新しい時代は大きなお世話
エレンが教会の日本語クラスを終え帰ろうとしていると、日本語を教えているメアリーに「すこし話がしたい」と呼び止められた。
「エレンってあとどのぐらい日本にいる予定?」
兄の契約が終わる来年の夏までだと答えると残念とメアリーが言った。
「女学校を開校したいという日本人女性がいて協力してくれる人をさがしているの。エレンがもう少し長く日本にいるならお互いにとって良い縁になるかなと思ったんだけど」
アメリカの女子教育熱は日本にも伝わっている。居留地にミッショナリーが始めた日本人女子のための女学校がいくつかある。
日本政府も女子師範学校をつくり、女子教育のために岩倉使節団の一員としてアメリカに留学させた女子学生たちが学業をおさめ日本に戻ってきている。
留学中に洗礼をうけクリスチャンになった3人は居留地の教育関係者だけでなく教会関係者の間でもよく知られていた。
「私は中途半端な期間しか手伝えないけど相手がそれでもいいなら喜んで手伝う。日本で自立した独身女性の波をつくりたいとひそかに思ってたし」
メアリーが「うーん」と小さくうなり表情をくもらせた。
「希望をこわすようなことを言うべきじゃないんだろうけど……。日本が自立した独身女性という考え方を受け入れるのはものすごくむずかしいと思う。
日本では女の子は結婚して夫と夫の家族に尽くして子を生み育てるだけでいいと思われてる。女は男より劣ってるから男に従うだけでいい、女を教育するのは無駄と思ってるしね。自立した独身女性なんて誰も求めてなくて論外ってかんじ。
日本人は政府が西洋化を進めてるから仕方なく押しつけられた西洋のものを取り入れてるけど、日本人の本音はこれまで通りでいいよ」
メアリーがくすりと笑うと
「明治に入ってから日本人は理不尽の嵐にさらされまくりよ。ちょんまげは駄目だ、お歯黒はやめろ、西洋の服を着ろとか、上からごちゃごちゃ細かいお達しが出るのよ。
国民からすれば『はあ? なにそれ』よ。アメリカ人が明日からちょんまげにしろ、着物きろと言われてやると思う? 誰もやらないわよ。それと同じ。
従わないと罰があるとか、天皇陛下が率先してやっているからで受け入れられたものもあるけどね」と言った。
エレンは英語塾を始めようとしているリオから言われたことを思い出す。
リオは横浜の居留地にある学校で学んだあと教師として働いていた。
「女子教育は一部の人の間だけで盛り上がっていて、学校に通ってる生徒もすこし毛色が変わった新しい花嫁修業ていどにしか考えてなかったりだし。
とくに女の子を学校に通わせられるのは裕福なお家だけだから結婚相手として望まれて縁談がふるようにくるのよ。学校にいる間はいろいろ夢をみても周りが結婚以外を許さないというのもあるしね。
うちは裕福じゃないけど父が役所で教育にかかわってるからその伝手で学校に行けて教師になれたの」
アメリカも1861年に起こった国内を二分する内戦、南北戦争以前は日本と同じような状況で、女子は教育をうけないのが普通で女性の識字率は低かった。
男性が戦争にかりだされ人手不足になったので必然的に女性が代わりをつとめることになり、女性の識字率の低さや教育を受けていないことが問題になった。
おかげで女子にも教育をとなり自立した独身女性という流れができた。
しかし日本にはアメリカのような「女子を何がなんでも教育しなくては」という切羽詰まった事情がない。
「メアリーの言いたいことはよく分かる。アメリカも変わってはきてるけど、まだまだ女は家で家族の世話をしてればいいって感じだしね。
私の年齢を知ってる人は女の幸せは結婚だってうるさいのよね。結婚『出来ない』かわいそうな女を救おうと独身男性であれば誰でもいいだろうって、とんでもない男性を紹介してきたりで本当にうんざりよ。
結婚だけが女の幸せじゃない。結婚だけが女の生き方じゃないというのを分かってもらえないのよ」
メアリーが遠慮がちにエレンの年齢をきいたので27歳と答えると、たしかに周りがうるさいでしょうねと同情してくれた。
「エレンは結婚しないって決めてるの? 不幸な結婚の話はどうしても人の噂になるからエレンがそういう話をいろいろ聞いて結婚に悪いイメージしか持てなくなったのかもしれないけど。
結婚して普通に幸せにしている人は多いし愛する人と一緒に年を取っていくのは悪くないと思うよ。」
「なんかのろけてる? 旦那さんとの情熱的な恋の話は聞いてるわよ」
メアリーがふふっと軽やかに笑う姿に愛される人がもつやわらかさがあった。
メアリーは北海道にいた時に夫と出会い、その後メアリーの家族が東京で暮らすことになり離ればなれになったが、夫が東京までメアリーを追いかけてきたという。
「絶対に結婚しないとは思ってないけど積極的に結婚しようとも思ってないという感じかなあ。
うちは大した家柄でもないんだけど、うちの父が野心的な人で兄弟の中で上の2人は父の意向をくんだ結婚をしてる。
そういう父への反発もあったし、結婚しなくても幸せにしてる独身女性を見ることが多かったから独身でもいいじゃないって思うようになった。
でも結婚したいと思う相手がいたら結婚するつもりではいるよ。ちょっと好みが特殊だからなかなか現れそうにないけど」
「好みが特殊ってなに!? 結婚相手は王子さまがいいとかはよく聞くけど」
メアリーが笑ったあと「エレンの幸せを祈ってる」といいウインクをした。
彼女のような反応をしてくれる人が増えてほしいとエレンは切実に願う。
結婚し次世代を生み育てるのが社会的にも宗教的にも正しいとされるため、男女性別に関係なく結婚適齢期をすぎて独身でいると周りからの非難や中傷が現代と比較にならないほどひどい。
この時代30歳をすぎた独身男女に人権などなく生きている価値なし扱いだ。
「そういえばミスター・ブラッドリーの話きいた? 久しぶりに会った女性とうっかり挨拶でハグして勤めてる学校から警告されたんだって」
「なんでハグしたら警告されるの?」
「日本には挨拶のキスやハグの習慣がないでしょう。だから西洋人に公共の場でしないようお達しが出てるのよ」
「――冗談だよね?」
メアリーが真剣な顔をして首を横に振った。
「居留地内なら問題にならないけど、それ以外の場所では気をつけて」
そういえばと兄の通訳をしている啓にも公共の場でキスやハグをしないように言われたことを思い出した。「見つかったら怒られますよ」啓が笑いながらいったので冗談だと思っていた。
日本が西洋人にそのようなお達しを出したのもおどろくが、ミスター・ブラッドリーがどの学校に勤めているのか道行く人に知られていたことにもおどろく。
ワンダーランド、日本。あなどれない。




