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Duel ~血闘録~ 【完結】  作者: 小話
15/21

第二幕 第伍闘


女三人の一行が京を目指して旅を続けていた、三人が三人とも京の都にもそうは居ない美女ばかりである、当然のように人目を引くであろう一行は遊郭桜花楼の遊女、秋葉太夫と御付の梢、桔梗の三人である、もっとも現在この眼福に与っているのは残念な事に当の本人たちだけである。

秋葉太夫と並んで歩く桔梗とその一歩先を行く梢の三人は若葉萌える新緑の中を周りの景色を楽しみながら、小鳥の唄と虫の囁きを先導にして川縁の道をのんびりと歩いて行く。

暫くの旅の道行を楽しんでいると一行の前方に一人の老人が重そうな荷物を背負ってヨタヨタと歩いているのが目に入って来た、覚束ない足取りでえっちらおっちらと歩く姿を見た梢が足早に寄って声を掛ける。


「お爺さん荷物重いでしょ? 支えてあげる」

「お? おおこりゃご親切にどうも、支えてくれるのはありがたいがそれよりもこいつは如何かな」


声を掛けられた老人はどうやら行商人らしく驚いた顔をして礼をいうと背負っていた行李を下ろして道端で荷物を広げてみせた、その行李の中には色とりどりの簪や櫛などの装飾品が納められており、見事な輝きを放っている。

それを見た梢が眼を丸くして驚いていると、後からやってきた秋葉太夫と桔梗もその荷に驚いてしげしげと眺め見る。


「さあさあ、そちらの別嬪さん方もどうだい、こりゃ一寸した細工物だよ」


好々爺とした物腰で盛んに商品を進めてくる老人とその老人の態度に対して苦笑いを浮かべつつも近寄ると道端に広げられた装飾品の数々を覗き込んであれこれと話し出す三人。

幾つかの品物を手にとってみると並べられた装飾品は全て見事な作りの物であると知れる、赤黒の漆が塗られたもの、鼈甲の細工物、無垢作りでありながら細やかな装飾が施された物等、秋葉太夫が桜花楼で身に着けている簪一本で一両を超える様な高級品と比べても遜色無い品揃えである。

流石にこんな場所でこれほど見事な装飾品に出会えるとは思っても見なかった三人は色々と見比べてみる、特に梢などは大はしゃぎだ。


「こりゃまた見事な品物じゃのう」

「京に売りに行く途中でさ、お公家様にも御用を言い付かる職人のもんで」


しげしげと商品を眺めた秋葉太夫が銀の台に翡翠の飾りが美しい簪を手にすると、行商人が買ってくれるようにと促してくる、値段を聞けば驚くほどとは言わないが市価の八割程で売るという。

この話を聞いた梢と桔梗は既に漆塗りの櫛やら組紐やらを手にとって巾着を取り出そうというのか着物の袂に手を入れていた、その姿を見て顔に苦笑いを浮かべる秋葉太夫。


「其方様もお一つどうですかな?」

「そうさね、一つ貰おうかの」


老人が薦めていた銀の簪とその手前にあった白甲の簪も手に取って秋葉太夫はにこやかに微笑みながら他の二人と同じように袂に手を入れる。


「それじゃあこいつが代金……じゃ!」


鋭い声と共に袂から出された腕には金子の代わりに鉄扇が握られていた、びょうという風切り音とともに老人の首目掛けて振るわれた鉄扇は狙い違わずにその首を圧し折った。

ごきりという嫌な音が響き笑顔を貼り付けたままの頭を乗せた首があらぬ方向に曲がってくたりと力無く垂れ下がる。

秋葉太夫が暴挙に出た瞬間に梢と桔梗の二人も懐から短刀を抜いて老人の身体へ突き立てた、更に追い討ちとばかりに首を折った鉄扇を広げた秋葉太夫は行商人の骸を二つにしようと切り掛かる。

振るわれた鉄扇の刃が行商人の身体を二つに裂こうとした時、既に動かぬはずの老人の身体が蜻蛉を切って宙へと飛び上がり河の中に突き出た岩の上に着地すると大声を上げた。


「なんと酷い事を御主ら追いはぎの類だったかい!」


骨が折れたことで支えを失った老人の首が胸の前でぶらぶらと揺れながらも罵りの言葉を口にする光景を見て驚愕する梢と桔梗をよそに秋葉太夫は毅然として言い返す。


「おふざけも程々にしときんす、そんな匂いを纏わりつかせて本気で気がつかれないと思った訳でもないじゃろ?」

「……血の匂いは消した筈だったがな」

「血の匂いは消せても、体に染み付いた死臭は消せんよ」

「クカカカ成る程な、それに気が付くお前も俺と同類か」


声の調子が変わった老人の身体が岩の上で音も無く立ち上がる、すると其処に現れたのは先程の老人とはまるで違う上半身は肩から指の先までを布を捲いただけの格好で軽衫を穿いたざんばら髪の男、朧丸であった。

朧丸の手には笑顔のままの行商人の首が乗せられており、まるで女童がお手玉でも楽しむようにくるくると弄んでいる。

朧丸を見た瞬間秋葉太夫は全身に雷が落ちたような衝撃を味わっていた、目の前にいるこの男こそ自分の村を滅ぼしたあの化け物である。

確かに一夜の間の僅かな記憶しかないが、仇敵たるこの化け物を見間違えることなど有りはしない、何故なら自分が此処まで生きてきた理由そのものが今目の前にいる怨敵を討ち滅ぼすことであるからだ。

そして今対峙してみてあの遠い日のあの真紅の光景がまざまざと脳裏に蘇り恐怖が浮かぶと同時に、この男の姿を前にして遂に仇を討てる機会を得た歓喜もまた全身に湧き上がり秋葉太夫は笑いながら叫んでいた。


「あっははは漸く会えたねえ、この化け物が!」

「ん、俺を知っているのか?」


漸く会えたと叫ぶ秋葉太夫に対して朧丸は首を傾げた、およそ自分を知っているような人間には見えなかったからである。

自分を知っている者など同じ里の人間か、さもなければ自分と同様の忍びなら噂ぐらいは耳にしたこともあるかも知れない、しかし目の前の女を見る限り確かに腕は立つようだが身のこなしから忍びでは無いと判断できる。

そうなると自分を知っている理由に皆目検討がつかないのだが、どうせ此処で朽ち果てる命に過ぎぬ以上は気に掛ける意味も無い。


「まあ如何でもいい、どうせお前は此処で死ぬ」

「はっ忘れてるってんなら思い出させてやる、わっちの村を滅ぼした化け物が!」


この台詞でどうやら昔手慰みに滅ぼした村の生き残りのようだと検討がついた、皆殺しにしたつもりだったがどうやら生き残っていた人間が居たらしいと思い至る。

実際には朧丸自身が態と見逃したのだが、それも単なる気まぐれに過ぎなかったので覚えてもいないのだろう。


「カカ、喰い残しが健気にも仇討ちとでも言うか? 滑稽よな折角拾った命なら脅えながら生き長らえておれば良かろうに」

「はん! 冗談をお言いじゃあないよ、わっちはあんたを殺す為に生きてきたんじゃ此処で退く道理はありんせん」


二人の間で見る見るうちに殺気と緊張が高まってゆく、すでに周囲の気配は氷の如く冷たく凝固し先程まで生命の賛歌を歌っていた鳥や虫は息を潜めて静まりかえっている。

小川の音だけがさらさらと流れる中で一陣の風が木の葉を舞い落とした。

新緑の葉が二人の間にひらりと舞って千切れて消える、朧丸の鉄杭と秋葉太夫の簪が一枚の木の葉によって出来た僅かな死角から相手を襲うべく同時に放たれたのだ。

全くの同時、同速で打ち出された鉄杭と簪は僅かな軌道の違いをもって空中で咬みあう事無く相手に襲い掛かる、しかしこんな小手試しの投具など双方共にかわすまでも無い、秋葉太夫は閉じた扇で叩き落し朧丸は裏拳で打ち払う。

同時に朧丸が岩の上から跳躍する、その軌道は低く水面を渡る風のような速度で秋葉太夫の眼前まで一気に迫ると鳩尾目掛けて下から拳を突き上げた。

秋葉太夫は鳩尾に迫る拳を広げた扇で受け流すと、簪を投げた後に取り出していたもう一本の鉄扇で目の前に居る朧丸に斬りかかる。

自分の拳が相手の鉄扇に阻まれるのは予想していた、しかし相手の舞うような動きはその一つ上を行き受けられた拳が脇へと流される、そして受け流した相手は己の脇に滑り込んで一撃を与えようと鉄扇を振り下ろしてきていた、扇の縁が鋭い刃になっている鉄扇をその身に受ければ腕の一本など簡単に地に落ちよう、それならばと此処は流された態勢をそのまま利用して一気に脇を駆け抜けて背後に回る朧丸、その両腕には鉄杭が握られていた。

首を切り落としてやろうと振るった鉄扇であったが、その一撃は虚しく空をきった、その直後自分の背後に殺気が膨れ上がるのを感じた秋葉太夫は振り下ろした勢いそのままに着物の裾を割ると陽光に白く反射する艶かしい大腿部を惜しげも無く晒して真後ろに蹴りを放つ、鈍い音がすると同時に足に壁を蹴ったときに似た感触があって秋葉太夫の体は前方に大きく跳び出した、その飛び出した瞬間に垣間見えたのは両腕を十字に組んだ朧丸が一歩下がった所であった。

秋葉太夫の後ろに回った朧丸は両手に持った鉄杭を相手の身体に突き立てる積もりであったが、思いのほか反応の良い秋葉太夫が咄嗟に前方へと身体を投げ出して此方を蹴りつけてきた

その蹴り足を咄嗟に腕を十字に組んで防いでそのまま鉄杭を飛ばして串刺しにしてやろうかと目論んだが、華奢な見た目に反して中々に重い一撃であった為に思わず一歩蹈鞴を踏んで下がってしまった、並みの武芸者の感性ならば女に一撃を貰って後退するなど屈辱を覚えるかも知れぬが朧丸はそんな感覚には縁が無い。

単純に自分と相手の力の差を測る目安にするだけだ、そして今の咄嗟に放ったにしては存外に重い一撃を考えれば全身が発条のように鍛え上げられているのだろうと推察出来る。

見目麗しい小鳥を狩ろうかとちょっかいを掛けてみれば意外や、この女は己という毒蛇を喰らう孔雀かも知れないと朧丸は秋葉太夫を油断のならぬ相手ではあると評価した。

朧丸から距離を取った秋葉太夫は自分の蹴りで朧丸が蹈鞴を踏んだのを好機と見て体勢を整えるのも惜しいとばかりに開いた間合いを猫科の猛獣が獲物に刈り取るような跳躍でもって襲い掛かる。

空中で回転しながら両手に持った鉄扇で相手を切り刻もうと繰り出される、その竜巻のような連続攻撃に晒された朧丸はその斬撃を尽くかわす、かわすがしかし次々に繰り出される攻撃に遂にかわしきれずに腕での防御を強いられた。


「貰ったよ!」


かわしきれずに腕でもって一撃で止めようする姿に己の鉄扇ならば腕の一本など軽く両断することが出来ると叫び斬り付けた瞬間、朧丸の腕に吸い込まれた鉄扇が金属音を打ち鳴らして止められた。


「なんじゃと?!」

「カカ!」


哂う朧丸の腕から鉄杭が放たれる、至近で放たれたそれは流石にかわしきれないが袂の袖を翻して絡めて落とす、打ち振った袖を収めた瞬間に鈍色の軌跡が迸る、咄嗟に後ろに跳んで難を逃れるが左の袖がざっくりと切り裂かれて地に落ちた。

対峙する秋葉太夫と朧丸、秋葉太夫は切られた右袖を肩口から千切ると投げ捨て、朧丸は左腕に巻きつけられた布がパラリと解けて地に落ちる。

双方共に身を覆っていたものを失った形だが白い生肌を晒した秋葉太夫に対して朧丸の腕には陽光を反射する鋼の篭手が備わっていた。

その篭手を朧丸が嘗て殺した男から奪ったものだと知るのは当人以外には誰も居ない、その篭手のお蔭で腕を一本貰い損ねたと舌打ちする秋葉太夫。


「カカカカカ、やはりやるか」

「ち、化け物が」


この攻防を見ていた梢と桔梗は背中に冷たい汗をかいていた、何故なら二人はこの一瞬の攻防に追いついていけなかったからだ、遠間からなら何とか眼で追えるが秋葉太夫と同じように肉薄した状態からはおそらく、いや完全に追いつけないだろう。

しかし二人もまた秋葉太夫には及ばぬものの自分の腕を頼りに渡世を生きてきた一端の女傑である、このまま手を拱いているなど自分達の矜持が許さない。


「太夫!」

「助太刀します!」


震える気持ちに叱咤を加えて秋葉太夫に横に進み出ようとする二人であったが、歩を進めるその眼前に鉄扇を突き出して止めたのは他ならぬ秋葉太夫であった。


「こいつの相手はわっち以外じゃ務まらん、下がっといで」

「でも!」

「わっちは邪魔じゃと言うとるんじゃ」


秋葉太夫の力になりたいというその気持ちを知って尚秋葉太夫は二人に邪魔だと告げる、酷な様だが当の秋葉太夫に邪魔と言われては従うしかない、それでも油断無く構えながら後ろに下がる二人をクツクツと哂いながら見逃す朧丸。


「いいのか? 三対一ならまだ勝つ見込みが在るかもしれんぞ」

「はっ、お前如きの相手はわっち一人で十分ということじゃ」


嘲笑う朧丸の言葉に強気の言葉を返す秋葉太夫であるが、実際のところは今の手合わせから自分でも五体満足で勝てるような相手ではないと骨身に染みたのだ、そんな化け物相手では梢たちに助太刀されても逆に二人の安否にまで気を割かねばならない事になる、そして当然そんな状況で勝てる道理はあるまい。

もっとも二人を贄に差し出せば朧丸の首級を上げる事も叶うだろう、だがそれは己のために二人の命を使う事に相違無い、敵には幾らでも非情になれるが身内にはやはり情が湧く、口では何とでも言う秋葉太夫であるがこれまで共に暮らして来た家族を犠牲にするのは躊躇われるが故に二人を下がらせた。

己が敗北すれば残る二人もまた殺される、ならば何としてでも勝利、否自分の身が朽ち果てようともこの男を殺すと覚悟を決めて、すうと一息吸い込んでから秋葉太夫は左の袂から色取り取りの扇を広げて朧丸に向かって投擲する。

投擲された扇が回転しながら無軌道に宙を舞って朧丸へと襲い掛かる、その扇の縁には鋭い刃が仕込まれており軽く触れただけで皮膚を裂き、肉を抉るだろう。

その数実に八、そして秋葉太夫もまた扇が舞い踊る中へ背中から引き抜いた大鉄扇を両手に構えて踊りこんでいった。


自身を囲むように飛び回り次々と襲い掛かる扇の群れから危なげなく身をかわす朧丸に向かって周りを飛び回る様々な色の扇よりも大きな大鉄扇を構えた秋葉太夫が飛びこんでくる。

秋葉太夫は先ずは頭頂から続いて横薙ぎの十字切りを放ってきたがそれを見切ってかわす、しかしかわしたその場所へ周りを飛び回る扇が三つめの斬撃となって飛び込んできて髪の毛を僅かに切り取った。

其処へ秋葉太夫が更に両手の鉄線をもって攻撃を仕掛けてくる、畳んだ扇で咽元を突きにきたのを鋼の篭手で打ち払えばやはり其処へと宙を舞う扇がその身を刻もうと迫る。

周辺を飛び回る刃と自身の両腕から繰り出される連携で相手を追い詰めて仕留めるこの技が、秋葉太夫が青葉太夫から伝えられた奥の手、飛び回る扇を風に舞う木の葉に見立てた技、名を落葉らくようと称する。


「カカ、子供騙しだな」


どの様な技かを看破した朧丸は呵呵と哂うと腕の布を解いて振るい、飛び回る扇を次々と打ち払おうとするが打たれた扇は二つに分かれて飛び回る数を増し、打たれぬ扇はその攻撃を寸前で軽やかにかわす。

何時の間にか朧丸の周囲を巡る扇の数は三十を数えていた、反撃に出ようにも絶えず周囲を飛び回る刃が邪魔をするばかりか、秋葉太夫の持つ大鉄扇で扇がれた扇はまるで生き物の如くに動きを変化させて襲い掛かってくる。

それどころか弾き地に落ちようとしている扇までが一扇ぎでまた空中へと舞い上がり、それと同時に秋葉太夫自らも振るう鉄扇が朧丸を攻め立てる。


「無駄さね、木枯らしに舞う落ち葉からは逃げられん」


自らを人の身を切る寒風と称する秋葉太夫が操り次々と襲い掛かる扇の群れの中で朧丸は全身を駆使して猛攻を凌いでいた、両腕に握った白布を縦横に操り扇を迎撃し、白布の間をすり抜けるものは手甲をもって打ち払い、その隙をついて襲い掛かる秋葉太夫の一撃を受け止める。

受け止めた時に反撃に出ようとするが、秋葉太夫は早々に飛び退いて追撃を許さない、その攻防の末に幾つかの宙を舞う扇の刃が朧丸の防御をすり抜けて身体の彼方此方に傷を刻んでゆく、確かに致命傷には程遠い傷ではあるがこのままでは何時か致命の一撃をその身に刻むことになるかも知れない。


「捉えられぬならば、吹き散らす」


舞い踊る刃の中心で両腕に白布を持ったまま回転を始める朧丸、回転によって白布が身体の周囲を覆いまるで卵か繭の様に見えるがその布が一陣の風を巻き起こす。

一瞬の突風を生み出した事で風の中で舞う扇を吹き散らして僅かな隙間を作り出すと回転した状態のままでその隙間に飛び込んで舞い踊る扇の包囲網を抜け出ると同時に秋葉太夫に白布を叩きつけて両腕を絡めとり、そのまま力任せに秋葉太夫の体を振り回して地面に向けて叩きつけようとする。

宙に浮かされた秋葉太夫は手首だけを返して自分の腕に絡まった白布を鉄扇で寸断して呪縛から逃れて着地するが、直後に伸びてきたもう一枚の白布に足を捕られて転倒させられる。

地面に転がった秋葉太夫に向かって撃ち出された鉄杭をそのまま転がり続ける事で何とかやり過ごし足に巻きついた白布を切って立ち上がった、しかしその身にはやり過ごしたはずの鉄杭が二本その身に突き刺さっていたばかりか掠ったのであろう着物の彼方此方が裂けて白い肌と滲む血が見える。

右の腿と左の二の腕に刺さった杭が灼熱の痛みを齎すが、秋葉太夫は視線を朧丸から外さずに一気に杭を引き抜いて地面に捨てると同時に声を上げながら秋葉は走り出していた。


「逃がしゃしないよ!」

「カカカ威勢は良いがな」


朧丸の前へ飛び出すと身体の痛みを無視して攻撃を繰り出す、時に柔らかく時に激しく両腕に握られた扇の描く直線と曲線の美しい対比が朧丸を攻め立てる。

秋葉太夫の猛攻は舞踊のそれである、流れる動きの中で相手をその踊りに巻き込み必殺の一撃を見舞う、それを受ける朧丸は白布と両腕の手甲で全ての攻撃を捌いてゆく。

横に振るわれた扇は身を沈めてかわし足を掬おうと蹴りを放つ、その蹴り足を跳んでかわすと眼下に居る相手に簪を撃つ、撃ち放たれた簪を手甲で打ち払い白布を刃に見立てて斬撃を見舞う。

下から迫る刃に扇の刃を併せて相殺すると体重を乗せた一撃を大上段から振り下ろす、振り下ろされた一撃を横飛びでかわすと同時に鉄杭を投げて牽制を掛けると鋼に覆われた手刀を相手の身体に一直線に突き込む。

胸に迫る手刀を身体を捻ってかわすとその腕を切り落とそうと斬撃を繰り出す、その斬撃によって腕の肉を浅く切られて血を噴出しながらも独楽のように回転して脇腹を蹴り飛ばす。

脇腹に走る衝撃に顔を顰めながらも叩きつけられた足を抱えこみ遠心力を加えて放り投げて距離を取ると広げた大鉄扇を打ち振り、風を巻き起こして宙に漂っていた扇を操って殺到させる、放り投げられて着地した所に一斉に襲い掛かってくる扇の群れに対して二本の白布を操って迎撃する。

秋葉太夫と朧丸の死合いは輪舞のように続いて行く。


梢と桔梗の二人の眼前で繰り広げられる輪舞の中で白布を操り襲い掛かる刃の群れを相手取る背中が見えた、目まぐるしい攻防の末に動き回ったことで傍から見ていた二人の前方僅か二間という場所に朧丸が無防備に背中を晒していたのであった。

その背中を見た瞬間に傍観者でしかなかった梢が飛び出していた。


「覚悟おっ!」


秋葉太夫と朧丸の戦いを見ていた梢の中には焦燥が芽生えていた、自分は秋葉太夫に選ばれて旅の同行者となった、それは自分が期待されている事だと思っていた。

秋葉太夫の旅の力になれるとそう考えていた、それなのに今のこの状況はなんだと言うのだろうか、宿で襲ってきた巨漢にもこの幽鬼のような男にも自分は何の役にも立っていないではないか、精々が雲助の相手をしたくらいであり、その程度なら自分より腕の劣る人間でも務まることではないか。

梢にとって秋葉太夫は憧れの存在であり、その人に付いてこいと言われた事が単純に嬉しいが故に何とかして力になりたいと強く思っていた、その焦燥が梢に一歩を踏み出させた、踏み出させてしまっていた。


自らに襲い掛かる扇の群れを裁きながらも朧丸の背後から突如として襲いかかったと見える梢であるが実の所は奇襲にもなっていなかった。

朧丸ははっきりと狂人である、他者を苦しめる事を最も楽しみ、他者を虐げる事を最も喜び、他者を絶望させる事を最も好み、他者の命を奪う事をこそ己の糧とするおよそまともとは言いがたい人間である。

だからといってその行動が狂っている訳では決して無い、自分が楽しむために整然と効率良く人間を殺戮するのが朧丸である、故に手ごわいとみた秋葉太夫と存分に楽しむ為に必要なのは不確定要素になる可能性のある二人、梢と桔梗の存在を常に念頭に置いていたのである。

更に言えば秋葉太夫という強敵と戦っている上は全ての神経が研ぎ澄まされている、ならば例え奇襲といえども朧丸ほどの手練が察知出来ぬ訳が無い、当然の如くに梢が走り出す前から後方から剣呑な気配が立ち上がるのに気が付いていたが、目の前の強敵に対峙するほうを優先していただけだ、しかし後ろから迫る者を放置すれば要らぬ一撃を受けることは違いなく、それは朧丸にとって楽しい話ではない。


「邪魔だ」


北の大地にある決して溶けることの無い永久凍土の氷のような冷たい言葉が朧丸の口から毀れると襲い掛かる相手に振り返ることもせずに一本の白布を後ろに向けて突き出した、真っ直ぐに伸びた白布は刃となって女の胸を貫き紅く染まった。


梢は目の前が赤く染まるのを呆然と見ていた、男の背中目掛けて走りだしあと一歩のところで横から突き飛ばされたのだ、地面に倒れた梢が振り返って見た光景は衝撃をもたらした。

そこには胸の中心を真紅に染まった布に貫かれた桔梗の姿があった、此方を振り返りもしない男の腕が動いて布が引き抜かれると同時に傷口から鮮血が溢れ出る。

辺りに血を撒き散らしながら崩れ落ちる桔梗の身体を受け止めた梢の全身が朱に染まる、ゆっくりとだが確実に冷たくなってゆく桔梗の体を抱きしめた梢の絶叫が辺りに響き渡った。


「桔梗姐さん! なんでっ?!」


桔梗は冷静にこの戦いを観察していた、そして朧丸の実力を自分達では対抗出来ないと判断を下した、少し前に戦った破戒僧も自分達の実力では相手にもならない強者ではあったが、その裏に透かして見えたのは色欲であった為に付け入る隙が見出せた、事実破戒僧は自分と梢を打ちはしたが止めを刺そうとはしていなかった。

しかしこの男は完全に此方を殺しに掛かっている、ならばこの戦いに加わった所で自分達に出来る事は何もない、ただ秋葉太夫が自分達を守ろうとする事で要らぬ迷惑を掛けるだけだろう。

今は二人ともに自分達という存在に僅かなりといえ気を回している、朧丸は機会があれば殺そうと秋葉太夫はそれを阻止する為にだ、自分の身を犠牲にする事も考えたがそれで上手く行く保証は無く、またそんな事をすれば絶対に秋葉太夫は己を許すまい。

それがこの世界に足を踏み入れた時から共に生きてきた、秋葉太夫が若頭に襲名したことで上下関係が出来たもののお葉が紅葉と名を変えた時からの長い付き合いであり自他共に親友であると認めている女の心底だ。

なら自分に出来る事は秋葉太夫の勝利を信じて梢を連れて此処から離れる事しかない、そう結論付けて梢に下がるように言おうと眼を向けた時に梢が走り出していた。

それを見た桔梗は一拍遅れて飛び出してその背中を追う、しかし追う桔梗の目には梢に迫る白布が見えていた、その瞬間にこのまま梢を犠牲にして朧丸の攻撃を封じる事が出来るかも知れないと頭の冷静な部分は訴えかけていた。

だが桔梗の身体は極自然に梢の身体を突き飛ばしていた、突き飛ばした事で梢に迫っていた白布が自分の胸に潜り込むのを感じながら桔梗は崩れ落ちた。


梢に抱き起こされた桔梗の胸の中心には一寸程の刺し傷が背中まで抜けており、絶え間なく鮮血が滴っている、全身を真っ赤に染めながら問いかける梢に対して桔梗は震える声で語りかける。


「無事ならお逃げなさい、私たちでは足手纏いになるだけ、此処に居る事が太夫の邪魔になるわ」

「でも、桔梗姐さん!」

「良い子だから言うことを聞きなさい」


抱きしめた体がどんどんと冷たくなってゆく、死出の旅へ向かう桔梗を必死に繋ぎとめようとするかに叫び続ける梢の耳に朧丸と戦い続ける秋葉太夫の叱咤の声が響く。


「なにやってんだい、さっさと桔梗を連れていきな!」


声に釣られて梢が秋葉太夫の方を見れば朧丸の手から伸びる白布を手に持った大鉄扇で半ばから切り飛ばした所であり、気丈に背筋を伸ばして見得を切って対峙すると背中越しに梢に向かって諭すように告げる。


「しっかりおし、桔梗はあんたに任せるから頼んだよ」

「太夫」


その凛とした声に気を奮い立たせると、梢は桔梗を背負って走りだした。

瀕死の桔梗を連れて懸命に走るその姿を黙って見送った朧丸が嘲弄する。


「クカカカ、任せるも何もあの女はもう死ぬぞ」

「黙りな、わっちの姉妹に手え出した以上は楽に死ねると思わんことじゃ」

「ククク何を今更、元より互いに楽に殺そうなどとは考えてもいなかろう」


哂う朧丸と全ての表情を消した秋葉太夫は余人の消えた場所で睨みあう、秋葉太夫がその場で扇を一閃させれば巻き起こる風によって地に落ちていた扇が空中へと飛翔する。

それを見た朧丸は残った白布を全て解くと地に垂らして向かえ撃たんと身構える、ほんの一時の静寂のあと二人は弾かれたように同時に地を蹴って互いに襲いかかった。

秋葉太夫が走りながら打ち振った鉄扇は風を起こし、その風に操られた扇がその身に抱えた刃をもって敵を切り刻もうと襲い掛かる。

朧丸は殺到する刃の群れに対して白布を以て打ち払い鋼の手刀を白い柔肌に突き立てようと迫る、互いに振るわれた腕と鉄扇は咬み合って火花を散らす。

喰いあった鈍色の拳と見事な装飾の施された大鉄扇が軋みをあげるなか、秋葉太夫は身を翻して拳を払うと反対の手に持っていた大鉄扇で斬り付ける。

拳を打ち払われた朧丸はそのままの勢いで体を反転させて斬り付けられた鉄扇をかわすと同時に飛び上段蹴りを秋葉太夫へと見舞う。

その蹴りを広げた鉄扇で受け止めるが勢いまでは殺せずに弾き飛ばされる、体勢を崩した秋葉太夫に追いすがり追い撃ちをかけようとする朧丸であったが、弾かれながらも振るわれた鉄扇の一閃で宙に舞っている扇が走る朧丸へと襲い掛かる。

四方から迫る扇の群れを前にして急制動をかけてやり過ごすと秋葉太夫が持つ鉄扇を打とうと白布を飛ばす、それを察した秋葉太夫は扇を閉じると伸びてきた白布を態と巻きつかせると奪い取ろうと見掛けに合わぬ力で引き上げる。

朧丸は白布が引かれる力に逆らわずに逆に相手の懐に飛び込もうと跳躍する、それを当然のように待ち受けた秋葉太夫は逆の手の扇を広げて迫る朧丸を二つに下ろそうと迎え撃つ。

朧丸とて迎撃があるのは承知している、飛び込んだ勢いそのままに回し蹴りを繰り出し迎え撃つ鉄扇に合わせる、その両足にはやはり奪い取った鋼の足甲をはめており鉄扇と激しく咬み合い硬く澄んだ音を響かせた。

跳んだ勢いを利用しての一撃に鉄扇を弾き飛ばされた秋葉太夫は着物の帯留めを外して振るう、先端に錘を付けた帯留めは朧丸が操る白布と同じ種類の武具の一種で流星錘という、迫る流星錘に自分の白布でもって防ぐが双方複雑に絡み合い武器の体を成さなくなる。

使えなくなった白布と流星錘を投げ捨てると朧丸は腰の後ろから短刀を秋葉太夫は頭に刺してあった簪を引き抜いて逆手に構えて対峙する、秋葉太夫は右に鉄扇、左に簪を朧丸は右に短刀、左に白布という出で立ちだ。

此処まではほぼ互角に戦いを繰り広げたが朧丸は傷を負っているとはいえ皮を切ったに過ぎず、対する秋葉太夫は幾本かの鉄杭でその身を貫かれていた。

如何に練磨の秋葉太夫といえども流れ出る血による力の喪失は拭いきれない、今のままで闘いが推移すれば先に動けなるのは自分の方だと気が逸る。

一方朧丸の傷は闘いの中で既に塞がりかかっており、肉を抉ったはずの腕の傷でさえ最早血は流れていない。


「ち、本当に化け物だね」


異様な風体や卓越した技量の持ち主は幾らでもいるだろう、しかし闘いの中で受けた傷がその闘い最中に治ってゆくこの生命力、回復力の高さこそが数年を洞穴に捕らわれながらも生き長らえた朧丸の秘密であった。


「クカカカ、そろそろ終いにするか? この後は逃げた小娘を片付けねばならんしなあ」

「寝言は寝てから、違うねあの世で言いなぁ!」


気丈にも言い放つと右の鉄扇を大きく振るう、その動きに呼応して朧丸の四方から色取り取りの扇が一斉に襲い掛かった。


「中々に面白い見世物だったぞ」


迫る刃の群れの中で口角を吊り上げて哂うと朧丸は群れの中に自ら飛び込んだ、宙に浮く扇の表に手を付いて倒立すると腕一本で跳ねると違う扇の上に着地して、さらにその扇を足場にして高く跳躍する。

扇の群れの上空まで飛び上がった朧丸は下方に見える扇の全て向かって鉄杭をばら撒く、その鉄杭は五月雨となって宙を飛ぶ扇を地面に縫い止めた。


「なんじゃと?!」

「舞い飛ぶ落ち葉は雨に濡れ落ちる」


己が必勝と信じる業がおよそ信じられぬ業を以て破られる、その光景を前に驚愕した隙を逃がすような朧丸ではない、その僅かな隙を突いて空中から伸ばされた白布が残った鉄扇を弾き飛ばす。

扇を失った秋葉太夫は咄嗟に左手の簪を空中にいる朧丸に撃ち出すが、その簪は短刀によって弾かれ防がれた。

焦燥が気を逸らせるのを、無理矢理に押さえ込み左袖の中から残った鉄扇を引き抜こうとするが一瞬早く放たれた鉄杭が秋葉太夫を襲う、眼前に迫った鉄杭をかわせないと判断して右手を犠牲にして受け止める。


「ぐっ!」


秋葉太夫の右掌に焼けるような痛みが走り、思わず悲鳴を上げかけるがそれを無理矢理に飲み込むと同時に引き抜いていた鉄扇を着地した朧丸に向かって投擲する。

朧丸は地に降りたと同時に襲いかかってきた鉄扇を掻い潜ると地に伏せた姿勢から神速をもって迫り、低い位置から繰り出した蹴りが秋葉太夫の足を刈りとって地面に転がした。

転倒した秋葉太夫が受身を取って素早く立ち上がろうとするが朧丸の方が一瞬早く立ち上がっており、右掌に突き立った鉄杭をその足で踏みつける。


「うああっ!」


抉りこまれた鉄杭が右手と地面を縫いつける痛みに今度こそ悲鳴が秋葉太夫の口を突いて出る、その悲鳴と同時に朧丸の膝が秋葉太夫の腹に落とされた、腹に響く衝撃と共に咽に込み上げてきた塊を自分の上に乗る朧丸に吐き掛ける。

赤い血が混じった吐瀉物を顔面に受けた朧丸だが全く怯みもせずに右手に持った短刀を高々と振り上げた。


「クカカ、終わりだな」

「あんたがね」


秋葉太夫の言葉が終らぬうちに朧丸の後方から先程投擲した鉄扇がその首を刈り取ろうと弧を描いて戻ってきていた、ニヤリと笑う秋葉太夫の顔その瞳に映りこんだ光景を見た朧丸は咄嗟に首を横へと倒し飛来した鉄扇をやり過ごそうとするが鮮血が飛沫を上げて秋葉太夫を濡らした。


「畜生!」


罵声を浴びせたのは秋葉太夫のほうであった確かに朧丸から血が噴出てはいる、だが起死回生の一撃と見えたそれは左の耳を切り飛ばしたに過ぎなかった。


「中々に肝を冷やしたぞ、このまま楽しみたい所だが貴様は少々剣呑過ぎるようだ」


朧丸はそう告げると、尚気丈にも自分の下から此方を睨みつけてくる秋葉太夫の左腕と両足の甲を鉄杭で縫い付ける。

これで両手両足を地面に縫い付けられた秋葉太夫に成す術はない、女を使った色仕掛けもこの男に通用しないことは明白である。

決して脅え竦むことも涙を流すことも無いが仇に敗北した悔しさだけは自然と顔に浮かぶのを止められない、その顔をみた朧丸は満足げに哂うと落ちた耳から溢れる血を抑えもせずに再び短刀を翳す。


「では疾く死ね」


そして白銀に煌く短刀の刃を秋葉太夫の胸へと振り下ろした。


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