第二幕 第参闘
峠の茶屋でお茶と団子に舌鼓を打つ女が一人、三人寄れば姦しいとは良く言ったものだが女一人でのんびりと茶をすする姿はその女の容姿と相俟って風雅を感じさせる。
身軽な旅装で身を包みながらも着物の襟足から覗くうなじの艶が軽く伏せられた長い睫毛が茶を飲むたびに小さく動く咽の鼓動がそして全身から匂い立つような怪しい色香が人の目を引き付けてやまない美女である。
その証拠に今も峠を歩く男はもとより女もちらちらと眼を向けており、男は例外なく前屈みに女は自分の容姿を恥じて顔を伏せるか嫉妬によって睨みつける。
尤も女は注目されるのにも嫉妬に晒されるのにも慣れているのか堂々としたもので、周囲の喧騒を意に介さずに、さっきから団子を口いっぱいに頬張りお茶を飲む、またその仕草が無防備な童女の様でもありながらこの上なく淫靡な想像を掻き立てられる。
それもそのはずこの女は近隣にその名を轟かせる高級遊郭桜花楼に勤める遊女の中でも別格扱いを受ける看板遊女、秋葉太夫である。
口に放り込んだ最後の団子をコクリと飲み込んでから背筋を伸ばしてお愛想をすませた所に二人の女が連れ立ってやってきた。
「遅かったね、足は確保したかい?」
「姉さん私らだって子供じゃないんですよ、ちゃんと向こうに用意しました」
「そうですよって、あーっ! 姉さん酷いお団子みんな食べましたね!」
「うん? まあいいじゃないさ、次の宿場に着いたら美味しい物でも摘もうじゃないの」
先程までの風雅にして艶美な姿とは違う快活で凛とした表情がまた新たな魅力を引き出すが、楽しみにしていた団子を全てその腹の中に納まられては堪らないと抗議の声を上げる二人の女。
この二人もまた桜花楼の遊女で秋葉太夫がこの旅の為に態々選んで連れ出した者達である、其々の名を幼い感じが抜けずに団子を食べた事に文句を付けた方を梢、のほほんとした雰囲気を醸し出している方が桔梗という。
未だに団子がどうのこうのと文句をつける梢を引きずって茶店から少し歩いた場所へ向かうと其処に居たのは体中に傷を負った駕篭かきが十名ほど項垂れていた。
「さてと、それじゃあ雲助にゃ一働きしてもらおうかね」
先は度までとは違う冷厳な声で告げる秋葉太夫の言葉に体をビクリと硬直させて粛々と駕篭の準備をはじめる。
何の事は無いこの駕篭かきの男たちは秋葉太夫の一行の色気に迷ってちょっかいを掛けてきたのだが、案の定と言うかなんともしまらぬ話で返り討ちにあったのである。
男たちにして幸運だったのは一行が旅の途中であったために命までは取られなかった事だろう。
声を掛けた秋葉太夫が始めに駕篭に乗ると残りの二人も駕篭に乗り込んで次の宿場を目指して出発する。
その大名行列よろしく粛々と揺られながら遠ざかる三つの駕篭を見つめる鋭い眼差しがあった。
その眼に湛えられているのは溢れんばかりの獣性である、己の赴くままに食い犯し寝るそんな獣の眼差しを持つ巨漢がぬうと立ち上がった。
「あれほどの女丈夫を好きに出来るとは堪らんのう」
下卑た笑みを浮かべるとその巨体に似合わぬ軽い足取りと動きでもって何の音も立てずにその姿を消した。
宿場の宿の中でも上等の宿屋を取ると秋葉太夫の一行は酒と料理を堪能した、美味しい山の幸を食べた梢は昼間の文句も忘れて舌鼓を打ち、酒豪で鳴らした桔梗は既に一升空けている。
食事も終わり、一服つけた所で宿の温泉に浸かろうと三人で湯殿に向かう、着物を肌蹴て湯に浸かればそこに現れたるのは三者三様の、そのどれもが美の化身といって過言ではない裸身である。
先ずは勢い良く湯殿に飛び出した梢である、薄く膨らみかけた乳房と腰が少女と女の間の僅かな期間だけに許された中性的な魅力と倒錯さを振りまいて魅せる。
次に現れたのはその細い腰と不釣合いな巨大な胸をこれでもかと見せつける桔梗である、湯船に持ってきた酒のお銚子を浮かべてクイと煽る仕草と酒の所為かはたまた湯の熱さによってか頬に朱が刺すその風情は振るい突きたくなる色香を周囲に放っている。
最後に現れたのは先の二人に勝る事はあっても劣る事はない秋葉太夫の裸身である。
女として膏の乗ったしなやかな肢体は湯を弾き、伸ばされた白い肌には染み一つなく、お椀型の乳房の先に在る朱鷺色の突起はツンと上向いて自己主張しており、細い、しかし細すぎない腰から伸びる丸みを帯びた水蜜桃のような尻の曲線は地獄の鬼すら篭絡するであろうという淫靡さをかもし出している。
夜の帳のような髪と春の若草のような股間の繁みは艶を受けて輝き、天界の聖女と魔界の淫婦が同居するような清廉さと淫猥さを併せ持っている。
その三人の美女がのんびりとお湯に浸かって談笑していると不意に秋太夫が口を閉ざした、残りの二人に目配せを送って脱衣所まで下がらせると、自身の真正面にある竹林へと鋭い声を掛ける。
「お前さん、何時までただ見を決め込んでおる。いい加減に出て来やしゃんせ」
腰から上を惜しげも無く湯の上に出して、その形の良い胸を張りながら誰何の声を上げる秋葉太夫。
その声に応じたものか、竹林の中から地獄の鬼も裸足で逃げ出そうというような狂相を浮かべた八尺二寸の巨躯と巌のような顔に傷をもった髭面の僧兵がのっそりと姿を現した。
「ぐはは、これは済まんかったのう。余りの美しさについ見惚れてしもうたわ」
「あら、そう言ってくれるのは嬉しいでありんすが、こちとら体が資本でねぇ、御代は見てのお帰りたぁいかないんですよ お坊様」
「なあに気にするな、これから御主ら三人拙僧が極楽往生させてやろう、線香代はそれでどうじゃ。ん?」
「おや、そいつは一体どう意味で?」
対峙する二人の間に剣呑な空気が醸成されてゆく、既に辺りに聞こえていた虫の声は鳴りを潜め、風が吹いて湯を揺らし雲が月を隠した。
後に残るのは暗闇と膨れ上がる鬼気、ざあっという一際強い風が吹いて月が再び姿を見せた瞬間、月光の中に現れたのは巨影に飛び掛る二羽の猛禽。
「やああっ!!」
鋭い声を発しながら襲いかかったのは肌襦袢を身に纏っただけの梢と桔梗の二人、短刀を片手に矢継ぎ早に巨漢を攻め立てる。
腕を振るうたびにはためく襦袢の裾から伸びる足の瑞々しさに鼻の下を伸ばす、巨漢の僧兵だが眼差しは底冷えのする光を湛えて己に襲い掛かってくる二人の実力を推し量る。
常人ならばこの二人に掛かれば数合のうちに倒されるだろう、しかし自分に比べれば可愛い雛も同然と余裕の笑みを浮かべて反撃に移るべくその巨体に似合わぬ身の軽さで攻撃の手を捌くと袖口から取り出した錫杖を頭の上で一回転させて地面に柄尻を立てた。
辺りに錫杖頭部の輪形に付けられた遊環が立てるシャランという音が響いた。
「一応名乗っとこうかい、儂は破巌坊、おのれ等の主になる者よ」
名乗ると同時に太い足を湯船の中に一歩を踏み出す、湯船に張った湯がその震脚によって間欠泉のように爆発した。
水幕が二人の視界を塞ぎ、その驚愕で動きを止める。そこに幕の奥から一直線に伸びてきた錫杖に打擲されて吹き飛ぶ梢と桔梗、水が静まり元の静けさを取り戻すと仁王立ちに立っている破巌坊と折り重なって倒れる梢と桔梗。
吹き飛ばされたお蔭で濡れた襦袢が肌蹴た二人は白い肌を顕にして蹲っている、痛みによって口から漏れる呼気が情事のそれと重なり扇情的ですらあった。
「ぐふふ、主らの格好も何とも言えずに色っぽいがやはり着物は邪魔かのう」
その様子を見て嫌らしい笑い声を上げながらドスドスと二人に迫る破巌坊の足元にカンと音を立てて突き立った簪がある。
飛んできた方向をみれば何時の間にか着替えを終えた秋葉太夫が、のんびりとキセルを燻らせていた。
「ぐっ、すみません太夫」
「ご免なさい」
「気にする事などありゃあせん、あんた達は妹なんだからね」
その泰然とした姿を見た二人は這い蹲りながらも口々に謝罪の言葉を告げる、そんな二人に対して悠然と微笑みかけて優しい声をかけて下がらせると、その可愛い妹たちを地面に這い蹲らせた巨漢を睨みつけて低い声で語りかける。
「さて、わっちの可愛い妹達をいたぶってくれた礼はきちんと返さなきゃあならんねえ」
「ほ、言いよるわ自分が支度を整えるのにその可愛い妹を使ったんだろうが」
「可愛い子には苦労させろっていうもんでねぇ、でもわっちが苦労を掛けるのは構いやせんがわっちの者を他人に良い様にされるのは我慢ならんもんじゃろ?」
秋葉太夫の余りに勝手な言い分に、自他共に認める自己中心的な思考の持ち主である破巌坊もしばしあっけに取られると顔を手で覆って高らかに笑い始めた。
「ぐわっはっはっは、流石に良い女は言うことが違うわい。ならお前さんを儂のものにすればそこの二人もいい様にして良いという事かな」
「好きにしやしゃんせ、もっともわっちを如何にか出来るって時点で大きな間違いじゃがのう」
ことさらにゆっくりと立ち上がると着物の袖から両手に鉄扇を取り出す秋葉太夫、その太夫から立ち上る鬼気に目を細めて傷だらけの顔を喜悦に歪ませると錫杖を構え直す破巌坊。
片や破壊の権化と言っても過言ではない巨大な鬼を思わせる無骨な僧兵、それに対峙するのは傾国の美女とは斯くやというべき妖気を発する女丈夫。
月下の湯殿に現れた二つの妖異は静に対峙する、風が吹いて雲が月を隠し再び姿を現した月光が破巌坊の目に微かに刺さった瞬間に秋葉太夫は宙に舞っていた。
着物の裾をはためかせて迫る秋葉太夫の両の手に握られた扇が月光を反射して煌めき、破巌坊に迫る、咄嗟に掲げられた鋼鉄の錫杖と噛み合って火花を散らす。
一撃を受けられた秋葉太夫が着地した所に破巌坊が振り下ろした錫杖が迫る、扇を畳んで交差させると頭上から落ちてくる一撃を受け止めるが秋葉太夫の足元が衝撃で陥没し腕に衝撃が走った。
その威力に眉を顰める秋葉太夫は力で押し込んでくる破巌坊の錫杖を受け流すと、破巌坊の巨体を足場に見立てて蹴りつけると距離を開けるために飛び離れる。
片膝をついて着地した秋葉太夫の着物の裾が大きく割れて白い太股が剥き出しになっていた、その瑞々しい脚線に好色な笑みを深める破巌坊、それを気にもせずすうと立ち上がると再び扇を構える秋葉太夫。
「なんじゃ、まだやる気かい」
「おや? 今のでわっちを知った気になってもらっちゃあ困りんす」
「心配せんでもこれから奥の奥まで知ってやるわい」
破巌坊は嬉々として言うと同時に無造作に歩を進めると一撃を繰り出した、その岩をも穿つ威力を秘めた攻撃を二撃、三撃と連続で繰り出して秋葉太夫のその身を這い蹲らせようと襲い掛かる。
受ける秋葉太夫は優雅に舞う、その突きの雨を踊るようにかわし扇を広げて迫る錫杖を捌く様は舞踏のそれだ、着物の裾は翻さず動きは柳の如きたおやかさ月下の中で舞うその美しさに傍で見ていた梢と桔梗、さらに攻め立てている破巌坊までが息を呑む。
勿論見惚れたからといって攻め手が止まる事は無いがほんの瞬きの間攻撃の手に鋭さが消えた。
その一撃を見切って秋葉太夫が攻勢に転じる、受け流した錫杖を払って破巌坊の懐に飛び込むと手に持った扇を一閃させた。
自分が女に見惚れるなどと思っても居なかった破巌坊は動揺した、物心付いたころには既に僧門へ入れられており、更にその図体と面相から色恋などとは縁が無かった。
そして戦場へ出た破巌坊は死の恐怖から逃れる為に初めて女を襲い肉の虜になったのだ、故に破巌坊にとって女とは蹂躙し己の肉欲を満たす為だけの玩具に過ぎない、精々が使い心地が良いか悪いかの違いしかなかった。
しかしこの女は違うと思う、今の今まで一度たりとも女を美しいなど思った事は無い自分が見惚れる女、ならばこの女こそ自分にとって唯一の女になるかも知れぬ。
頭をよぎったその思いが僅かに錫杖を操る腕を鈍らせた、その一瞬の間に懐に飛び込んできた女の一撃が自分の命を刈り取ろうと顎下から頭頂部へと振るわれる。
もしも秋葉太夫の武器が鉄扇でなく、短刀であったならこの隙は破巌坊の体に刃を食い込ませる事が出来たであろう。
しかし鉄扇は斬り叩く事は出来ても突き刺す事は出来ない、その差がこの一瞬の攻防において破巌坊の命を救った。
もっとも秋葉太夫の鋭い一撃を完全にかわすことなどできずに傷だらけの顔に新たな傷を刻むことと相成ったが、咄嗟に体ごとのけぞったことで致命の一撃をかわし遂せた。
のけぞった勢いのままに後ろ回りに転がると片膝をついて態勢を立て直す、無論そんな好機を逃がす秋葉太夫ではない。
流れるような動きで追撃を繰り出す、振り上げた扇をそのままに反対の手に持った扇を繰り出し、それが防がれればまた次の斬撃に繋げる。
クルクルと回転しながら上下左右から襲い掛かかり攻め立てる、竜巻に飛ばされた銀杏の葉が身を切るかの如き連斬の嵐、さしもの破巌坊もその身に次々と傷を負い己が流す血で全身を朱に染める。
しかしその刃の嵐の中で破巌坊は笑う、眼に湛えた獣欲は禍々しさを増し恐相は凶相へと変化する。
そして如何な秋葉太夫とはいえど無限に舞い続けられるわけではない、呼気を弛めた瞬間に今度は破巌坊が反撃に移る。
振るわれた錫杖は蛇の如くのたうち秋葉太夫の捌きを越えてその足に絡みついた。
「なにっ?!」
足を捕られその膂力によって宙へと放り投げられた秋葉太夫の眼前に再び錫杖が迫る、空中では満足に攻撃を受け止める事もできずに無様にその一撃を喰らって地面に叩きつけられた。
咄嗟に受身だけはとったものの背中から突き抜けた衝撃で眼が眩み、痛みが全身を襲う。
「ぐ、ごほっ」
「太夫!」
咽の奥からせり上がってきた塊を吐き出せば先程呑んだ酒と一緒に赤い血が混じっていた、その光景を見て梢が悲鳴を上げたのを片手を上げて制すると傍らに転がっていた銚子から残った酒を口中に流し込み口を濯いで吐き出した。
「やってくれるね、そんな隠し玉があったとは、油断したよ」
破巌坊のもつ錫杖は何時の間にかその姿を変えていた、真の姿は八つの節と九つの胴を持つ武具九節棍である。
多節棍はその節が増えるほどに扱いが難しくなるのは周知の通りである、ならば九節棍を自在に操る破巌坊の技量は如何ほどの物であるのか、そして立ち上る気配は先程よりも強く激しくなっている。
それを察した秋葉太夫の口調も先程までの余裕のある廓言葉ではなく、本来の伝法なものに知らずなっていた。
「改めて名乗ろう儂の名は破巌坊、御主を冥土に送るものだ」
「わっちは葉桜組七代目、羅刹女の秋葉太夫」
破巌坊と秋葉太夫の間に再び闘気の糸が絡まり始める、空気が重くなり側で見ていた梢と桔梗の咽がからからと渇いてゆく。
静寂を破ったのは秋葉太夫であった、身を捻ると振り向きざまに簪を投げ放つ、拍と飛ぶ簪を九節棍が打ち払うがその動きこそ秋葉太夫の狙いである。
九節棍が脅威であるなら使えなくすれば良い、斬鉄が可能なら棍を繋ぐ鎖を切り離せば脅威は格段に減るのは道理である。
鎌首を上げた蛇が踊るように簪を払った、九節棍を繋ぐ鎖を断ち切らんと振るわれた鉄扇であったが、その狙いを瞬時に悟った破巌坊の手によって一本に戻された錫杖と打ち合うに留まる。
食い合った状態では膂力に勝る己が有利とばかりに破巌坊が力任せに錫杖を振りぬく、その勢いに逆らわずに跳ぶ秋葉太夫の着地点に蛇腹を晒した九節棍が吸い込まれるように牙を向く。
それを咄嗟に払い落として跳躍すると伸びきった九節棍の上に飛び乗り敵の武器を足場に変えて一気に迫る。
首を落とそうと広げた扇を鶴が羽ばたくように大きく振るが引き戻された九節棍がその刃をまたしても阻む。
「ちいっ厄介だね」
「儂の奥の手を此処まで凌ぐか」
聞いたことはあるが見るのは初めての獲物を前にして知らず秋葉太夫の口から悪態が漏れるが闘志が衰えることはない。
また破巌坊も己の力を十全に発揮しながらも相手を捕らえきれぬ事に素直に驚いていた。
破巌坊の九節棍は杖と鞭とに変幻し秋葉太夫を追い詰めその顎に瑞々しい肉を捕らえんとし、秋葉太夫の鉄扇は相手の血を欲してその爪を閃かせる。
既に何度も攻守を変えながらいつ果てるとも知れぬ打ち合いが続く、互いに決め手を欠いたまま十数合を打ち合った時に遂に均衡が崩れた。
秋葉太夫が湯に足を捕られて僅かに滑らせたのだ、巨体ゆえにどっしりと構えた破巌坊に対して撹乱と回避の為に動き回った差が出た瞬間であった。
「もらった!」
「しまった?!」
隙とも呼べぬ程の僅かな隙を見逃さずに振るわれた九節棍は狙い違わずに秋葉太夫の体を打擲してその身を木に叩きつける事に成功する。
武器である扇を取り落とし受身も取れずに背中から叩きつけられた秋葉太夫はずるずると崩れると僅かに目を細めた後でカクリと首を垂れた。
形の良い胸が着物の隙間からまろび出ており、白皙のような足も力なく投げ出されている、微かに胸が上下しているところを見ると死んではおらず、気を失っただけのようだ。
その様子を見た破巌坊は己の中に再び情欲が燃え上がるのを感じた、先程までの互いに打ち合っていた時は目の前の敵を全霊を持って葬る事しか頭に無かったがこうして無防備な姿を見せられれば己の性分からも止めを刺す前に楽しみたいという欲求に駆られる。
しかも相手は自分を散々に苦しめた稀代の美丈夫となればその興奮は如何ほどのものかと興奮し火照った体がこの女を欲しがっている。
その証拠に褌の中で今までに無いほど魔羅が屹立しており痛い程だ、のしのしと歩を進める破巌坊に鋭い声が叩きつけられた。
「やらせるかっ!」
「この糞坊主!」
色香に迷ったと見えた破巌坊の後ろから秋葉太夫を救おうと襲い掛かった梢と桔梗の二人である。
しかし残念ながらこの二人と破巌坊では地力が違う、鞭の如く振るわれた九節棍の一撃で初めと同様に吹き飛ばされて地を這った。
「己らは後でちゃんと相手してやるわ、しばしそこで待っておれ」
破巌坊は倒れ伏した二人の方を見もせずに告げると僧衣を解いて褌の中から幼い子供の腕ほども在る巨大な一物を取り出して唾を塗りたくり、気を失った秋葉太夫の足の間に入り込んで腰をぐいと前に突き出す。
「うおおっ、これは凄い!」
腰を進ませ魔羅を女の中心へと突き入れた破巌坊は今までに味わったことの無い、感覚に思わず声を上げていた。
痛い程の締め付け同時に胎の中に何かを飼っているかのように蠕動する肉壁の感触が身を包み、百を越える女を味わってきた破巌坊にさえ未知の快楽を与えている。
その快楽に導かれるように懸命に腰を動かす破巌坊だが余りの快楽に早々限界が訪れた。
「ぐっ……ぐああああ!」
息を吐き、己の情欲をその美しい裸身の奥に吐き出そうとした瞬間、凄まじい痛みが破巌坊の体を襲った。
慌ててみれば下を見れば秋葉太夫の中に納まった一物がどんなに力を入れても動かない、否動かそうと力を入れれば入れるほどそれが痛みになって返ってくる。
「な、なんじゃ?」
「くくく、ただ乗りなんぞ遊女のわっちがさせる訳無いじゃろ」
何時の間に気が付いていたものか、それとも気を失ったのがそもそもの偽りであったか、破巌坊に組み敷かれた秋葉太夫はその身を起こして艶然と笑っていた。
驚きに眼を見開いた破巌坊の目の前でその身を翻して立ち上がる秋葉太夫、一つ大きく跳躍して距離をとると自分右手を股座に突っ込み何かを取り出して足元に投げ捨てる。
びちゃりと音を立てて放られたそれは先端が膨らんだ肉の棒であった。
その肉塊を秋葉太夫は踏みにじる、ぐしゃりという嫌な音を立てて潰れたそれは破巌坊の一物であった。
「う、ううおおおお! 魔羅が儂の魔羅があああ!」
股間から流れる血を抑えながら絶叫する破巌坊の様子を眺めながら、秋葉太夫は言葉を連ねる。
「わっちに断り無く入り込んだんじゃから魔羅の一つも安いもんじゃろ、それに今の一瞬まで天上の快楽を味わったんじゃ、これより先に今以上のものなどありんせんからな充分にお役目は果したじゃろうよ」
くつくつと笑いながら世の男が聞いたなら驚愕で顎を外さんばかりの台詞を痛みの中で聞かされた破巌坊の怒りは如何ほどのものであろうか。
左手で股間からあふれ出る血を抑えながら右手一本で九節棍を操り、秋葉太夫に襲い掛かる。
凄まじい勢いで振るわれた九節棍に対して武器を持たぬ秋葉太夫は如何に受けるか、その腕で受けようものなら肉は爆ぜ骨は砕かれよう、かわすにしても縦横無尽に振るわれる錫杖から何時までも逃げ切れるものではないのは先程の攻防からも明らかだ。
眼前に迫る九節棍の穂先は既に避けられる距離と間ではない、それを承知か秋葉太夫は両手を背に回す。
次の瞬間秋葉太夫の目の前にはその半身をすっぽりと覆う円形の盾が出現していた、否盾では無い、広げた長さが三尺に及ぼうかという巨大な鉄の扇、大鉄扇が二挿し秋葉太夫の両手に握られていた。
弾き返された九節棍を手に収めて秋葉太夫を睨みつける破巌坊と広げていた扇を畳んで戻すと破巌坊を睥睨する秋葉太夫、互いの双眸は相手の一挙一動に向けられている。
「気を失っておったのは芝居か」
「満更芝居って訳でもありんせん、流石にああも見事にやられては気も遣ろうというものよ、あそこで止めを刺しておればお主の勝ちじゃったろうがあの子達のお陰でわっちを抱く気になったんじゃろ」
秋葉太夫にそう告げられると視線だけをまだ倒れたままの二人に飛ばす、実の所破巌坊は気を抜けぬ相手である秋葉太夫には早々止めを刺して、残った二人を慰みにする腹積もりであった。
しかし、気を失ったと見えた秋葉太夫を助けようと己の力量も弁えずに飛び込んできた二人を見た時に、秋葉太夫は真に動けぬと勝手に判断してしまった、そして一度そう判断すればこれ程の女の味を一度なりと味わってみたいという欲求に抗えなかったのだ。
「ぬぐぐ、してやられたわ、まっこと儘成らんものよ」
「気にするこたあ無いじゃろ、良い女に騙されるのは男の常じゃ」
ぬうと立ち上がった破巌坊の股間からは赤い血が止めど無く溢れているが、それを気にせずに錫杖を構え直して素早い動きで叩きつけてくるのを迎え撃った秋葉太夫は折り畳んだ大鉄扇で受け止めた。
先程までなら力で押し切られていた場面だが、今の一撃は前腕までを利用してはいるが片手で錫杖を受け止める事に成功する。
秋葉太夫はその大鉄扇を自在に操る事からも分かるとおり実はかなりの力自慢である、それも当然で普段から着ている着物の重量は普通の太夫が着ているもので精々が五貫、しかも御付に裾を持たせてゆっくりと動くのがやっとであるのを、秋葉太夫は八貫に及ぶ豪奢な代物を着て共も連れずに其処彼処を軽い足取りでうろちょろとしている。
それだけの下地があってこそ振るえる大鉄扇の頑丈さと重さを持ってようやく受け止めることが出来た破巌坊の振るう錫杖の一撃だが、この一撃は明らかに先程までよりも威力が無い、理由は単純で一物を切り取られた為に丹田に気を入れることが出来ないのだ。
本来丹田に力を込めて振るわれるべき一撃だが、丹田に力を込めれば込めるほど流れる血の量が増す、故に込められる力は通常の七割が精々である。
「わっちの勝ちじゃ」
「ぐぬうっ!」
双方ともに実力は十二分、生きる事に対する執念もまた互角、故に生きる為に全力で振るわれる力と生き残る為に及び腰となった力では差が生じる。
片手で錫杖を受け止められるならばもう一方は攻め手に使える。振り上げた鉄扇を広げて斬り下ろされた一撃を長物では捌けないと見て、九節に変化させた錫杖で受け止める、しかし次に繰り出されたもう一方の鉄扇の刃が棍を繋ぐ鎖を断ち切った。
破巌坊は鎖が切られた事でバラバラに成る九節棍、使い物に成らなくなった錫杖を投げ捨てると直ぐ間にいる秋葉太夫に掴みかかる。
捕まえさせすれば、腕力にものを言わせて締め上げ息の根を止めてくれると差し出された両腕であったが秋葉太夫を掴む直前で鉄扇が翻り鋭い刃が丸太のように太い両腕の手首から先を切り落とす。
両の掌がボトリと地に落ちたのと同時に手首の切断面から鮮血が噴き出して前にいた秋葉太夫の全身を朱に染める。
「があっ、ぎっざまあっ!」
「往生しな」
全身を鮮血に染めた秋葉太夫の顔に浮かんだ表情は、まるで死出の旅に出る亡者を送る地蔵菩薩のような薄い微笑である。
その表情を垣間見た破巌坊の脳裏に何故か記憶に無い女の泣きそうな顔がよぎった、自分の頭を埋めた女の顔と喉に食い込む鋼の刃の感触を最後に味わって、破巌坊は涅槃へと旅立っていった。
「極・楽・往・生」
その顔は何故か満足そうな笑みに彩られていた。
破巌坊の首を飛ばした秋葉太夫は片膝付いて荒い息を吐いていた、何とか勝利を捥ぎ取ったとはいえ、打撲に擦過傷は数知れず、動くたびにずきずきと痛む胸部の感覚から肋骨の何本かには確実に皹が入っている。
「太夫、お怪我は」
「姐さん、傷はどうですか」
「そんな情け無い声だすんじゃないよ、それよりあんた達こそ無事だろうね、無事なら換えの着物を持っといで、あと掃除屋も一緒に連れておいでよ。 ったく商売物の珠の肌にこんなに傷つけちまって如何すんだい」
心配そうに声を掛けてくる妹分の声に頭をふると気丈な声で返事を返して、返り血で真赤に染まった着物を投げ捨てて、こちらも流された血が流れ込んだことで血の池のように赤く染まった湯船に浸かる。
いつも通りの秋葉太夫の様子に安堵の息を吐くと言われた事を片付けに走り出す梢と桔梗を見送って二人の気配が離れたのを確認して漸く息を吐いて肩まで湯に浸かると正面に転がったままの破巌坊の体の脇に転がっている物が目に入った。
良く目を凝らしてみれば、それは志津に集めるように言われた割符と同じものであった。
「はっ、手練が持ってるとは聞いとったが、確かに一筋縄じゃいかんような連中の手にあるようじゃな」
滔々と流れる源泉が何時の間にか湯船の湯を透明に戻していた、湯の中でやれやれとばかりに全身を伸ばした秋葉太夫の朱に染まった体も月光も恥じ入るような美しく白い裸身に返っていた。
月光の中に浮かぶその表情は激闘を辛うじて制したとは思えぬほどに澄みながらも、自らが追う化け物を想ってか瞳だけが剣呑に蒼く輝いていた。
破巌坊 対 秋葉太夫
勝者 立川流扇闘術 秋葉太夫