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気分

作者: λ

 ある晴れた昼下がり。男は、少し汗ばむ腕にそよ風を心地よく感じながら、何をするわけでもなく窓辺に座っていた。コーヒーカップを片手に風になびくモクレンの葉を眺めていたが、ただそれだけであった。そこに風情を見出すでもなく、ただ今日という素晴らしい日を無為に過ごしていることに焦燥感を覚えているのだ。そしてまた、この行為を無為だと切り捨ててしまう自らの乏しい侘び寂びの精神に嫌気がさすのであった。このコーヒーカップに至ってもまた、例にもれずただ手慰みに持っているに過ぎない。この心地よい陽気に一定の価値を見出しつつも、それを自らの糧として摂取する行為には何らかのこだわりがあった。この漠然とした「良い日」をどう活用するか。正解などないと思われるこの問いの答えに、あろうことか不正解を突きつけ続けた結果がこの失態なのであった。

 しかして、男は外界に繰り出した。何か自分の乏しい感性を刺激するものを探す旅、又は今日という日に付加価値を付ける旅。延いては、この旅に意味を見出す為の旅。ある種の賭けであった。はなから目的が在るようで無いのであるから、その一挙手一投足にもまた目的などは無い。道端の石ころを用水路に蹴落としたりしてみるが、小学生の行うそれとはまた違った動機なのだろうと思う。目的がないという点では庭を眺めていた時と何ら変わりない。しかし歩くという動作によって、何かが前進するような錯覚に陥り、先の煮え滾る焦燥感は薄れていくのだ。エノコログサを毟り存在しないネコをじゃらす行為も、葉の裏に刻まれたカタツムリの轍を追うことも、また前進なのである。

 存在するかどうかすら危うい答えを探している男の顔は、しかしながら穏やかだった。石を裏返し、その下に答えを探す。無慈悲にも傾き続ける陽光は、既に答えが意味をなさないことを示していた。一抹の寂しさを残し、自然と足が家に向く。結果的には探していた答えは見つからなかった。家の土間で靴を履いた時には決まっていたことだと、天におわす神か仏は囁く。だが内にしか存在しえない答えを外界に求めてしまった愚かな男への、僅かばかりの福音を聞く義理などその男にはない。家を出たときとは別の焦燥感と、少しの空虚な満足感を胸に、帰路に就く。この道の先にもあるというローマに思いを馳せる男に、明日という素晴らしい日への答えは見つかる由もなかった。

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