自信を失うのに時代は関係ない
エレンが父の呼び出しから戻り家でくつろいでいると、叔母が帰ってくるなり「なんか変な流れになってきたかも……」疲れたようにいった。
「会合でまた何かあったの?」
叔母が関わっているブルックリンにある学校の廃校を阻止する活動はこれまで何度も横やりが入り、出席すべき会議の予定を知らされないといったことが起こっていた。
「廃校に反対している側の意見を述べる場があるはずなのに、それをせずに採決をとるという話が出てるの。
これまでもこの手のことはあったけど議会に顔がきく人を引き入れたから陳情できることになってたはずなのに――」
エレンはとっさに「父のしわざよ」とつぶやいていた。
「お義兄さん? なんで? あの人は教育なんかに興味はないし、お金にならないことはしない人じゃない」
叔母の疑問に父がエレンの契約更新について知っていて、ガバネスとしてイギリスに行かせようとしていたので、エレンの契約更新に父が関係しているのではと思ったことを説明した。
それだけでなく父のことなので叔母の活動を邪魔しエレンを追い込もうとしているかもしれないと思ったことを付け加えた。
「あとで思い出したんだけど校長とお父さんは知り合いなの。着任の挨拶をした時に父は元気かと聞かれて、なぜだろうと思ってたら校長の実家の土地売買で父に世話になったといってた。権利関係が複雑だったらしくて感謝してると」
叔母がかすかにうなずいた。
「エレンのことはありえなくないわね。お義兄さん困ってる人を助けて恩を売るの得意だし、恩をうけた人が自発的にお義兄さんの力になるようにあやつるのも上手いから。
でもエレンの契約更新を邪魔するために自分の息子の評判を落とすようなこと言うかなあ? 自分の評判をものすごく気にする人だから家族の評判を落として自分の足を引っぱるようなことはしないと思うけど。
イギリスに移住しようとしてる人がイギリスの上流階級とのつながりが強くて、どうにかしてつながりを持とうと思ってるならありえるかなあ。
でも―― もし本当にお義兄さんがやったとしたら、何となくなんだけどエレンとアーネストへの嫌がらせのような気がする。自分の言うことを聞かず好き勝手してる娘と息子に痛い目をみせてやるみたいな」
父の性格を考えると1セントの金にもならないことをやるとは思えない。でもエレンが結婚するならヨーロッパの貴族と結婚しようと思うが我が家の財力では莫大な持参金を用意するのは無理でしょうといった。その言葉が父のプライドを大いに刺激した可能性はある。
息子の労働問題への関わりをよく思っていなかったところに、娘がイギリス貴族と知り合えるきっかけになる人物が登場し思い付いたのかもしれない。
エレンがおとなしく自分に従うとは思っていなくても、それでもエレンをイギリスに送りこむことができたら万が一の可能性はアメリカにいるよりも高くなる。
「衝動的に行動するのはやめろと言われてきた理由がいまとっても身にしみてる」
叔母が笑う。
「お義兄さんが本当にエレンに嫌がらせをしたか分からないけど、いつも紳士然とした姿を見せてる人が子供のようなことしてるかもと考えると――」
叔母の笑い声が大きくなる。
「笑ったらちょっとすっきりした。エレンの契約更新はともかく、私の方はお義兄さんは関わっていないと思う。これまでいろいろ妨害されてるから廃校派の人達のしわざだと思う。
変な動きがあるって分かったから打てる手をすべて打つだけよ」
叔母がウインクをした。
エレンとちがい叔母は感情的にならず何をすべきか冷静に判断をし行動する。叔母のようになりたい。衝動的に何かとやらかしてしまう自分をエレンは反省する。
「そういえば叔母さんに言い寄ってるおじさんは相変わらずうっとうしいの?」
叔母が顔をゆがめたかと思うと「どうしてそういう思い出したくもない人のことを聞くのかなあ?」心底いやそうな声をだした。
文字は書き手の感情をあらわす。
エレンは黒板に書いた自分の字が乱れているのを見て、落ち着くのよと自分自身をなだめる。
校長から契約更新をしないことを伝えられた。更新されないかもしれないと覚悟していたが、実際に更新されなかったことに自分でもおどろくほど落ち込んだ。
本当は父の嫌がらせなど存在せず、自分の教師としての能力に問題があり契約が更新されなかったのではと考え始めると、日頃は何とかなるだろうと見て見ぬ振りをしている自分の至らなさに意識がいく。
生徒によって理解の仕方がちがうことに対応しているつもりでも少し進んだ所で生徒が同じ間違いをくりかえす。質問魔の生徒が授業の邪魔をするのを上手くコントロールできずに感情的になることもあった。
生徒からつけられたニックネームが「日本人もどき」で敬意があるとは思えない。教師として自信を持っていたが独りよがりだったと苦しさをおぼえた。
「ミス・マルタン?」
授業中にもかかわらず考え事をし黒板に書こうとしていた手が止まっていた。
「集中!」自分を励まし授業をつづける。
教師は生徒のお手本となる美しい字を書くことが求められる。エレンは自分の字に自信を持っている。叔母から教師になるなら美しい字をかけるようにしっかり練習するようにいわれ励んだ。
「美しい文字を書く習慣がすたれるのは悲しいなあ。筆記体なんてどうでもいいとなる時代がくるなんて」
現代アメリカ人Tの意識が反応する。エレンが黒板に書いた字は筆記体だ。金ぴか時代のアメリカは印刷物にはブロック体が使われるが手書きは筆記体で、学校で生徒に練習させるのも筆記体だ。
しかし現代の学校ではブロック体しか教えないようになっている。Tの世代はまだ筆記体を教えていたが、継娘の世代はブロック体だけになっていた。
エレンの書く文字は美しく読みやすい。長くつづいてきた手書きの筆記体が現代ですたれてしまったことにTは寂しさをおぼえた。
金ぴか時代と現代の学校のちがいは文字だけではない。文字以外のちがいは良い方向へむかったといえる。
金ぴか時代は何をするにも男女で分かれている。学ぶ内容も男子は現代に近いものを学ぶが、女子は家政を切り盛りするために必要な知識を中心に学び受ける教育がちがった。
男女だけでなく人種によっても通う学校がちがう。学校だけでなく、生活全般で白人とその他の人種で分けられ白人以外の客を入店させないことが公然とおこなわれていた。
金ぴか時代の間に性別にかかわらず同じ教育をという流れにはなっている。しかし人種差別はインディアン、黒人差別、外国人嫌悪がひどくなっていた。
教師の在り方も大きく変わった。この時代の女性教師は品行方正を求められ独身であるべきと理不尽な条件をつけられている。
現代では教師に修道士や修道女なみの品行方正など求められない。女性教師のみに独身という条件をつければ現代なら女性差別と訴訟になりソーシャルメディアで大炎上だろう。
「100年の間にこの時代の人が想像もつかないほど現代は変ったんだよね。
でも人の悩みってどの時代も同じといえるかも。契約更新されないとか、解雇されて自信を失うなんて現代でもよくあるし」
気を取り直し授業をつづけるエレンにTは大丈夫だからと励ました。




