幕間
京の町に存在する東屋の中に猿、狐、狸、蛇の四匹の獣を模った面を被った四人の人間が集っている。
世の影に潜みしものか、それとも影の闇に住まうものか。
何れにしろ尋常の者達で無いのは明白であろう。
その内の一人蛇の面を被った者から言葉が紡がれる。
「企ては順調か?」
「残るは二人と相成り申した」
「後は何れが公に挑むかを決するのみと」
「それだがな、安土より公が出立するとの沙汰があった、更に道中京において会合を開くとの由、この好機は逃せん」
膝元であり堅牢たる安土城には如何にこの四人であろうとも手が届く事はない。
しかし備中高松城攻めに難航していた秀吉が信長に出陣して欲しいと要請してきたのだ、尤もこの要請は秀吉が一人で処理できる段階に来ていたにも関わらず、信長に対して高松城陥落の功を信長に譲る為に呼んだに過ぎないのだが、それを知りつつも信長自ら備中へと出立するとの下知が出された。
しかも途中で堺の豪商たちとの会談を設けているために本隊に先んじて僅かな供回りを連れての京入りである、これは信長の絶対の自信ではなく油断の表れと四人の目に映った。
「確かに、この好機を逃せば次に機会が訪れるのは何時になるか」
「上手くすれば嫡男である信忠すら討ち果たすことも可能」
「ならば二人共に送り込んでみるか」
「ふむ、そうなると舞台は何処が適当か?」
四人の真ん中にたった一つだけ灯された蝋燭の薄明かりの中で、ぼうと浮かび上がった四つの面が口々に語る姿は正しく魑魅魍魎の集いと見える。
事実語られる言葉は欲に満ちている、しかし是こそが戦国の世の縮図に相違ないこともまた事実。
「ではその様に」
「異議なし」
夜も白んでこようという刻限になり全てが決し四つ魍魎の姿が消え失せる、後に残されたのは溶けた蝋の臭いだけであった。
明けて天正十年六月一日、織田信長は京に滞在するにおいて常宿としている本能寺に居た、この本能寺は法華宗本門流寺院でありながら周りに堀と土塀が張り巡らされ一種の平城になっている。
その本能寺に設えた部屋で正室である帰蝶と夕餉を取りながら信長は背骨から這い上がるチリチリとした感覚に昂っていた。
これは桶狭間、姉川、比叡山、長篠など己の帰趨ともいえる時に相対したときに感じるものに相違ない、この勘を信じるならばこれより己が運命を決する何事かが起こるだろう。
「是非におよばず」
その予感を心地よいものと感じて悠然とした笑みを湛えて帰蝶が注いだ杯を呷った。
京の鴨川の畔を歩いていた紅林左近の下に一人の女が姿を見せた、その女は左近に割符を託した女に相違ない。
女は左近の前に膝を折って傅くと左近に何事かを告げて去ってゆく。
その言葉を聞いた左近は不敵な笑みを浮かべるとただ一言を呟いてその歩みを再開させた。
秋葉太夫と別れてから数日後京の町に居た、松平信之助の前に網笠を被った男が訪れた、その男は何も語らずにただ一通の書状を置いて去ってゆく。
信之助は置いてゆかれた書状に目を通すと、その瞳を爛と輝かせて小さく言葉を紡いだ。
秀吉救援に赴く信長の先触れとして進発した明智十兵衛光秀は嵯峨野を出て衣笠山の麓に陣取ると配下の武将を全て呼び集めて号令を発した。
「敵は本能寺に在り」
奇しくも三人の男から異口同音の覇気に満ちた言葉が発せられた。