第76話 一言だけ
夜更け、連絡官は机の前に立っていた。
椅子には、座らない。
「確認したい」
それが、切り出しだった。
「今日の件、規定違反は?」
「ありません」
「手続き漏れは?」
「ありません」
「なら」
一拍置く。
「判断の失敗だな」
誰も反論できなかった。
若い魔導師が言う。
「でも、判断はしていません。
規定に従っただけです」
「そうだ」
連絡官は、はっきり頷く。
「だから、失敗した」
静かな断定。
「規定は、判断を代替できない」
その言葉は、責めでも評価でもない。
事実の指摘だった。
連絡官は、続ける。
「君は、訂正を書いた」
「はい」
「権限集中を否定した」
「はい」
「だが」
目を上げる。
「判断を置き去りにした」
部屋の空気が、重くなる。
「裁量を削った。
だが、判断する“場”を残さなかった」
若い魔導師は、息を吸う。
「……どうすれば」
連絡官は、首を振った。
「答えは、言わない」
その代わり、紙を一枚置いた。
白紙。
「これに、何を書く」
問いだ。
「権限ではない」
「免責でもない」
「判断が、存在できる場所だ」
それだけ言って、踵を返す。
扉の前で、立ち止まる。
「これは、公式な助言じゃない」
振り返らない。
「聞いたかどうかも、報告しない」
去り際に、一言。
「だが、次に同じ遅れが起きたら」
少し間。
「王都は、黙らない」
扉が閉まる。
残されたのは、白紙と沈黙。
リーナが、静かに言う。
「書けってことだね」
「……ああ」
若い魔導師は、紙を見る。
権限を増やす?
規定を緩める?
違う。
判断が逃げない構造。
それを、言葉にできるか。
夜は、まだ終わらない。




