第一幕の肆 朧丸
草と呼ばれる者達が存在している、忍者といった方より分かりやすいであろう。
草は市井の人間に紛れて情報を集めてその情報を欲しがっている者に売ったり、高い戦闘技術を持つものを村落外の勢力に傭兵のように貸しだす事を生業としていた。
飛騨山中の奥深くにあるこの村もまた、そんな草の一族の隠れ里の一つである。
表向きは僅かばかりの田畑と狩猟で生計を立てているとみえるひなびた寒村でありながら、よくよく目を凝らせてみれば、田畑を耕す村人の体躯は鍛えられて引き締まり、その眼光は年老いた者ほど柔和な表情と裏腹に細く鋭くなってゆく、女子供に至ってもその身のこなしに隙は無い。
そんな村の中に在ってなお異彩を放つ場所が存在した、幼い頃より鍛え上げ戦う事を生業とする草の一族が決して近寄らぬ場所、村の外れにある洞窟がそれである。
この洞窟は牢獄である、一族の中でも裏切り者や掟を破った者が囚われ責め苦を負わされる場所だ。
故に普段ならば、此処へは誰も訪れる事は無い。しかし今その洞窟の前に村の中でも一際年老いた人間、村長が四人の屈強な若い男を従えて立っていた。
「行くぞ」
長が号令を発すると五人は長を囲むように陣を組み、確かな足取りで洞窟へと踏み入った。暗い洞窟の中を何の明かりも無しに進む足取りに何の不安も無いのをみれば、この者達が闇の中でもその実力を十全に発揮する事が出来るのを疑う者はおるまい。
事実、村長に連れられたこの四人は里の中でも潜入、暗殺などを行う実行部隊である忍の中でも上位に入る者たちであった。
その四人を従えた長のコツコツという杖の突く音が洞窟内に反響する、その音を聞きながら奥へと歩を進め、曲がりくねった洞窟の最奥まで進むとその足を止める。
周囲から受ける岩の圧迫感が遠のいた事からこの場所は洞窟の中でも一際広い場所に出たと分かる。
そこには里の者なら知らぬ者の無い一人の男が居るはずだ、もっとも獄に繋がれて既に数年が経っている、どう考えても生きているはずなど無いのだが、その男に限っては疑念が晴れない。何故ならその男こそこの里の禁忌そのものだからだ。
その男は優れた才を持って生まれた、その才は十年、いや今後百年経っても彼以上の才を持つ者は生まれまいと言わしめた程である。
そして男はその才能よりも努力を好んだ、自ら血と汗を流して体を鍛え貪欲に智を欲した。
まるで何かに急き立てられるかのように力を求め十の歳には既に中忍として、その持てる力を存分に振るっていた。
その姿は里の長老たちに逞しさを感じさせ、次の頭領にと早くも声が上がっていたくらいだ。
しかし、男が十三になったときに一つの任務を受けた、これが男の生き方を変える契機になった、なってしまった。
その任務自体は当時の男の実力からすれば極めて簡単な物だった、ある武家屋敷に忍び込み密書を取ってくる、それだけの単純な仕事でありこれまでにも何度もこなした事があるようなものであった。
しかし、その油断が一つの失敗を招いた、家人の子供が目を覚まし男の姿を見てしまったのだ。
これに男は狼狽した、これまで失敗とも挫折とも無縁であったが故に恐慌状態になってしまった、そして男が正気に戻った時にはその子供を含めて屋敷の中に動く者は誰一人として居なかった。
壁にも床にも天井にさえ血と臓物がぶちまけられ、異様な臭いが鼻を突く。
その赤く暗い空間で朧は吐いた、元より中身の薄い胃の腑から全ての吐瀉物を吐き出し、なおも足りぬと己の血すら吐き出した。
植えつけられた忍びの本能か書類だけは持ち出したものの、里に帰った男は家に篭り三日三晩出てこなかった。
眠る事も出来ずに、ただその時の事を思い出すばかりだ、自らが振るった刃が人の肉に喰いこむ感触、生暖かい腸の温度、血の臭い、耳に残る断末の悲鳴。
何とも言えない感情に突き上げられて家の外へと飛び出し、池の水で顔を洗う。
そして月明かりの下で見た自分の顔は・・・
「く、はは、はははは、クカカカカカ・・・」
哂っていた、それは今まで見たことが無い笑みであった。口角は吊りあがり、血走った目は赤い光を放っているかのようである。
だが男は自らの笑みを見て全てを理解した。何故自分は力を求めたか、何故初めて人を殺めた事をこれほど引きずるのか、何故それを脳裏に思い描くたびに背筋が凍りそうなほど昂ぶるのか。
「俺は・・・殺す為に生まれてきた」
それは男が見出した己という生物の真実であった。
そして宴が開かれた、その男が自らの為に開いた最悪の饗宴が、里を脱した男は近くにある村の者を皆殺しにしたのである。
それは凄惨を極めた、老若男女の区別無く全ての人間が屍を晒された。四肢は切り取られ腹は裂かれ、だが恐怖と痛みに引きつったその末期の顔は傷一つつけられずに、まるで聴衆の如く男の周りに集められている。
「クカカカカカ!」
原型を留めている死体など一つも無い、それこそ奇怪なオブジェを乱立させたような赤い光景の中で一人哄笑を続ける男。
男を追ってきた里の人間はその景色を前にして、荒事に慣れた、言い換えれば自分達もまたこの光景を作り出せるはずの者達がただ恐怖だけを覚えた。
そして三年の時を経て七つの村を滅ぼした男は遂に捕らえられ、この洞窟に幽閉される事になったのだ。
広間に到着するまで無言であった長が暗闇に向かって声をかける。
「生きておるか? 朧丸よ」
しばし無言の時が過ぎ、沈黙が辺りを支配する。件の男、朧丸はここで屍を晒したかと護衛の一人がその緊張を解いた瞬間にその問いに応じた声があがった。
「カカッ、その声は頭領殿か。それにあと四人居るな、雁首揃えて俺に何の用だ」
その男にしては甲高い声は決して耳障りになるような声音ではない、ないがしかしある種の狂気を孕んだような独特の雰囲気を周囲に撒き散らす声であった。
夜目が利くのは忍者としての条件だが、流石に何の光源も無い場所では僅かな気配等で辺りを探るしかない。
それでありながら声の主は此処に自分を訪ねてきた人数を正確に言い当てた、それだけでもこの男の尋常ではない力量が見て取れるというものだ。
「生きておったか、くくく、流石にしぶといの。お前に仕事を頼もうと思うてな」
「カカッ、俺に仕事とは穏やかではないな。何があった?」
「何も無いわ、ただ単に貴様向きの仕事が舞い込んできたというだけの事よ」
真の暗闇の中で長が吐き捨てるような声音でそう答えると、相対した声は心底から可笑しそうに哂いだした。
「クッカカカカカ、なるほど其処に雁首揃えた雑魚では話にならんという訳だ」
声に雑魚と断じられて気色ばむ若い衆、此処に居るのは村の中でもその腕を買われて長の護衛として選ばれた者達だ、己の実力に並々ならぬ自負がある。
一斉に気色ばむ四人だが声は哂うのを止めない、それどころか四人の鬼気を受けながらも平然と言葉を続ける。
「で誰を殺せばいい?」
「話が早いの、いやお前にそれ以外の価値などないか」
嘆息しながらも長は共の者に壁に立てかけてあった松明に明かりを灯すように命じる。
火が灯り辺りの暗闇が晴らされると、壁に両手両足を鉄の鎖で繋ぎ止められた男が座っていた。
その顔は伸びるに任せたザンバラ髪と髭で隠れているが、落ち窪んだ眼窩の奥にある瞳だけは粘つくような妖しい光を携えている。
上半身は裸、下半身も下帯一枚しか身に着けておらず、筋肉は痩せ衰え肋骨が浮き出ている。まるで幽鬼のような姿の男であった。
「応とも、この俺にそれ以外の楽しみなど無い。さあこの枷を外せ、誰であろうと殺して見せる」
骨が浮き出る程にやせ細った両の腕を突き出して、口だけを歪ませて哂う。
長が顎だけを動かして枷を外す様に促すと一人の若者が朧の前に進み出る、懐から鍵を取り出して腕の枷を外そうと屈みこんだ瞬間に朧丸の体が飛び跳ねた。
「カッハアー!」
その奇妙な哂い声と明かりの届かぬ暗闇の中に消える朧丸、驚いた男はその手に鍵を持って立ち尽くす自分の首に骨ばった腕が巻きつく感触を覚えた瞬間にゴキリという音と共に自分の視界が逆転するのを見た。
そしてその光景が彼の見た最後の景色であった。
「クカカカカ、脆い脆いこれでは鈍った体の準備にもならん」
あっけに取られる長と残りの三人の後ろにすうと立ち上がったのは、いつの間にか両手足に繋がっていた鉄の枷を外していた朧であった。
咄嗟にその場を飛びのいた四人ではあったが、これもまた知らぬうちにその足首に今まで朧丸が嵌められていた枷が着けられていた。
「なにいっ?!」
驚愕を顕にする四人に向かって朧丸は大仰に身振り手振りを交えながら芝居掛かった仕草で語り始める。
「ああ何という事か、俺の知る里の者であればこれほど弱くは無いはずだ、ならば此処にいるのは里の人間ではあるまい。里の人間を騙る者には速やかな死を与えねばならんな」
この台詞に仰天した長は朧丸を怒鳴りつける。
「痴れ者め! やはり貴様は殺しておくべきであったわ。殺れ!」
長の号令で三人の護衛は腰の小太刀を引き抜くと、足に繋がる鎖を一刀の元に切り捨て自由を取り戻すと猿の如き動きで一斉に襲い掛かる。
その刃が体に突き立つと見えた瞬間、ゆらりと立つばかりの朧丸の姿が消えうせた。
如何に速度の乗った一撃を繰り出した所とはいえども、そこは手練と目される男たちである、いきなり標的の姿が消えた所で同士討ちなど起ころう筈も無く、油断無く背中合わせになって周囲を警戒する、否、警戒しようとした。
三人が背中合わせになった瞬間一人の腹を後ろから貫く刃があった、ゾブリと背中側から腹を貫通したその刃は真一文字に横に引かれ男の血と臓物を地面へとぶちまけた。
如何に背中合わせになったといえども、動く必要がある以上僅かばかりの隙間が存在する、その隙間にどうやってか侵入した朧丸が、一番先に首をへし折った際に男の腰から取り上げた小太刀を使って二人目の腹を貫いたのだ。
「つまらん」
自分が殺した二人の人間の血臭が充満する洞穴の中で、吐き捨てる朧丸。この男にとって自分以外の人間などたんなる獲物でしかない。
そして自分を楽しませてくれない獲物などに何の価値も見出さぬ、その心の内は既に人のそれでは無いのかも知れない。
「こんなものか、実につまらん。 どうやら俺が此処に篭ってから里の人間は腑抜けたようだな」
捨て台詞を残すと興味も無くなったとばかりに外へと歩き出す、その足取りは無造作で隙だらけであった、しかし今何の苦も無く二人を倒してのけたのは紛れも無い事実である。
逆にその隙が恐ろしいと体に染込ませた男達であったが、ここでこのまま行かせる訳にはいかないと追いすがる。
さして速度を上げた訳でも無かったが、長と男達が朧丸に追いついたのは洞窟を抜けた先、陽光きらめく外界であった。
その光を全身に浴びて立ち尽くす朧丸の姿はそのみすぼらしい外観に反して、いっそ神々しく見えた。瞬きする程度の間ではあったがその光景に見惚れた長達が正気に返り声を上げる。
「待て朧丸、このまま逃がす訳にはいかん」
「カッ、逃げる等とは人聞きの悪い。俺に逃げる理由など無いわ」
老いたりといえどもこの隠れ里で長を務める以上は一角以上の忍の者である、これに残り二人の手練を加えた三人で朧丸の周りを取り囲む。
「ぬしの強さは良く知っておる。しかしこの陽光の下ならば貴様の姿を捉えることも容易い、大人しく死ぬがよい」
その身に寸鉄も帯びずにただ其処に立っているだけの朧丸に三方から同時に襲い掛かる、先程とは違い完全に囲んだ上に今は日の光がそそぐ昼日中、先程のような無様は晒さぬ、仮に一人が殺されても残りの二人で確実にその命は奪って見せよう。
地面擦れ擦れを風の如く走り抜け、遂にその白刃を朧丸の体に食い込ませようとしたその時と同時に朧丸の手に二振りの小太刀が現れ閃いた。
相手に武器など無いとして必殺の意志を込めた一撃を振るった三人が朧丸の脇を縫うように先程まで自分が立っていた場所の丁度反対側に駆け抜けた。
「クッカッカッカッカッカ、こんなものか」
殺した二人から奪い取っていた小太刀を他の三人にそれと知れぬように隠しおおせたその技量の凄まじさよ。
朧丸の言葉と共に三人の首がゴロリと地面に落ちる。
首から噴出した血が天高く吹き上げられ、その血を全身に浴びながら哄笑を上げる朧丸。
血の吹き上がりが止まって血の雨を堪能した朧丸がその場を立ち去ろうとした時、長の懐から一枚の割符が零れ落ちていたのが目に留まった。
何の気もなしにそれを拾い上げて死体の懐を探る。すると一枚の書状が入っていたので広げて読んでみる。
「クカカカカカ、なるほどなるほどこの割符を9枚そろえればどんな望みでも叶えてやるか、御所も大きく出たものよ」
正直に言えば朧丸はこんな約束など興味は無い、己の欲しいものなど生きの良い獲物だけだ。だからこそ、この書状の中に一つだけ朧丸の気を引くものがあった。
「この世で一番強い者か」
手練のものを互いに殺し合わせる、それは朧丸の中に暗い喜びを見出させた。
「それを殺せば俺の渇きは癒えるのかね」
何者の意志も知らぬ、ただ殺戮の意志によって朧丸は割符をその手に取った。
業魔流忍者 朧丸 参戦