幕間
京都市中にある公家の邸宅の片隅に立つ東屋に集ったのは何れも獣の面を被った男達である。
猿は略奪を表し
狸は欺瞞を表し
狐は裏切りを表し
蛇は狡猾を表す
その四匹の獣の面を被った男たちの再びの会合は前と同様に夜の闇の中で開かれた。
「ようやく八匹の鬼が揃った」
「さよう後はこの中から最強の鬼を見出すのみ」
「しからば舞台を整えよう」
「さあ喰らい合い殺しあえ」
そして声は唱和する。
「そして魔王を殺す鬼神となれ!」
此処に集った四匹の獣が求めるのは人では無く、ただ魔王を殺せる剣の誕生を望む。
琵琶湖の湖畔に聳え立つ巨大な城、天下布武を喧伝した戦国の覇王織田信長の居城である安土城である。
この城はこの時代に多く建造された山城とは一線を画す城として様々な試みが使われて建造された巨城である。
この後に築城された城の多くが備えている天守閣を初めて戴いた城であり、総石垣造りの土台というもの他に類を見ないものであった。
イエスズ会の宣教師ルイス・フロイスが母国に送った書状の中で、安土城の美しさと壮大さ、そして堅牢さに置いても母国ポルトガルはおろか世界に比肩し得る城は無いと書き記している。
そして城の頂に置かれた最上階は金色、下階は朱色の八角形をしており、内部は黒漆塗り、そして華麗な障壁画で飾られていた。
その絢爛豪華にして壮麗なる天守から城下町を睥睨するのは城主である織田上総介三郎信長である。
肌蹴た着物から覗く体は鍛え抜かれており、みっしりとした筋肉が詰まっている、茶筅髷の頭に張りのある肌、美髯を蓄えた顔に鋭い瞳をしたとても四十九歳とは思えぬ若々しい風貌である。
天守閣の外を眺める信長の背後から艶のあるしどけない声がかけられた。
「上総介様、何を見ておられます」
部屋の暗がりから出てきたのは此方もまた肌蹴た内掛けを肩に纏っただけの美女である。
信長の正室である帰蝶(濃姫)である。
彼女も信長よりは若いとはいえども四十は越えているはずだが、その三国一と謳われた美貌に些かの陰りも無い。
「濃か、なにこの国を見ておったのよ。すでに信玄、謙信は無く本願寺も討ち果たした、程無く天下布武はなろう、なろうが何かな……」
「詰まりませぬか?」
「そうではない、この信長の天下布武は乱世を終らせ日の本を統一し世界へと出るための布石に過ぎん、それを思えば心が躍るのは間違い無いのだ」
「では何を憂いております」
「憂いておるのでは無い、むしろその逆よ」
そう言うと信長は懐から一枚の割符を取り出した、それは何の変哲も無い木で作られたみすぼらしいもので天下人たる信長が所持するには相応しく無いように見える。
そのような物を持っている事を不思議に思った帰蝶が尋ねる。
「それは一体?」
「くく、朝廷よりと申して近衛前久が持ってきおった。恐らくは誰ぞと組んで謀でもたくらんでおるのだろうよ」
この割符は強者に与えられる物であり、全部で九枚存在し全て集めた者が天下を担うとの触れ込みで信長に献上されたものだった。
もとより神仏の類を信じぬ信長である、この手の物はガラクタだと打ち捨てるのが常であった。
しかしそれが自分への挑発となれば話は違う、武田信玄、上杉謙信亡き今は既にこの国に信長の相手となるような者など居ない。
故に座興の類として受け取ったに過ぎないのだが、しかし信長の類まれな感覚が何かを伝えてきていた。
それが何なのかは信長自身まだ判然としてはいないが、なにやら自分を楽しませてくれそうな気がするのだ。
「蘭!」
「お側に」
信長が虚空に向かって呼びかけると、まるで影から現れたかのように何の気配も無い場所から信長の小姓頭である森蘭丸が現れた。
常に主の側に仕えるその存在は影の如し、そして敵の多い信長の警護を任させるその力は推して知るべしである。
「お主が持っておれ」
「はっ」
畏まる蘭丸に割符を投げ渡し帰蝶の腰を抱いて引き寄せると高らかに笑い始めた。
「ふふふ、ふはははは、はあーっはっはっはっは!」
信長は自身の内より溢れ出る激情のままに笑い続けた。