新たな犠牲者を求めて思案していると、道の先から提灯の明かりがユラユラと近づいてくるのが目に入る。
ぼんやりとした明かりの中で浮かび上がった姿は、顔は市女笠を被っていて見えないが花柄の小袖を着ている事から若い女子であると知れる。
思わぬ獲物の出現に五人の目が嗜虐の色に染まり、頭巾の奥の口が吊り上る。
それぞれに目配せをすると路地を出て何気ないふうを装って近づいてくる女の周りを取り囲んで話しかける。
「おお、こんなご時世に女の一人歩きとは物騒な、良ければ我々が家までお送りしようか」
「それはいい、女お主は運が良いぞ、我等五人が居れば件の辻斬りなど臆するものでは無い」
にやけた声で調子の良い台詞を並べ立てる男達に対して女は声も上げずに後に下がると踵を返して走り出す。
走りだしたその先に男が回りこめば脇をするりと抜けて行くが、如何せんその足の速さは男達が追いかけるには丁度良い具合であった。
口々に汚い言葉を並べながら追いかけて、遂に荒れ寺の境内に追い詰めた。
「散々に焦らしてくれたの、まあよいわ。先ずは身包み剥がして楽しませてもらおう」
「くく、脅えることは無いぞ。きちんとお前も楽しませてやる」
「悲観する事もな、その後は刀の錆としてやるからの」
「おうよ、世を儚んで自害などせずにすむ」
「なんと我等は親切なことよ」
追い詰められて観念したのか、一言も発することなくじっと五人の言い草を聞いているばかりの女に一人が嫌らしい手つきでその身に纏った着物を剥がそうと襲い掛かる。
「おうらあああっ!」
その瞬間に野太い声が夜空に木霊した、続いて何か硬いものが水が詰まった柔らかい物を殴打する鈍い音が辺りに響き、襲い掛かった男が宙を舞う。
地面に落ちた男の顔面はひしゃげ、砕かれた歯の間から吐き出された血が辺りに鉄の臭いを撒き散らす。
しばし呆然とする残りの四人の前で桜色の小袖が翻り、市女笠が投げ捨てられた。
そこに立っていたのは浅黒く日焼けした鍛えられた体躯を持ち、髪の毛を短く刈り込んだ男臭い顔をした若い男であった。
その男のいでたちは袖を肩から千切った丈の短い着物と大陸風の膝下までの呉服に包んでおり、その大きく広げられた胸元から見えるしなやかな筋肉と歯をむき出しにして笑っている様は何処か虎を思わせる風情がある。
一人が成す術も無く無様に倒され、また女だと思っていた人間の正体が野卑な男と知った残り四人が、はっと我に帰ると腰の刀を抜き放って気勢を上げる。
「貴様あっ!」
四人に囲まれた若い男は徒手空拳でその身に寸鉄も帯びていない、それでも余裕のある笑みを見せるのは若者のほうである、何しろ如何に油断があったとはいえ既に一人が倒されているのだ。
其々に刀を構えて若者の周囲を回る四人、それに応じて若者の方も一種独特の構えを見せる。
軽く握った両の拳を胸の前に置き、足元は軽やかに地面を蹴って跳ねている、時折挑発するように左右の拳を回りにいる連中に突き出しては嘲った笑みを浮かべる。
「こんな簡単に釣れるとは思わなかったぜ、お前ら真正の阿呆かなにかか?」
「おのれいっ!」
更に挑発する物言いで煽ると正面に居る一人を除いた三人が同時に攻め寄せてくる、殺到する人間の位置と動きを視線を巡らせて確認すると、トンと一つ高く飛び上がり流れるような足捌きで攻め寄せる間をすり抜ける。
「ぶぎゃっ」
すり抜けるついでとばかりに握り締めた拳を腹にめり込ませて前から迫る二人を悶絶させると、後ろから斬りかかって来ていた残る一人に後ろ回し蹴りを叩き込む。
蟇蛙のような無様な声をあげて吹き飛ばされた暴漢はそのまま背中から木に叩きつけられて呻いている。
気絶した男と悶絶する二人をを尻目に包囲を突破した若者は向きを変えて残る一人に相対すると前に出した手をクイクイと動かして掛かって来いと挑発を重ねる。
だが今の攻防を見て相手が只者では無いと感じたのか、最後に残った男は迂闊には掛かって往かずに確かめるように若者に話しかける。
「その戦い方は聞いた事があるぞ、徒手空拳にて百戦無敗と嘯く喧嘩屋とは貴様のことか」
「応よ、よろず揉め事何でもござれの喧嘩屋商売、ゴロツキ長屋の政たあ俺のこった」
「ふん、町の人間にでも頼まれたか、面白い抵抗しない獲物を狩るのに些か飽きていたところよ」
そう言うと片手に下げていた刀を両手に持って正眼に構える男、その構えは長い修練を積んだ者が身につけられる剣気を放っている。
すり足で距離を詰めてくる男と剣気を感じ取って笑い顔を収めた政が互いに一歩を踏み出そうとした時、会話の間に呼吸を整えたのか腹に一撃を受けた男二人が立ち上がって憎しみにぎらつく眼差しを政に向けて怒鳴り散らした。
「待て、俺達に殺らせろ!」
「こうまでコケにされては面子が立たん!」
相手を侮って一撃を受けた事が二人の自尊心を傷つけていた、立ち回りの邪魔とばかりに被っていた頭巾を剥ぎ取って投げ捨てると、二人は政を挟み込んでその切っ先を突きつける。
そんな二人の様子を見て、最後に残っていた男は一歩下がり、忠告を口にする。
「気をつけろ、そいつは只のゴロツキヤクザとは格が違うぞ」
「応よ、もう油断はせん」
「先ずはその癖の悪い手足からぶった切ってやるわ」
顔を晒した二人の侍は怒りに顔を歪めて血走った目にこれから自分達が起こす暴力に暗い愉悦を映す、その表情を見て政もまた獰猛な笑みを浮かべて応じる。
「はっ上等、死んでも文句言うんじゃねえぞ!」
政の怒声に合わせてその凶刃を振るう侍二人、びょうという風きり音を纏って向かってくる二振りの刃を姿勢を低くして自分から飛び込んでかわすと、その勢いをそのままに地面に手を突いて両足を大きく回す。
振り回された足で足払いをかけられた一人が地面に倒れる、政は足を振り回した遠心力を利用して飛び上がると倒れた人間の上に体重を乗せて着地する、ゴキリという音断末魔の絶叫が響き渡り転がった人間の胸がぐしゃりと潰れていた。
政は悲鳴で浮き足立つ残った一人に向かって小刻みに体を左右に揺らしながら迫ると両腕から繰り出される拳を振るう。
その左拳が脇腹を抉るように突き刺さると体をくの字に曲げて血反吐を吐く、地面にくず折れる所を下から突き上げた右拳によって無理矢理に立たせると体を左右に振って連撃を顔面に入れる。
見る間に顔面が破壊されて、辺りに血と口から飛んだ白い歯が散らばる。
止めとばかりに振りかぶった右の拳を鼻頭らに叩き込むと右の眼球が眼窩から飛び出して地面に落ちた。
そこへ迫るのは先ほどの攻防で無様にも木に叩きつけられた男だ、無防備に見える政の背中から一刀両断にしようと大きく振りかぶった刀を振り下ろそうとした瞬間、政の振り向きざまに放たれた蹴りを喰らってもう一度吹き飛ばされる。
吹き飛んだ男は今度は無事に着地することに成功するが、前を見た瞬間に迫ってきていた政の前蹴りが鳩尾に突き刺さりその奥に在る心臓が破裂した。
動かなくなった三人に順に目を向けると、政は嘲るように言葉を投げかける。
「どしたい、もう終わりか」
無論のこと既に事切れた三人には答えることなど出来ない、手応えからそれが分かっていてなおその言葉を吐くのは如何なる心の動きによるものか。
それともこれから始まる戦いに向けての準備とでも言うべきか。
「さてお仲間は全員くたばったみたいだが、殺るかい?」
「おうよ、愚か者どもだがせめて仇は討ってやらんとな」
そう言って頭巾を脱いで顔を晒す侍、その顔はこの城下町を取り仕切る城主、橘直正に良く似ている。
「冥土の土産に名乗ってやろう俺は橘直正が嫡男、直重」
「参ったね、まさか辻斬りの正体が馬鹿様とはよ」
「減らず口もここまでだ」
特に驚いた様子も無く軽く跳躍を繰り返す政と名乗りを終えて正眼に構えると静かに佇む直重の間にピリピリとした空気が張り詰めていく。
その緊張感が最高に高まった瞬間二人の姿がぶれた、直重は正眼から突きを放ち政はそれをかわして拳を振るう。
交差した両雄はお互いに振り向いて再び対峙する、その政の頬から一筋の血が流れていた。
「よく避けたな、が次ははずさぬ」
構えを解かずに淡々と告げる直重に対して、政は頬から流れる血を指で拭うとその血を舐め取って今までとは違う笑みを浮かべて懐に手を入れる。
「手加減はいらねえってわけだ」
政はそう言うと懐に収めた両手を引き抜く、するとその両腕にはこの国では珍しい肘から指先に至る全てを鋼で作られた手甲が嵌められていた。
鈍く光る鋼の手甲が嵌められた両腕を具合を確かめるように胸の前で打ち鳴らす。
「まさかとは思うがそれで勝てると、思っておらんだろうな」
「まさか、勝つだけならこんな物必要ねえよ」
手甲を着けた政は先程までとは違って両足をどっしりと地面につけて半身になると両手を上下に構える。
構えはどっしりと安定し周囲に放たれる圧力も増している、此方の構えこそ本来の戦い方なのだろう。
それが知れたのか直重も構えを正眼から八双に変えてジリジリと歩を進める。
「チェストー!」
直重は気合の声と共に一気に上段から刀を振り下ろす、その刀の軌道の正面から白刃取りで受け止めようと両手を交差させる政。
豪という風切り音の後には刀を振り切った姿勢の直重と両腕を十字の形に交差させた政が居た。
一瞬の静寂の後に空中から落ちてきた白刃が地面に突き刺さる、何と政は直重の一撃を受け止めるのでは無く、左右から挟みこむ事でその刃を半場からへし折ってみせた。
その事実に驚愕する直重の胸に腰を落とした状態から左の抜き手を突き出す政、その一撃は今までの吹き飛ばすような一撃ではなく打ち抜くような一撃であった。
事実、その鋼の拳は直重の肋骨を突き破り心臓まで到達した。
「がふっ」
直重の口から血が溢れ政の顔が赤く染まる、政はそのまま心臓を掴むと一気に引き抜いて握りつぶした、何を言い残す事も無く地面に倒れ動かなくなる直重。
その直重に冷めた目を向けて一言呟く政。
「勝つだけならこんな物必要ねえよ、コイツが必要だと思ったのは単なる礼儀だぜ馬鹿様」
躯をそのままにして足取り軽くその場を離れた政は自分のヤサであるゴロツキ長屋へと戻ると、長屋の入口に待っていたのはこれまた頭巾を被った侍であった。
「終ったぜ」
「ご苦労、これが約束の金だ」
投げ渡された巾着を開けると初めに約束した金額よりも多い額が入っていた、それを見て皮肉な笑みを浮かべる政。
「口止め料って訳だ」
「それ以上喋るな、これで貴様と係わりは無い」
「へいへい、こちとら信用商売だ下手なこたあ言わねえよ」
政を一瞥すると踵を返して歩き去る侍に向けて片手を上げてひらひらと振るとそのまま長屋の奥へと向かうが、ふと妙な悪寒に首を巡らすが何の気配も感じられない。
「気のせいか」
再び歩き出した政は長屋の奥にある自分の部屋へとたどり着くと無造作に扉を開ける。
「兄さん!」
怒鳴り声で待ち受けていたのは今年十四になる妹のお初であった、仁王立ちして兄を出迎えた迫力は不動明王も裸足で逃げ出さんばかりである。
うへえという表情を浮かべて手に持っていた巾着を投げ渡すと、何だかんだと小言を言うお初を押しのけてゴロリと横になって寝息を立て始める。
その様子をみて嘆息すると兄の上に布団をかけてお初も自分の布団へと入ってまどろみに沈んでいった。
翌朝、まだ日も開けきらぬ内に大勢の人間が走る音が聞こえてくる、その音で目を覚ました政は寝ぼけた頭をガリガリと掻いていると扉が蹴り開けられて役人が押し込んできた。
「万屋の政だなお前に辻斬りの嫌疑が掛かっておる神妙に縛につけい!」
「ああ?」
「兄さん!」
辻斬りと言われて政は昨夜片付けた五人の事だと気がついた、どうやら自分を人身御供に事態の収束を図る気なのだろう。
別れ際に下手な一言を言ったのが不味かったかと顔を顰める、無論政一人ならばこの程度の役人をあしらう事など造作も無いことであるが、しかし後ろにお初が居ては下手に暴れる訳にもいかない。
こうして政はお初共々に辻斬りの犯人として捕まることになった、捕らえられたその日の夕刻、政が居る牢の前に一人の男が現れた。
「気分はどうだ」
「良い訳無えだろ糞野郎が、それにお初は関係ねえだろ」
「そうはいかん、お前みたいな狂犬を飼うには首輪が必要だからな」
「何が言いてえ」
「仕事を頼みたいだけよ、ただし命をかけてもらう」
そう言うと男は懐から一枚の割符を取り出して見せた、仕事はこの割符を九枚集める事ただし割符はそれぞれ手練の人間が所持している為一筋縄ではいかないという事、最後に全て集めればお初を釈放することと一つ何でも望みを叶えてやると締めくくられた。
「けっ、どの道その話を受けるしか無え訳か」
「察しが良くて結構だ、では今牢を開けよう」
「いらねえよ」
政は牢の扉に近づくと無造作に蹴り飛ばした、その衝撃で鍵が壊れて扉が吹き飛ぶ。吹き飛んだ扉の跡からのっそりと牢の外へ出ると、呆然とする男から割符をもぎ取るとそのまま顔を近づけて至近距離から睨みつける。
「いいか糞野郎その仕事はきっちりやってやる、その代わりお初に指一本でも触れてみやがれ手前ら皆殺しにしてやっからな」
呆然とする男にドスの効いた声で捨て台詞を残すと政は足取り荒く歩き去った。
喧嘩拳法 鉄拳の政 参戦