後悔をいかせない
「姉さんが家族でイースターを祝うので準備しておくようエレンに伝えてといってたわよ」
叔母がご機嫌で帰って来たかと思うとエレンにうれしそうに母からの伝言をつたえた。
「べつに参加したくないんだけどな……」
「そういうことを言わない」叔母が笑いながらエレンの肩に手をのせた。
「今年は帽子を新しくする? でも注文するには遅すぎるから既製品になるわね」
浮かれたように話しながらコートをぬぐ叔母を横目にエレンはこっそりため息をついた。
昨年のクリスマス前に母から不満をぶつけられクリスマスの家族の集まりにこなくてよいといわれたので、これで二度と家族の集まりに参加しなくてもよいと喜んだが甘かった。
不満をぶつけられた後、母にこれまで迷惑をかけていたことを謝罪する手紙を出したので母がそろそろエレンを許そうと思ったのだろう。
エレンが家族の集まりに参加するのをよろこぶのは次兄のアーネストだけだ。居心地の悪い集まりに自分一人で行かなくてよいと大歓迎してくれるはずだ。
「そういえばお母さん本当にワシントンD.C.に行くの?」
叔母が大きなため息をついた。
禁酒運動にのめり込んでいる母はワシントンD.C.で行われる集会に参加し他地域との連携を強くしようと動いていた。
裕福な家庭で育ち、女性の使命は家を守り子を育てることという保守的な考え方をもつ母は姉の死を境に変わった。
「――1週間先の日程だけどすでに荷造りを終えたといってたわ」
叔母がワインをとりだしグラスにそそいだ。叔母は母の目がある場所で酒類は飲まないが、叔母とエレンはワインを飲むことをつづけている。
エレンがワインを飲むのはフランス系のマルタン家がフランスの習慣として子供の時からワインを飲むのが普通として育っているのもあるが、夫の過剰な飲酒のせいで命を落とした姉を忘れないためだった。
姉が亡くなったあと酒類を飲むのをやめたが、次兄がワインを飲むたびに姉のことを思い出そうといったことから再び飲むようになった。とはいえ以前とはちがい飲むのは一杯だけだ。
「婚約者が亡くなってたくさんの人が彼のことは良い思い出として胸にしまい、新しい相手と幸せになれと言ったのがなぜか姉さんを見てるとよく分かる。
亡くなった人のことを忘れる必要はないけど、こだわりすぎるのも良くないってことなのよね。姉さんは娘が出していたはずの『助けて』というサインを見落としてしまったことを死ぬほど後悔してる。
時間がたてばたつほど後悔が強くなっていて、禁酒運動をしていないと生きていけないんじゃないかと思うほどにね」
後悔。
エレンも姉が亡くなってから後悔しつづけている。
息苦しさをおぼえワインを口にすると、日本で親しくしていたリオとひな祭りに白酒を飲んだことを思い出した。日本の甘い酒はやさしい味だった。
エレンと姉は歳がはなれていたので対等な関係ではなかった。姉は8歳年上で寄宿制の高等学校にいったので、エレンが初等学校の頃には姉と顔を合わせるのは学校の長期休暇だけだった。
姉は学校や寄宿舎でのちょっとしたいたずらの話をよくしてくれ姉の話を聞くのは楽しかった。長兄とけんかをすると長兄をたしなめ、文字が読めるようになっても姉に甘えて本を読んでほしいとお願いすると読んでくれた。
やさしい姉だった。
姉の死後に姉が義兄の飲酒問題に苦しんでいたと知り、誰もが「なぜ相談してくれなかった」と嘆いた。エレンも「なぜ?」ともう答えてくれることのない姉に何度も問いかけた。
義兄の飲酒問題が結婚した当初からではなかったのがせめてもの救いだったが、亡くなるまでの2年は地獄のような日々を送ったと知った。姉がそのような状態におかれていたことに気付けなかったと母だけでなくエレンも自責の念にとらわれた。
姉から笑顔が消え、マナー違反にきびしくなり、嫌味な言い方をするようになっているのを指摘すると「親として振るまいに気をつけないといけなくなったのよ」と言った。
しかし一度だけ「旧家の嫁らしくなったということね」と自嘲したことがある。
長兄と結婚した義姉も旧家出身でマルタン家をけなすので、姉も婚家の人達からさげずまれることを言われていたはずだ。
エレンは姉にいくらでも愚痴は聞くからといったが「愚痴をいうほどひどくないから大丈夫よ」とかわされた。
姉にとって8歳年下のエレンが頼りになる相手でないとは分かっていたが、エレンも大人になり力になれることはあるはずと思っていたので頼ってもらえないことがさびしかった。
頼ってくれないのだから気にする必要はない、姉が大丈夫というのだからそうなのだろうとエレンは姉を心配するのをやめてしまった。
すねた子供のような態度をとっている間に姉は亡くなり後悔だけが残った。
「後悔して現状がよくなるなら後悔すればいい。でも後悔することが自分をみじめにさせるだけなら時間の無駄」
叔母がよく口にする言葉だ。叔母が子供の時に祖母の誕生日でピアノをひき何度か間違えてしまったことをピアノ教師に話した時にいわれたという。
叔母は自分自身だけでなくエレンをはじめとする周りの人達や教え子達が後悔でくよくよしていると必ずその言葉をいった。
もし姉が義兄に傷つけられても生きていれば後悔をいかすことはできたが姉はもういない。エレンは楽天的で気持ちの切り替えは早い方だが姉に対する後悔はエレンの中でしぶとく残りつづけた。
「でも叔母さん、逆にいえばお母さんは禁酒運動をしていればこれまでのように生きていけるってことだよね」
叔母がおどろいた表情をしたあと「言われてみればそうかも」というと思案顔になった。
「でもそれが姉さんにとって幸せとは思えない。でも幸せってなんだろう……。
イネスを失って姉さんはもう幸せを感じられなくなってる。そのことを『私』が受け入れられないだけなのかもしれない。
どうしても以前の姉さんに戻ってほしいと思ってしまう。姉さんには現実のつらさから目を背けられるものが必要で、姉さんにとってはそれが幸せな状態なのかもしれない。でも私にとって以前の姉さんが私の姉さんなのよ」
叔母の絞りだすような声が叔母の苦しみをあらわしていた。
「今の姉さんの姿を見つづけるのはつらいなあ。変わってしまった姉さんをそのまま受けとめるべきなんだろうけど、ちょっと時間がかかりそう。
なんか気持ちが落ちちゃったから明日イースター用の帽子を買いにいって気分転換しよう! 奇抜で人目をひくのを買ってイースターで注目の的になっちゃおうかなあ」
叔母のことは大好きだが、叔母の帽子の趣味の悪さは好きになれない。
春の訪れとイエス・キリストの復活を祝うイースターはクリスチャンにとって春の一大行事だ。春らしい色鮮やかなファッションを楽しむ人が多く、叔母は趣向をこらした帽子をかぶるのを楽しみにしていた。
イースターでは復活、新しい命をあらわす卵が象徴として使われる。叔母はある年に鳥の巣にカラフルに色付けされた卵がつまった飾りの帽子をつくった。
ご機嫌で帽子の飾りについて話す叔母に付き合いきれずエレンは疲れたので寝ると部屋へさがった。




