姉と姪の喪失
ミルドレッド・ロバーツは同居している姪のエレン・マルタンと一緒に教会でクリスマスの炊き出し活動をしながら落ち込んでいた。
姉がエレンにクリスマスの家族の集まりに来るなといったのを取り消すよう姉を説得しようとしたが出来なかった。
「叔母さんが気にする必要なんてまったくないから。クリスマスに実家に行かなくてもいいなんて最高よ! アーネスト兄さんがお前だけずるいって悔しがりそう」姪は屈託のない笑顔を見せて言った。
感謝祭とクリスマス近くになると実家に行きたくないと姪はよくこぼしているのでその言葉に嘘はなくても、姉にひどいことを言われた姪の痛みを考えると何もできない自分が情けなくなる。
姉だけでなく姪も親しい人の死から立ち直れていない。エレンの姉、イネスだけでなく、エレンは2人の友人を亡くしている。まさか日本で親しくなった友人が亡くなってしまうとは――。
国をゆるがせた南北戦争という大きな戦争があったミルドレッドの世代にとって死は身近なものだった。戦争だけでなく流行病で亡くなる人も多く両親もそのせいで亡くなった。
人の死に過剰に反応しない鈍さは身につけたが、喪失感や悲しみとの付き合い方は上手くならなかった。
ミルドレッドは姪が日本から戻ってきてすぐに姪の様子がおかしいことに気付いた。日本で何かあったのかと探りをいれても日本での生活は楽しかったというだけで何も言わない。しかし姪は悲しそうな顔をよくした。
さりげなくエレンの兄、アーネストに日本で何があったのかを聞いたが何もないと言われた。どちらも何かを隠していたが身内とはいえ踏みこんでほしくないことはある。本人が話すまで待とうと決めた。
そのような状況のなか姪の母である姉から姪が結婚相手をさがしていると聞いた時はおどろき過ぎて食べていた物を喉につまらせた。
エレンとは叔母と姪という関係だけでなく教師としてこれまでさまざまなことを相談されてきた。それだけに自分に何も話してくれない、相談してくれないことに傷ついたが、生涯独身の叔母に結婚については相談しにくいだろうと思い直した。
ようやく姪がリオのことを話した時にミルドレッドは姪が新たな喪失を抱えたことに、神に「なぜですか?」と問わずにいられなかった。
エレンは悲しみを見えない場所へ押しこめる。見えなくすれば悲しみは消えると信じているかのように。
笑い声がしたので視線を向けると姪が笑顔で列に並んだ人と話している姿があった。
姉だけでなく姪の悲しみにも何も出来ない。
ミルドレッドは亡き婚約者の姿を思い浮かべた。
彼が戦死してから20年たっている。ミルドレッドは彼が出征前にとった写真を毎日ながめていた。その写真は時とともに色あせていた。彼の姿がいつか消えてしまうのではと不安におそわれる。
もし写真がなければ彼の姿をおぼろげにしか思い出せなくなってしまっていただろう。
もう聞くことができない彼の声を自分では覚えているつもりだけれども、もしこの瞬間に彼の声が聞こえても本当に彼の声だと認識できるのかは分からない。
「人が忘れるのは神が人に与えた慈悲だ」と言う人がいた。
覚えつづけることは時に呪いになる。忘れてしまいたいことを覚えているために何度も傷つき、忘れられないことで悲しみが深くなると。
でもミルドレッドにとって忘れることは救いではない。婚約者のことをすべて覚えていたい。忘れたくない。彼と過ごした時間を一瞬であっても忘れたくない。
悲しみの乗り越え方は人によってちがう。
ミルドレッドは戦死した婚約者と天国で再会し彼との誓いを天国で果たすために独身でいる。
罪となるようなことをしては天国にいる彼に会えない。幸い子供達の模範になる生活態度を求められる教師という職のおかげで品行方正でいることはむずかしくなかった。
彼と天国で再び会うこと、教師として身を正した生き方をすることだけを考え生きてきた。それがミルドレッドの悲しみの乗り越え方だった。
甥のアーネストが「亡くなったイネス姉さんのことを忘れないようワインを飲むたびに姉さんのことを思い出してる。エレンと2人で決めたんだ」と言ったことがある。
フランス系のマルタン家は日常的にワインを飲む習慣があったので姉の子供達もワインをよく飲んでいた。
しかし姉の長女、イネスが亡くなってからアーネストとエレンはワインを飲まなくなった。酒のせいで、酒を飲む人間のせいでイネスを失ったと酒類すべてを避けた。
どのぐらいの月日がたったのかは覚えていないが、気がつくとエレンが再びワインを飲むようになっていた。イネスの死から立ち直り日常の習慣が戻ってきたのだと思っていた。
でもアーネストの言葉で2人がワインを飲むのは日常の習慣を取り戻したのではなく、イネスを忘れない、イネスの死によってもたらされた傷と痛みを忘れないという気持ちなのではと思った。
ミルドレッドはあらためてイネスの死について考える。イネスが亡くなったと知らされた時は自宅の階段で足を踏み外し落ち方が悪かったと聞いた。
しかし亡くなったイネスの姿を見て疑問をもった義兄がイネスの婚家の使用人を買収し隠された事情があることを突き止めた。
イネスは夫の飲酒問題に長く苦しめられ、亡くなった日は深酒をしたイネスの夫が暴言だけでなく暴力をふるい、夫の暴力から逃れようとしたイネスが階段から落ちた。
イネスを死に追いやったイネスの夫は自分がしたことを覚えておらず婚家は不幸な事故で済ませようと画策した。
イネスは夫の飲酒問題について誰にも話していなかった。姉は自分の娘が相談してくれなかったことや、何か問題があるのではと思いながら娘が置かれた状況に気付けなかったことを激しく後悔した。
そして義兄が「イネスは良いタイミングでこちらの利になる死に方をしてくれた」とイネスの婚家から口止めとしてビジネスで必要な資金や人脈をしぼりとった。
そのせいで姉はイネスの2人の子供達と会うことが出来なくなった。イネスの婚家はマルタン家の人間は二度と子供達に近付くなと条件をだした。
義兄からそのことを聞いた姉はワイン好きの義兄が家につくったワインセラーへ行き、貯蔵されていたワインをすべて破壊しようとした。
姉は夫の非情さに絶望し、娘を失っただけでなく娘が生んだ2人の孫に会えなくなり禁酒運動にのめり込んだ。
ミルドレッドはふいにアーネストとエレンが日本に行ったのは、イネスの死とその後に起こった理不尽な現実から逃れたかったからなのではと思った。とくにアーネストはイネスが亡くなってすぐに日本行きを決めている。
エレンはアーネストが日本に行くまで日本がどこにあるのか知らないほど日本に興味がなかったのに、アーネストから日本に来てほしいといわれすぐに日本行きを決めた。
「忘れるのは神の慈悲」
その言葉があらためて胸にせまる。
忘れられない。忘れたくない。
その気持ちが姉一家とミルドレッドをしばる。神の慈悲を受け入れないことで苦しんでいる。
姪が立ち働いている姿を見ながらミルドレッドは、喪失に苦しんでいるのは姉と姪だけでなく自分もだと強く思った。




