希望の灯を届ける
エレンはセントラルパークで知り合ったベンとルイーズ親子にアーチェリーを教えるためアーチェリー場へ向かっていた。
エレンがアーチェリーをすることを知ったベンが自分もやってみたいといい、それなら私もとルイーズも加わった。
「ミス・マルタン!」
ベンがエレンに気付くとエレンのもとに走ってきた。
「日本のお父さん、見つかった! 啓から手紙がとどいて見つかったって!
すぐに日本に行きたい! ミス・マルタンも一緒に行こう。日本を案内してほしい」ベンがうれしさを全身にみなぎらせ、日本まで走って行きそうな勢いで「見つかったよ!」と言いながら走り回った。
「いつも騒がしくてごめんなさいね」ルイーズがあやまりながらベンの話を引き継ぐ。
エレンはルイーズのために兄の通訳をしていた啓にベンの父親探しを依頼した。啓の実家は横浜で手広く商売をしているので情報が集まりやすかった。
啓とルイーズが直接やりとりをし、啓からベンの父親が東京の政府機関で働いていること、結婚し家族がいることなどを知らせてくれたという。
「啓にベンの父親が見つかった時に渡してほしいと手紙をあずけてたのよ。それを啓が渡してくれてベンの父親からの手紙が同封されていたの」
「日本のお父さん、僕に会いたいって!」
うれしそうに話すベンを見ながらルイーズがエレンに
「夫がちょっとすねてるの。ベンの父親は自分だと思ってるから。ベンに血がつながった父親がいるのは分かっているけどもやもやするといってるわ」と打ち明けた。
「日本のお父さんも僕のお父さんなんだろうけど、僕にとってお父さんはお父さんなんだよ。
僕を生んでくれたお母さんが、お母さんの従妹なのは知ってるけど、僕のお母さんがお母さんなのと一緒だよ」
ベンのその言葉にルイーズがうれしそうにうなずきながら涙ぐんだ。
「僕を生んでくれたお母さんは結婚を反対されて日本のお父さんと結婚できなかったけど、日本のお父さんと出会ってとても幸せだったんだって。日本人のお父さんと一緒に日本に行くのを楽しみにしてたのに行けなかった。
だから僕が代わりに日本にいってくる。日本のお父さんに会ってくる。日本までどのぐらいの日数がかかるの、ミス・マルタン?」
エレンがまずアメリカを横断するのに1週間。サンフランシスコから船に乗り3週間ほどかかると説明すると「そんなに遠いの!?」とベンがおどろいていた。
ベンがルイーズに抱きつき「どんなに遠くてもみんなで一緒に日本に行きたい!」というと、ルイーズが「3人で行こうね」と力強くこたえた。
「うわあ、楽しみだなあ。みんなで日本に行って日本のお父さんに会えるなんて。ミス・マルタンも一緒に行こうね!」
ベンの笑顔につられ「みんなで一緒に日本へ行こう!」とエレンも高らかにいっていた。
エレンはひとりでマンハッタンの南端にあるバッテリーパークに来ていた。
「昔この辺りは高級住宅地だったのよね」
17世紀にニューヨークを支配していたオランダの貿易の拠点として一帯が発達し、オランダからイギリスに支配が変わってからも発展しつづけた。
長く砦として使われていた場所が、砦が他地域に移されたことから公園になりバッテリーパークと名付けられた。公園内にあるキャッスル・ガーデンとよばれる建物は展示場やレストラン、劇場など娯楽施設として使われ社交場だった。
その後ヨーロッパからの移民を受け入れる移民局になったので人が多く雑多な雰囲気がただよっている。
エレンはリオの日記をしっかり抱えるとアッパー・ニューヨーク湾の小さな島に建設された自由の女神がよく見える場所をさがした。
自由の女神はアメリカとフランス両国で建設費用の募金をつのり実現にこぎつけた。フランス側の募金で女神像がつくられ、アメリカ側は台座の建設費用を集めた。
トーチを持った女神像の手の部分がフィラデルフィア万国博覧会やニューヨークのマディソンスクエア・パークで展示され募金をうながした。
多くの人達からの募金で計画が進み10月28日についに除幕式がおこなわれる。
除幕式後しばらくは見学にくる人が多そうなのでエレンは除幕式前に来ることにした。
「リオ、もうすぐ自由の女神が公式におひろめされるのよ。フランスとアメリカがんばりました! 私もちゃんと募金したよ」
除幕式のためにフランス国旗が女神像の顔部分をおおっている。
エレンは自由の女神を見ながら日本行きについて考えていた。ベンに一緒に日本に行こうと言われてからエレンは日本で教えることを考え始めた。
エレンはリオの日記を読めずにいたが、自分が関わっていない学生時代のものであれば平気かもしれないと読み始めた。
英語でどのようにいえばよいのか分からないといった悩みがよく登場し、いつか西洋に行ってみたいという希望も書かれていた。
「リオが教師として日本の女の子達のために照らしてきた道を私がリオの代わりに照らすべきでは」
もしリオが生きていたらエレンは日本に戻り日本で教えるつもりだった。日本の学校で雇ってもらい、休みの日にリオの英語塾の助けができたらと考えていた。
――希望の光。
リオは希望の光だった。その光が照らしたものを絶やしてはいけないという気持ちが日増しに大きくなっていた。
「でも日本はいまコレラが流行っていて大変なんだよね。でもどこにいても流行病はあって死ぬ時は死んじゃうものだし怖がっても仕方ないんだけど」
東京に戻ったメアリーからの手紙にコレラの流行について書かれていた。日本だけでなくアジア、ヨーロッパ、中東と広範囲にわたり流行している。さいわいアメリカは上下水道の技術が進んだおかげで被害が小さかった。
「ぜひまた日本に来てね。みんな待ってるから。エレンなら教師として日本で旅費や滞在費を稼ぐのは簡単だから気軽に来られるでしょう?」
メアリーの言葉がエレンを後押しする。
「この時代は他国で働くのに許可がいるとかなくて楽だよね。お金がなくなれば現地調達すればいいかと気楽だし。
現代だと労働許可付きのビザを取るのが大変で、日本人の友達もビザ申請のスポンサーになってくれる職場探しが大変なところに規則が変わってしまって。より面倒なことになったから諦めて日本に帰ったし」
現代アメリカ人Tの意識が現代とは大違いだと反応する。
金ぴか時代は交通網が発達し多くの人が気軽に移動できるようになったばかりなので何かと大らかだ。
「もしエレンがまた日本に行ったらこの怪奇現象も終わる――かも?」
そのように考えたが日本からアメリカに戻ってきても同じ現象がつづき、ワンダーランド日本限定の怪奇現象といえないので可能性は低そうだ。
「それにしても結局なんでこんな状況になってるんだろう? 分からなくても生きていけるから大丈夫といえば大丈夫なんだけど」
エレンの中に入りこんだといえばよいのか、悪魔にとりつかれているのか、脳内妄想、AIが作り出した新しい技術なのか、何といえばよいのか分からない状態が2年つづいている。
気持ち悪い状態ではあるが「人生こんなものでしょう」とも思っていた。
世の中には説明がつかないことが多々ある。今の状況を普通と受け入れてよいのかという気がしないでもないが、分からないものは分からないので仕方ない。
「貧しく、困難に打ちのめされ、疲れ果て、帰る場所のない人達を私のもとへ。私は希望の灯をかかげる。自由の国はここだとしめすために」
Tは現代で自由の女神像の台座に刻まれている詩を思い出した。
「エレン、日本にいって日本の女の子達の道を照らそう。女神がかかげる希望の灯を日本へ届けちゃえ! 光という名を持つあなたにふさわしい役目よ」
エレンは女神像のトーチを見た。
「希望の灯」
エレンがいる場所からは小さくしか見えないトーチだが、自由の女神が灯すものは希望だと胸が熱くなった。
日本もアメリカも女性には男性にはない多くの手かせ足かせがあり生きやすいとはいえない。だからこそ希望が必要だ。
「よし、日本に行こう! リオはアメリカに来たばかりで日本にまだ帰りたくないかもしれないけど私と一緒に日本に行くわよ。がんばろう!」
エレンはリオに自由の女神がよく見えるよう日記をかかげた。
《了》
次ページは参考文献の記載のみです。




