日本の神様
日本では歴史上の権力者が神になると知った。
9月15日、神田明神で10年間中止になっていた祭りが行われることから、エレンは兄のアーネストと、高の3人で参加しようと人波にもまれていた。
高こと藤田高太郎は、神田にある兄とは別の高等教育学校で英語と工学を教えている。
神田近辺は明治にはいってからできた高等教育機関が多く、「これからの日本をになうエリートを夫にしたいなら神田をうろついてる学生をねらえです」と兄の通訳をしている啓がいっていた。
高はエレンが祭りの準備をしている町の人達の様子をみていた時に声をかけてきた。
エレンの美しさにひかれ高が声をかけたと言いたいところだが、
「僕がアメリカに留学していた時に現地の人に何かと助けられたので、もしお困りのことがあればと思って」とても紳士的な理由だった。
高は日本人男性としては背が高く、笑うとえくぼができるかわいい顔をしている。話しも合うので一緒にいるのがたのしい。エレンのタイプだ。
思わず高にときめいたが残念ながら既婚者だった。
兄とワインを飲みながら世間話をしていた時にエレンが高のことを話すと、
「日本はちょっと前まで一夫多妻で男が愛人を持つのも普通だったらしい。口説いたらいけるかも」といったので兄の正気をうたがった。
クリスチャンにとって不貞は地獄行きの罪だ。
信仰の自由をもとめイギリスからアメリカへわたった17世紀、清教徒の時代なら、不貞をはたらいた者は公開裁判の上、むち打ち、服に不貞をはたらいたと一目でわかる印をつけて一生すごす。
さすがにそのような罰はもうないが不貞をはたらいた人達への世間の目はきびしい。
兄は自分の発言を冗談だといったが兄らしくない冗談だった。
「神田祭がずっと行われなかった理由をくわしく話すと長くなるので簡単にいうと、祭神として祀られていた一柱の格下げがあったからなんです」
高が祭りが中止されていた理由を説明したがまったく理解できない。
神を格下げする? 人間がそのようなことを出来るなどおどろきだ。
高によると天皇陛下が神田明神に行幸することになった時に、祭神のひとつである平将門が大昔に天皇家の敵だったことから、それまで本殿に祀られていた平将門が格下げになり摂社にうつされたという。
そのことに反発した氏子が神田祭を中止することで不満をしめしたらしい。
エレンは一神教のキリスト教を信仰しているので神が複数存在することからしてよく分からない。
複数の神がいるギリシャ神話のようなものだろうと思ったが、過去の権力者、平将門が神になるのがどのような仕組みなのか謎すぎる。
高の説明を聞いたあと兄に視線をむけると「何でもありだ」といったので兄も理解していないだろう。
日本の神様についてはよく分からないが、祭礼用に装飾した山車を町中でひきまわし神社へ向かうことや、祭りが10年ぶりに復活した今年は山車の数が過去最高なことは理解した。
現代アメリカでいえば11月の第4木曜日に祝うサンクスギビング、感謝祭にニューヨークで行われる大規模パレードのようなものだろう。
町中を山車をひいて歩くか、人気キャラクターの大型バルーンをひいて歩くかのちがいだ。神田祭とちがい感謝祭のパレードに宗教的な意味はないが。
誰もが楽しみにしていた神田祭だが残念なことに天候にめぐまれなかった。朝からすっきりしない天気で時間がたつにつれ雨雲がたれこめた。
蒸し暑く人波にもまれるのが不快だがエレン達のまわりには不自然な空間があり、そのおかげで不快感が多少ましといえた。
「この人混みで自分の周りだけぽっかり空間ができるほど人から避けられると笑えてくるよね」
エレンの言葉に兄が苦笑した。
「イギリスに留学した時はイギリス人と見た目は同じだから見た目で差別されることはなかった。でも話すとアメリカ英語だからアメリカ人と分かって差別的なことをいわれることはあった。
でも日本だと見た目がちがうし着ているものもちがうからそれだけで避けられる。さすがに毎日のようにこういう扱いされるとしんどいよな」
兄のいうことは痛いほどよく分かる。エレンも教師をしているので人から見られることには慣れている。でもこれまで人から避けられることがなかったので避けられることには慣れていない。
「こればかりはどうしようもないですよね」高がぽつりといった。
「僕もアメリカで同じような目にあったのでアーネストさんの気持ちはよく分かります。
アメリカに行くまで肌の色のせいで人からの扱いが変わるなんて経験したことなかったので衝撃でした。
でも思ったんですよ。自分と違うものを嫌がったり、避けたり、偏見を持ったりするのは仕方ないことなんだって。
日本人同士でも地方から来た人の言葉が変だとからかって、自分たちの地域の決まりを知らなければ馬鹿にして仲間に入れなかったりします。
アジア人だからとアメリカで何かと差別されましたが、肌の色が違っても気にせず親切にしてくれる人もたくさんいました。
病気になった時にみてくれた医師が診察料をうけとってくれず、『そのお金で君の国に役立つ本のひとつでも買って帰りなさい』といわれた時は恥ずかしながら泣きそうになりました」
3人でしんみりしていると雨つぶが顔にあたった。
雨のなか祭りはつづけられたが、雨あしだけでなく風も強くなり祭りは中止になってしまった。
仕方がないので家に帰ろうと歩いていると高が日本語でつぶやいた。
エレンが何といったのかと聞くと「この雨風は将門命の『たたり』だ」と英語でいった。
高が「たたり」を英語で何というのかうかばないと、まずは日本語のままでいい、その後たたりについて英語で説明した。
キリスト教でも神が人間のおかした罪を罰するため自然災害や疫病をおこすといわれている。
しかし神である平将門が自分の神格を勝手に下げたことに怒り、多くの人が楽しみにしていた祭りの日に大雨や大風をもたらせたという高の意見は「神がそのようなことするの?」と残念な気持ちになった。
氏子が格下げ騒ぎをおこしたわけでもなく、それどころか氏子は祭りをあきらめてまで政府に抗議している。
エレンが神なら氏子を失望させるようなことはしないどころか、祭りのために気持ちのよい一日となるよう天候をあやつる。
「神からすれば自分の神格を元通りにしてないのに祭りをするなど許せんってことじゃないか? 中止になった原因は解決してないようだし」兄がしたり顔でいう。
「日本の神様のことはよく分からないけど、せっかくのお祭りを台なしにしたのが神なら『なにすねちゃってる?』って言いたいかなあ」
エレンの言葉に兄は笑ったが、高は何かいいたげな顔をしたまま黙っている。
しまった。信仰する宗教をからかわれてよろこぶ人はいない。エレンはすぐに高にあやまった。