097 「後送体制」
・竜歴二九〇四年六月十五日
「帰りの列車、客車ばっかり。でも、窓から人影があんまり見えないよ。みんな寝てる?」
「血の臭いが随分します」
「復路の列車があるという情報だったが、やはり負傷兵の後送か。嵐も連れてきて正解だったな」
蛭子衆第一大隊の本部小隊の朧と第二中隊長の嵐に、大隊長の甲斐が言葉を付け加える。
朧は『魔眼』と言われる眼を買われ、嵐は『狩人』の二つ名を持つ狼の獣人。最も鼻が効くので、甲斐が将校斥候に連れてきていた。
そうした二人がいるように、まだ大黒竜山脈の要塞でタルタリア軍の大攻勢が続いている頃、甲斐達は後方のタルタリア軍の偵察と監視の任務に就いていた。
そして彼らの2キロメートルほど先に、それまでなかった線路と、その上を走る列車があった。加えて言えば、彼らが見ている場所は鉄道敷設の先端部ではない。先端部はさらに東に100キロ以上先にあった。
彼らがいるのは、タルタリアとアキツ領の黒竜地域の境界線から50キロメートルほど黒竜側に入った場所。2ヶ月ほど前に、彼らが活動していた場所にほど近い。
彼らの野営地はずっと南だが、魔力に裏打ちされた非常に高い身体能力を持つ彼らにとって、容易く移動できる距離でしかない。
「しかし、ようやく復路を進む列車に出会えましたね」
「鉄道が通ったばかりの幌梅は、往路で使った貨車がそこら中にあるそうだ。前線を往復する馬車も、すごい事になっているらしい」
「第2大隊からですか?」
嵐の問いに甲斐は頷きつつも前を見る。
「うん。あっちの隠密斥候が、タルタリア軍だけになった街中まで入って見てきた。もともと1万人も住んでいない街に、色んなものが郊外まで溢れているから警備がザルで嫌がらせもしてきたと、雷さんが面白そうに話してたよ」
「ですが、ついに鉄道は幌梅まで開通ですか。その先の要塞までの敷設はあとどれくらいでしょうか?」
「要塞の来島工兵准将の話では、線路工事は侵攻開始から総力を挙げてしているから、単線の軽便鉄道なら全体の開通は早ければ3ヶ月だそうだ。つまりあと1月だな。だから幌梅や途中の線路の外に貨車が溢れているわけだ。タルタリアも形振り構ってないな」
甲斐は言いつつも小さく苦笑が漏れ、それに嵐も影響されて自然と苦笑が出る。
「そこかしこに急増の墓場がありましたね」
「推定で5万の人夫が工事に動員されているそうだ。しかも前線への補給が最優先だから、幌梅はかなり酷い有様だそうだ」
「そういう人の無駄遣いしてると、後でしっぺ返しがありそうだねー」
甲斐と嵐が真面目に話しているのに、朧はあまり関心なさげに遠くの状況だけを見続けている。
そして不意に、二人の方へと顔ごと向ける。
「ねえ、どうやって復路の列車は進めてるの? すれ違い用の複線区間や引き込み線ってあんまり見かけなかったし、そこにも復路の列車はいなかったよね? 駅も無かったし」
「僕も分からない。だからこうして見に来たわけだ。だが、こうして見てきた限り往路優先だな。復路は随分と時間がかかるんじゃないか」
そこで双眼鏡をかざして線路を見た甲斐だが言葉は続けた。
「それに雷さんが、幌梅は前線から運ばれた負傷者で溢れかえっていたと言ってた。前線の野戦病院も、周辺の村落の建物や天幕が全然足りずに露天に負傷者が並んでいるそうだ」
「となると、すぐに死にはしないが今後役に立たない者を後送している、と言ったところでしょうか」
「だろうな。負傷兵も飯は食うし、何より近代医療は医療品を随分と使う。既に医薬品が不足しているか、今後を考え前線で大量に消費をしたくないんだろう」
「タルタリアの兵隊さんも大変だね。アキツ軍で良かった」
何気ないが心からの朧の言葉に、後の二人も苦笑するしかなかった。その言葉通りの実例が、彼らの目の前を通り過ぎていたとなれば尚更だ。
「我が軍なら、手足が吹き飛んでも時間をかければ元どおりですからね。しかも公費で」
「うん。只人だと、霊薬や高位の術者の治癒魔術でも欠損した肉体の再生は限定的。魔力様様だな」
「そう言えば甲斐さんは、凄い負傷した事があったって聞いたけど?」
誰から聞いたのか、朧が甲斐の体を上から下へと視線を向ける。
「鞍馬が言ったのか?」
「うん。大変だったって」
「そうか。6年ほど前に極西の市民連邦が、諸部族連合に戦争を起こそうとしただろ。あの時にな。体の右半分をやられた」
「右半分?! 何をすれば、甲斐さんをそこまで? 戦艦の大砲でも食らったの?」
朧の大きすぎる驚き具合だが、嵐も表情は満面の驚きだった。もっとも、甲斐の方は淡々としていた。
「魔力を使い過ぎていたところを、どでかい地雷で吹き飛ばされた。只人だったら、即死どころか骨のかけらすら見つけられるか怪しいって言われたよ」
「それは凄い。魔人でも、体を半分もやられては厳しいですよ。磐城ですら、右腕と右肺をやられた時は危なかったと笑ってました」
朧だけでなく、普段は軍務以外に興味をあまり示さない嵐までが強い関心を向ける。
嵐の言葉に、朧も首を何度も縦に振る。
「頭と心臓が無事ならって宣伝文句だけど、あれって本当のすぐに高位の術者に癒してもらえた場合だよね」
「僕の場合は、すぐ近くに鞍馬がいてくれたお陰だな。それに特級の霊薬も即座に使った。即座に止血すれば案外なんとかなるもんだと、我ながら感心したよ」
「豊富な魔力あればこそですよ。ですが何をして魔力の消耗を? よほど長期の連続戦闘ですか?」
「魔力結界の形成だ。竜の加護の外でしか使い道がないから、黒竜の加護のあるこの戦場で使う機会はないだろうがな」
甲斐の言葉に、二人が「ああ」と納得する表情を浮かべる。
「甲斐さんが大隊長をしている理由の一つだよね。演習で一回やったけど、あれって竜の御子様とは違うんだよね?」
「竜の御子様は、竜の力を導いて竜の加護を顕現させる。僕のはその真似事。しかも魔力が自前で範囲は限定的。皇立魔導研究所や皇立魔導器工廠では、もっと効果と効率を良くする研究をしているそうだが、この戦争には間に合わないだろうな」
そう言って甲斐は軽く肩を竦める。
「仮に逆侵攻という事になれば、兵に加護を下さる為に御子様が前線に来るという噂もありますね」
「それって、歴史の上でアキツが勢力範囲を大きく広げる時にしかしないって話だし、もしそうならアキツはタルタリアを征服するするって事?」
「さあ、どうなんだろうな。そんな先の事は、上の人達が考えているだろう。僕達は、まずは目の前の監視任務だ」
甲斐にはぐらかされたように思った二人だったが、上官に雑談は終わりと言われ以上、任務に戻らざるを得なかった。しかも遠くからは、次の列車が近づきつつあった。
今までひたすら往路の列車ばかりだったのに、負傷兵を満載した列車が復路で何便も運行するという事は、大量の負傷者がいる事を示していた。
そしてその後も、甲斐達の前を物資を満載した往路の列車ではなく、前線にそのまま置いておくと邪魔な負傷者を満載した復路の列車が何本も通り過ぎる事になる。
しかも一部では、往路と復路の列車がすれ違う為の線路工事が一部で急ぎ行われるほどだった。
数日間で6万名近い負傷者。うち7000名が戦死。その後も負傷者から1000名の戦死者が出たが、それほどの影響を与えていた。
だが、総攻撃より前の戦いでの損害と合わせて1万4000の戦死者、6万を超える負傷者を出しても、タルタリア政府ならびに陸軍は大きな衝撃は受けていなかった。
兵士は、広大な国土から豊富な臣民(農奴など下層民や辺境民)を幾らでも供給できるからだ。
問題は、貴族や数の少ない中産階層出身の多い将校だが、それも200万もの常備軍を抱えるタルタリア陸軍にあって、まだ誤差の範囲の損害でしかなかった。