090 「師団と魔術」
アキツ陸軍とタルタリア陸軍の編成面での決定的といえる違いは、アキツが亜人の国で魔法が盛んな国という点が大きく影響している。
その象徴が魔術大隊だった。
アキツと同様の部隊や編成は亜人が住むアルビオンなどにもあり、アルビオンや加えて他の似たような国からも知識や技術を導入しているが魔法体系はアキツ独自のものだった。
部隊名としては魔術大隊が最も分かりやすいが、魔法を使う兵科といえば、魔術、通信、偵察、治癒の4つに分かれる。このうち偵察と通信は分散配置され、魔術、治癒はまとめて運用されていた。
勿論だが、魔術が関わる部隊は、只人しかいない国、魔法が衰えたか途絶えた国の軍隊には存在しない。
呪具や札と魔石を多少用いる程度しか出来ない為だ。
一方で、近代科学文明の産物である有線による野戦電話は、アキツでも導入されてはいた。だがこの時代は、経費や手間など様々な問題から一定程度の規模以上の司令部間を繋ぐ程度でしか配備されていない。
電信は盛んだが遠隔地を繋ぐもので、無線通信に関してはこの頃は登場して時間があまり経っておらず、野戦には関係なかった。
さらに加えれば、『念話』に代表される魔術による高度な近距離通信は、魔法に関する道具と動力源となる魔石では現時点で不可能とされていた。
そうした状況なので、通信連絡においてアキツは圧倒的優位にあると言えた。
ただし魔術による通信可能な距離は、『念話』と呼ばれる一般的な遠距離意思疎通の魔術で10キロメートル程度。技術や魔力の高い者でも2、30キロメートルが限界と言われている。
この為、近中距離での通信に限られ、基本的には部隊間の円滑かつ即時の相互連絡、連携が出来るように図られていた。
また、師団以上の部隊で運用される場合もある。
この為、優秀な術師が集められ師団より上位司令部の軍(軍団)直轄として通信部隊が運用されている。
もっとも、通信専門の術師は軍事以外の様々な面で非常に有用だった。当然、軍だけでなく政府を始めとしてアキツ中で需要があった。特に時間との勝負となる商業において、古くから通信の魔法は重宝されてきた。
当然引く手数多で、アキツ中で治癒の術師と並んで熱心に養成されてもなお、術師が不足しているのが実情だった。
この為、軍では戦時動員で必要な通信術師と呼ばれる兵を確保する形をとっていた。
治癒や衛生、防疫や浄水の魔法的なものについては、衛生兵や野戦病院の担当となる。
ただしアキツの場合は、軍隊だけでなく社会全般で魔法に依存する傾向が非常に強く、近代医学は特に外科において補助的なものにとどまっている。
そして通信兵と同じように、民間でも引く手数多なのが治癒、治療の魔術の使い手だった。
術者は古くから様々な形で存在し、魔術による治癒、水薬や治癒札の使用など魔法の道具を用いた治療が広く行われている。
また、変革以後の軍隊では、近代医学と併用する事で効果を更に高めている。
そして緊急の治癒を要する軍隊向けは、戦時になると優先される体制が作られていた。また各種存在する水薬や治癒札は備蓄が可能なので、備蓄に努められている。
加えて有事での動員、徴用の体制も整えられていた。
そして部隊において治癒を担うのが、衛生兵と野戦病院の医師、看護師といった治癒に関する魔術の専門家たちだった。
近代医学による治療には限界があるのに対して、魔法による治癒は場合によっては致命傷に対しても有効だった。
心肺停止に至っても、すぐに高度な治癒魔術や霊薬を使用した場合に蘇生、さらには治癒出来る可能性が十分にあった。
手足が吹き飛ばされても、水薬や治療札で取り敢えず傷口を塞ぐなどといった応急処置をして後方に送る。そして野戦病院の治療魔術の使い手が、より高度な術の処置を行う。
さらに後方での本格的な魔法による治癒で、損傷部位、欠損部位の再生治癒を受ける事まで可能だった。
場合によっては、前線でも非常に高度な治癒術が受けられる場合もある。
そして負傷への対応能力が非常に高い事から、アキツ軍では応急処置も担う衛生兵の数が他国の軍隊と比べると非常に多かった。負傷しても、生存する可能性が高い為だ。
他国の師団だと1個師団あたり500名程度だが、アキツ陸軍の師団は1500名の衛生兵が配属されている。
可能な限り応急処置を行い、そして後方に送ってしまう体制を整える為だが、傷を治癒出来る可能性が高いからこその体制とも言える。
それでも激しい欠損の再生治癒には時間はかかるが、近代医学だけしか使わない場合に比べると比較できないほど治癒速度は早く、さらに負傷からの前線復帰率が高かった。
そもそも手足など身体部位が欠損する負傷をした場合、近代医療では再生は不可能だ。それが可能というだけでも、治癒魔法の圧倒的な優位がある。
加えて近代医学だけなら戦死する場合でも、助かる確率、可能性が飛躍的に向上していた。負傷に対する戦死率では、3倍以上の差があると言われている。
極端な例えだと、脳と心臓さえ無事なら前線復帰できるとすら言われたりもした。
他にも、他国の重傷はアキツでは軽傷、戦闘可能扱いとされるというものもある。単に体が体内の魔力によって頑健というだけではなく、応急処置の治癒札や水薬でも即効かつかなりの治癒効果がある為だ。
勿論、魔法による各種治療、治癒には限界もある。また魔力を持たない只人には、限定的な治療、治癒効果しかない。魔法による治癒は、かなりが患者が魔力を有する事が大前提だからだ。
一方で、病気に対しては治癒の魔法と薬の併用が一般的で、近代医学に劣る面も見られる。
というのも、各種病気に対しての有効な魔術は、高度で使える術者が少ないなどの理由で、伝染病などが大量発生したら全体への対処が難しいなどの欠点がある。
しかしそれを補うものとして、各種魔法による浄水、身体の清浄化の手段がある。これは特に野外、つまり軍隊が活動する環境において非常に有効で、古くから重宝されてきた。
清潔な水、清潔な環境、清潔な体は、軍隊の活動上で避けられない病気を遠ざける一番の手段となるからだ。
近代に入り西方で様々な発見があって近代科学による改善が進んでいるが、竜歴2900年代初頭においても魔法による優位は維持されていた。
そのように、魔術の盛んなアキツでは負傷や戦地での病気は他国ほど深刻ではなく、また負傷兵の復帰率は異常なほど早かった。
何より戦死率が、他国と比べると異常なほど低かった。




