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ワンダーランド、日本

「ワンダーランド、日本」


 日本に来てからというものエレンは何度もその言葉をつぶやいている。


 横浜港には船を横づけできる桟橋がまだなく本船から小舟に乗りかえ横浜に上陸したが、小舟をあやつるふんどし姿の日本人男性の姿にエレンの思考も体も固まった。


 衝撃がぬけきらないまま上陸手続きをすませ、兄、アーネストの姿を出迎えの人達の中から見つけた時は心の底からほっとした。


「長旅大変だったな、エレン。来てくれて本当にありがとう」


 兄に抱きしめられ、ようやく船旅が終わったと実感できた。


 1年ぶりに会った兄はやせていた。暑さで上気しているせいか顔色は悪くないがとても疲れているようにみえる。


「救世主の妹、無事到着。もし兄さんがこのままアメリカに帰りたいなら帰ろう」


「日本に着いた早々なんだよそれ。もうアメリカに帰りたくなったのか、エレン?」兄がおどろいている。


「ちがうよ。兄さん自分で気付いてないかもしれないけどやせて調子が悪そう。


 妹が日本に死にそうになりながら到着したからアメリカまで付きそうとか、兄さんが病気になってアメリカで治療したいとか言い訳はどうとでもなる。


 アメリカに帰りたいなら帰ろう」


 兄が顔をくしゃりとさせ笑った。


「調子悪そうに見えるのは暑さのせいだ。日本の夏に洋服は暑すぎる。日本人みたいに夏用の涼しい着物をきたいが、俺がきると着崩れてだらしなく見える。仕方なく洋服きてるが暑い。


 心配かけてすまない。夏期休暇でのんびりしてかなり調子がよくなった。それにお前がきてくれたし大丈夫だから」


 兄が横浜で1泊するといいエレンの荷物を持つと誰かにむかい手をふった。するとふんどし姿の車夫がひく人力車があらわれた。


「お前の言いたいことは分かる。とりあえず乗れ」


 日本では馬ではなく人がひく人力車があると聞き、原始的な乗り物かと思っていたが想像していたよりもモダンで乗り心地はよかった。


「人力車は馬車よりもはるかに小回りがきくし道を馬糞だらけにすることもない。


 車夫が荷物の番をしてくれたり、ちょっとした手伝いもしてくれるから車夫付きでアメリカに持って帰りたいぐらい気に入ってる。


 でも人がひいて走るのが奴隷のようでアメリカじゃ受け入れられないだろうなあ」兄が残念そうにいう。


「日本人男性のふんどし姿、あらかじめ聞いてたけど衝撃が大きすぎて何といってよいやらなんだけど」


 兄が声をあげて笑う。アメリカでは公共の場で肌をさらすことがない。家庭内で肉親の裸を見ることもほぼないだけに見慣れず目のやり場に困る。


「これからおどろくことばかりだぞ、日本の生活。自分が知っている世界は小さかったとつくづく思うよ。


 イギリスに留学していた時はアメリカと似てるけどいろいろ違ってることにおどろいたが、アメリカとイギリスとの違いなんて誤差と思うほど日本は違ってる」


 兄は国際法を勉強をするためロンドンに2年留学していた。


 兄がロンドンに留学していた時にアメリカが恋しいと手紙に書くことはあったが、やり過ごせるていどのホームシックだったようだ。


 今回のようにエレンに来てほしいということはなかった。


 エレンはホテルで食事をしたあと部屋で兄と話していたはずが気がつくと朝だった。どうやら兄と話しながら寝落ちしたらしい。


 久しぶりに揺れない場所でぐっすり寝たおかげで体がすっきりしている。


「今日は俺が滞在している東京、神田に汽車で移動する」


 兄へ手紙をだすのに何度も書いたKandaをどのように発音するのかをはじめて知る。


 汽車から見る日本の風景はエレンがこれまで見たことのない物だらけでエレンの神経は高ぶる一方だ。そのせいで神田につくまでにすっかり疲れていた。


「立派な家だね……」


 兄の滞在先は日本の伝統的な家屋で、ここに到着するまでにすでに刺激が多すぎた頭がくらくらしている。


「俺の前にドイツ人がここに住んでて、彼のためにそろえた西洋の家具があって都合がいいとあてがわれた。もとは侍の家だったらしい。


 まあ、見た目は大きくて立派だが古いし、家具は西洋のものだけど基本的に日本の家だからちょっと落ち着かないけどな」


「兄さん、なんか――玄関と思われる場所に人が待ってるけど」


「この家で働いてくれてる2人だ。料理人と家事をしてくれる女性だ。出かける時と帰ってきた時に手があいてると律儀にああして並んで挨拶してくれる」


「何それ? 兄さん、自分のことを貴族だとかいって話を盛っちゃった?」


「そんなことするわけないだろう。主人に対してこれが日本の普通らしい」


「ハロー。ナイス・ツー・ミーチュー」


 料理人の男性が英語を話したことにうれしくなり、はりきって挨拶と自己紹介をしたが相手はにこにこしているだけで何の反応もかえさない。


「2人はものすごく簡単な英語しか分からないから、いまお前がいったことはほとんど分かってないと思う。


 前の主人がドイツ人だったからドイツ語の方が通じる」


 兄がすたすたと家の中へはいる。


「それと日本の家は靴をぬいで中にはいる。だからここで必ず靴をぬぐように」


 日本の家では玄関で靴をぬいで入ることは聞いていたが、使用人がいる前で靴を脱ぐとは聞いていない。


 とても恥ずかしい。これまで家族以外の前で靴をぬいだことはないはずだ。


「恥ずかしいだろうが靴をはいて家に入ろうものなら大騒ぎになる。だらかあきらめてぬげ」


 観念して靴をぬぐ。服をぬぎ下着姿をさらしているような気分で慣れるのに時間がかかりそうだ。


 兄が家の中を案内してくれる。兄が日常的に使っている部屋には西洋の家具がおかれているので、家具だけみればアメリカの家と変わらない。しかしそれ以外の部分は日本家屋独特のものなので目が慣れない。


「いろいろな意味で慣れるまで時間はかかるだろうが、家の中はアメリカにいた時とそれほど変わらない。日常的に必要な物の名前とか簡単な英語は使用人の2人も知ってる。


 すこし込み入ったことを言う必要があるなら通訳に頼めば訳してくれる。学校で俺の通訳をしてる啓に明日から来てもらうことになってる。


 使用人に伝えたいことがあれば啓にいえば訳してくれるし、日本語でどういえばいいかも教えてくれる。しばらく啓にお前の世話をしてもらうよう頼んでるから安心しろ。


 それとここは下町だから何かと雑多であけすけだ。お前の姿を見たとたんあからさまに避けたり、逆にじろじろ見てきてついてこられたりするのは、日本に住む西洋人のさだめと思ってあきらめるしかない」


 兄が暑いので着替えてくるといい、エレンの部屋となる場所を案内したあと自室へむかった。


 エレンの部屋にはベッドや洋服をしまうチェスト、机やランプといったニューヨークの自室にあるようなものがそろっている。


「西洋の家具があるのはありがたいけど、これって日本の伝統的な家の美しさをぶち壊してるよね。渋さがだいなし。


 でもどう考えても日本人のように床に正座して生活するなんて無理だから仕方ないかあ」


 エレンは着替えるために、開け放たれている障子をしめようと慎重に木の部分に手をおいた。

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