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Duel ~血闘録~ 【完結】  作者: 小話
4/21

第一幕の参 儀介

奥羽山中の奥深くに在る寒村に問題が持ち上がっていた。近隣の村が巨大な羆に襲われたという知らせが入ったのだ。

決して浅くは無い傷を負いながら、なんとか生き残ってこの村に逃げ延びてきた人間が、村人に促されて、ようやくその光景をポツリポツリと語り始める。



その日は穏やかな日であった、静かに過ぎたと言っても良い。いつもなら雉や兎の一羽も取れぬ事など無いのに、この日に限っては何の獲物も取れなかった。

こんな日も在るだろうと明日の収穫を信じて日が暮れる頃には床についた村人たちであったが、夜の闇深くなる頃にバリバリという何かを壊す音が辺りに響き渡った。

その音で目を覚ました村人は、特に男衆は咄嗟に自らの得物である狩猟用の弓を持ち出して家の外へ飛び出した。

するとそこには長い狩猟生活でも見たこともない程の巨大な羆が、村の外延に在るあばら屋を壊して中にいた人間を咥えて引きずり出したところであった。

その光景をみて男たちは咄嗟に弓に矢をつがえて羆に向けて次々と撃ち放つ、この山中深い村に暮らす以上は皆一角の猟師である。

すでに食い殺されたと見える村人の仇とばかりに放たれた矢は、狙いを違えずに羆の胴体へと吸い込まれた。


「やったか!?」


矢が突き立ったのを見た男達は止めを刺そうと二の矢準備を始めた、しかしそこで信じられない物を見た、見てしまった。

胴に深々と突き立ったと思われた矢が、羆の身震いによってポトリと地面に落ちる、どうやら余りの剛毛と皮の厚さに鏃が肉まで刺さらなかったと見える。

慌てて次の矢をつがえようとするが、羆は自分の食事を邪魔した男達の方にグルリと頭を巡らすと怒りに燃えた赤く揺らめく瞳を向けた。

村人を咥えたままに立ち上がった羆の大きさは人間の倍を超えようかという程の凡そ十二尺はあろうかという巨体であり、咥えられた村人の頭はすっかり口腔に納まっている。

ボリという音と共に噛み砕かれた頭蓋と頚骨が千切れ首から下の胴体が地面にドサリと落ちる。

口の端から血と脳漿の滴が乾いた地面に滴らせた羆が男の方に向かって、大きくその顎を開く。

開かれた口腔のなかには未だ噛み砕かれる途中の肉片が見えており、その中には赤子の頭が半分ごろりと転がっていた。


「ひっ、ひいあぁぁぁっ!」


正面からその口腔を覗いた男の喉の奥から、あまりの悍しい光景に絶叫が迸る。その声に反応するように振るわれた鈎爪は男の上半身を綺麗に吹き飛ばす。

胸から上をザクリと抉られた男はその絶叫を置き土産に奇怪な赤い噴水を噴き出す彫像と化した。


「フボアァー!!」


鮮血をその身に浴びた羆は、血の匂いと己に恐怖する人間の感情を知って昂ぶったか、月に向かって咆哮を上げると一気に村人に襲い掛かる。

血で紅く染まった巨体が縦横無尽に踊り狂う、その腕が、爪が、牙が閃くたびに血と絶叫が辺りに響き亘り、その度に死体が積み重ねってゆく。

既にこの小さな村は、この暴君たる羆の狩猟場でしかなかった、傷を負いながら逃げ出した者には眼もくれずに暴れまわり、その勢いのままに周囲の家へと突進する。

寒村に立つ東屋などこの凶獣の前には枯れ木の山と変わるまい、速度のついた体当たりと豪腕から繰り出される一撃によって倒壊し、中で震えながら父や夫、兄が戻る事を待っていた女子供が次々と同様の運命を辿る。

こうして山間の寒村が一つこの地より消え失せた。



男は全てを語り終えるとそのまま蹲り声を限りに泣き出した、嗚咽に混じって何人かの名前が上がるのは見捨ててきた家族と仲間の名であろうか。

大の男が仇も取らずに只々赤子のように泣くしか出来ぬとは、件の羆とはどれほどの化け物かと、話を聞いた全員が戦慄に震えた。


「儀介に頼むしかあんめえ」


誰かがポツリとそう漏らした、儀介はこの村の外れに住んでいる猟師で、昔はその弓の腕を買われて地方の豪族に仕えていた事もある男である。

もっともその豪族は勢力争いに敗れ、一族郎党皆殺しの憂き目に会ったそうで、儀介もまた主家の滅亡と共に村へと帰って来た。

今は妻のたきと、たきとの間に生まれた一人娘のきくと三人で狩猟を生業にして暮らしており、これまでに何度も驚くような大きな獲物を仕留めた事があった。

村長もその意見に頷くと、若い者に儀介を呼んでくるように言いつける。近くに居た男が

直ぐに走り出し、程無く儀介親子が住む小屋へと着き声をかける。


「儀介さん、大変なんだ。ちょっと村まで来てくんろ」


三度大声で呼びかけると、がたつく扉を開けて齢三十を超えた辺りの男が姿を現した。

ギョロリとした眼と薄い髪に日焼けした肌、その男臭い顔には何の表情も浮かんでおらずその心の内を伺えない。

外に出てきた儀介に村長が呼んでいると伝えると、儀介は小さく頷いてそのまま村へと向かった。

村に到着すると直ぐに村長の家へと連れて行かれて事のあらましを聞かされ、件の羆を退治できるのはお前だけだと頼み込まれる。

顔色一つ変えずに話を聞いていた儀介は、村長の話が終ると同時にのそりと立ち上がり、外へと向かう。

承知とも否とも応えぬ儀介に対して、周りで事の成り行きを見守っていた村人から非難の声が上がるが、村長は儀介の足取りが先程この家に現れたときとは違い、既に音も無くすべるように歩くマタギ達独特の歩方に変わっていたのに気が付いて回りで騒ぐ者を黙らせて言い添える。


「頼んだぞ」


特に返答もせずに立ち去った儀介であったが、良く見れば背中の筋肉が一回り盛り上がり、半眼になった眼差しも鋭さを増している。今この時から戦いは始まっていたのだ。



村で熊退治を頼まれた儀介はその日の夜には既に山中深くに身を潜めていた。

家に戻ると熊の毛皮をなめして作った外套に山歩きようの脚半に着替え、腰には大振りの山刀と予備の矢筒を、手には愛用の強弓を握りしめ、背中には二丁の種子島を背負って早速狩りへと向かった。

先ずは惨劇のあった村へと脚を伸ばして惨状を詳しく見て回る、其処彼処に喰い散らかされた肉片と骨が散乱しているが、家の数に比べて人間の死体の数が少ない。

何人かは逃げおおせた可能性も在るが、恐らくは自分の巣穴に持ち込んだと中りをつけて視て回ると、死体を引きずった跡であろう血の川が森へと続いているのを発見した。

その跡を追いかけると段々と血の跡は薄くなり遂に消え去ってしまったが、儀介の眼には羆が辿った道がしっかりと見えていた。

羆はその巨体ゆえに自らの痕跡を完全には消す事が出来なかったのだ、眼をこらせば木の幹についた獣毛と、爪によってつけられた縄張りを示す傷がある。

その辺りの地面を注意深く見てみれば巨体ゆえに地面につけられた一際大きな足跡が見つかり、そして巨体にみあうような獣道と言うには余りに大きな道が森の奥へと続いていた。

暫く進むと崖の割れ目が丁度洞窟のようになっている場所に出てきた、その洞窟の傍には糞が落ちており、此処が羆の住処と知らせていた。

儀介は洞窟に慎重に近寄ると耳をすます。洞窟の中の音を細大漏らさずに聞き耳を立てるが、羆の呼吸は感じられない。

そこで待ち伏せするべく落ちていた糞を自分の体に塗りたくり入口が良く見える木に登って種子島を脇に抱えて自然と一体化する。

マタギは獲物が通るまでその存在を周囲の自然と同化させて辛抱強く待ち続けることも技能の一つである。

儀介は完全に自分の気配を消し去り、周囲の自然と完全に一体化した。何時しか日は翳り辺りに夕闇が迫る頃、遂に凶獣たる羆が姿を現した。


「ガフッ、ガフッ」


羆は今日の獲物である人間を引きずっていた、その為か儀介の直ぐ下を通るがその存在にまるで気が付かない。羆が直下に来た瞬間に儀介の眼がカッと開かれると同時に儀介の全身に狩人としての闘気が満ち溢れる。

その凄まじい気は山の魔物たる羆をも一瞬怯えさせた。

その隙を見逃さずに脇に抱えていた種子島の火口を開き、羆の眉間に目掛けて撃ちこんだ。

轟音と共に放たれた銃弾は性格に眉間に命中し、血の花を咲かせる。

ドウと横に倒れる熊をみて、木から飛び降り無造作な足取りで仕留めた獲物に近づく儀介だが、あと一歩という距離でピタリと足を止め種子島を投げ捨てる。

種子島が地面に落ちる音に反応したのか、羆は閉じていた目を開くと額の傷など知らぬと目の前に立つ儀介にその爪を振るった。

しかしその爪は空を切る、儀介は自分が放った種子島の一撃がこの巨獣の頭蓋を割ることが出来ずに、単に皮の一枚を破ったに過ぎないと近くに寄った瞬簡に気がついた、それゆえに、その爪牙の一撃を難なく回避する事に成功していた。

間断なく振り下ろされる爪をかわしながら愛用の弓を構える、儀介にとって必殺に武器は種子島では無い、自らが鍛えた弓の腕とこの強弓こそが真の力だ。

走りながらも愛用の弓を引く手に遅滞は無い、手に持つ矢の数は親指と人差し指と中指で引き構えた一本と薬指と小指の間に挟んだ予備の一本。

突進してくる羆をかわして距離を取ると真っ直ぐに立つ、勢いのついた羆は六間程先まで走っていき、其処で儀介振り返る。


「……ふんっ!」


その瞬間、儀介の手より矢が放たれる。轟という風切り音を上げて飛翔した矢は狙い違わずその羆の顔面その二つの眼を貫いた。

驚くべきは如何に巨大な獣とはいえ眼球は小さい、その小さな眼球に狙いをつけそしてその通りに命中させた精度、そして粗同時に二本の矢を放ったという技量であろう。

そう羆はこの一瞬でその両目を其々の矢で貫かれていたのだ、同時に撃ったのではない一本目の矢を放った際にその軌道を見て、当たった羆の動きを完全に予測して目にも留まらぬ速度で二の矢を番えて放ったのだ。


「ゴフアーッ!」


両目を潰された羆であったが、それでもこの魔物は儀介に襲い掛かる。確かに儀介は糞で自分の臭いを隠していたが、種子島を使った事で火薬の臭いが体に着いていた。

その臭いを頼りにした一撃は正確さには欠けるだろう、しかし自分の体を傷つけた者にたいする怒りがその力を倍加させていた。

振るわれる豪腕は、儀介の胴ほども在る大木を易々と薙ぎ倒し、牙の一撃は岩をも噛み砕く。

しかし儀介に恐れは無い、腰の矢筒から新たな矢を取り出すと自ら懐に飛び込み至近距離から撃ち放つ。


「ギャフー!」


至近から撃ちこまれた矢は四尺余りのの半ばを羆の体にめり込ませた。

先程使った矢は遠距離用の鏃が小さく軽いもの、これは近距離用の鏃が大きく重いものである。

引くにも放つにも力が要るが、貫通力と破壊力は前者の比ではない。

それを先程と同様に二連射、更に近寄った事で正確に肋骨の隙間から心臓に撃ち込んでいた。


もんどりうって倒れこむ魔獣であったが、その巨体に相応しく心臓を貫かれても未だに暴れまわる。


「……ふぬ」


最早、誰を狙うでもなく只痛みと怒りによって暴風と化した羆に今度は遠距離用の矢よりも長く、近距離用の矢余よりも重い、鏃は螺旋をかいた儀介が手ずから造った特別製の矢を向けて一本だけを撃ち放つ。

鉄が空気を引き裂く独特の風きり音を引き連れた矢は、なおも戦う為に叫び声を上げようとした羆の口中から飛び込みその巨大な胴を射抜いた


「ガホッ!」


流石に体の中をその螺旋によって抉り取られた羆は断末魔の叫びを上げて事切れた。この一撃を持って魔獣の生は遂に終焉を迎えたのであった。




獲物を背負い村に帰った儀介は英雄の如くに迎えられ、酒を振舞われ村人総出での宴会が開かれた。

宴も終わりに近づき、儀介も解体した獲物の肉と毛皮を持って家路へとつく、扉を引き開けた瞬間いつもならば真っ先に飛びついてくる小さな姿が無いのにいぶかしむ。


「……?」


小さな家は一目で全てを見渡せる、そこに見えたのは床に伏せる愛娘の姿であった。


「……!」


荷物を放り出して慌てて側へ寄ると、看病していた妻のたきが泣きながら訴えてきた。


「ああ、お前様きくが、きくが流行り病になっちまった。このままでは時期に命を失うそうな」


儀介に縋りつき涙ながらに如何したらいいのかと尋ねてくる妻に、儀介も答える事が出来ずにいた。この病には確かに良く効く薬がある、しかし余りにも高価なその薬を手に入れる術は儀介には無かった。

仮に村長や村人に頼んでも、一回二回の量は手に入れる事が出来るかもしれないが、完治するまでは面倒を見られまい。

先程仕留めた巨大な羆ですら、金にしてしまえば普通の熊と変わらぬ値しか付かないのだ、第一此処には薬そのものが無い、絶望に身を沈めるしかないかと嘆き悲しむ儀介とたき。


「そう悲しむ事もありませんよ、旦那」


そこに見知らぬ声が掛かった、何者かと振り返るとそこに薬屋が立っていた。何故この瞬間に都合よく薬屋がいるのかは分からない。

しかしこれも仏の導きかと薬は無いかと尋ねれば、丁度都合よく持っているという。


「お金は何とかいたします、どうかどうかその薬を譲って貰えませんか」


懇願するたきに薬屋は一つの条件を提示する。


「なに、旦那ならそう難しい話じゃありません。実は然る大名がこの割符を集めているんで、これは全部で九枚在りやしてね。それぞれ一角の人物が持っているんでさ」


ニヤリと嫌らしい顔つきで笑う行商人、つまりは金の代わりにその割符を集めてくれれば薬を渡す、やらないなら薬を渡すつもりは無いと言っているに等しい。

この話は正確にはその大名から出て、腕の立つ人間を探している所に偶々自分に白羽の矢がたったのだろう。

しかしきくの窮地にあたって、この偶然は儀介夫妻にとっては天恵にも等しい事であった。


「……前払いだ」


差し出された割符を掴み取る儀介の目には、最愛の家族の守る為に闘う事に何の迷いも浮かんでは居なかった。



マタギの儀介 参戦


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