オールドマネーもニューマネーも鼻につく
9月に入り避暑でニューヨークをはなれていた人達が戻り街はにぎやかになった。
今年はオペラ戦争とよばれたアカデミー・オブ・ミュージックとメトロポリタン・オペラの決着がついたことから時代の変化について語られることが多い。
オールドマネーの旧家が後援し、選ばれたごくわずかな人しかステータスシンボルのボックスシートが確保できないアカデミー・オブ・ミュージックの方針に反発し、ニューマネー達が自分達でオペラを楽しめるようメトロポリタン・オペラを1883年に開場させた。
ニューマネー達は演出家や歌手をそろえオペラの新作を手がけてと優勢になり、アカデミー・オブ・ミュージックが1886年のシーズンはオペラではなくコメディーなど軽い演目を上演すると発表した。
エレンはセントラルパークで知り合ったルイーズの家を訪問し、オペラ戦争について高等学校時代の友人、フローレンスもまじえ話していた。
フローレンスの夫がエレンの次兄が労働問題にかかわっていることを理由に付き合いを断ちたいとほのめかしたが、フローレンスとの交友は変わらずつづいている。
「夫がエレンに今後の付き合いがどうのと言った時は動揺したけど、冷静になったら夫に分からないようにすればよいだけと気付いたわ」
夫婦げんかをしたあとフローレンスはそのように決心したという。フローレンスがエレンの偽名を決め手紙のやりとりをし、今日もルイーズと会うとだけ言い出かけていると楽しそうにいう。
フローレンスとルイーズはお互いの夫が知り合いでパーティーで会えば挨拶をする間柄だった。フローレンスが活動している慈善団体のバザーにルイーズが来たことでエレンという共通の知人がいることが分かった。
「秘密の恋人とか不倫の関係が気持ちを盛りあげるのがどういうことかよく分かったわ。エレンに会うのに隠ぺい工作するのドキドキするもの」フローレンスがくすくす笑いながらいった。
「隠ぺい工作は言いすぎじゃない? ルイーズの家にいったら『たまたま』エレンもいましたという何のひねりもない言い訳だし」
「それにしてもヨーロッパの由緒正しい血筋だとか、清教徒時代にアメリカにきた一族と選民意識をもっていても、時代が変わると『それがどうしました?』となるのよね。夫の親戚一同が憂うつそうな顔をするのを見られそう」フローレンスがうれしそうにいう。
オペラ戦争でニューマネーの勢いの強さを見せつけられたオールドマネーは自分たちの地位がおびやかされているのを痛感しているだろう。
「オールドマネーの選民意識も鼻につくけれども、ニューマネーのお金を払えば何をしてもいいと思っている態度もうんざりするのよね」
ルイーズが夫の従兄が他州からニューヨークに遊びに来て貧民街ツアーに参加した話をした。夫の従兄は出版会社の経営で成功していた。
「慈善活動のために貧民街を視察するのではなく、貧乏人がどのような生活をしているのか見たいという興味本位の見学ツアーがあるのよ。
そのツアーに参加した従兄夫婦がスリの被害にあって怒ってたけど、護衛がついているとはいえ犯罪者がうようよいる場所に行ってそれだけで済んでよかったとは思わないのよね。そもそもそんなツアーに参加する趣味の悪さに気付かない」
従兄夫婦はファイブ・ポインツと呼ばれる貧困地域を見学するツアーに参加した。
ファイブ・ポインツは現代ではチャイナタウンの南側に隣接する裁判所などがあるシビックセンター地区にあった。金ぴか時代はヨーロッパからの移民が多く住む貧困地域で犯罪の温床として知られていた。
ニューヨークの人口は急速に増えつづけ、それにともない貧困地域の規模も拡大し、新旧の移民の間で縄張り争いも起きてと物騒だった。
それにもかかわらず護衛や警察官を連れ貧困地区を歩き回ることが裕福な人達や他州からの観光客のために気軽に行われていた。
従兄夫婦が参加したツアーにも警察官がついていたが、走ってきた子供がわざと従兄にぶつかり警察官の意識をそらしたすきに他の子供に財布をすられたらしい。
貧困地域にはストリート・アラブとよばれる路上生活をする孤児が多く子供による犯罪も多い。
「本当に悪趣味よね。うちは義父の妹がツアーに興味をしめした時に義父が本気で彼女に怒ってた。恥を知れと。
それに誰が銃を持っているのかも分からないから相手をへたに刺激すると撃たれる可能性もある。犯罪者にモラルという言葉なんてないし常識は通じない。そんな場所にわざわざ行くなど正気の人間がすることじゃないと熱弁してた」フローレンスがうなずきながらいった。
金ぴか時代のアメリカは銃があふれている。アメリカは独立してから国内のどこかしらで戦いがあり、コルト社やスミス&ウェッソンが回転式拳銃、リボルバーの大量生産を可能にしたことから南北戦争で多く使われた。
それだけでなくリボルバーが小型化し簡単に手に入れられるようになったことから護身用として持ち歩く人が増えた。おかげで言い争いやけんかで銃を発砲することが日常的におこっている。
「現代とちがって銃規制なんて考えはこの時代にはないし、それどころか自分を守るために銃を持つのは当たり前が常識だから現代よりもやばいかも」
現代アメリカ人Tの意識が反応する。現代でも市民が銃を持つことが許されているので、誰が銃を持っていてもおかしくないのは同じだ。しかし現代のアメリカは銃規制が一応存在している。
アメリカ両海岸のリベラルな州は銃規制を進めるが、保守的な州は銃を持つのは自分達の権利だと銃規制に反対している。
アメリカ人が所持する銃の数は、戦争や紛争のある国や犯罪がはびこる国と1、2位を争う所持数という記事を読み、Tは「先進国と思えないひどさ」という感想をもったことを思い出す。
アメリカは憲法で銃を所持する権利が保障されている。銃乱射事件でどれだけ多くの人が死のうとアメリカ人が銃を所持する権利を捨てる日は来ないだろう。
Tの意識が反応している間エレンがぼんやりしていると、フローレンスとルイーズが婚家の理解できない人達の話でもりあがっていた。
エレンはこの手の話を聞くたびに独身最高! とあらためて思う。自分の家族だけでもすでに面倒なところに、婚家の面倒な人達と付き合うなど考えただけで寒気がする。
「私はエレンのように強くないから一人で生きるなんて出来ない。だから自分のやりたいことを貫いて日本へも軽やかに行ったあなたがうらやましかった。婚家のくだらないもめごとに巻き込まれてないで一人で生きてみようかと思うことが何度かあったわ」
フローレンスが突然そのようにいった。結婚するのが人として正しい生き方とされる時代に、エレンの生き方を肯定しうらやましいというフローレンスのような女性はめずらしい。
「ほめられてうれしいから婚家で一番気にくわない人をフローレンスのかわりに私が矢で射ぬいてあげる」
「矢で攻撃すると真っ先に私が疑われるから銃の方がいいな」フローレンスが笑いながら応じる。
「じゃあ銃の練習をするわ。アーチェリーでつちかった的をねらう集中力を発揮すれば楽勝でしょう。ついでにルイーズの婚家の嫌な奴にも銃弾をおみまいしてあげる」
エレンが片手で銃を撃つ格好をすると、「両手でしっかりぶれないようにしてよね」とフローレンスが両手で銃を構える。ルイーズも笑いながら銃を構える格好をした。




