いわしの頭は呪いじゃない
2月に入り寒い日がつづいているが東京はニューヨークほど雪がふらないので寒いとはいえ過ごしやすかった。
節分をむかえると寒い寒いと言いながらも周りは春がきたと嬉しそうだ。
春とはまったく思えない天候なのになぜだろうと不思議に思っていると、明治になる前の日本は今とはちがう暦を使っていたと兄の通訳をしている啓が教えてくれた。
旧暦の節分は1か月から2か月あとの時期だったといわれ春の謎がとけた。
節分の豆まきは料理人が鬼になり豆を投げてと楽しかったが、魔除けにいわしの頭を玄関にかざるのはやめてほしかった。はじめて見た時に不気味さのあまり悲鳴をあげた。
「これって呪い?」と叫び兄に笑われた。
ワンダーランド日本、魔除けの本気度が高かった。
リオが節分を迎えたあとに英語塾をスタートさせた。エレンは手伝いに行くつもりだったが「エレンがくると異人さんがめずらしくてずっとエレンのこと見て授業にならないから気持ちだけ受けとっておくね」と言われてしまった。リオの意見はもっともなので仕方ない。
生徒達の進み具合をみて手伝いを頼むといわれたので、英語塾の出資者の娘とエレンの家で働く文を含む5人の女の子に会える日を楽しみにする。
エレンは日本語のレッスンのために用意をしていた。年初めからスコットランド人のフィオナから日本語を教えてもらっている。
教会で日本語を教えているメアリーからハロウィーンパーティーでフィオナを紹介され、スコットランド訛りとアメリカ訛りの英語でも問題なくコミュニケーションできると確認したのでレッスンをお願いした。
エレンはすぐにでもレッスンを始めたかったが、フィオナは他の生徒も教えているのでスケジュールの調整が必要で、それだけでなく上海にいるフィオナの婚約者が仕事をからめフィオナに会いに日本にくる予定もあったので年明けからとなった。
「そういえばアメリカもバレンタインデーカードの交換をするの?」
レッスンを終えぐったりしているエレンにフィオナが聞いた。
「するよ。大切に思ってる人達に愛を伝える日だもん」
この時代のアメリカのバレンタインデーは愛や感謝をつたえるカードをおくるだけで現代に比べれば地味だ。
現代アメリカのバレンタインデーは男性が女性にバラを贈り、それだけでなくチョコレートやアクセサリー、バッグといった女性がよろこびそうな物もプレゼントし、ロマンチックな場所に連れ出してと一大イベントだ。
恋人同士で祝う場合はこの日にプロポーズする人が多く、現代アメリカ人Tの夫も「定番すぎて笑われると思ったけど」と言いながらバレンタインデーにTにプロポーズした。
「そういえば婚約者からカードは来たの?」
フィオナがうれしそうにうなずいた。恋する乙女がはじらう姿はかわいい。
「それにしてもフィオナがジョンと知り合いだったのにおどろいたよ」
フィオナがエレンの家に着いた時に、ちょうど兄を訪問していたイギリス人弁護士のジョン・エバンズが帰るところだった。
「知ってて当然よ。多くの商人がお世話になってるもの」
フィオナの父は羊毛を扱う商人なので契約書などでお世話になっているのだろう。
「それをいうならマルタン兄妹がミスター・エバンズと知り合いだった方がおどろいたけど。居留地の世間は狭いとはいえ、東京と横浜で住んでいる場所がちがうし職業もちがうじゃない」
ジョン・エバンズはエレンがハロウィーンパーティーで会ったアメリカ人を見下した男性だった。
新年に兄と横浜のホテルに滞在していた時に鉢合わせたことからジョンが兄と知り合いなのが分かった。
兄は法学者で築地にあるアメリカ領事館の人達と法についてや居留地内の裁判について意見交換をしていた。
ジョンと兄はアメリカ人とイギリス人の商人が契約違反でもめた裁判にかかわったことから知り合った。
2人が再会し話をしている中で、ジョンが読みたいと思っていたアメリカの法律書を兄がもっていると知り家に訪ねてくるようになった。
「うちの兄は教師だけど教えてるのが法学だから法関係者でもあるのよ」
フィオナが納得した顔をしたあと「そういえばミスター・エバンズって婚約者に逃げられたとかどうとか」と言ったところで、フィオナがあわてて「口がすべっちゃった。忘れて」といった。
エレンは「大丈夫、何も聞いてない」とにっこりしておく。
「そういえば啓は文と仲良くなってるの?」
もうひとつのおどろきはフィオナと兄の通訳をしている啓が顔見知りだったことだ。啓の実家が横浜にあり、啓はイギリス人から英語を習っていたので居留地にいる西洋人と何かとつながりがあったようだ。
啓がエレン達の家で働いている文に好意をもっているのは周囲にばればれでフィオナもすぐに気付いた。
「進展なし。文は男性に怖い目にあわされたり、売られそうにもなったから男性への不信感が大きい。
啓は文に礼儀正しくしているから大丈夫そうだけど、もし馴れ馴れしくしたらすぐに引かれると思う」
啓は西洋人の女性と結婚したいと言っていたが文に恋をし西洋人女性はどうでもよくなったようだ。
啓は東京に不慣れな文を助けたい、英語の勉強の手伝いもできると足しげく顔を出している。
文は新しい環境に慣れることや英語の勉強で手一杯で啓のことを気にしている様子はない。
もし文が啓に興味をもっているようなら啓に協力したいが、そのようには見えないので文の男性不信を大きくしないよう啓には釘をさしている。
「世の中うまくいかないものよね。好きな人から好かれず、どうでもいい人から好かれるなんてよくあるじゃない。
たまに婚約者と両思いになって結婚しようとしていることが奇跡と思うことがある。それも母国から遠く離れた場所で出会ってだし」
フィオナがしみじみとした調子でいった。
エレンは高のことを思い浮かべた。
もし高がアメリカ留学していた時に出会っていたら、高が結婚する前に出会っていたらと考えることがある。
しかしエレンは高の好みからはずれているので高との出会いが早くてもフィオナのようにのろけることは出来なかっただろう。
「ワシントンズ・バースデーにね――」といったところで、エレンはフィオナがスコットランド人だったことを思い出した。
大英帝国の人達にとって勝手に独立したアメリカの初代大統領の誕生日の2月22日が公休日になっているなど「どうでもよい」の一言だろう。
フィオナがエレンの言葉を待っていたので「ごめん。何でもない」というとフィオナはそろそろ帰ると立ち上がった。




