第9話 それでも、嗅ぎつける者
ギルドを出た瞬間、
空気が少しだけ軽くなった気がした。
「……思ったより、静かに済んだわね」
リーナが周囲を見回しながら言う。
「隠してくれた、ってことだよな」
「ええ。
だからこそ、油断しちゃだめだけど」
その言葉の意味を、
俺はすぐに思い知ることになる。
視界の端。
いつもの地図が、微かに揺れた。
【追尾反応:あり】
【距離:中】
【意図:不明】
(……え?)
足を止めると、反応も止まる。
再び歩き出すと、少し遅れて動く。
「リーナ」
「なに?」
「……尾けられてる」
彼女は一瞬だけ表情を引き締め、
何も言わずに歩調を合わせた。
「数は?」
「一。
でも……変だ」
「変?」
「殺気がない。
敵意も、薄い」
地図上の反応は、赤ではない。
黄色に近い、曖昧な表示。
「……探り、ね」
リーナは小さく舌打ちした。
「ギルドが隠しても、
“異常な動き”までは消せない」
角を曲がった先。
人通りの少ない通りに入ったところで――
「失礼」
背後から、穏やかな声がかかった。
二人同時に振り返る。
そこに立っていたのは、
地味なローブを着た男だった。
年齢は三十代半ば。
武器は見えない。
だが――
(……地図が、警戒してる)
【対象:外部組織】
【分類:宗教系】
【危険度:測定不可】
測定不可。
初めて見る表示だった。
「お二人に、少しだけお話を」
男は、敵意のない笑みを浮かべる。
「私は、
“記録と導き”を司る者です」
リーナが、半歩前に出た。
「教会の人間ね」
「ご名答」
男は軽く頭を下げた。
「名乗るほどの者ではありませんが、
皆からは“巡察司祭”と呼ばれています」
地図が、
彼の足元を淡く縁取る。
「ギルドでの報告。
表には出ていませんでした」
それなのに。
「ですが、
“世界の反応”までは隠せない」
その言葉に、
背中を冷たいものが走った。
「あなた、最近――
道を、一本増やしましたね?」
心臓が、跳ねる。
「……何の話ですか」
俺が答えるより先に、
リーナが低く言った。
「それ以上踏み込むなら、
ここでは終わらない」
司祭は、苦笑した。
「脅すつもりはありません」
そして、俺を見る。
「ただ、忠告を」
地図が、警告を強める。
【干渉:言語情報】
【危険度:中】
「“地を記す者”は、
かつて世界を救い、
同時に、世界から消された」
――遺跡で、リーナから聞かされた。
地図士は救い、そして消された存在だという話。
その記憶と、司祭の言葉が、
ぴたりと重なった。
「教会は、
それを忘れていません」
司祭は、一歩下がった。
「今すぐどうこうする気は、ありません。
ですが――」
穏やかな笑みのまま、告げる。
「あなたが次に“何かを記した瞬間”、
必ず、誰かが現れます」
そして、付け加えた。
「私たちとは限らない、
“もっと強引な誰か”が」
司祭は、それ以上何も言わず、
人混みに溶けるように去っていった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「……どう思う?」
俺が聞くと、
リーナは即答した。
「敵じゃない。
でも、味方とも言えない」
彼女は俺を見る。
「少なくとも、
あなたを“観測対象”として見てる」
地図が、静かに表示を更新する。
【外部注視:増加傾向】
【推奨行動:慎重】
(……隠れても、限界か)
俺は、無意識にペンを握っていた。
世界はもう、
俺が“何も書かない存在”であることを
許していない。
「カイル」
リーナが、真剣な声で言う。
「次の冒険、
選びなさい」
「選ぶ?」
「ええ」
――記すか。
それとも、記さないか。
地図士としての選択が、
初めて、
俺の意志に委ねられた。




