第92話 外される案
その案は、正式な議題としては出されなかった。
会議の終盤。
議事録に残らない雑談のような形で、
誰かが、ぽつりと口にしただけだ。
「……地図士を、判断の場から外すという選択肢は?」
一瞬、空気が止まる。
誰もが、その言葉の意味を理解した。
そして、理解したからこそ、すぐには否定できなかった。
「外す、というのは」
中央の担当者が、慎重に言葉を選ぶ。
「彼の地図を使わない、という意味か?」
「違う」
提案した者は、首を振った。
「地図は使う。
判断の材料としては、極めて優秀だ」
「だが――」
そこで一拍、間が置かれる。
「判断の“責任”を、
彼の存在が引き寄せすぎている」
それは、事実だった。
枠を使っても、使わなくても。
判断を遅らせても、進めても。
最終的に名前が出るのは、地図士。
判断しない立場だったはずの者が、
いつの間にか、判断の中心にいる。
「危険だな」
別の者が、低く言う。
「一人に集中する」
「英雄化するか、
失敗した時の矢面に立たせるか」
どちらも、構造としては歪んでいる。
「……外せば、どうなる?」
その問いに、誰も即答できなかった。
◇
同じ頃、外縁の記録室。
主人公は、いつもと同じように地図を整理していた。
線を引き、
不要な印を消し、
残すべきものだけを残す。
静かな作業だ。
だが、今日は妙に落ち着かなかった。
「……視線が、変わったな」
廊下を歩く職員の目。
声のトーン。
敵意ではない。
だが、距離がある。
判断の責任者として名前が出てから、
彼は“扱いづらい存在”になっていた。
「地図士さん」
若い作業員が、声をかける。
「最近、上の方で……
その……」
「俺の話?」
苦笑すると、作業員は曖昧に頷いた。
「気にしなくていい」
そう言ったが、
気にしないわけがなかった。
◇
夜、若い魔導師が訪ねてくる。
「噂、聞いた?」
「外される案?」
即答だった。
若い魔導師は、少しだけ目を見開く。
「やっぱり、分かるか」
「構造的には、自然だよ」
主人公は地図から目を離さず言う。
「判断を集中させたくないなら、
俺を外すのが一番早い」
「……納得してる?」
「してない」
即答だった。
「でも、理解はできる」
若い魔導師は、黙り込む。
「俺がいなくなっても、
判断は残る」
「むしろ、
誰が引き取るかが問題だ」
その言葉の重さに、
若い魔導師は何も返せなかった。
◇
翌日。
非公式ながら、結論が出る。
――地図士は、判断協議の場から一段階距離を置く。
――地図提供は継続。
――判断への直接関与は、原則行わない。
穏当な表現。
だが、意味は明確だ。
外された。
主人公は、その通知を静かに読み終え、
紙を畳んだ。
「……そうか」
怒りはなかった。
安堵もない。
ただ、胸の奥に、
嫌な予感が残る。
判断から切り離された地図。
読む者の意図だけが残る世界。
それが、
安全だとは思えなかった。




