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画家をお家に

 エレンが日本語クラスの仲間とのお茶をおえ築地の居留地から銀座にむかって歩いていると、写生をしている日本人男性がいるのに気付いた。


 何をかいているのかのぞくと目の前にある洋館をかいていた。


「じょうずね」


 エレンが日本語で話しかけると男がうっとうしそうに振りかえり、一瞬おどろいた顔をしたあと「フランス人?」とフランス語で聞かれた。


「アメリカ人。でもフランス語ちょっと話せる」


 エレンがフランス語でかえすと男はあからさまにがっかりした顔をし、無言で絵に意識をもどした。


「フランス語を勉強したの?」


「パリに3年いた」


 男はエレンを見ることなくスケッチをしながら答えた。


 お世辞にも身なりがよいといえない、くたびれた着物をだらしなく着た中年日本人男性からパリという文字がとびだすとは思わなかった。


 嘘くさいと思ったが、才能ある芸術家を援助をする篤志家はいるので嘘と決めつけてはいけないだろう。


 エレンは自分で絵はかかないが見るのは好きで多くの絵を見てきた。この男性のスケッチには不思議な魅力があった。洋館の重々しくありながらも甘さのある雰囲気が伝わる。


「あなたがかいた絵、もっと見たい」


 男が振りかえりしばらくエレンを見つめたあと


「俺の家に来てもらうわけにはいかないから、あんたの家に絵を持っていっていいなら見せるよ」といった。


 道で会っただけの知らない人を、とくに男性を軽々しく家に招いてはいけないが、兄もいれば使用人もいるので大丈夫だろうとうなずいた。


 翌日、中山次郎と名乗るその画家は、パリでの生活を描いたスケッチブック、小さな人物画と風景画をたずさえやってきた。


「見るからに怪しい男ではないんだろうけど心配だ」という兄と一緒に次郎をむかえると、おどろいたことに2人は顔見知りだった。


「あの時はお世話になりました」


 兄が勤めている学校を次郎がスケッチしていた時に、学生の邪魔になると学校関係者が次郎を追い払おうとしていたのを兄がとりなしたらしい。


 明治時代になり新しく建てられた学校は立派な洋式建築で目をひくので次郎は学校をスケッチしていたのだろう。


 兄はエレンよりもはるかにフランス語が話せた。2人はすぐに打ちとけエレンをそっちのけで話している。


 マルタン家は血がかなり薄れているがフランス系アメリカ人だ。高祖父母がフランスからアメリカに移住し、その後ドイツ系とイギリス系のアメリカ人と結婚しているのでフランス色はさほど強くない。


 高祖父母はカトリックの国、フランス出身なのでカトリックだったが、誰が宗派をかえたのか分からないが現在のマルタン家はプロテスタントだ。


 フランス系アメリカ人としてフランスの習慣を守っているといえないマルタン家だが、なぜか子供にフランス語を話す乳母をつける習慣だけは守られていた。


 おかげでマルタン家の子供全員が小さい頃はフランス語を話していた。


 とはいえ大きくなるにつれ英語のみの生活になりフランス語を話す能力はがっくり落ちた。


 長男・長女コンビはフランス語で挨拶ができれば十分とフランス語の勉強を早々に放棄した。


 エレンはフランス語の勉強をつづけ高等学校でフランス語のクラスをとってと努力はした。しかし日常生活でフランス語を話す機会はへりつづけ、自分でもどれほどフランス語を話せるのかよく分からない。


 兄弟のなかで一番フランス語を話せるのは次兄のアーネストだ。


 アーネストはフランス語を勉強しつづけた。イギリスに留学していた時に、ヨーロッパはフランス語を共通語として使うため英語を話せない人と話すのにフランス語が大いに役立ったという。


 男2人が盛りあがるなかエレンは次郎からわたされたスケッチブックを見ていく。


 パリの風景や、次郎が住んでいた部屋、日常雑貨や友人と思われる人物など、次郎のパリでの生活を垣間見られるスケッチは見ていてたのしかった。


「そうだ、次郎に肖像画をかいてもらわないか? せっかくの縁だし」兄がいった。


「絵をかいてもらうということは、じっとしてなきゃいけないのよね? 何もせずに座ってるとか立ってるだけってたのしくないなあ」


 兄が笑いだした。変なことを言ったおぼえはないので何がおかしいのか分からない。


「次郎の絵を気に入ったのはお前だろう? 日本での良い思い出になるし、こういう機会でもなければ肖像画なんて一生かいてもらうこともないだろう」


 兄の言う通りだった。


 肖像画は時間と手間がかかる。気に入った画家がいても引き受けてもらえるか分からない。


 次郎という画家に出会い、アメリカにいた時よりも時間がある今でなければ出来ないことだろう。


 兄が次郎に肖像画を頼むと次郎が微妙な表情をしながらもうなずいた。本当は引き受けたくないのかもしれない。


 兄は次郎の様子に気付いているが気にせずに話をすすめているのか、気付かずに今後の話をしているのか分からないが、あっという間に肖像画をかいてもらうことになった。


「なんか人生っておもしろいよな。エレンが男をひっかけてきたのもびっくりしたが、肖像画かいてもらうことになるなんてなあ」


 次郎が帰ったあと兄がたのしそうに笑っている。


「男をひっかけたって、画家を家に連れてきただけなんだけど。一目ぼれした相手を連れてきたわけでもないのに。


 それに若くみえがちな日本人なのに、私がおじさんと思うということは次郎ってかなり年上だよね?


 ないわ。30代後半ぐらいかなと思ってるけど、30代半ばでもありえない。それに好みのタイプでもないし」


「かわいそうに次郎。ひどい言われようだな。


 でも画家として腕はたしかなようだしたのしみだ。フランス語をさびつかせないのにもちょうどいいしな。


 エレンは肖像画をかいてもらうのは考えてなかったとしても、次郎の絵を買うつもりで来てもらったんだろう?」


「……正直なにも考えてなかったわ。そうだよね。画家に絵をみせてもらうって、そういうことだよね」


「俺は次郎のこと気に入ったし肖像画かいてもらうけど、お前はじっとするのがいやなら風景画でもかいてもらえばどうだ?」


 兄の勢いにのまれ肖像画をかいてもらうことになったが、自分がおとなしく絵のモデルとしてじっとしていられるのかを考える。


「肖像画、たぶん何とかなる――かな?」


 エレンの返事に兄が笑った。

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