予想は大はずれ
エレンはセントラルパークのスケートリンクで知り合った男の子、ベンの母であるルイーズから招待をうけ家を訪問していた。
ベンとルイーズ親子とセントラルパークで会った時にエレンが持っていた日本で買った巾着をルイーズがほめことをきっかけに、ベンの父親が日本人であることが分かった。
ベンの見た目にアジア系の特徴がほとんど見られないのでエレンは白人の男の子と思っていた。思わぬ形で日本との縁があったことにおどろいた。
「来てくれてありがとう」
ルイーズが挨拶のあと近所でおいしいと評判のベーカリーのクッキーを用意したのでとエレンにすすめた。
しばらく世間話をしたあとルイーズが意を決したようにベンが実子でないことを打ち明けた。
エレンはルイーズと日本人男性の恋物語を聞かされるだろうと予想していた。他人種との結婚は周囲から強固に反対されるので仲を引き裂かれたのだろうと思っていたのでおどろいた。
「ベンは従妹の子なの。従妹の友人の家に下宿していた日本人留学生と恋におちて2人は結婚するつもりだったけど家族に反対されてしまって。
彼は留学を終え日本に帰らなくてはいけなかったから従妹は彼と一緒にひそかに日本に行こうとしてたけど家族に知られて私の実家に送られた」
ルイーズの母と従妹の母が姉妹で仲が良く家族ぐるみの付き合いがあった。住んでいる場所がはなれていたので会う機会はすくなかったが、男兄弟しかいないルイーズにとって従妹は妹のような存在で親しい間柄だった。
従妹がルイーズの実家に来てから妊娠していることが分かった。従妹の両親は娘が日本人と結婚するといったことですでに激怒していたので、従妹が妊娠していることを知ると親子の縁を切ると宣言した。
「従妹のことは従妹の両親だけでなく私の両親も内密にしていたから、従妹が監視の目をかいくぐって私に手紙を出すまで私は何も知らなかったの。
未婚で子をうんだとなると今後にかかわるから子を出産後すぐに養子にだすと言われて従妹はパニックになってた」
ルイーズは結婚したあと実家があるマサチューセッツ州ではなくニューヨークに住んでいた。
「従妹から手紙をもらいあわてて実家に帰ったら従妹が『子を養子に出したくないけど、どうしてもというならルイーズの子にしてほしい』といったのよ。
でもその時は何と答えればよいのか分からず何も言えなかったんだけど、夫に話したら養子にすることを真剣に考えようといってくれて。ずっと子供ができずにいたから良い機会だと」
医師であり敬虔なクリスチャンのルイーズの夫は父親が日本人であることを気にせず、このような巡り合わせも神の思し召しだろうとルイーズにいった。
出産後の憂いがなくなった従妹は安心して出産にのぞみ無事にベンをうんだが産後の予後が悪く亡くなってしまった。
「ベンには従妹が実の母だと小さい頃から伝えてるの。従妹のことを覚えていて欲しいと思っていたから。私達が養い親であることをベンは知ってる。
ベンの父親について従妹から素性を聞いてたから日本にいる彼に連絡を取ろうと思えば取れたと思う。でもベンを手放したくなくて。彼は従妹が妊娠していたことを知らないまま日本に帰ったので、子供がいることを知らされても困るだろうとも思ったの」
赤ん坊のかわいさは格別だ。子を望みながら子を持つことができなかったルイーズがベンを父親に渡したくないと思った気持ちはよく分かる。
「なぜこの話しを私に?」
ふと疑問に思ったことを口にするとルイーズがはっと我に返った表情になった。
「自分でも今どうしてなんだろうと思ったわ。ベンの生い立ちについて人に詳しく話をすることなんてほとんどないのに」
そのように言いながらルイーズは考える顔をしたあと、
「ああ――あのオリエンタルなバッグ。エレンと初めて会った時に持っていた日本のバッグが、従妹が大切にしていたバッグに似てたの。ベンの父からもらったといってた」
ルイーズが視線をはずすと「誰かに聞いて欲しかったのかもしれない」と小さな声でいった。
ベンの容姿はアジアの血が流れていることを感じさせないのでルイーズにベンの父親を思い起こさせることはあまりなかったような気がする。エレンの巾着が日頃考えないようにしているベンの父親について考えるきっかけになったのかもしれない。
「ごめんなさい。エレンに変な話を聞かせてしまって。この地でベンの事情を知ってるのは私達夫婦とベン本人だけなの。
ベンには不用意に自分の父親が日本人だと言わないようにきつく言ってあるし、誰にもベンの事情を話したことはなかったんだけど」
ルイーズが小さく息を吐き出すと
「エレンは話しやすくて人を警戒させないというか、話を聞いてくれそうな雰囲気があるからつい甘えてしまって。本当にごめんなさいね」とあやまった。
「あやまらないでよ。教師として人の話を聞くのは得意だし、話しやすいと言われてうれしい。ベンのことは絶対に誰にも言わないから安心して、ルイーズ」
エレンの言葉にほっとした表情をみせたルイーズは何度か口を開いてはつぐむを繰り返すと、
「エレンが日本帰りだと聞いて、このままじゃいけないという罪悪感が刺激されたんでしょうね。実はベンの父親を探してみようと思ったの」といった。
ベンの父親は横浜出身なので横浜に知り合いはいないかとルイーズが聞いた。
横浜という地名を聞きすぐに思い浮かんだのが横浜で弁護士をしているジョンだった。リオの死を思い起こさせるのであまり思い出したくない人だ。
「兄の通訳をしていた日本人男性が横浜出身で、私の日本語の先生がスコットランド人だけど横浜に長く住んでたし、それに東京の家で働いてくれていた日本人の女の子が横浜の居留地で働いていたから何かしら情報を得られそうな気がする。
日本人でアメリカに留学していた人は多くないし、留学してた人は通訳をしろとかりだされることが多いから外国人との付き合いがあると思う。横浜の居留地に住む誰かと知り合いな可能性がものすごく高そう。
それに私が住んでいた東京と横浜は近いから、東京に住んでいても横浜に住んでる外国人に知り合いがいるのも普通なの。横浜だけでなく東京で親しくしていた人にも聞いてみるから」
ルイーズの顔つきが明るくなった。ベンの実の父親についてずっと気になっていただろう。日本から彼が従妹を迎えにくるかもしれない、そうなればベンを手放さなくてはならないかもしれないと悩んだこともあるはずだ。
フィオナや啓とは手紙のやりとりをしているので連絡をとるのは簡単だ。文はまだ英語の読み書きが不自由なくできるほどではないので、たどたどしい数行の短文を啓を通してもらっている。
「そういえばあの2人どうなってるんだろう? 啓からの手紙にはとくに恋の進展について書いてないけど、文の手紙を同封してるということはアプローチはつづけてるはず」
日本で親しくなった人達のことを考えながらエレンは自分が半年前まで日本にいたことがひどく昔のことのように思えた。




