第一幕の弐 破巌坊
中仙道に程近いある宿場町の廓で主人が困惑顔をして佇んでいた、主人の前には障子があり、その奥からは店の店子である女郎の嬌声が今も引切り無しに続いていた。
この部屋に陣取った客は既に三日三晩を女と酒に費やしているのだ、その為に酔いつぶれ、抱き壊された女は既に五人に及んでいた。
ゴクリと咽を鳴らして口中に溜まった唾を飲み込むと、意を決して部屋の中に居る人間に声をかける。
「もし、お客様、ちょいと話があるのですが出てきて貰えませんかな」
「ああんなんじゃ、今忙しいんじゃ話なら後にせい、後に!」
静かながらも硬い声音で問いかけられた部屋の人間は主人の申し出に怒鳴り返した。と同時に部屋から聞こえる嬌声が一際高くなってゆく
主人はそのままの姿勢で暫し待つと、うっという呻き声と一際大きな女の悲鳴が聞こえて静かになった。
そこを見計らい再度部屋の中へと声をかける主人、今度は先程よりもまともな返事が返ってきた。
「なんじゃ、まだ居ったのか。今は忙しいと言ったじゃろうに、おお其れよりも新しい女を用意せい、早くな」
もっともそれは主人の意図する所とは全く別の返事ではあったが。それにめげずに主人は声を張り上げる。
「お客様、金子を払っていただけるなら直ぐにも用意いたしましょう。しかしながら既に三日三晩の豪遊三昧、ここで一度今迄の代金しめて十五両お支払い頂きたい」
十五両といえば現代の貨幣で約九十~百万円程になる、三日で十五両というのは中々の豪遊振りであろう。
主人からの催促に部屋の主たる人間は暫し黙考すると、先程より大きな声で豪快に言い放つ。
「ふん残念じゃが金など無い、そこでどうじゃ儂を用心棒に雇え、それでチャラという事にしようではないか、ん?」
全く悪びれる様子も無く、堂々と言い放つ部屋の男。それどころか言葉が終わると又女の嬌声が部屋から聞こえ始めたではないか。
これには宿の主も唖然とする、しかしながら廓を生業にするような人種である、無論この手の人間に対する対応も心得たものである。
今まで顔に貼り付けていた、人の良さそうな表情を一変させる。目は吊りあがり口も同様にニイと上がる。
「これはこれは剛毅なお方だ。しかしですねぇ、そんな寝言が通用する訳無えだろうが!」
主人の怒声と共に柄の悪い男達がぞろぞろと集まりだす、この宿場を取り仕切るヤクザ者である。
「引きずり出して来い!」
「へいっ!」
一声かけるのと同時に一番前に陣取っていた若衆が二人障子を勢いよく引き開けて部屋に押し込む。
慌ただしい足音と勇ましい掛け声を発しながら部屋へと乗り込んだ若衆であったが、部屋に入った直後にぬうと突き出された腕に顔面を殴られて部屋からたたき出される。
無様に宙を舞った若衆の一人はそのまま庭の岩に頭を叩きつけて動かなくなる。もう一人は未だに部屋から出てきてはいないが、呻き声だけが部屋の中から聞こえてくる。
人間が宙を飛ぶ光景を目撃した他の人間は部屋に突入する事に躊躇して、障子の前で其々の得物を構えた。
ヤクザ側の圧力がジリジリと高まっていくのとは別に部屋の中からは未だに女の嬌声が続いている。
遂にその圧力が頂点まで達し集まったヤクザ者が揃って部屋へと踊りこもうとしたその時、ズンという音と共にぬうと大黒柱のような足が障子の奥から伸び、次いで大木のような腰、石垣が如き胴、丸太のような腕と巌のような顔が現れる。
着崩して胸から腹が露になった僧衣と、どうように下帯を肌蹴た腰には繋がったままの女郎を左腕だけで女の腰を支えている。
右手には先程押し入った若い男の顔面を握り締めて引きずりながら部屋からのっそりと出てきた男の生業は、剃髪と首に下げた数珠をみれば容易に僧侶と想像がつくだろう。
しかしその天を突くような八尺二寸の巨躯と巌のような顔に刻まれた刀傷とが合いまった髭面が僧侶は僧侶でも僧兵と呼ばれる物である事を物語っている。
「ふん、折角楽しんでおったところを邪魔しおって、うぬら全員地獄へ落ちるぞ」
つまらなそうにブツブツと文句を言いながらも腰を振るのを止めない僧兵に向かって宿の主人が声を上げる。
「喧しいやサンピンが、何時までも腰振ってんじゃねえ! お前らさっさとコイツをぶちのめせ」
主人の怒声に後押しされるように手に手に光物を構えたヤクザが僧兵に襲い掛かる。距離を詰めてくるヤクザを睥睨すると右手に握り締めていた若衆を無造作に振り上げて叩きつける。
同時にゴキリという鈍い音がして若衆の首が折れピクピクと痙攣したかと思えば動かなくなる、若衆を叩きつけられたヤクザもそのまま巻き込まれて若衆と同様の運命を辿った。
労せずに二人を片付けて隙間が出来たそこへ僧兵はヒョイと女を腰に乗せたまま踊りこむと、丸太のような腕を無造作に水平方向に振り回す、その腕に巻き込まれた者が木の葉のように吹き飛ばされる。
その膂力に恐れをなしたのか周りを囲むヤクザに動揺が走るがそれも一瞬の事、此処で引いたらヤクザとしては負けである、腰溜めにしたドスごと体当たりを慣行する。
横から迫る凶刃に対して向き直り棒立ちのまま、正面から受ける僧兵。衝撃と肉に刃が突き立つ確かな手ごたえを感じたヤクザの顔に笑みが浮かぶ。
「ぎゃあああああ!」
一際高い声が辺りに響き渡る、しかしその声は僧兵が発したものではない、僧兵の正面には腰に繋がったままの女郎がおり、その白い肉に刃が食い込んでいた。
僧兵はかわせなかったのか、かわさなかったのかは分からないが、躊躇い無く女を自分の盾に利用した、その動きが刺激を促したのか小さく呻くと腰をブルブルと振るわせる。
同時に腰に繋がっていた女がぐったりと崩れ落ちる、自分が盾として使った女をまるで壊れたおもちゃを扱うように投げ捨てるとその顔に凄みのある笑みを浮かべる。
「さあてスッキリした事だし、拙僧が迷えるヤクザを往生させてやろうかい」
着物の前を肌蹴たままで、にやりとすると右手を袖の中に納めると一歩を踏み出すと同時に隠した右手を振るう。
轟という音と共に数人のヤクザ者が吹き飛ばされた、同時に先程までとは違い何時の間にか黒金の杓杖が僧兵の腕に握られていた。
この鋼鉄の杓杖に打擲されたヤクザはそれだけで骨が砕かれ、打ち所の悪かった何人かは事切れていた。
何処から取り出したかも見ることが出来なかったヤクザ達に動揺が広がった隙を見逃さずにブンと杓杖を振り回す僧兵。
その一撃を受けてヤクザ達の頭部が次々と熟した柘榴の如く弾け跳ぶ、暴風の如き鉄の洗礼が過ぎ去ったとき、その場に立っていたのは宿の主人と僧兵の二人きりであった。
獣の如き乱杭歯を剥き出しにして主人に笑いかける僧兵に怯えた主人が奇声を上げて逃げ出すのをそのまま見送ると、血の海に沈んだ部屋の一角から徳利を持ち出してグビリと酒を喉に流し込む。
「ぷふう~」
「お見事、流石は強力無双と謳われた破巌坊殿ですな」
酒を飲んで一息吐いたところに横合いから声を掛けてきたのは陣笠を被った侍装束の人間であった。
さして興味無さげに一瞥をくれるとどっかり縁側に座り込み、再び酒を飲み始める。
「初めから見ておったろう、拙僧になにか用かな」
「話が早くて助かる、御坊の力を見込んで頼みがある。報酬は望みのままに渡そう」
「ぐはははは、望みのままとは剛毅な事よ。ならば金千両とふっかけようか」
望みのままに報酬は渡すという侍に、無理と思われる額を提示する破巌坊であったが次の返答に言葉を失った。
「ならばよろしい、事が成就した暁には金壱万両を出しましょう」
「なに、本気かおぬし?」
「その代り仕事は完璧にこなして貰うぞ」
そう言うと破巌坊の元に一枚の割符を投げてよこす、それを受け取り胡乱な視線を侍に向ける。
「その割符を九枚全て集めてもらおう、それが出来れば金壱万両だ」
「この割符にはそれだけの価値があるという事かな、ん?」
「それ以上の詮索は無用、ただし他の割符を持っているのは何れも手練の人間という事よ」
「くく、良かろうさ。要は他の人間を殺して残りの割符を奪って来いというのだろう」
話を聞いて、先程よりも獰猛な笑みを顔に貼り付ける破巌坊。その顔は鬼かと見紛うかというものだ。
のそりと立ち上がると肌蹴た着物をぞんざいに直して新たに出来た獲物を探して歩き出した。
裏本願寺流杖術 破巌坊、参戦