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太郎と僕と彼女

作者: チノフ

僕の名前は高木直樹、24歳。うつ病患者である。

療養中と言えば聞こえがいいが、家族にとっては所詮無職で煙たがられている。

日課は愛犬の太郎の散歩、公園でぼうとしている姿は周りからどう写っているだろうか、考えているだけで少し気分が落ち込む。


「犬、かわいいですね。」


ある日、いつものように散歩した先の公園で制服を着た学生だろうか、派手ではないが綺麗な女の子が話しかけてきた。

こういう事はたまにある、太郎は人懐っこいためあちらこちらで人をみつけるとじゃれるのだ。

大抵は学校帰りの子供だが、老夫婦や今日みたいな少し上の年齢の学生も引っ張ってくる。


「遊んでやってください。」


普段喋らないせいで少し掠れた声が出る。ああ、みっともない。


太郎は由緒正しい柴犬である、大和撫子を絵に描いたような彼女と遊んでいる姿はとても絵になった。

人懐っこい太郎であるが、飽きっぽい所もある。

彼女に遊んでもらうのにも飽きたのか、持ち歩いてる鞄に顔を突っ込んでテニスボールを銜えて僕に差し出してきた。

手に取ったボールを軽く投げる、これでも昔は野球少年だったのだ。


「隣、いいですか?」


大体の人は太郎に飽きられるとありがとう、といって去るものだから油断していた。

相当な犬好きなのだろうか、どうぞ、と言うと彼女は僕が座っているベンチに座った。


ボールを銜えて戻ってきた太郎の頭をワシャワシャと撫でてやる。

やがてボールにも飽きたのか、僕の足元で丸くなった。隣の彼女は微笑みながらこちらを見ているだけだ。

家族以外の他人とは普段関わらないものだから、少し緊張する。

意を決して、どうかしましたか?と聞くと懐かしくなったもので。と返ってきた。

彼女も犬を飼っていたのだろうか。懐かしいという事はその犬は既に居なくなったのかもしれない、悪い事を聞いた。

それから無言のまま15分くらいが過ぎただろうか、習い事があるので、と言って彼女は去っていった。



家に帰ろう、うたた寝しかけている太郎にリードをつけなおすと、こちらの意を察したのかゆっくりと歩き出した。




ただいま、というと一応おかえりと言ってもらえる僕はまだ家族に恵まれている方だろう。

病院で昔知り合った人は家族に声をかけても返ってこない、私の居場所はどこにもない。そう言って音信不通になった。

治ったのか、この世から去ったのか。おそらく後者だろう、同じ病院に通っていた人が自殺した。なんてのは割とよく聞く話だ。

病院の名誉のために言っておくが、これは病院のせいではない。精神的な病気は本当に命に関わる病なのだ。

そんな僕も以前家族との言い争いの後、睡眠薬を多量に飲んで救急車で運ばれた事がある。

最近こそ落ち着いているが、自分の存在意義を考えると本当につらい。


家族にただいま、と言った後は自室に引き篭もる。特にする事はないが、少し外の空気を吸っただけで横にならないとつらくなる時がある。

布団に潜り込み、天井を見上げていると今日出会った彼女の事が頭に浮かんだ。

自分で言うのもなんだが、汚らしい風貌である。髪は伸ばし放題だし、髭は少し剃り残しがある。不眠の気があるので目の下には濃い隈が浮かんでいる。

大体の女学生は気持ち悪がるだろう、だが彼女はこちらを見て微笑んでいた。珍しい子だがもう会う事もないだろう。


今日は食事はいらない事を伝え、睡眠薬を服用し、眠りに落ちる。幸い今日はすんなり眠る事ができた。





もう会う事はない、彼女と出会ったその日思った事は見事に裏切られた。

彼女は頻繁に太郎と遊びに来て、太郎に飽きられると隣に座って色々話しかけて来る。


彼女は昔この辺に住んでいて、最近戻ってきたらしい。

習い事はピアノをしていて、これでもコンクール上位に入る事もある、という彼女は少し自慢げだった。

前に居た学校との勉強の進み具合の差で苦労しているそうだ。


僕は自分から話すのが得意ではないのでもっぱら聞くだけであるが、それでも彼女は飽きずに話しかけてくる。

友達がいないのだろうか、なんて失礼な事も思ったけど。性格のよさそうな今時珍しい子である、それはないだろう。



1ヶ月経って、2ヶ月経っても彼女は飽きずにやって来る。

そろそろ秋が過ぎて冬になる。そんな時だった、事件がおきたのは。





太郎が死んだのだ。


あまりに突然の事だった。

いつもどおりに散歩に連れて行こうとすると、犬小屋の中で丸くなって死んでいた。

それから数日の事はハッキリと覚えていない。

ペット用の葬式屋さんに頼んで弔ってもらった事だけ覚えている。



それから僕は引き篭もった、元々太郎の散歩だけが外に出る理由だったのだ。

太郎がいなくなってしまった今、外に出る理由はない。

トイレと食事くらいしか部屋の外に出る事が無くなった僕は更に病人らしい風貌になってしまった。


太郎が死んでから1ヶ月くらい経っただろうか、太郎が夢に出てきて僕のズボンを引っ張って散歩に連れて行け。というのだ。

目が覚めるといつも太郎を散歩に連れて行く時間だった。



久しぶりに外に出る気になった僕はコートを羽織り、いつも散歩していた道順で歩き、公園についた。


先客がいた、彼女だ。

こちらの姿を確認すると慌てて此方に駆けてきた。

太郎の姿を探す彼女に僕はまた久しぶりの掠れた声で言った。


「太郎は、死にました。」


彼女は目を丸くして驚いた。


「1ヶ月前です、犬小屋の中で静かに死んでました。」


彼女は慰めの言葉と共に、この1ヶ月ここに通っていた事を話してくれた。

もう冬だ、寒かっただろうに。申し訳ない気持ちになった。


「少し、お話しませんか?」


ベンチに促されるまま座ると彼女はぽつりぽつりと話し始めた。


「覚えてないかもしれませんが、私小学生の時高木さんと会ってるんですよ。」


覚えていない。


「少年野球で、男の子に混じってやってたんです、高木さんにはたくさん教えてもらいました。」


そこでやっと思い出した、少年野球を引退した後、高校で帰宅部になった僕は昔世話になったコーチに頼まれて一時期子供の世話をしていたのだ。

改めて彼女の顔を正面から見ると、確かに面影が残っている。紅一点でがんばっていたので印象は強い。


「ああ、思い出した。確かに野球を教えた記憶がある。」


「私はこっちに戻ってきて高木さんの姿を見た時、すぐ思い出しました。全然変わらないなって。」


「君は随分と変わったね、大人になった。」


もう随分と前ですから、という彼女の頬は寒いからか少し赤くなっていた。


「太郎ちゃんの事、残念でしたけど。またよかったら私と話してください」



そう言って彼女は携帯のメールアドレスが書かれた紙を押し付けて去っていった。

女の子らしいかわいらしい文字だ、普段使われることの無かった携帯に久しぶりに新しいメールアドレスが追加された。







それから彼女とたまに連絡を取り、外で会うようになった。

彼女の隣にいて恥ずかしくないように身嗜みも整えるようになった。

服を買うのに家族に頼っていてはいけないとバイトもするようになった。



いつしか、自分が病人であるなんて忘れていた。

恋はするものじゃなくて、落ちるもの。とは誰の言葉だったか。

気がつけばいつのまにか彼女に惹かれている自分に気がついた。


そこからは早かった、悩むのに疲れて彼女に告白すると、涙をこぼしながらも喜んでくれた。


「初恋は実らない、なんていうけど。嘘だったんですね。」


彼女の為なら何だって出来る気がした。

実家の自営業を手伝うようになり、勉強して調理師免許も取った。


彼女が高校を卒業すると、彼女の両親に挨拶しにいった。

娘はやらん、なんて昔のドラマみたいな事は無く、少年野球の時に面識があった彼女の両親は喜んで祝福してくれた。











それからもう随分と経つ、実家を継いで小さな喫茶店のマスターになった僕の隣には彼女がいる。

あれ以来太郎の夢は見なくなった。あの時太郎に引っ張られなければ今の僕は無かっただろう。

そんな話をすると彼女は


「太郎ちゃんは私と直樹さんの恋のキューピッドだったんですね。」


なんていう、気恥ずかしくなって顔を俯けた僕の頬を彼女は撫でる。

今、彼女のお腹の中には僕達の愛の結晶がいる。


男の子だ、もう名前は決めてある。




ああ、太郎、お前は随分前にいなくなってしまったけれど。

お前のおかげで僕は幸せになる事ができた。




ありがとう――。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ハッピーエンドで終わった事。 [一言] 読後感が良くてよかったです。うつ病というところで敬遠しかけましたが……。 初っ端で敬遠する要素を減らせばもっと良かったのではないかと思います。
[一言] とてもいい話でした。 ありがとうございました。ほんわかしました。
[一言] なんていうか良い話すぎるそして目から汗が…
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